第一〇一話 帝都へ行こう 一〇 東方無敗!
クラウディアさんのひとことを聞いて、私はポンと手を打った。
「ああ、クリスマスに出てくるアレか。西洋版なまはげって感じの」
『クリスマスとナマハゲが何なのかは知りませんが、クランプスは冬の夜に現れる〈伯爵級〉の魔物です。人を積極的に襲いはしますが、アレが森から出てくることは稀ですし、夜の森へ入ろうなどと考える者も滅多にいませんから、本来なら脅威にならないはず……なのに、どうしてこんな時期に、しかも、陽光の降り注いでいる森の外まで出てくるなんて……』
スピーカーを通して教えてくれたものの、エーリカちゃんの声は、クランプスと遭遇したことに困惑しているみたいだ。
「エーリカ様のおっしゃるとおり、これは異常です。……たしか一週間ほど前の夜中、『冬が来た』と、風の精霊たちが一時的に騒ぎました。恐らくクランプスは、その時に目覚めかけていたところを、今回、魔素の乱れによって完全に起こされてしまい、昼か夜かもわからないほど気が立っているのでしょう。何しろ、やつらが〈伯爵級〉のカノーネをあれだけ乱射しましたから」
反発力の高い複合弓をピタリと引き絞ったまま、クラウディアさんがエーリカちゃんの疑問に答えている一方、冬の魔物を叩き起こした元凶はといえば、自分の背後まで来ているクランプスを恐る恐る馬上から振り返り――。
「こ、これはこれはクランプス様、ずいぶんとお早いお目覚めで……ああ、少々騒がしかったですか…………。誠に申しわけございませんでした! どうか、どうか、この身ばかりはお許しください!」
なんと、命乞いを始めたではないか……。
「……そ、そう! すべて、あそこにおる人間どものせいでございます! この森の偉大な主たるクランプス様、いかがでございましょう? ここは同じ魔物として私と手を携え、森を荒らす憎き人間ども――を?」
自分のことを貴族だと言い張った舌の根も乾かぬうちに、魔物へ鞍替えしたらしい彼は、一生懸命クランプスへ共闘を持ちかけている途中に、ジャララッと伸びてきた鎖でグルグル巻きにされた。
「ク、クランプス様、どど、どうか、この身ばかりは、おたおた、お助け――」
今まで犯してきた罪も忘れて命乞いする元貴族の前で、冬の断罪者は片手にある枝の束をゆっくりと振り上げていく。
「ヒィィッ! どど、どうか――」
フェアナンタラの哀願する声は、途中で硬い金属音によって掻き消された。細枝の束が鉄製の兜を叩き潰す音によって……。
「憐れな……。ハナ、見たかい? クランプスが持っている樺の枝束は厄介でね、触れた相手が〈伯爵級〉以下だった場合、相手の強度を一時的に下げるうえ、〈武器強化魔法〉や〈防御魔法〉も完全に打ち消してしまうんだ。自身の〈武器強化魔法〉はそのままにね」
光の粒子になって消えてゆく元貴族を冷たい声で送ったあと、クラウディアさんは、兜を叩き潰した枝束の種明かしをしてくれた。
そうか、魔法で強度アップした甲冑や武器さえ破壊してしまうんだから、その能力はたしかに厄介そうだけど……たぶん私には効果ないと思う。私にとって最も厄介なのは、むしろ、あの巨体そのものと、いかにも硬くて重そうな鉄の鎖だ。
あのバカ力で振り回した鎖を叩きつけられたら、葦舟さんに貰った【強化】結界の限界値を超えかねないし、重量オーバーしそうだから【船内空間】にも没収できない。……いや、下手すりゃ素手でぶん殴られただけでもヤバいよね。
「……ハナ、申しわけないが、ここで悪い知らせがある」
「へ?」
「私の矢は、これで最後だ……」
「へ……」
クッコロエルフさんの教えてくれた事実に、私は言葉を失った……。
「何しろ、あれだけナハツェーラーがいたからね……。フェアレータードルフを仕留めるために、この一本だけは残していたんだが……弱ったな」
「『弱ったな』、じゃないですよ! あんな明らかに接近戦したらヤバそうなやつ、遠間からエルフ弓で仕留めるしか方法がないですよ! ……と、とりあえず、よーく狙ってくださいね、貴重な一本なんですから」
「ハハハ、冗談冗談、そんなに心配することはないさ。――ほら見たまえ、陽光を浴びたせいでクランプスの動きが遅くなっているだろう? ああなったらエルフの矢を躱すことは不可能だし、自分の腕なら、あれだけ大きな的を外すこともないさ。もし、これで外したら、これから私のことを好きに呼んでくれても構わないよ」
爽やかに笑い飛ばしたあと、自信満々に不穏なことを言い始めるクラウディアさん……。
「やだなー縁起でもない。いいですかクラウディアさん、そういうのをウチの国ではフラグって呼んでて――」
ジャララララッ! グルグルグル……。
……ほら、言ってるそばから鎖に巻きつかれたじゃないか、私が。
ビュン!
「ぎゃあああぁぁぁ!」
「ハナ!」
『ハナちゃん!』
一本釣りされてゆく私の名を呼ぶふたりの声が、急速に遠ざかりながら聞こえてくる。釣られた魚たちの見ている風景は、こんな感じなのだろうか……などと思う間もなく、私はゴロゴロズササーと地面に転がった。
幸い【強化】のお陰で全然痛くないけど、状況は最悪だ。
「よっこら、せ…………」
グルグル巻き状態のままなんとか体を起こし、ちょこんと正座した私の目に、鉤爪の生えた人間ぽい片足と山羊みたいな蹄つきの片足が映った。
恐る恐る見上げていくと、あの真綾ちゃんよりもずっと高い位置から、悪魔のごとき顔が私を見下ろしている……。
「ひー……」
アニメや漫画で見る魔物って実感を伴わないけど、こうして実際に目の前で見ると、やっぱ臨場感というか、迫力がハンパないね。……うわあ、ムッチャ獣くさいよー。でっかい手だし、腕もゴリラより太いなー、人間なんて簡単に引き裂けるんだろうなー。
などと恐れおののく私の前で、クランプスが例の枝束をゆっくりと振り上げ始めた――その時!
ヒュッ!
風鳴りとともに飛んできた一本の矢が、クランプスの眉間に深々と突き刺さった。風の精霊魔法を纏った矢が!
眉間に穴を穿ち矢が消えていったあと、わずかに遅れクランプスも光の粒子へ変わっていく。一緒に消えたところを見ると、あの枝束や鎖はクランプスの一部なんだろうか? 籠は残ってるし。
よっこらせと立ち上がった私の耳に聞こえてきたのは、クラウディアさんの大きな声だ。
「ハナー! 無事かー!」
「はーい! ピンピンしてまーす!」
一〇〇メートル以上の距離から敵の急所を見事射抜いた弓の名手に、私が大きく手を振って無事を伝えると、彼女は向こうのほうで、どうだと言わんばかりに力こぶを作ってみせた。
フラグだなんて言ってゴメンね、クラウディアさん。あなたは本物だよ、本物のエルフだよ。この距離からでもドヤ顔しているように見えるけど、こんな腕前見せられちゃ許すしか――あれ? なんか、クラウディアさんの様子がおかしいぞ。どうしたんだろう? 豆鉄砲を喰らった鳩みたいな顔に――。
ジャララ、ジャララ……。
鎖の立てるような音を背後に聞いた私は、恐る恐る振り向いて固まった。
「……お、奥さん……ですか?」
そこに、さっきのとは別のクランプスが、ムッチャお怒りのご様子で立っていたんだよ……。
「そいつは動きが鈍っている! 早く逃げろ!」
日中のクランプスからなら私でも逃げられると思ったのだろう、クラウディアさんは大声で言ってくれるけど…………甘い! 私のミラクルな運動神経を知らないからそんなこと言えるんだよ! 自慢じゃないけどね、一〇〇メートル走る間に三回は転ぶ自信があるよ、私は!
『花ちゃん、コレは穢れしモノではないから、破邪の力では倒せないよ』
『サブロウ様のおっしゃるとおり、穢れ払いでは意味がないのう。……冬の自然霊の一種であろうか? ことわりに反したモノというより、ことわりの一部じゃな……』
勾玉の向こうから、サブちゃんとタギツちゃんが残念な事実を教えてくれた。……そうか、浄化ビームは使えないのか、この巨体相手じゃ【船内空間】も使えないし、どうすべぇ……。
『何を考えることがあろう、このドングリが! かようなときのためのアレではないか! 今の位置なら使えるのであろう、やーっておしまいなのじゃ!』
『今、ちょうど東』
そうだね、タゴリちゃんとイッちゃんの言うように、ここはアレを使うか。いくら私でもこの距離なら外しようがないし。
覚悟を決めた私が、両手をバンザイして射出位置の高さを稼ぎ――。
「奥義、〈東方無敗〉!」
――技名を叫んだ直後、クランプスの体は轟音とともに吹っ飛んだ!
電車の中で立っているだけの人が実際は電車と一緒に移動しているように、地球上にあるすべてのものは、どっしりと大地に根を張った巨木でさえも、実は地球の自転速度で移動している。
それでは、運動状態リセット機能をオフにして【船内空間】へ収納した物体を、収納時とは東西真逆の状態で出現させたらどうなるだろう?
数日前に腕時計の電卓機能で計算したんだけど、ここの緯度がドイツ南部辺りだと仮定した場合、その地点における自転速度は三〇〇メートル毎秒以上。つまり、収納時と東西真逆の状態で出現した物体は、この星の自転速度で東へ移動している私たちから見れば、六〇〇メートル毎秒(音速の一・八倍くらい)を超える相対速度で、西へ向かってぶっ飛んで行くことになるんだよ――。
「〈東方無敗〉!」
――それでね、この方法を思いついた私がせっせと【船内空間】へ収納したのは、できるだけ硬そうな石(たぶん花崗岩だと思う)なんだけど、五〇〇グラムくらいのそれが、六〇〇メートル毎秒でぶつかったときのエネルギーは、だいたい九万ジュール。……コレ、少しミリタリー知識のある私にはわかるんだけどさ、発射直後の大口径マグナム弾が持っているエネルギーの七八倍、重機関銃や対物ライフルのと比べても五倍以上あるんだよね。そのうえ花崗岩だったら、ソフトポイント弾どころかフルメタルジャケット弾より硬いし……。
「〈東方無敗〉! 〈東方無敗〉!」
半狂乱になって石をドカドカと発射し続けていた私は、大きな木がミシミシズゥゥンと倒れた音で、ようやく我に返ると、クランプスの吹っ飛んだ辺りに目を凝らした。
「ハァ、ハァ……。なんとか上手くいったみたいだね……」
そこには、長い毛に覆われた巨体の代わりに、妖しい輝きを発する魔石が一個、恨めしそうに転がっていた。
よし、「普通の武器では〈伯爵級〉以上の魔物を倒せない」なんて言われているようだけど、それは、一般的な武器の破壊力を〈伯爵級〉以上の〈防御魔法〉がはるかに上回っている(通常よりうんと厚いプレートアーマーって感じ?)だけで、硬くて重い物質を超音速でぶつければ、〈モト界〉の物質や魔導武具じゃなくても倒せるようだね。もちろん、〈物理攻撃無効〉なんて特殊能力のある魔物は例外だろうけど。
最強クラスのロングボウの矢やクロスボウのボルトでさえ、発射直後のエネルギーは一〇〇ジュールにも届かないだろう。それに楽々耐えられる厚さの鎧も、さすがに九万ジュールの石弾が相手だと、こうなるのは当然か……まあ、なんにせよ、コッチに〈モト界〉の物品をあまり残したくない私としては、武器を現地調達できるとわかっただけで大きな収穫だよ。
いやーそれにしてもこの技、自分が敵の東側にいる必要はあるけど、ムチャクチャ強力な攻撃手段だね、まさに〈東方無敗〉! フハハハハ!
「ハナー! 無事かー!」
「はーい! ピンピンしてまーす!」
心配してくれるクラウディアさんを振り返り、私は大きく手を振って……あれ? デジャヴュ? たしかこのあと、クラウディアさんの顔が、豆鉄砲を喰らった鳩みたいな感じに――あ、なってきた……。
ジャラ、ジャララ、ジャラ、ジャララ、ジャラ、ジャララ……。
鎖の立てるような音をいくつも背後に聞いた私は、ふたたび恐る恐る振り向いて固まった。
「…………ご、ご家族……ですか?」
だってね、そこには、クランプスが鬼のような形相で立っていたんだよ、しかも、今度は三体ほど……。




