09 クララの想い
09 クララの想い
クララは『フィロソファーズ・レイヴ 後進育成小学校』の卒業生で、マッドの教え子のひとり。
クラスでは委員長をつとめていて、マッドのために剣術大会を企画立案してくれた生徒である。
彼女は小学生の頃からメガネを掛けていて、剣技の邪魔にならないようにと、いつも切りそろえたおかっぱ頭だった。
それがそのまま大きく、しかし知的な美しさだけはさらに磨きがかかった凜とした少女になっている。
マッドは商人と女たちのいなくなった中庭で、クララから手当を受けていた。
「すみません、マッド先生。わたしの弟が大変なご無礼を。
本来でしたら屋敷のなかで手当てさせていただくのですが、父上がお許しくださらなくて……」
「いいさ」とマッド。
「お前の弟のへなちょこ剣は、俺の薄皮一枚くらいしか切り裂けなかった。
このくらいのケガだったら、今ならアクビよりも多くしてるからな」
「先生が上級職になられたという噂を聞いて、わたしは久々に小学校のほうに行ったんです。
しかし校長先生から、マッド先生は退職なさったと伺いました。
でも街の噂どおり、本当に穏者になられていただなんて……」
「そんな俺を手当してくれるだなんて、お前は本当に物好きだよな」
するとクララはメガネがずれんばかりに、ぶんぶんと頭をを左右に振った。
「とんでもない! マッド先生は、わたしのいちばんの恩師です!
小学校から高校と学んできましたが、マッド先生を超える教師はいませんでした!
わたしはぜひ、先生に恩返しを……!」
「恩返しってのはな、立派になった人間がすることだ。
クララ、お前は子供の頃からずっと、騎士になるのが夢だったんだろう?
その夢は叶ったのか?」
クララは急に消沈し「いえ……」と肩を落とす。
「わたしは騎士となるために、まず、このブライト家の跡取りになろうとしました。
ひとつの血筋には騎士ひとりという定めがあるからです。
そのためわたしは学業で立派な成績を収め、父上に認めてもらおうとしました。
でも、父上は……」
「男だからって、ボンクラの弟を選んだってわけか。たしか、双子の弟だったんだよな?」
「はい。同じ小学校にも通っていたのですが、クラスは別でした。
そのせいか、弟のラスクはマッド先生の教えをひどく嫌っているようなのです」
クララは悔しそうに、揃えた膝の上で拳を握りしめる。
「……それだけならまだしも、弟は剣術も学業も未熟なのに遊んでばかり……!
見てくればかりの派手な剣や鎧で無駄遣いをし、女たちと毎日のように飲み歩いているのです……!
このままでは、我がブライト家は……!」
「よし、それじゃあ俺の力で、お前をこの家の跡取りにしてやる」
マッドの思わぬ一言に、クララはメガネごしの瞳を「えっ?」と瞬かせた。
「そんな。わたしの父上は、騎士は男がなるものだと思っています。
いくらマッド先生の説得でも、無理で……」
「説得なんてするかよ。どうせ聞かねぇだろうしな」
マッドはクララに向き直ると、薄汚れた両手を、ぽんと肩に置いた。
そして、教え子だった時に何度もそうしていたように、しっかりと目を見据えて言う。
「お前が騎士になるには、ふたつのものが必要だ。
ひとつは、夢を叶えるために、強い心を持ち続けること。
もうひとつは、この俺。
俺とお前が組めば、無理なんものはねぇ。
すべては、やるか、やらないか、に変わるんだ」
マッドのその自信に満ちあふれた声は、クララにとっては懐かしかった。
小学生の頃は、マッドができると言えば、不可能などなにもなかった。
マッドの言葉は、心地のよい子守歌のように、クララを包み込む。
「やるか、やらないか……」
トロンとした瞳で、うわごとのようにつぶやくクララ。
その耳を、さらに懐かしい音色がくすぐった。
♪やれるかな やれるかな 君ならできる~
♪やってやれ やってやれ 今がそのとき~
♪うまくいく 笑うのは君 ガンガンいけ~
気付くと、クララも途中から一緒になって口ずさんでいた。
そして彼女のメガネには、希望の星のような光沢がキラリンと走る。
「わ……わかりました! マッド先生の教えに従います!
なんでもおっしゃってください。騎士になるためなら、なんでもします!」
クララは気付いていなかった。
かつての恩師の、子供のように無邪気だった笑顔は、そこにはないことを。
――もくろみ通り……!
そこにはただ、悪魔に魂を……。
いや、人間をそそのかして魂を奪い取ろうとする、悪魔そのもののような邪悪な笑みだけがあった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ブライト家をあとにしたマッドは、ニヤニヤしながら街を歩いていた。
――俺は穏者になってから、すべてを失ったと思っていた……。
だが、まだすげぇ財産が、残ってたじゃねぇか……!
この俺を恩師だと崇拝する、ガキが……!
しかもブライト家といえば、古代より名のある騎士の名門……!
そこの当主にクララを据えて、俺の傀儡にすりゃ……!
『フィロソファーズ・レイヴ』をブッ潰す、大きなとっかかりを得られる……!
それはマッドにとっては、棚からダイナマイトが出てきたような、思わぬ収穫であった。
しかし、大きな問題がひとつある。
――しかし、どうやってあのクソ坊ちゃんを引きずり降ろすかな……。
ちょっとやそっとのスキャンダルじゃ、現当主の気持ちは変わらねぇみてぇだし……。
殺すのがいちばん手っ取り早いが、それだけはダメだ。
真っ先に疑いを持たれるのがクララだからな。
いちばんいいのは、あのクソ坊ちゃんが自分から、跡取りの座から逃げ出してくれることなんだが……。
さぁて、どうしたものか……?
思案に暮れるマッド。
その顔はボロ布で作ったフードに深く覆われていたが、瞳の輝きは以前とは大きく違っている。
穏者になりたての頃は、ギルドに無所属になったという不安から、捨てられた仔犬のようにコソコソしていた。
すべてがすべてが敵に見えてしまい、誰の顔も見ることができず、ただただ顔を伏せて逃げ回るばかりであった。
しかし今は顔を伏せてはいるものの、眼だけはしっかりと周囲を見渡している。
通りすがる者たちの足ばかりでなく、身なりや持ち物、顔までもを盗み見していた。
穏者という立場に慣れてきて、余裕が出てきたというのもあるのだが、同時にあることにも気付いていたのだ。
長年に渡って暮らしてきたこの街には、他にも多くの『使えそうモノ』が転がっているのではないかと。
それは、路地裏にある残飯やガラクタのことではない。
ホームレスにとってのお宝ともいえるそれは、彼にとっては『人間』であった。
他人をそそのかし、煽動する能力に長けた穏者にとっては、他者との関わりこそが大いなる武器、そして財宝であると気付いてしまったのだ。




