07 クソして寝ろ
07 クソして寝ろ
歯の根も合わないほどの恐怖を、歯を食いしばって堪えるマッド。
喉は痛いほどカラカラなのに、全身からどっと汗が噴き出ていた。
――い、嫌だ、こんな所で死んでたまるかよっ……!
それこそ、『フィロソファーズ・レイヴ』のヤツらの思うツボじゃねぇか……!
生きるためには、この、汚水を飲むしか……!
だけどこんな水を飲んだら、死んじまうっ……!
逡巡している最中、あるキーワードが頭の中に引っかかる。
――汚水? 汚水といえば……!
マッドは弾かれたように身体を起こす。
そのまま四つん這いになり、水たまりに顔を映した。
「おっ、飲む気になったようだぜ!」「マジかよ、こりゃ見ものだ!」
囃し立てる男たちを気にもとめず、マッドはヒルののたうつ水面に唇を近づけていく。
周囲では「一気! 一気!」とイッキコールが起こりはじめる。
マッドの鼻先が水面に当たり、小さな波紋が起こる。
次の瞬間、……ずぞぞぞぞっ! と吸い上げる音がした。
マッドはそのまま息継ぎもせず、一心不乱になって汚水を吸い上げる。
そのあまりの勢いに「ま、マジかよっ……!?」とチンピラたちは息を飲んだ。
「ぷはぁーっ!」と満足そうな吐息とともにあがった顔は、砂漠のオアシスにたどり着いた旅人さながらだった。
「う……うんめぇぇぇーーーーっ! こんなうまい水、初めて飲んだぜ!」
弾ける笑顔とともに最高の感想を述べたあと、また顔を浸けて汚水をすするマッド。
「ほ、本当にうめえっ! うますぎるっ! こんなにうまい水が、この世にあっただなんて!」
それは演技などではなく本当に美味しそうだったので、見ているチンピラたちも思わずゴクリと喉を鳴らす。
「そ、そんなにうめぇのかよ……?」
マッドは夢見心地で顔をあげ、その問いに答える。
「ああ、マジでヤバいぜ……! こんなにうまい水が飲めるなら、俺はもう、思い残すことはねぇぜ……!」
そう。マッドは汚水を飲む瞬間に、『浄水』のスキルを発動していたのだ。
これはいちかばちかの賭けだったが、想像以上の効果で、汚水は世界有数の名水に変わる。
その味は桃源郷、飲めば不老長寿なれると言われても納得のいくうまさ。
しかも浄水はヒルをも遠ざけてくれるという、至れり尽くせりっぷりの効果であった。
チンピラのひとりが思わず叫ぶ「俺にも飲ませろ!」と。
しかし両脇にいたチンピラが止める。
「おい、止めとけって!」「そうだ、こんな汚ぇ水がうまいわけねぇだろ!」
モメるチンピラたちを、マッドはすっかり落ち着いた様子で眺めている。
彼は究極に浄められた水を飲んだおかげで、元気と余裕を取り戻しており、頭はスッキリと冴えわたっている。
あるフレーズが頭に浮かび、それを知らず知らずのうちに口にしていた。
「お前たちみたいなチンピラには一生無理だな。この水を飲む度胸なんて、あるわけがねぇ」
その唇から続けざまに、軽やかな歌が紡ぎ出される。
♪やれないね やれないね お前には無理~
それは、マッドが子供たちのために作った歌の、替え歌だった。
のっけから挑発的な歌詞に、チンピラたちは「なんだとぉ!?」と激昂する。
♪やれないね やれないね クソして寝ろ~
マッドはゆらりと起き上がると、身体をクネクネさせて歌い踊る。
その振り付けがまた腹立たしく、チンピラたちの神経をさらに逆撫でにした。
♪あきらめろ 百パー無理 ザマザマみろ~
「ふっ……ふざけんなぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーっ!!」
マッドの歌が終わるか終わらないかのうちに、チンピラ4人組は水たまりに殺到。
バシャンと汚水に顔を突っ込む。
「うぎゃぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
しかし間髪入れず、チンピラたちは絶叫とともに顔をあげる。
そこには、顔から触手が生えたように無数のヒルが食いついていた。
「なんだこの水っ!? くせえっ!? まずいっ! 死ぬっ、死ぬぅぅぅーーーーっ!?」
「ひ、ヒルが、ヒルがぁぁぁぁーーーーっ!? 取れねぇ、取れねぇよぉーーーーっ!?」
膝立ちのまま顔や喉を掻きむしり、悶絶するチンピラたち。
全身がみるみるうちに紫色に変色していき、とうとう口から泡を吹いてブッ倒れてしまった。
4人とも白目を剥いて、ピクピクと痙攣している。
その地獄絵図を目の当たりにしたマッドは、これは吉夢なのか悪夢なのか迷うように目を白黒させていた。
「い……いったい、何がどうなって……!?」
しかし考えているヒマはなかった。
騒ぎを聞きつけた他のホームレスたちが集まってこようとしたので、マッドは脱兎のごとく駆け出す。
捕まったら間違いなく殺されるので、振り返りもせずひたすらに逃げまくる。
川からかなり離れた街のはずれまで来たところで、マッドは路地裏に飛びこんだ。
塀に身体を預け、ずるりとしゃがみ込む。
「いったい……なにが、どうなったんだ……!?」
ヒルの入った水たまりは、浄水スキルのおかげでマッドにとっては桃源郷の水となった。
しかしそのあとに飲んだチンピラたちにはただの汚水だったようで、彼らは地獄の血の池をすすったような有様になった。
それ以上に疑問だったのは、とっさに口ずさんだ歌。
あの歌を耳にした途端、チンピラたちは血相を変えて汚水を飲んだ。
マッドは息を整えながら、穏者の吟遊スキルの効果を思い出す。
――たしか、心理効果のある歌を唄う、だったな……。
俺の挑発的な歌で、チンピラどもが煽動されたってわけか……?
「これが、穏者の力……!?」
汚れきった手をじっと見つめるマッド、その間に水晶板のようなウインドウが現われる。
『レベルアップしました!』
「レベルアップだと? チンピラをヤッたせいか?」
マッドはごくりと喉をならし、ステータスウインドウを開く。
レベルはたしかに2になっていて、新しいパッシブスキルが増えている。
森人 木や草のそばにいると目立たなくなる
「これまたロクでもねぇ効果だが、穏者になって初めての、ポジティブなパッシブスキルだな」
マッドは初めて穏者のスキルを見たときも、「ロクでもねぇ」という感想を抱いていた。
しかしその考えは、今は少しだけ変わっていた。
「泥水をすすり、歌で地獄に突き落とす……!
穏者のスキルってのは、どれもロクでもねぇ……! クソったれな俺に、ピッタリじゃねぇか……!」
煽り虫様からレビューを頂きました、ありがとうございます!




