第五問 ~団子三つで世界を救う~
以下の言葉を使って短い文章を作りなさい。
【団子三つで世界を救う】
「……そんな――」
目の前の惨状に、三人は言葉を失って立ち尽くしていた。彼らの前では床に倒れてもがく一体のロボットが憐れな姿を晒している。悲鳴のようなモーター音が実験室に響いた。
嶋 一郎、桑原 善治、深山 千景の三人は大学でロボット工学を学ぶ同級生として出会った。互いに社会の未来の姿を語り合い、意気投合した彼らは、大学に在籍中にロボットベンチャーを立ち上げる。兵器でもない、一部の富豪たちに愛でられる愛玩物でもない、役に立つだけのための道具でもない、人に寄り添い、人と共に歩む隣人。ロボットをそう定義する彼らが開発のターゲットとしたのは、人と同等の能力を持った介護ロボットだった。心優しい科学の子、それを実現させるために相応しいのはこの分野であると、彼らは確信していた。
学生ベンチャーはその分野の特殊性と共に話題となり、メディアに取り上げられ、金融機関からの融資も得て上々の滑り出しを見た。嶋がハード、桑原がソフトの設計・開発を担い、深山が彼らをサポートしつつ広報と経理その他の事務をこなす。それは紅一点である深山にメディアからの取材が集中したことに端を発して自然とできてしまった役割分担であった。企業としてロボットを開発することは学生としてのそれとは全く異なり、研究開発以外の雑事が大量に発生する。技術者としての力量について二人に劣るところがあるわけではない深山は、しかし自らを抑えて黒子に徹することを選んだのだ。嶋と桑原が研究開発に専念できる状況を創るために奔走する深山の背に、二人は深く頭を下げた。
華々しくスタートした彼らの挑戦はしかし、なかなか成果を上げることができなかった。やがて学生という身分を失った彼らはニュースとしての価値を失い、メディアは彼らの存在を忘れた。焦燥を募らせる中、彼らに突き付けられたのは、一つの残酷な宣告だった。
『来月までに完成品を見せてもらえなければ、融資を引き揚げる』
メインバンクの最後通牒。一か月後に設定された成果報告会で成果を見せられなければ会社が終わる。しかし彼らには勝算があった。最も困難だった姿勢制御プログラムが完成し、後は最終テストを残すのみ。一ヶ月あれば完成までこぎつけることは充分に可能だった。その、はずだった。
「……これじゃ、使い物にならない」
呻くような声で嶋が言った。彼らの目の前には、今は充電装置に納められたロボット――K-201が目を閉じている。その姿はどこか気落ちしているように見えた。いや、実際に気落ちしているのかもしれない。K-201には深層学習によって、心が与えられている、はずだ。未だ不完全なものではあっても。
「報告会はもう一ヶ月を切ってる。正直今のままだと、私たちは終わる」
深山はあえて無感情な声で言った。桑原は無言で腕を組んでいる。今のままだと、という深山の言葉の意味は、嶋も桑原もよく分かっているのだろう。
「……モンブランから栗を抜けって言うのか」
嶋の表情に苦悩が滲む。深山は冷酷なまでに表情を変えない。
「ここで終わるわけにはいかないでしょう?」
介護ロボットが備えるべき絶対条件は介護対象者の安全の確保だ。それを備えないものが介護現場に使用されることはない。しかしK-201は、介護対象者を抱えた状態で横方向の衝撃を受けると転倒してしまうことが分かった。誰かがぶつかる、あるいは介護対象者が突然動く、地震が起きるなどの突発的な事態の場合に介護対象者を巻き込んで倒れてしまうような介護ロボットは使えないのだ。現状、K-201の総重量は百キロを越える。倒れて介護対象者の上にのしかかれば、最悪の場合命を奪ってしまうこともあり得る。
最終テストの前までにこの事態に気付かなかった原因ははっきりしている。姿勢制御のK-201への組み込みにある程度目途がついた時点で、桑原は開発の軸足を『心』の実装に移し、姿勢制御のテストに掛ける時間を減らしていたのだ。三人が目指すのはただ作業として介護対象者に接する機械ではなく、相手の気持ちを汲み取り、支え、時には話し相手にさえなれるような、体温を感じることのできるロボットだった。介護は食事や排せつの世話や衛生管理さえできればいいというわけではない。一個の人間として尊重されること。それを介護対象者に実感してもらうためには、介護ロボットに『心』を実装することは不可欠だった。
「心まで求められているわけじゃない。まずは使える物を造ること。私たちに求められているのはそこなのよ」
転倒の問題がハード的な問題なのかソフト的な問題なのか、原因を特定して修正し再テストを行う。『心』の実装を進める片手間にそれをするには、一ヶ月という時間はあまりにも短かった。今は総力を挙げて姿勢制御の問題に対応すべきだ、深山はそう告げている。『心』などなくとも介護ロボットは成立するが、『心』があっても、介護対象者を危険晒すようでは介護ロボットとして成立しないのだ。嶋は固く目をつむり、眉間にしわを寄せた。
確かに今、『心』を諦めることは、経営の面でもロボット開発の観点からも正しい選択かもしれない。完成しないロボットに社会が価値を見出すことはないからだ。しかし、ここで『心』を諦めれば、『心』を持たないことが介護ロボットのスタンダードになる。おそらく世界で初めての完全自立型介護ロボットが与えられた業務を淡々とこなす機械となれば、後に続くであろう多数の参入企業も『心』など見向きもせずに、機械としての性能の向上に努めるだろう。それでは彼らが思い描く未来に辿り着けない。
「決断を」
深山の過度な無表情が、彼女の内心の葛藤を伝える。嶋は口を真横に引き結んだ。ここで終わるわけにはいかない。しかし、『心』を諦めたとしたら、自分たちが今までやってきたことはいったい何だったのか。
「……なぁ」
今までずっと沈黙を守ってきた桑原が、ようやく口を開いた。
「本当に、無理なのかな?」
嶋と深山が驚きの視線を桑原に向ける。今までの話を聞いていたのか、半ば呆れたような表情を浮かべ、深山は言った。
「団子三つで世界を救うようなものだわ。そんな可能性のない賭けにでるべきじゃない」
「本当に――」
桑原は透明に二人を見つめる。
「――団子三つじゃ、世界を救えないのか?」
桑原の本気を見て取り、深山は言葉を失う。桑原の瞳は、何も諦めるつもりはない、そう二人に告げていた。呆然とする深山を横に、嶋はおかしそうに笑い始めた。
「なに言ってやがる。できるわけないだろう。団子三つで世界を救うなんて、そんなこと――」
桑原は表情を動かさず、嶋を見ている。嶋はひとしきり笑うと、にやりと不敵な笑みを浮かべた。
「――俺たち以外には、な」
深山がハッと息を飲み、嶋を見つめる。桑原の顔が「やっぱりな」と言いたげにほころんだ。覚悟を決めた様子で息を吐き、自らの頬を叩いて、嶋は二人に言った。
「姿勢制御の原因究明は俺がやる。桑原は『心』の調整作業を進めてくれ。深山、お前にも手伝ってもらうぞ。お前の力がなきゃ絶対にできん」
嶋が前に手を差し出す。桑原が嶋の手に自らの手を重ねた。深山は大きくため息をつき、そして彼らの手の上に右手を置く。満足そうにうなずき、嶋は吠えた。
「夢も、未来も、全部獲りに行くぞ! これから一ヶ月、寝る暇なんぞないと思え!」
おう! と気合の声を上げ、そして三人は破顔した。
団子一つじゃ世界は救えない。けれど、三つなら――