第一〇五話 急報
エーリヒと真綾がエーデルベルクから帰って数日ののち、長年消息を断っていたエーリヒとカールが見つかったこと、また、カールをタウルス=レーンガウ伯として封ずることについて、レーン宮中伯から正式な布告があった。
これに対する反応は千差万別であったが、意外にも、タウルス=レーンガウ伯領内の民衆は好意的……というより、もはやお祭り騒ぎだった。
後ろ暗い連中からは峻厳かつ老獪な人物として恐れられ、あるいは煙たがられる一方、エーリヒは公明正大な為政者でもあったため、真っ当に生きている領民からは、「おっかないけど、いい領主様」、として評されていたし、温厚篤実を絵に描いたようなカールに至っては、「熊みたいにでっかいけど、お優しい若様」として、それなりの人気があったのだ。
また、エックシュタイン家が幾人もの英雄を輩出した家系であり、代々善政を敷いてもきたことで、エックシュタイン家の民であるという一種の誇りのようなものが、領民たちの間に深く根付いており、宮中伯の代官による悪政から解放されたことも相まって、エックシュタイン家返り咲きの報が彼らを沸かせたのは、至って自然なことであった――。
「いやーめでたい!」
「ああホントに、これでタウルス=レーンガウは安泰だ。噂じゃあ、悪代官をやっつけたのもエックシュタイン家だったらしいじゃないか」
「おかげでフクス商会もお取り潰しになったし、さすがはアタシらのご領主様だねぇ。――それに聞いたかい? ワイバーンとかいう魔物からシュタイファーをお救いになったって噂の、あの〈黒き姫君〉も、実はエックシュタイン家の縁者らしいじゃないか」
「聞いた聞いた! なんでも、ご領主様親子が長いこと行方を眩ませていたのは、その姫様をこの国へお招きする密命を宮中伯様から受けて、はるばる異国まで行っていたかららしい。最強の竜騎士がまた伝説を作ったってわけだ、俺たちも鼻が高いぜ!」
領民たちの噂は、いささか事実と異なるようであるが……ともかく、当事者たるエックシュタイン家は、さぞかし多忙なことであろう――。
「バカ、手を抜いてんじゃねえよ! ここでしっかり土寄せしとかなきゃ、葡萄の木が冬を越せないぜ!」
「すまねえ……」
「せっかくこの間の災難を乗り越えた木なんだぜ、あんちゃん、俺たち葡萄農家が守ってやらなきゃどうすんだよ!」
「いや、葡萄農家って……」
急斜面の葡萄畑にて、自分よりもずっと年上の若者を厳しく指導するヨーナス。たしかに忙しそうではある、葡萄農家として……。
「うるさい! マーヤねえちゃんを見習え!」
彼がビシッと指差した先には、紅葉した葡萄の木々の根元に黙々と土を被せてゆく真綾の姿が……。
「はあ……マーヤちゃん、今日もきれいだなあ……イテッ!」
「いい加減諦めろ! あんちゃんたちがマーヤねえちゃんと釣り合うかよ!」
ディアンドル姿の真綾に見惚れる若者の頭を、ヨーナスがゴチンと小突いたとたん、葡萄畑にいくつもの笑い声が沸き起こる。どれも若々しく陽気な笑い声が。
「ははははは、アイツ、またやられてら! しっかし、ヨーナスも容赦ねえなあ」
「バカ! ヨーナスじゃねえ、若様だ」
「あ、いけね」
笑い声の主は、収穫の際に顔を出していた若者たちであるが、彼らのうち、いつもの調子でヨーナスの名を気軽に呼んだひとりが、仲間に注意されて自分の口を押さえた。……さもありなん、ヨーナスは今や領主の息子であり、さらには先日、ヴァイスバーデンの大神殿で、召喚能力者であることも判明したのだから。
さて、この状況を説明しよう――。
タウルス=レーンガウ伯として封じられることが決まり、いよいよカールが多忙になってきたため、こうして村の若者たちに農作業の手伝いを頼んでいるのだ。
カールはいずれこの急斜面の上に城を建て、今まで暮らしてきた家と伯爵直営となる葡萄畑の管理を、彼らのうち希望する者に任せるつもりなのである。
いずれも農家の次男坊三男坊であり、実家の手伝いか富農の奉公人を続け、せいぜい小作人になるのが関の山、という彼らからすれば、好条件に加えて名誉ある、伯爵直営農場の管理人という職は、さぞや魅力的に映るに違いない。カール一家の人柄をよく知っているならなおのことだ。
ちなみに、城が完成するまでの数年間、カール一家はヴァイスバーデン内にある元代官屋敷(元来エックシュタイン家所有であったものを、宮中伯が代官屋敷として使用していた)に移り住む予定である。
「おーい、みんなー、お待ちかねのお昼だよー!」
「だよー」
やがて、ヴァイスバーデンの方向から鐘の音が聞こえてきたのを合図にして、急斜面の下にある家の中から、籠を両手にアンナが出てきた。そのすぐ後ろから、お手伝い中のマーヤも小さな籠を手に歩いて来るのが、ブクブクに着膨れていることも相まってなんとも微笑ましい。
籠の中身は、パンとチーズにハム、それから水代わりの安ワイン、運が良ければ何かの果実でも……などと目星をつける若者たちの頭上を軽々と跳び越え、真綾がアンナの前にスタッと着地した。
「お待ちかねました」
「ハハッ、マーヤは相変わらずだね。悪いけど、樽のザワークラウトを器に入れて持ってきてくれない? 適当でいいから」
「ラーサー」
ザワークラウトとは、キャベツの酢漬けなどと和訳される場合もあるが、実際は酢を使っていない塩漬けである。発酵による独特の酸味があり、これをハムやソーセージと一緒にパンに挟んで食べるのが、真綾の密かなマイブームなのだ。
それはともかく、アンナからの頼みを、真綾が意味不明の言葉を発して引き受けた、その時――。
「あ、じいちゃん!」
「おじいちゃん」
地面に影が落ちるのと同時に空を見上げた子供たちが、たちまち嬉しそうに声を上げた。
羽毛のない翼を大きく広げ、ゆっくりと旋回しながら高度を下げてくるのは、子供たちの言うとおり、祖父の守護者であるリントヴルム、ゴルトだ。
ある程度の高さまで来ると今度は羽ばたいて飛翔魔法を調節し、やがてゴルトが静かに着陸すると、その背から軽やかに大地へ降り立ったのは、やたら目つきの鋭い長身の老人――そう、先代のタウルス=レーンガウ伯、エーリヒ・フォン・エックシュタインである。
エーリヒのところへ子供たちがテテテと駆け寄っていくと、彼は別人のごとく相好を崩し、可愛い孫たちを両手に抱いた。
「おお、愛しい孫たちよ、良い子にしておったか? ――ほれ、土産じゃ」
「やったー! じいちゃんありがと!」
「ありがと」
大好きな祖父から貰った土産を両手で高く掲げ、喜びのダンスを始める子供たち。そして、その姿を好々爺然とした顔でデレーッと眺めるエーリヒ。……なんとも微笑ましい祖父と孫の光景である。
「……」
「……。も、もちろん、マーヤにも土産を買っておるゆえ、そのような目で見るでないぞ。……えーと、どこじゃったかのう? ……これでもない、これも違う……。は、早うせねばマーヤが恐い……」
「…………」
真綾から無言の圧力をかけられ、大きな袋の中をゴソゴソと必死になって探すエーリヒ……。彼のこの様子を見て、最強の竜騎士と恐れられた人物だと思う者は、この帝国のどこにもいないだろう。
「あった! あったぞ! 良かった! ――マ、マーヤよ、ホレ、土産じゃ」
「ありがとう」
九死に一生を得たような顔でエーリヒが差し出した土産物(もちろん食べ物である)を、真綾は相変わらずの無表情と平坦な声で受け取るや、それを頭上高く掲げ、自分も喜びのダンスに加わってゆく……どうやら嬉しいようだ。
「うんうん、癒やされるわい……」
可愛い孫たちの喜ぶ様子を満足げに眺めながら、このところの疲れが消えていくのをエーリヒは実感した。
真綾とともにエーデルベルクより帰還してからというもの、彼は自らの身勝手により迷惑をかけた諸所への謝罪行脚も兼ね、新たなタウルス=レーンガウ伯となるカールのための根回しを、日々、精力的に行なっていたのだ。
ちなみに、若者よりも元気なことはエーデルベルクの件で実証されたため、今では真綾も安心して彼を送り出している。
次に予定している訪問先の名物はなんだったか――などと記憶をたどり始めたエーリヒの足元に、一匹のラタトスクが猛スピードで駆け寄ってきた。
『たた、たいへんでございます閣下!』
そのラタトスクはエーリヒの顔を見上げるや否や、尋常ではない様子でしゃべり始めた。ラッツハイム男爵、フィデリオ・フォン・エーベルバッハの声で。
エーベルバッハ家は元来、エックシュタイン家の通信官としての役目も担っていたため、現在はこうして眷属ラタトスクを一匹、連絡用としてエックシュタイン家に常駐させているのだ。同様に宮中伯のところへも一匹派遣しているのだが――。
「なんじゃ、騒々しいのう」
『し、失礼いたしました! ――いや、それどころではございませんぞ! 宮中伯より緊急のご連絡です!』
文句を言うエーリヒに慌てて謝ったものの、すぐにラッツハイム男爵は用件を話し始めた。
『南部辺境伯がエーデルベルクに来るゆえ、ラ・ジョーモン様を至急お連れするように、とのことです!』
それを聞くや、訝しげに首をかしげるエーリヒ……。
領邦君主たる諸侯に断りもなく、その庇護下にある有力貴族と直接会うのは、本来、同じ大領を治める諸侯としてのマナー違反であり、面会を受けた貴族も叛意を疑われかねないため、エックシュタイン家を直に訪れることなく宮中伯を介したのは、諸侯の行動として当然理解できる。しかし――。
「わしやカールではなく、マーヤが本命か……。わざわざゾフィーアが他の諸侯にマーヤを紹介するはずはない、ということは、南部辺境伯のほうから面会を求めてきたな……。これほど早くマーヤの存在を掴むとは、あの女狐、相変わらずの地獄耳よのう。――それで、南部辺境伯がマーヤになんの用じゃ」
『はっ! なんでも――』
ラッツハイム男爵が報告を続けると、エーリヒは我知らず自分のアゴヒゲへ手をやり、孫たちと喜びのダンスに興じる真綾の無表情な顔を、しばし思慮深く眺めるのだった。




