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第一一六話 炭灰の森 三 巨神



 神や最上位種のドラゴンなども含め、〈王級〉と呼ばれる大精霊の多くは、特別な武器や魔法による傷でもなければ、基本的に体が自然と再生する。……とはいえ、高空から落下した衝撃は凄まじく、一命こそ取り留めたものの、イケガミの体は大きく損傷し、完治までに少々時間がかかると思われた。

 そのため、決して真綾を逃すまいとする彼は、激痛に堪えながらも腰の小袋から丸薬をひと粒取り出し、それを一気に呑み込んだ。するとどうだろう、すでに始まっていた体の再生が著しく加速し、あっという間に健全な状態に回復したではないか。


「ふう……。よもやこの秘薬を使う羽目になろうとは……あの老いぼれ、今すぐ落としてくれるわ。――クソッ、遠いか」


 ようやく立ち上がった彼は、何よりも先に、上空で待機しているゴルトヘ光の剣の切っ先を向けたが、射程外にあると知るや口惜しそうに毒づいた。


「……まあいい、あんな小物どうでもよいわ。〈運命の子〉さえ――誰だ!」


 ひとりブツブツ言っている途中で、サクサクと灰を踏みしめ近づいてくる者に気づくと、イケガミはとっさに誰何の声を上げて振り向いた。

 やがて、しんとした静寂のなか続いていた足音は止まり、そこに彼は見た。

 神であるイケガミは、わずかな星明かりの下でも色を判別できるほど夜目が利く。なればこそ彼にはわかった、炭と化した木々の間から長大な太刀を手に現れた人物が、黒衣黒髪の女性であると。

 しかし、美の女神に勝るとも劣らない美貌を、まさか下等な人間どもの地で見ることになろうとは……。


「美しい…………ハッ! 〈運命の子〉!」


 完璧な美貌に思わず魂を奪われていたイケガミは、我に返ると光の剣を握りしめて身構えた。〈運命の子〉、真綾の攻撃に備えて。

 この時、もしも彼が厳しい自然界で生きる者なら、死を覚悟しろと本能が教えてくれたかもしれない。もし彼が武の世界に身を置く者ならば、彼我の実力差を推し量り死を覚悟することもできただろう。

 ……だが、野生動物や魔獣ではなく、また、武人でも武神でもない彼は、愚かにも最悪の選択肢を選んでしまうのだった。


「どうした〈運命の子〉よ、親友を灰にされて怒っておるのか? うぬにも見せてやりたかったぞ、炎の中を逃げ惑うチビの姿を! あのチビめ、最後は木の洞へ逃げ込みおったから、その木もろとも盛大に――」


 花のことを持ち出して真綾を煽っていたイケガミは、その途中で違和感に気づいた。……そして、ほんのわずかに遅れて彼を襲う、口の痛み。


「アアアアアア!」


 あまりの激痛に思わず口に手をやり、声にならない声を上げたあと、口を押さえていた左手のひらを確認して、ふたたび彼は絶叫した。


「アアアアアァァァァァッ!」


 彼の手のひらは金物くさい液体に濡れていたのだ……。

 真綾は優しく、気立ての良い娘である。……だが、臆病と優しさを履き違えている者や、博愛や人権という言葉を自分に都合よく振りかざす者ではなく、武門の名家たる羅城門家の姫君であった。ゆえに彼女の優しさは、当然ながら、向けるべき相手をちゃんと選ぶのである。

 そしてまた、容赦してはならない対象も、ちゃんと選ぶのだ。


(く、口を斬り裂かれた!? しかし、いつの間に!? どうやって!? 神剣がまったく反応しなかったぞ!?)


 自分の口が横一文字に斬り裂かれたと悟ったものの、イケガミは混乱した。

 彼の手にある光の剣は、いかなる攻撃をも受け止め、ひとたび手を離れれば遠くにいる敵さえ鎧ごと貫く、という神剣である。帝国諸侯最速を誇るテレーザの斬撃すら防いだその神剣が、なぜか今、ピクリとも動かず、また、彼の目には真綾が剣を振るったようにも見えなかったのだ。


「……」


 真綾は何も言わない。ただ、混乱するイケガミを凍てつくような視線で捉えたまま、ふたたび彼女は無言で剣を振るった。……とはいえ、その動きは、まるでコマ落とし映像のように、誰の目にも結果だけしか映らなかったが。

 そう、結果……。


「ガアアアアッ!」


 光の剣は今度も反応できぬまま、握る右手ごとポタリと落ちた。

 その様子をテレーザとヘートヴィヒも遠間から見ていたのだが、ふたりは真綾の実力の一端に触れただけで、あまりの異常さに戦慄していた。


「わたくしの目でもまったく追えないなんて、まさに神速の剣だわ。……それに、なんて凄まじい殺気なのかしら、〈王級〉を前にしても動じないシュトルムヴィントが、こんなにも怯えるなんて……」

「神の手を、斬り落とした……」


 そんな彼女らをよそに、真綾は、右手の傷口を押さえて後ずさるイケガミへと、一歩、また一歩と近づいてゆく。さながら、死という概念そのものが美しい形を成し、歩み寄っているかのように。


(ヒイイィィ! く、来るっ!)


 なぜか損傷部分の再生が一向に始まらず、口と手の激痛に苛まれるなか、傲慢な神はこの時になってようやく、心の底から恐怖し――。


「あああぁぁぁ!」


 ――気がつけば、花の逃げ惑っていた森の中を、今度は自分自身が逃げていた。神の威厳をかなぐり捨て、なりふり構わず、ただただ情けない声を上げながら。

 逃げ出したとはいえ、さすがに神の脚力たるや凄まじいものがあり、いかなる野生動物をも凌駕する速度で疾走するイケガミだった――が、背後を一度振り返って確かめたあと、前に戻した顔を凍りつかせた。

 はるか後ろに置いてきたはずの真綾が、すぐ目の前で大太刀を構えているのだ……。

 そして、その刹那――。


「あガッ!」


 突如として左足の自由を失ったイケガミは、炭化した木に激突しては砕くを数回繰り返し、ようやく地面の上に転がった。


「あ、あひ(足)があぁぁ!」


 ここへきてようやく、彼は自分の左膝から下が失われていることに気づき……やや遅れてから悟った。自分をはるかに上回るスピードで先に回った真綾が、すれ違いざまに自分の左足を斬ったのだと……。

 サク、サク、と、灰を踏みしめる音が近づいてくるにつれ、イケガミの恐怖は指数関数的に膨れ上がってゆき――。


(……か、神たる俺の体を難なく切断し、あまつさえ再生まで阻害するなど、やつの剣も神剣なのか!? クソッ! 〈運命の子〉が神殺しの武器を持っているなど俺は聞いていないぞ! しかもやつは、南部辺境伯をもはるかに超える速度特化型に違いない! ここ、このままでは殺される、殺されてしまう! か、かくなるうえは――)


 とうとう彼は決断した。

 そんな彼の表情に何かを察し、真綾が足を止めた――その時!

 なんと、目も眩むほどの光にイケガミの全身が包まれ、輪郭を失い巨大化していったではないか!


「ああ、なんてこと……」

「あれが、神……」


 やがて、真綾たちに追いついたテレーザとヘートヴィヒは、光の弱まったあとに現れたソレを見上げて声を失った。……そう、そこにあったのは、神の最終形態とも呼べる姿だったのだ。

 それにしても、未だ淡い光を放ちつつ人の姿を保っているその体の、なんと巨大なことか。

 大鴉の森で真綾と戦った羊頭巨人でさえ、大きさに定評のある真綾の倍はあったというのに、完全体となったイケガミの身長は、羊頭巨人のさらに三倍、一〇メートル以上はあるだろう。こうなるともう、聖戦士の乗るオーラ○トラーや警視庁のレ○バーすらも軽く超え、可変戦闘機レギ○ス並みである。

 しかも驚くべきことに、真綾に斬られた部位が、何ごともなかったように完治しているではないか。


「フハハハハ! 驚きのあまり声も出ぬか〈運命の子〉よ。偉大にして光り輝くこの体こそ、神々の王たる俺の真の姿よ! 来たるべき日に備え温存しておったが、もう構わぬ! 羽虫のごとく叩き潰してくれるわ!」


 発声器官が巨大化すると声も大きくなるのは当然だが、体が巨大化すれば気も大きくなるものらしい。ついさっきまで感じていた恐怖も忘れ、イケガミは大音声で勝ち誇った。……まあ、今の彼から見れば、真綾など六分の一スケールの美少女フィギュアみたいなものだ、気が大きくなるのも致し方あるまい。

 さらに――。


「我が剣よ、神威を示せ!」


 大音声が轟くや、光の剣は空中を飛んで主の手に収まり、元の六倍ほどのスケールに巨大化した! もはや見た感じ、ヒート○ーベルである!


「むん!」


 肩慣らしとばかりに神剣をひと振りしたイケガミを見て、自身も守護者の加護を持つヘートヴィヒは息を呑んだ。


「速い! なんて力なの!」


 ……そう、速い。すなわち力も強いのである。

 体が六倍スケールに巨大化した場合、筋肉断面積に比例する筋力が三六倍にしかならないのに対し、体積に比例する体重のほうは二一六倍にもなり、普通に考えれば立ち上がることもままならないはずである。無論、どの魔物や精霊も、力を〈体力強化魔法〉で補っているのだが、イケガミは今、緩慢な動きではなく、普通の人間と同じ調子で体を動かしたのだ。

 つまり彼の力は、最低でも常人の二一六倍はあると考えて間違いない。


「よし、久々にしては悪くない。――さて、たかが雑種の分際で、よくも神々の王たるこの俺をいたぶってくれたなあ〈運命の子〉……。今から対神々用の備えで屠ってくれるゆえ光栄に思え!」


 憎悪の眼差しを真綾に向け、神罰を与えんと吼えるイケガミ。神々の王たる彼のアツい戦いが、今、始まる――。


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