第六問 ~山の手育ちのムニエルさん~
以下の言葉を使って短い文章を作りなさい。
【山の手育ちのムニエルさん】
「制限時間は四十五分。一発勝負だ。準備はいいね?」
家庭科部部長、三原 泉がタイマーを手に、その覚悟を確かめるように問う。白の三角巾にエプロンを纏い、早瀬 アリエルは包丁を手に緊張した面持ちでうなずいた。泉がうなずきを返し、タイマーを掲げる。そしてスタートボタンを押すと同時に宣言した。
「はじめっ!」
運命を決める四十五分が、始まった。
アリエルが家庭科部の扉を叩いたのは、一年生に部活動が解禁される四月の終わりの事だった。部長である泉は、文化部の中でも特に影の薄い、部員数たった二人の弱小クラブに入部希望者が訪れたことにまず驚き、そしてその希望者がアリエルだったことに二度驚いた。早瀬アリエルは入学前から学校中に名を知られた美少女であり、東証一部上場企業の社長令嬢である。人形のように整った顔立ちに、思わず守りたくなるような小柄で華奢な身体。世が世なら姫と呼ばれていてもおかしくない少女。そんな彼女がなぜここに来たのか、泉はまったく理解が追いつかない。
「えっと、調理栄養部は新棟のほうだよ?」
家庭科部が弱小である原因ははっきりしている。この高校には調理栄養部という、料理を学ぶためのクラブが別に存在する。そちらは部員数も三十人を超え、文化部の一大勢力として華々しい活動を繰り広げている。部員数が多ければ割り当てられる部費も多くなり、待遇も変わる。調理栄養部は新たに建設された部活棟、通称新棟に広い調理室を与えられ、最新の機材と豊富な食材を使うことを許されていた。一方の家庭科部は必ずしも料理だけを目的としない曖昧さが災いし、部員は集まらず、旧棟で不遇を囲っている。もっとも今は前よりもずいぶんとマシになった。新棟ができるまでは家庭科部は部室さえ持たず、調理栄養部が使わないときに調理室を借りて活動する、間借り人のような肩身の狭い状態だったのだから。
「いいえ、私は家庭科部に入部したいとここに参ったのです」
アリエルは真剣に、迷いなく泉を見つめる。同性だというのに思わず見惚れそうになり、泉は慌てて首を横に振った。
「な、なにゆえに?」
アリエルの口調に引っ張られ、時代じみた言葉が口を突く。アリエルはきっぱりと泉に告げる。
「調理栄養部に入部を断られたからですわ」
「あ、そう」
この上なく明瞭なアリエルの答えに、泉は若干の落胆を覚えた。なにかこう、自分たちも知らない間に、アリエルのお眼鏡に適うようなきらりと光るものを示していたのではないかと、一瞬だけ期待したのだ。昨年の学園祭の模擬店の焼きそばが素晴らしかったとか、そういう、ドラマが始まるような何かが。
「なんでまた、入部を断られたの?」
問われ、アリエルはそっと視線を逸らす。そして少し早口になって理由を語った。
「わ、私が何か、特別どうしたということもないと思うのですが、その、不可抗力と申しましょうか、巡り合わせが悪かったというか、運命が牙を剥いたというか」
不明瞭なアリエルの物言いに泉はわずかに顔をしかめる。あまりいい予感はしない。アリエルは落ち着かなさそうに視線をさまよわせ、軽く深呼吸すると、意を決したように言った。
「……調理台を一つ、吹き飛ばしてしまい」
「さよなら」
話の終わりを待たず、泉はアリエルを部室から押し出して扉を閉める。しかしアリエルは素早く足を扉に挟んだ。扉に挟まれた足の痛みにアリエルの顔が歪む。泉は慌てて扉を開けた。
「だ、だいじょうぶ!?」
泉の問いかけに応えず、アリエルは痛みに耐えながら必死に泉に訴えた。
「私、どうしてもお料理ができるようになりたいのです! もうここにしか希望はないの! お願いします、どうか!!」
足を扉で挟んでしまった負い目もあり、泉はアリエルを無下に追い払うことができなくなってしまった。理由は分からないが、彼女の必死な様子を見ると入部させてあげてもいいような気もする。しかし、調理台を吹き飛ばされると非常に困る。部室に調理台は一つしかないのだ。
アリエルは小動物のような目で泉を見ている。妙な罪悪感が沸き上がって来た。うーん、と頭を掻き、泉は少しの間思案すると、大きくため息をついて、そして言った。
「……分かった。入部を許可してもいい」
「本当ですか!?」
アリエルの顔が喜びに沸く。泉はアリエルの顔の前に手のひらを突きつけ、その喜びを制した。
「ただし、入部テストに合格したら、ね」
入部テスト? と、アリエルは不思議そうな顔を泉に向けた。
泉がアリエルに課した入部テストは、普通と言えばいたって普通の内容だった。一週間後、もう一度部室に来て、指定された料理を作ること。時間内に完成できれば合格。できなければ不合格。これ以上ないほどに分かり易いルールだ。しかしアリエルはその課題に不満顔だった。
「お料理ができるようになりたくて入部するのに、お料理ができないと入部できないというのは矛盾ではありませんか?」
危うく「なるほど」と言いかけてギリギリで口をつぐみ、泉は無理やり厳めしい顔を作った。
「御説ごもっとも、と言いたいところだが、こっちもカツカツでやりくりしてんだ。お嬢様の御実家じゃいくら機材を壊してもすぐに別のが来るのかもしれないが、部員二名の弱小クラブじゃ調理台が吹き飛んだ時点で終了なんだよ」
まずは最低限、調理道具を正しい使い方で使えるようになってもらわないと話にならない。それは料理の腕うんぬんよりも教養の問題ないのだと、泉はもっともらしい顔で語った。むぅ、とうなり、アリエルは渋々納得したようだった。
「課題は『和朝食』。あんたが思う和朝食をあたしに食べさせてくれ。味は採点対象にしない。私が欲しいのは、あんたが部活で事故もケガもしないって確信なんだよ、お嬢様」
多少の挑発を含んで、泉はアリエルに言った。アリエルはまたも不満げに頬を膨らませた。
「その、お嬢様というの、やめていただけますか?」
「そいつは――」
泉はアリエルの顔を上から覗き込み、にやっと笑った。
「――来週の課題の結果次第だ」
アリエルはその瞳に怒りを湛え、泉を見上げた。
キッチンタイマーがカウントダウンを始める。アリエルはまず雪平鍋に、前日の夜からいりこと昆布をつけていた水を注いだ。味噌汁を作るのだろう。出汁を取る、というと身構えてしまうが、プロではないのだから、昆布を水に浸して沸騰させないように、とか、鰹節から取っただしと合わせて命の出汁に、など必要ない。水一リットルに対して五センチ程度に切った昆布といりこひと掴みを入れ、タッパーなどで冷蔵庫に一晩置けばそれだけで充分出汁は取れる。現代における素人料理のカギは時短、そして省力化だ。
出汁を注いだ雪平鍋を火にかけると、アリエルは豆腐の容器から取り出して左手に乗せ、右手の包丁で慎重に、賽の目に切って鍋に投入する。まな板でワカメを切り、それも鍋に入れた。シンプルな豆腐とワカメの味噌汁。朝食としては良い選択だろう。
火をかけた鍋をいったん置いて、炊飯器にスイッチを入れる。あらかじめ長めに浸水させておいた米は早炊きモードで充分。時間ギリギリに炊き上がるタイミングを見計らっての今、ということだろう。
出汁が沸騰し、くつくつと音を立てる。豆腐とワカメに火を通している間に青ネギを刻む。木のまな板をリズミカルに叩く。青ネギは味噌汁の彩りであり、味噌の重さを緩和してくれる。刻んだ青ネギを小さなボウルに退避し、さっとまな板を水で洗う。
豆腐とワカメに火が通ったことを確認し、味噌を溶く。何の味噌を使うかで家庭の色が出るわけだが、アリエルは麦味噌を使うようだ。比較的塩分の薄い、関西以西で使われる麦粒味噌は、出汁を味わうのに向く。味噌を溶き終わったら一度火を止める。食事の直前に温め直すためだ。ずっと火にかけ続けるとワカメが溶ける。
最後は紅鮭の切り身を焼く。甘塩の紅鮭を調理台にある魚焼き機に入れ、『調理スタート』ボタンを押すだけだ。火加減も時間もオート調理。存在する機能を使わない理由はない。大根を二センチほど切って皮を向き、大根おろしにする。紅鮭に添えて出すと色味もよくなる。
魚焼き機の残り時間を確認し、味噌汁を温めるために再び火をつける。沸騰しないように気を付け、具材が温まったら椀によそい、青ネギを散らす。魚焼き機がけたたましく終了を告げ、きれいに焼けた紅鮭が姿を現わした。平皿に取り、大根おろしを添える。ちょうどそのタイミングで炊飯器がぴよぴよと鳴いた。水で濡らしたしゃもじで混ぜて水蒸気を逃がした後、適量を茶碗に盛る。ごはん、味噌汁、焼き鮭を盆に乗せ、アリエルはホッと息を吐くと、泉をまっすぐに見つめた。
「できました」
泉は手許のキッチンタイマーを確認する。残り一分三十二秒。素晴らしく手際が良いわけではないが、それでも、時間内であることには異論がない。つまり、合格。アリエルは課題を見事クリアしたのだ。
「驚いた」
泉は素直に驚きを表した。アリエルはやや心外そうな表情を作る。
「失敗すると思っていたのですか?」
「いや、まあ……うん」
泉はバツの悪そうに笑う。一週間前、調理台を吹き飛ばした人間と同一人物とはとても思えない。アリエルは胸を張る。
「練習しましたから」
アリエルの細い指に貼られた幾つもの絆創膏がその言葉を証明している。泉は正直に白状した。
「まさかあんたみたいなお嬢様が、部活のためにホントに練習するなんて思ってなかった」
お嬢様、と言われたことにムッと顔をしかめ、そしてアリエルは挑発的な顔で妙に高飛車に言った。
「努力が、あなた方庶民の専売だとでも思っていらしたのかしら?」
その妙に芝居がかった言い方に、泉は思わず吹き出す。釣られてアリエルも笑った。
「なるほど」
ひとしきり笑い終え、泉はアリエルをまっすぐに見つめる。
「山の手育ちのムニエルさんかと思ったら、こいつはとんだカマンベールお嬢様だ」
「私はまだ『お嬢様』なのですか?」
アリエルは少し寂しげに視線を落とした。「おっと、こりゃ失礼」とつぶやき、泉はアリエルに手を差し出す。
「ようこそ、家庭科部へ。歓迎するよ、早瀬アリエルさん」
視線を上げ、アリエルは少し目を見開く。初めて名前を呼ばれたことに気付き、アリエルは顔をほころばせて泉の手を取った。
せっかく私が入部したのですから、調理設備は明日までにすべて最新のものに替えるようじいやに手配させておきますわね。