第一一三話 北西に進路を取れ 三
ファイヤードレイクの背から私たちを見下ろし……いや、見下しているその青年は、浅黒い肌に金髪碧眼をした超絶イケメンで、甲冑のようなものはいっさい身に着けず、古代の彫像のごとく完璧に均整のとれた上半身を、まるで見せびらかすようにさらけ出している。
……うーん、なんだろう? たしかにイケメンなんだけどなー、全然カッコイイとは思えないぞ、むしろ嫌な感じがする。それにしても……「神々の王」だって?
「俺の声が聞こえぬか下等種どもよ、頭が高いと言うておろう」
イラッとした感じでイケメンが言うと、なんと、諸侯であるテレーザさんが両膝ついて頭を垂れ、それを見たヘートヴィヒさんも困惑気味ながら彼女に続いた。
この様子だと、このイケメンが神様というのは本当なのか? なんか、尊大なしゃべり方のわりに薄っぺらいというか、これっぽっちも威厳を感じないんだけどな……じゃあ、イケメンの神様で〈イケガミ〉と仮称しよう、頭良さそうな響きだからコイツも喜んでくれるに違いない、うん……。
「畏れながら、いと高きお方が今このような場所へご降臨されたご理由を、お聞かせ願えますでしょうか?」
顔を上げて質問するテレーザさんを一瞥したイケガミは、ヘートヴィヒさんに一度視線を移したあと、最後になぜか、ボケーッと突っ立ってる私に目を留め、なんとも言えない表情になってから、おもむろにまぶたを閉じて――。
「……そうか、よもや、俺の神算鬼謀を破った相手が、このように抜けた顔をした小動物であったとは……」
――などと、不思議とよく響く声でひとりごとを言いつつ、眉間に皺寄せて考え込んでいたかと思ったら、いきなりクワッと両目を見開いた。
「おいチビ――」
「誰がチビか!」
「……」
あ、いけね、イケガミが急に失礼なこと言うもんだから、条件反射で言い返しちゃったじゃないか。人間からこんな対応された経験がなかったのか、イケガミも呆然としちゃったよ。……あ、再起動した。
「……南部辺境伯よ、俺がここへ来た理由であったな、教えてやろう。――神を畏れぬこの不届き者に……俺の計画の邪魔をしたという愚か者に、この手で神罰を下してやるためよ!」
最初は感情を抑えるように、努めて静かな声でテレーザさんに語りかけていたイケガミだったけど、途中でついに感情を爆発させ、こめかみに青すじ立てながら私をビシッと指差した。
「……そ、そんなことのために、ただ自分の腹いせをするためだけに、百年の禁忌を破ってこの地まで来たと……。なんて愚かな」
「おい南部辺境伯、この距離なら聞こえぬとでも思ったか? 神への冒涜、聞き捨てならんぞ」
テレーザさんの口をついて出てしまった小さな声を、イケガミは聞き逃さなかったようで、冷たい声を彼女に浴びせかけた。
「も、申しわけございません。……ですが、この子に神罰をお下しになることは、どうか思しとどめになってくださいませ。この子がこのまま親友と再会し、ともに故郷へ帰りますれば――」
「ならぬ! 神に仇なす者はことごとく罰を受けねばならぬ、これは世界の摂理なのだ! 下等種の諫言ごときで神の決定が覆るなどと思い上がるな! ――よいか南部辺境伯よ、うぬは賢しらに禁忌などとほざいておったが、こうして俺の足が大地より離れておる限り、禁忌を破ったことにはならぬわ、思慮の足りぬ愚か者はうぬのほうよ。今からチビに神罰を下すゆえ、お前はそこで大人しく見ておれ」
祈るように両手の指を組み、必死に私の命乞いをしてくれるテレーザさんだったけど、この傲慢そうな神様が耳を貸すはずもなく、イケガミは腰の鞘から光り輝く剣を抜き、その切っ先を私に向けた。……そう、光り輝く剣。陽光を反射してるとかじゃなく、文字どおり刀身自体が光を発しているんだよ。
アレ絶対、ヤバい剣だ! と、とりあえず、〈食いしんぼモード〉を発動しておこうか? いや、見た目どおりの質量だとは限らないし……などと、私が焦り始めていると――。
キンッ――。
突然、目にも留まらぬ早業でイケガミが剣を振るい、硬質な音を響かせた。まるで、自分に迫る不可視のナニカを斬ったかのように。
「……どういうつもりだ、南部辺境伯」
虫ケラでも見るようなイケガミの視線が、テレーザさんを突き刺した。
「させません……」
「何?」
「この子には指一本触れさせません!」
聞き返したイケガミに堂々と言い放つと、テレーザさんは私を庇うように前へ出た。諸侯の覇気を纏ったふくよかな背中の、なんと頼もしいことか……。守ってくれてありがとう、テレーザさん。
そうやって感動する私とは反対に、イケガミのほうは苛立ちを隠せないようだ。
「自分のしたことの意味がわかっておるのか? 下等種よ」
「いかような罰も謹んでお受けいたします。ですが、お願いでございます! どうかお怒りをお鎮めになって、ここはお引き取りくださいませ! この子を殺していかなる益がございましょう!」
「ええい、黙れ下等種!」
テレーザさんの必死の説得も虚しく、ついに堪忍袋の緒を切らせたイケガミが、彼女に切っ先をビシッと向けるや、なんと、光の剣は勝手に飛び出し、テレーザさん目がけ一直線に迫ってきたではないか! しかも、彼女が避けた場合は私に命中するという軌道で!
スローモーションのようなその光景を、為すすべもなく私が見守るなか――。
ズドッ!
テレーザさんの前に風よりも速く現れた巨体が、光の剣を一身に受けた。
「シュトルムヴィント!」
私は叫ばずにいられなかった、身を挺して契約者を守ったグライフの名を……。
守護者は死なない、再召喚すれば元どおりだって、もちろん私もわかってるよ、わかってるんだけど……偉いね、シュトルムヴィント、よくやったね……。
背中に載せていた荷物だけを遺し、大きな体がキラキラとたくさんの光の粒子に変わってゆく……。その儚い光景を涙浮かべて眺める私をよそに、〈諸侯級〉すら軽く仕留めた光の剣はふたたび空中を飛び、主の手へと戻っていった。
「ふん……。南部辺境伯、守護者の献身に免じてうぬの命ばかりは許してやろう。今すぐ、そこなチビを置いて――」
キンッ!
興を削がれたようなイケガミの声が、途中で硬質な音に取って代わられた。
ふくよかな体からは想像できないスピードで、テレーザさんが〈風の刃〉を放ち、それをイケガミが斬り落としたんだ――。そう私が理解したころにはもう、テレーザさんの右手は、私なんかの目じゃ捉えられない速度に達し、次々と〈風の刃〉を繰り出し続けていた。
クラウディアさんのとは射程距離も威力も段違いな〈風の刃〉を、これほどの速さで連射できるなんて、やっぱり諸侯はすごい。このうえ、一般人では傷ひとつ付けられない防御力と、守護者並みの怪力まであるんだから、どんな軍隊を相手にしたって一方的に蹂躙できるに違いない。「諸侯は単独で都市を滅ぼせる」っていうのは決して比喩じゃないんだ。
でも――。
「神の慈悲を解さぬとは愚かの極みよ……。南部辺境伯、この俺を退屈させてくれるなよ」
イケガミは見えるはずのない無数の〈風の刃〉を、ことごとく斬り落としていくんだよ、それも、余裕の笑みすら浮かべて。〈王級〉って、これほど圧倒的な存在だったんだ……。
そんな理不尽な存在から視線を逸らさず、テレーザさんは超高速で〈風の刃〉を放ち続けながら、参戦しようとしていたヘートヴィヒさんを引き留める。
「待ってヘートヴィヒ! あなたはハナちゃんを連れてお逃げなさい!」
「ですがテレーザ様――」
「あれは神、いくらわたくしが諸侯でも、あなた方を庇いながら戦える相手ではないの、もちろん伯爵の力が通じる相手でもないわ。わたくしの生存率を上げるためと思って、さあ、早く!」
「…………はい。――ハナ様、こちらへ!」
思わぬ命令に戸惑うヘートヴィヒさんだったけど、テレーザさんの言葉に理があると納得したのか、悔しそうな表情を一度浮かべたかと思うと、すぐさま私の体をヒポグライフの背に引き上げ、自分の前に跨がらせてくれた。
「テレーザさん!」
「ハナちゃん、ご両親を悲しませては駄目よ」
名を呼ぶ私にそう返すと、次の瞬間、テレーザさんは忽然と姿を消し、ほどなくして、私は飛び立ったヒポグライフの上から、彼女の姿を思いもかけない場所に見つけた。
「残念だったな、南部辺境伯」
「くっ!」
テレーザさんはファイヤードレイクの背中の上で、イケガミの背後から斬り下ろした渾身の剣を、光の剣でピタリと受け止められていたんだよ。おそらく彼女は超高速移動による奇襲を狙ったのだろうけど、神には届かなかったみたいだ……。
「キエェェェ!」
「ほらほらどうした? 帝国諸侯最速はこんなものか?」
それでも彼女は諦めず、裂帛の気合いを込め、目にも留まらぬ早業で次々と斬撃を繰り出し始めたんだけど、なんとイケガミのほうは、器用にも座った状態のまま、超高速の斬撃をすべて光の剣で受けているんだよ。
私、ど、どうすれば……。〈オキシジェンですトリャー!〉は論外、神様相手に〈浄化ビーム〉は無意味、〈東方無敗〉、〈真・太陽険〉、〈アクセル・シュヴァイス〉、……ダメだ! 悔しいけど、この状況で使える攻撃手段が私には無い……。真綾ちゃんみたいな運動神経が私にもあったら、神様相手でもどうにかできるのだろうけど、それを言っても始まらないよね。
テレーザさんの言うとおり、今はお荷物のいなくなったほうが、彼女の生存率を上げられるのかもしれない……。
「ハナ様、参りましょう」
「……はい」
私と同じく己の無力さを噛みしめているのだろう、ヘートヴィヒさんの沈んだ声が私の後頭部の上から降ってきたので、私も同じように沈んだ声を返すと、それを合図にしたようにヒポグライフは速度を上げ、ファイヤードレイクの背中で奮戦するテレーザさんの姿は、見る見る小さくなっていった。
◇ ◇ ◇
ヒポグライフが飛び立ってから、そう時間も経ってはいないというのに、丘陵地帯に点在する森のひとつの上に差しかかった辺りで、とうとう私たちはファイヤードレイクに追いつかれた。……いや、正確には、光の剣の射程内に捉われてしまったんだよ。
「ウッ!」
背後から覆い被さるようにして私を守ってくれているヘートヴィヒさんが、何度目かの呻き声を上げた。
「ヘートヴィヒさん!」
「だ、大丈夫ですよ……」
心配する私の頭上から返ってきたのは、努めて平静を装う苦しそうな声……。さっきからイケガミは光の剣を飛ばし、ヘートヴィヒさんとヒポグライフに傷を負わせているんだよ。一気に殺すわけでもなく、まるで弄ぶように少しずつ、何度も何度も執拗に……。怪我のせいかヒポグライフの速度も落ちているし、このままじゃ、ヘートヴィヒさんが……。
「ヘートヴィヒさん、少し高度を下げてください。そしたら私は森の中に飛び降りますから、あなたはすぐに離脱して――」
「何をおっしゃいます、テレーザ様のご命令に背くことはできません。それに、こんなにも幼いハナ様を見捨てて、おめおめとひとりだけが生き残るなど、貴族であり大人でもあるわたくしにどうしてできましょうか。この身に代えましても、エーデルベルクまでお守りいたします」
私の提案に猛反対するヘートヴィヒさん……アリガトね、気持ちは嬉しいよ。だけどこのままじゃ、あのイキった神様にみんな殺されちゃうんだよ。
「よく聞いてください、私には考えがあります」
「お考え?」
「はい。私だってこの若さで死ぬつもりはありませんし、とっておきの加護だってありますから、心配しなくても絶対に大丈夫ですよ。――敵の目的は私ですから、その私が飛び降りたら、敵はヘートヴィヒさんに構わず、森に隠れた私を探し始めるでしょう。あなたはその隙に離脱してエーデルベルクへ向かい、私の親友に事情を説明してください。そうしたら、あの子がなんとかしてくれます」
そう、真綾ちゃんなら、きっと――。
できるだけ余裕のある声で説明したのが功を奏したのか、ヘートヴィヒさんも納得してくれたようだ。
「……わかりました。ハナ様、マーヤ様に何かご伝言はございませんか?」
「それじゃあ、『一か月後くらいに戻ってくると思うから、〈伊勢海老尽くしコース〉用意して待ってろよ』と伝えてください」
「イセ……承りました。……ハナ様、どうかご無事で」
「ヘートヴィヒさんも」
こうしてヘートヴィヒさんに伝言を頼んだ私は、高度を下げてくれたヒポグライフから飛び降り、鬱蒼とした常緑樹の森に潜んだ。
その森が炎に包まれたのは、それから少しだけあとのことだ。




