第一〇六話 帝都だ! 一 帝都の日々
グリューシュヴァンツ帝国の都〈ドラッヘンシュタット〉――。
昨年、都市の主要部分と宮殿が完成したことで、旧都から宮廷丸ごと引っ越してきたものの、この新たな帝都は、防衛の要たる市壁ですら未だ完成していない部分があり、市街にも建築中の建物が少なくない。
これから始まる生活に胸膨らませる人、ここでひと旗揚げようと意気込む者、今が稼ぎ時とばかりに働く職人たちと、彼ら相手に稼ぐさまざまな職業の人たち。新たな帝都は大勢の活気で溢れている。
そんな帝都の、真新しい建物が軒を連ねる一角、ひときわ立派な石造りの建物の玄関先で――。
「ハナちゃん、また来てね」
「ハナ様、お気をつけて」
「は〜い、ごちそうさまでした〜」
仲良く見送ってくれるヤーナさんとトーマスさんに大きく手を振ると、私はシュナイダー商会帝都支店をあとにして、宮殿前の広場へと続く大通りを歩き始めた。
ここんとこ曇りの日がほとんどで、気温のほうもめっきり寒くなり、チラチラと雪の舞うこともあるほどだ。……まあ、【強化】のおかげで、そんなに私は寒くないんだけどね。
マティルダさんにヤーナさんを治療してもらった日から、もう十日ほどが経っていた。
私はその間、シュナイダー商会帝都支店へ毎日のようにお邪魔していたんだよ。もちろん、トーマスさんとヤーナさんに会うためだ。私が行くとふたりは心から喜んでくれるし、私もふたりのことが大好きだからね。
さすがに帝国屈指の大商会というだけあって、シュナイダー商会は宮殿近くの一等地に商館を構えているから、徒歩でもすぐに着くし治安もいい、というわけで、完治したヤーナさんを送り届けた時以外、いつも私はこうやって、宮殿の送迎馬車を断り、ぶらぶらと散歩がてら通っているんだよ。
ホントはエーリカちゃんも来たがったんだけどね、今の彼女は謎の少女エマではなく、この国の第一皇女殿下だから、気軽に宮殿を出るわけにもいかず、とても残念そうに諦めていたよ。皇女もたいへんだね……おっと、そう言っている間に宮殿前まで来てしまったよ。
「お、ネズミちゃんのお帰りだ」
「ハナちゃん、楽しかったかい?」
「はい、とっても!」
声をかけてくれた衛兵さんたちと、しばらくおしゃべりし――。
「あらハナちゃん、あんたに教えてもらった方法でやったら、頑固な汚れがホントに落ちたよ、ありがとうね」
宮殿内でバッタリ出くわした掃除係のおばさんから、前に教えてあげた掃除豆知識のお礼を言われ――。
「おお、ハナ様! いと小さき賢者よ! サトウキビと同様にベーテからも砂糖が作れると聞いて、お抱え錬金術師め、目玉も飛び出さんほどの驚きようでございましたぞ! さっそく研究を始めると息巻いておりました。――何しろ、寒冷で痩せた土地でも育つベーテなら、我が国でも昔から家畜の飼料用に栽培してきましたから、原料に事欠くこともないでしょう。南方からの輸入だけに頼っていた砂糖を、我が帝国内で生産できるようになれば、その恩恵たるや計り知れません。――ハナ様、かようなる叡智を授けてくださり、誠にありがとうございました」
「いえいえ。……あ、製糖用に使うんだったら、根っこの太い品種のほうがいいと思いますよ、それから、活性炭に色素を吸着させることで砂糖の脱色もできると思います。活性炭がなければ木炭でも代用できたはずです」
「なんと! 脱色が!? 重ねがさね感謝いたします! ハナ様、生産成功の暁には、必ずや相応の対価をお支払いたしましょう」
「いや、お金はもう……」
これまたバッタリ出くわした宰相さんから、教えてあげた甜菜糖知識のお礼を言われ――。
「ハッハッハッ」
「クゥーン」
「あ、フレキ、ゲリ、遊んでほしいの――ぎゃあああ!」
ハッケルベルクさん(謁見の間にいた眼帯おじいさんだよ)の愛犬たちに出くわしたとたん、押し倒されて顔中ベロベロされ……。
「まあ、ハナ様」
「ハナ様、ごきげんよう」
「あ、ごきげん――うへへへ……」
通りがかりの女官さんたちに、なぜか頭を撫でられ――。
「あ、あらハナ様、奇遇ですわね……。ちょうどよろしいですわ、皇后陛下がアナタをお呼びでしてよ。……し、しかたないですわね、広い宮殿内でアナタが迷ってしまってはおかわいそうですので、この、次期シュティッツガルト伯、メルツェーデス・フォン・ポルシェが、ご案内して差しあげますわ!」
「いや、ここの間取りはもう覚えて――」
「さあ! ……あら? 変ですわね、ちょっと獣くさくございません?」
貴賓室の前で待ち構えていた金髪縦ロールさんに、なぜか有無も言わせず腕を組まれ、皇后陛下の待つ部屋へズリズリと引きずられていく、私であった……。
マティルダさんの言ったとおり、メルツェーデス(いつまでも金髪縦ロールじゃかわいそうだし……)さんはあの私闘以降、宮殿内を案内してくれたり、いろんな人に紹介してくれたり、個人的なお茶会に招待してくれたりと、私の世話を焼いてくれるようになったんだよ。
「……とりあえず、ありがとうございます」
「か、勘違いはおよしになって! 別にアナタのためではございませんことよ!」
「いや、さっき、迷ったらかわいそうだとかナントカ……」
プライドが邪魔するせいか、ちょっとツンデレ気味なんだけど……。
こんな感じで、この十日ほどの間に、私はメルツェーデスさんだけでなく、宮殿にいるたくさんの人たちと仲良くなった。
メルツェーデスさんに紹介してもらった人たちはもちろんだけど、宮殿に興味津々の私があちこちに出没してたら、召し使いの人や衛兵さんたちまで声をかけてくれて、顔を合わすたびおしゃべりしているうちに、すっかり打ち解けたんだよね。
ちなみに、妙な噂が尾ヒレを生やして泳ぎまくったのか、「帝国の未来を救った小さき英雄」だの、「伯爵をも軽く手玉に取った小さき強者」だの、「叡智を秘めし小さき賢者」だのと、みんなが腫れ物でも扱うように接してきたもんだから、私も最初はたいへんだったよ。……どうでもいいけど、必ず「小さき」って言葉が入っているのはなぜだろう?
それでは落ち着かない私が必死に頼んだから、かなりの人がフレンドリーに接してくれるようになったけど、お嬢様言葉がデフォルトの女官さんたちや、立場もある宰相さんたち高官は、やっぱり今でも敬語を使ってくるんだよなー。……まあ、言葉遣いは硬くても、女官さんたちは私をペットのように可愛がってくれるし、宰相さんたち高官も、お父さんやおじいちゃんみたいな目で私を見てくるんだけどね。
「さあ、着きましてよ!」
「いや、見たらわか――」
「皇后陛下、ハナ様をお連れしましたわ!」
私の言葉に耳も貸さずメルツェーデスさんが到着を告げると、目の前にある扉はゆっくりと開いていった。
◇ ◇ ◇
謁見の間よりフェミニンな内装の部屋に、一歩足を踏み入れたとたん――。
「ハナさま!」
「おぶっ!」
ストロベリーブロンドのゆるふわ髪をした頭が、私のみぞおちにめり込んだ……。なぜか【強化】のシステムも脅威と判定しなかったらしく、結界を素通しするもんだから結構効いたよ。【強化】さん、私で遊んでない?
「ハナさま、だいじょうぶ?」
「……ああ、うん……。さっきヤーナさんとこで食べたレープクーヘンが、危うく戻ってくるところだったよ……」
私の顔を心配そうに下から見上げてくる、この、エーリカちゃんをちっちゃくしたような愛くるしい幼女は、シャルロッテちゃん四歳。エーリカちゃんの妹、つまり、グリューシュヴァンツ帝国の第二皇女殿下にあらせられるのだ。
すっかり私に懐いてくれている彼女は、扉が開いたとたんダッシュしてきたらしい。……大人しいお姉ちゃんと違って活発だね。
「シャルロッテ、今のは危ないわ。ハナちゃんに謝罪を」
「はい、おねえさま。――ハナさま、ごめんなさい」
部屋の中にいたエーリカちゃんに困り顔で諭され、私に抱きついたまま謝るシャルロッテちゃん……可愛くてタマラン!
「ハナちゃん、ごめんなさいね。シャルロッテったら、ハナちゃんに会えたのがよほど嬉しかったみたい」
「いいって、エーリカちゃん。こんな可愛い子に気に入ってもらえたら、私も悪い気はしないからね」
お姉ちゃんしてるエーリカちゃんと微笑み合ったあと、私はちっちゃな皇女殿下のお顔に視線を落とした。
「今日も元気だね、シャルロッテちゃん」
「はい!」
青い瞳を輝かせて元気いっぱい見上げてくるお顔の、なんという破壊力よ! シャルロッテちゃんマジ天使! とりあえず抱きしめとこう、ギュー……。
「わたくしも……」
「おや? メルツェーデス、きみも仲間に入れてもらいたいのかい?」
「ななな、何をおっしゃいますのクラウディア様っ!? 勘違いなさらないでくださいませ!」
シャルロッテちゃんと私が仲良くギューし合ってたら、メルツェーデスさんとクラウディアさんの声が聞こえてきたけど、これは無視しておこう。
「あらあら、うふふ……。シャルロッテったら、あんなに嬉しそうに。――ハナ様、お帰りなさって早々にお呼び立てしてしまい、たいへん申しわけございません。お疲れではございませんか?」
……おっと、こっちの声は無視できないぞ。
「いえいえ、私は全然平気ですよ、皇后陛下」
バロック後期? ロココ前期? ともかく、見るからにお値段の張りそうなドレスを身に纏い、椅子に腰掛けてやわらかく微笑んでいる美人さんに、私はニッコリ微笑み返した。……そう、エーリカちゃんに似てポワっとした感じのこの人が、私をここへ呼んだ人物、つまり、この国の皇后陛下にあらせられるのだ!
初めて対面して、エーリカちゃんを助けたことのお礼を言われた時は、さすがに私もカチンコチンだったけど、この人のポワッとやわらかな雰囲気のおかげで、すぐに打ち解けることができたんだよな〜。
あ、そうそう、現在この部屋にいるのは、エーリカちゃんたち母娘三人と、護衛女官であるクラウディアさんにメルツェーデスさん、あとは、皇后陛下付きらしい女官さんが三人と、最後に私だ。ここは皇后陛下のごく私的な部屋のひとつらしいけど、我が斎藤家のリビングの数倍は床面積がありそうだから、これだけの人数が入っても広々してるよ。
「さっそくですけれどハナ様、わたくし、出入りの商人から興味深いお話を耳に入れましたの」
「ほうほう」
皇后陛下はポワッとしたお顔をちょっと引き締めると、相槌を打つ私に商人からの情報とやらを教えてくれ始めた。トーマスさんいわく、早くて正確な情報をオマケに付けることが、貴人相手に商売するときのコツらしいけど……なんじゃろう?
「皇帝直轄領の西隣にあたるレーン宮中伯領に、シュタイファーという都市がございますが、先月の二十三日、その都市を襲ったワイバーンという〈伯爵級〉の魔物を、なんと、異国の姫君が素手で撲殺なさったそうなのです。相手が空を飛んでいるにもかかわらず、しかも、ただの一撃で」
え……。
「それともうひとつ――。今月十四日の夜、レーン宮中伯領の都エーデルベルクが火災に見舞われたのですが、その際、都市の上空にとても巨大な召喚陣が現れ、そこから、ドラゴンよりもはるかに大きい守護者が姿を現したらしいのです。それと同時に、その契約者と思われる人物が、火元であった孤児院を一瞬で消滅させたうえ、周囲の建物に燃え移っていた炎を虚空から出現させた大量の泡で包み込み、最小限の被害で火災を鎮めたそうです」
建物を一瞬で消滅って……ソレ、【船内空間】じゃない? 大量の泡って、まだコッチの世界に無いはずの泡消火剤だよね。それに……それに、ドラゴンより大きい守護者って……。
「エーデルベルクの件のお方は、頭の両側から大きな角を生やした漆黒の魔人だったそうですので、おそらく違うかとは存じますけれど、シュタイファーをお救いになった姫君は、絹のように艷やかな黒髪と女神様のごとき美貌をお持ちで、背のほうもたいへんお高くていらしたそうですので、ハナ様がお探しのご友人と特徴的に一致するのではございませんか? お名前も伺っております、――マーヤ・ラ・ジョーモンと」
その名前を最後に口にすると、皇后陛下はニッコリと微笑んだ。




