08 ブライト家の子息たち
08 ブライト家の子息たち
マッドは裏路地を出て、人通りのある場所へと向かう。
街はずれのそこは高級住宅街で、身なりのいい上流階級の者たちが行き交っていた。
下流階級の者は蔑んだ目で見られ、ホームレスなど論外の扱いを受ける。
少しでもおかしなマネをしようものなら、衛兵を呼ばれて袋叩きにされてもおかしくない場所である。
マッドは己に突き刺さる白い目を、酒場のスイングドアのように軽くあしらいながら通りを歩く。
道の傍らにあった植え込みを見つけると、寄り添うようにゴロンと横になる。
すると不思議なことに、通りすがりの者たちは平然とマッドの前を通りすがるようになった。
それまでマッドは学校に迷いこんだ野良犬のように注目の的だったのだが、今や風景の一部であるかのように誰も気にも止めていない。
その扱いの変わりように、マッドは驚嘆する。
「まるで、俺が見えてねぇみてぇだ……! これが、『森人』の効果か……!」
見回り中の衛兵がすぐそばを通っていった時は少し緊張したが、衛兵はマッドには目もくれなかった。
「これなら誰にも邪魔されずに、ひと寝入りできそうだな」
マッドはもう何日もまともに寝ていない。
その場にいるだけで厳しい迫害を受けていたので、壁や木にもたれて数秒だけ眠るという、サバンナの草食動物のような生活を繰り返していた。
「叩きのめされる以外で横になるのも、そういえば久しぶりだな……ふぁ~あ」
マッドは往来の片隅、着飾った者たちが行き交うなかで、泥のように眠った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
しばらくして、落ちてきた雫を顔に受けて目を覚ます。
あたりを見回すと薄暗く、夜明け前のようだった。
夜のうちに雨が降ったのか、身体はびしょ濡れで水たまりのなかに沈んでいる。
マッドは伸びをひとつしたあと、『浄水』スキルを発動。
まわりの水を奇麗して、寝転がったままズズズとすすった。
「ぷはあっ、やっぱり最高にうめえ!」
しかし彼の腹は抗議するように、激しい音をたてて唸った。
途端に身体が脱力感に包まれる。
「そういえば、ずっとなにも食ってねぇな……」
腹をさすりながら身体を起こすと、ふと植え込みのなかにあるクモの巣が目に入る。
巣には美しい蝶が引っかかっていて、醜いクモが今まさに襲いかからんとしていた。
マッドは手を伸ばし、クモをひっ掴む。
手の中で生きたまま蠢くそれを、口の中にひょいと放り込んだ。
ばりむしゃと噛み砕き「結構うめぇな」と感想を漏らしたあと、続けて巣に引っかかっている蝶の羽根をつまむ。
パッと手を離すと、蝶は一命を取り留めたことを知り、お礼をするようにマッドのまわりをひらひらと飛ぶ。
やがて離れていく蝶をむんずと掴み取り、マッドはおもむろに食す。
彼の口のなかで混ざり合う、クモと蝶。
通りを満たしていく朝日を受け、その瞳は不気味に底光りしていた。
――食ってやる……。
奇麗なものも、醜いものも……正しいものも悪いものも、すべて……。
誰も食わねぇものだって、食らい尽くしてやる……!
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
マッドは、『森人』のスキルがどれほどのものなのかを試してみることにした。
『森人』は近くに木の1本でもあれば効果が得られるようで、その間は誰もマッドのことを気にしなくなった。
マッドはそれをいいことに、露天から食べものを盗もうとしてみたのだが、何らかの他の行為をした時点でスキルの効果が切れてしまうようで、マッドはその旅に袋叩きにあってしまう。
衛兵たちに追われて逃げている最中、マッドはある屋敷の前を通りすがった。
その屋敷の中庭には多くの商人と女たちがいて、ひとりの少年のご機嫌取りをしている。
少年は騎士の格好をしており、女たちをはべらせながら新しい剣を選んでいるようだった。
「うむ、この魔法剣は悪くないな! 柄にダイヤが埋め込まれているのが僕好みだ!」
「さすがはラスク様、お目が高い! その魔法剣は世界にたった一本しかない逸品です!
唯一無二の騎士である、ラスク様にこそふさわしい剣でございます!」
「キャーッ! すてき! ラスク様!」と黄色い声をあげる女たち。
しかしラスクから少し離れた場所にいる女だけは、彼を冷めた目で見ていた。
「ラスク、そんな見てくればかりの剣を選んではいけません。
柄の装飾など、握りにくくなるだけです。剣というのは……」
その落ち着き払った声を、ラスクは怒声で吹き飛ばす。
「黙れ、クララ! またそれか! 小学生に習った時のことを、いつまで僕に押しつけるつもりだ!」
「マッド先生の教えは、一生役立つほどに素晴らしいものです。
ラスクは我がブライト家の、次期当主に選ばれたのですから……」
「そうだ、僕がこのブライト家の当主だ! だから僕はクララよりも偉いんだ!
今までは姉だからって従ってきたが、もうそうはいかないぞ!
これ以上、僕のすることを邪魔するな!
でなければ、さっさと政略結婚をさせて、この家から追い出すぞ!
女であるお前の利用価値なんて、そのくらいしかないんだからな!」
「ブライト家のためなら、わたしはポーンの駒にもなりましょう。
その覚悟があるからこそ、こうして心配しているのです。
騎士の一族の長になるあなたが、実用性に乏しい剣を選ぶことを。
今こそ、マッド先生の教えに習うのです。剣というのは……」
「お前は口を開けばマッド、マッド、マッド……! もうたくさんだ!
それに僕が選んだこの剣は、実用性に乏しくなんかない! 斬れ味バツグンだ!
今からそれを証明してやるっ!」
ラスクはすっかり激昂し、剣を構えたまま血走った目であたりを睨み回す。
試し斬りの相手を探しているのだと、周囲にいた商人や女たちは「ヒイッ」と目を反らした。
そして、視線がぶつかったのは……。
「アイツなら、たとえ斬り捨てたとしても、なんの咎もないっ! むしろ街が奇麗になるわっ!」
そう、ラスクが目を付けたのは、鉄柵の向こうに見える街角を歩くマッドであった。
ラスクは裏門から屋敷を飛び出していき、問答無用でマッドに斬り掛かる。
それは見るに堪えないほどの大根斬りだったが、不意打ち気味の一撃だったのでマッドはかわしそこねてしまう。
肩を斬りつけられ、血飛沫とともに倒れ込む。
通りに満ちる悲鳴、駆けつけてくる衛兵に向かって、ラスクは叫んだ。
「この動くゴミが僕の屋敷に入り込もうとしたから、これから私刑に処す!
動かぬゴミとなったら、後片付けをたのむぞ!」
それは完全に言いがかりで、ラスクの通り魔同然の行為であった。
しかし衛兵たちは何の調査もしない。
ラスクが騎士の名門であるブライト家の人間だとわかった時点で、「ははっ!」と従う。
肩を押えて倒れ込むマッドめがけ、朝日を受けてギラリと輝く凶刃が振り下ろされた。
しかし疾風のような白刃が横から割り込んできて、その力任せの大振りの剣をやすやす受け止める。
それは、柵ごしに剣を突き出したクララであった。
静まり返った通りに、金属どうしがぶつかり合う重苦しい音が響き渡る。
続けざまに、パキィンと澄んだ音が続き、マッドの足元に剣の破片が転がった。
ラスクは真っ二つに折れた剣を手に、ワナワナと震えていたが、やがて柵ごしにクララを睨みつける。
「じゃ……邪魔するなと言っただろう!」
それは熱波のような抗議であったが、クララは涼風のように受け流す。
「ラスク、その人にはなんの罪もありません。だれかれ構わず斬り掛かるなど、騎士の風上にもおけぬ行為。
それにその剣は受け太刀をされただけで折れてしまいました。見てくれだけの剣だというのがこれで証明されましたね。
今回の一件はあまりにも目に余りますので、父上にも報告いたします」
「ふんっ! 好きにしろ! そのくらいのことで、父上の僕への信頼は揺るがない!
父上はおっしゃっていたんだ、女に騎士など務まらぬと!
だからいくら僕を貶めたところで、お前が当主になることなんて、永遠にないんだよっ!
あーっはっはっはっはっはーっ!」
ラスクは強がるように笑い飛ばすと、折れた剣を放り捨てる。
「俺は女たちと飲みに出かけるから、ゴミの片付けはやっておけよ!」と近くにいた見知らぬ女たちの腰を抱き寄せ、クララに背を向けて歩きだした。
女たちはラスクがブライト家の跡取りだと知っているので、いきなりのセクハラ行為にも嫌がりもしない。
「ああん、ラスク様ぁ」「ラスク様に誘っていただけるなんて、光栄ですぅ」とむしろすすんですがりついていた。
その場に取り残されたクララは、「くっ……!」と歯噛みをするばかり。
しかし衛兵たちがマッドを取り押さえようとしていたので、我に返って止めた。
「衛兵さん、待ってください。本当にその人に罪はないのです。この場はわたしに任せて、どうか見回りを続けてください」
クララはしゃがみこんで、マッドの顔を覗き込んだ。
そして忘れもしないその顔に、ハッと息を飲む。
「あ……あなたは、マッド先生……!?」




