第八問 ~結局白米~
以下の言葉を使って短い文章を作りなさい。
【結局白米】
南 佳乃は惚れっぽい。そして思い立ったらすぐに行動する。悩む、という概念はないらしい。好きだと表明することをためらわない。
「……ワタクシの何がダメなんでしょうかねぇ」
本日も轟沈した佳乃が放課後の机に突っ伏している。フラれるとそれなりに落ち込むようだ。もっとも明日には忘れていそうだが。切り替えが早いのは長所だろうが、早すぎるのは長所と言えるのだろうか?
「どうよ、こんな美少女がことごとくフラれる世の中」
自分で自分を美少女と呼ぶ図太さはマイナスだろう。奥ゆかしさ、恥じらい、そういったものとは彼女は無縁だ。しかし造作という意味では、美少女という呼称は虚偽でも誇張でもない。玉砕率百パーセントという現状は確かに不可解ではあった。あらゆる男子が大和撫子を望んでいるわけでもあるまいに。
「やっぱ政治が悪いのかなぁ。自ら立候補して根底から改革が必要?」
「まだ被選挙権ないでしょ」
思考が明後日の方向に進んでいる佳乃に冷静にツッコミを入れるのは、幼馴染である三波 浩紀である。漢字こそ違うが同じみなみの姓を持ち、住む場所も近所である彼は、佳乃がフラれるたびに呼びつけられ、愚痴を聞かされ、助言を求められる立場にあった。もっとも彼の助言が役に立ったことはない。佳乃は一日経つと彼の助言を忘れるからだ。
「男子としての客観的な意見をくだされ。私ってそんなにアレ?」
「アレ、っていうのが何を指すのか判然としないけど」
問われたからには答えねばならない。浩紀は腕を組んで「ふむ」とうなった。
「とりあえず出会って三秒で告白するのをやめたらどうだろう?」
「えっ? なんで!?」
がばっと状態を起こし、佳乃が驚愕の表情を向ける。むしろその反応が驚きだが、彼女にとっては青天の霹靂であったらしい。
「良く知りもしない相手から急に告白されても恐怖しかない」
「そうなの!?」
佳乃は唖然と浩紀の顔を見つめる。浩紀は無表情に佳乃を見つめ返した。
「で、でもでも、びびびっと来たわけですよ! 運命感じたっていうか?」
「相手もそうだとは限らないでしょ?」
「なるほど!」
佳乃はようやく合点がいった、というように真顔でうなずいた。ああ、と何とも表現しづらい残念さが浩紀の胸に去来する。気付いてなかったかぁ、と、浩紀は目を閉じて天を仰いだ。
「けどさ、けどさ! こっちはびびびなんですよ? だったら伝えたいじゃん。一刻も早く!」
佳乃は立ち上がり、顔を近づけて詰め寄る。近いな、と顔をしかめながら浩紀は後ろに下がった。
「それをぐっと我慢しましょう、って提案なんだけど」
「無理っ!」
きっぱりと断られ、浩紀は途方に暮れる。もういくらでもフラれればいいのにと思うが、佳乃は彼女自身が納得を得られるまで浩紀を解放してはくれない。どうしたらわかってもらえるのかと、浩紀は腕を組んだ。
「……佳乃はさ、見知らぬ男が急に目の前に現れて、金貸してって言ったら貸す?」
「貸さないよ。え、なに? カツアゲ? って思う」
「だよね」
浩紀はうんうんとうなずく。佳乃は不可解そうに首を傾げた。
「何の話?」
「つまりね、佳乃がやっているのはそれと同じことなんだよ」
浩紀は佳乃の目を覗き込んだ。佳乃はまったくピンと来ていないようだ。
「私、人にお金を要求したことなんて無いよ?」
「でも別のものは要求してる。『好きです』とか『付き合ってください』とかって、相手に愛を要求してるってことでしょ? ってことは、種類は別でも構造は同じ。佳乃は相手に『愛のカツアゲ』をしてるんだよ」
佳乃が大きく目を見開く。唇がかすかに震えた。
「あ、愛のカツアゲ……」
よろけるように下がり、佳乃は机に手を突いた。
「……そら、フラれるわ」
ようやく分かってくれたかと、浩紀は大きくうなずく。打ちひしがれている佳乃に対し、大いに反省し次に生かしてくれたまえ、と心でつぶやいて、浩紀は席を立った。今日は案外早く片が付いた。このぶんなら夕方にやっている『美味しんぼ』の再放送に間に合うだろう。しかし去ろうとする浩紀の鞄を、すばやく伸びてきた佳乃の右手ががっちりと掴んだ。
「待って! 私を捨てないでっ!!」
「誤解を招く言い方はやめてくれる?」
浩紀の冷めた目と佳乃のうるんだ瞳が交錯する。佳乃は鞄を離そうとしない。
「解決策をプリーズ! メイアイヘルプユー!!」
「明らかな誤用なのは置いておこうか」
ピンと来ていないのか、佳乃は浩紀の言葉には無反応だった。小さくため息をつき、浩紀は提案を始める。
「要するに、いきなり本題を突きつけるから愛のカツアゲになるんだよ。まず相手に自分のことを知ってもらってから、本題を切り出せばいいんじゃないかな? 少なくとも私は不審者じゃありませんって分かってもらってからでないと、成功なんて望めないでしょ」
佳乃は神妙な顔でうなずく。
「わかった。『私はあやしいものじゃありません。付き合ってください』って言えばいいのね?」
「うん。全然違う」
軽くめまいを覚えて浩紀は頭を押さえた。佳乃は疑問符を浮かべて首を傾げている。良くも悪くも小動物っぽい。いや、良い場面などほぼないか。彼女は悪い意味で動物的だ。
「自分のことを『あやしいものじゃない』っていう人ってすごくあやしいよね?」
「確かに!」
佳乃は真剣そのものだ。言いようのない徒労感が浩紀を襲う。
「……クラスと名前くらい先に言おうか。それと、当たり障りのない会話、天気とか、ニュースとか、そういうのを挟もう。ある程度打ち解けてきて、自然に会話ができるようになってから告白すれば、少なくとも全敗なんてことにはならないんじゃないかな?」
「わかった!」
佳乃は何度もうなずくと、口の中でブツブツと何か言い始めた。まだ見ぬ君との会話の内容を考えているのだろう。その辺は一人でやってくれないかな、と浩紀は鞄に目を遣る。佳乃は鞄を掴んだままだった。
「いくよ! 『1年A組の南 佳乃です。いいお天気ですね。でも週末にはお天気崩れるらしいですよ。ところでアメリカの中間選挙の動向についてどう思うか聞かせてもらいながら私と付き合ってください!』 これでどう!?」
なぜこの内容で自信ありげなんだろう、と浩紀は驚嘆した。幼馴染といえど、実は佳乃についてまだ知らないことはたくさんあるのかもしれない。佳乃に樹海の奥にある古代遺跡のような神秘性を見出し、浩紀は我知らず息をついた。
「『私と付き合ってください』はいったん封印しない?」
「えぇ!?」
そんなことが許されるのか、という驚愕が込められた叫びに、浩紀は顔をしかめる。近い距離で叫ばないでほしい。しかし彼のささやかな望みはなかなか叶いそうにない。
「告白なのに『付き合ってください』って言わないの!?」
「それを言う前に踏むべき工程がたぶん十くらいあるんだよ」
ほぉ、と佳乃は尊敬のまなざしを向ける。どうしてそんなに詳しいの? とでも言いたげだ。もっとも本当にそう問われたら答えようがない。浩紀に恋人がいたことはなく、今言っていることも基本推測、というかでたらめなのだから。
キラキラとした目で浩紀を見ていた佳乃が、ふと美しく微笑んだ。浩紀はハッと息を飲む。
「ありがと、浩紀。いつも話、聞いてくれて」
これは――ちょっと反則だ。奇襲だ不意打ちだ。わずかに顔が赤くなるのを自覚する。佳乃は気付かないだろうが。気付かれても困る。
「私、がんばるよっ!」
佳乃は華奢な腕で力こぶを作るような仕草をした。筋肉などほぼない腕に思わず吹き出す。にへへ、と奇妙な笑い声をあげ。佳乃は屈託のない笑顔を浮かべた。
「今日は一緒に帰ろうぜぇ。あっしが一杯おごりますけん」
「それどこの方言?」
しらんぜよ~~と言いながら、佳乃は小走りに先に行く。その背を見つめ、浩紀は小さく呟いた。
「……結局白米、なんて、なるはずもないか」
佳乃は振り返り、キョトンとした顔でこちらを見た。
「なんか言った?」
「何にも」
浩紀は駆け寄って佳乃の隣に並ぶ。佳乃は嬉しそうに顔をほころばせた。
「なんでもおっしゃってくだせぇダンナ。どんな缶おしるこでもオゴらさせていただきますぜ」
「せめて種類の選択権はもらえないかな?」
浩紀の顔を覗き込み、佳乃はくすくすと笑う。校舎を出ると、穏やかな春の風が浩紀の頬を撫でた。
周囲の評価はほぼ定まっております。