06 ヒル・オア・ダイ
06 ヒル・オア・ダイ
マッドはどしゃ降りの雨の中、身体を引きずるようにして教員寮へと向かう。
少しでも家財が残っていればと思ったのだが、寮の前に出されていた荷物は残骸しか残っていなかった。
マッドはこれまでの人生で培ってきたものを、ひとつを残してすべてを失ったことになる。
今の持ち物はシザーナイフと、いま着ているボロ布だけ。
復讐に燃える彼ではあったが、今は心身ともに疲れ切っていた。
寮の軒下に身を寄せ、白い息を吐く。
「まず……生きていくことを考えなくちゃな……」
そう思ったところで、ふと、自分は穏者だったことに気付く。
前職のレンジャーについては造詣が深いが、穏者については何も知らない。
「スキルを確認してみるか……」
ひとりごちつつ、指先で空中に四角形のサインを描く。
すると、ステータスウインドウと呼ばれる半透明の窓が現われる。
そこには自分の名前、職業と現在の職業レベルである1、そしてHPとMPの数値が表示された。
「レベルは1に戻ってるけど、HPとMPは引き継ぎなのか……。このパラメーターはなんだ?」
ステータスには見知らぬパラメーターである『添人』というのがあった。現在値は0である。
「まあいいや、それよりもスキルだ」
ステータスウインドウの上で、指で横に払うように動かすと、スキルウインドウに切り替わる。
スキルウインドウのトップには、『穏者のスキルは、信じる者にも与えられる』という説明書きがあった。
肝心の所持スキルを確認すると、『無頼・無欲・無宿』の基本の3点セットのほかに、さらにもう3つほどある。
吟遊 心理効果のある歌を唄う
紙工 紙を使った細工を行なう
浄水 汚水を浄化する(水)
「どれも、ロクでもねぇ効果だな……」
ついウトウトしかけたが、「アンタ、こんな所でなにやってんだい!?」といきなり怒鳴りつけられ、マッドは飛び起きる。
そこには棍棒を持った、恰幅のいい寮母が立っていた。
いつもはあたたかい笑顔で迎えてくれた彼女であったが、今は鬼のような顔つきでマッドを睨んでいる。
「りょ、寮母さん……俺は……!」
「馴れ馴れしく呼ぶんじゃないよ! こんな所にいられちゃ迷惑なんだよ! 寝るならよそへ行きな!」
棒で尻を叩かれ、シッシッと寮から追い払われるマッド。
彼はそれから嫌というほど思い知ることになる。野良犬同然と揶揄された穏者が、この街でどんな待遇を受けるのかを。
軒先や裏路地で寝ていると住人たちから追い回され、かといってホームレスがたむろする河原や公園は、ギルドごとにナワバリが決まっていて、よそ者とわかるとこれまた追い回された。
寝る場所はどこにもなく、そして食べものも手に入らない。
ゴミ捨て場はホームレスのギルドごとに支配下に置かれており、生ゴミが捨てられる時には現金輸送さながらの布陣が敷かれていた。
良い生ゴミはすべて彼らが持っていき、リンゴの芯ひとつ残していかない。
さらに水道や井戸はギルドに所属していないと使うことができず、マッドは水の一滴すらも飲むことができなかった。
ギルドに入らざるもの、人ならず……!
その言葉を嫌というほど噛みしめながら、マッドは炎天下の街をフラフラと歩いていた。
もう3日も寝ていないし、飲まず食わずの状態が続いている。
復讐の炎は風前の灯となり、今はただ水が飲みたい一心であった。
乾いた唇からは、掠れた呻きが漏れるのみ。
――み、水っ……! このままじゃ、マジで干からびちまうっ……!
なんとかこの近くにある川で、水を……!
河原はどこも、長屋のような木造の小屋が建ち並ぶホームレス街となっている。
マッドのことはすでにホームレス界隈では有名なので、近づくだけで仲間を呼ばれるだろう。
しかしもうそんなことを気にしている余裕は、彼にはなかった。
河原にたどり着くと、茂みの中から様子を伺う。
――ホームレスどもが、ウヨウヨいやがる……!
だが見つかっても、川に飛びこんじまえば、こっちのもんだ……!
意を決し、最後の力を振り絞って茂みを破るマッド。
しかし、川まであと一歩というところで足がもつれて転んでしまい、砂埃にまみれてしまう。
近くにいたホームレスたちが「おやおやぁ?」と集まってきた。
「誰かと思ったら、あの時の先生じゃねぇか」
「聞いたぜぇ、お前、穏者なんだってな?」
「相変わらず、変なところで寝るのが好きなんだなぁ!」
「起きるのを手伝ってやるよ、おらっ!」
マッドは起き上がろうとしたところに顔面を蹴り上げられ、ひっくり返るようにして尻もちをつく。
震えるマッドを見下ろしていたのは、学校の裏門で彼をリンチに処したチンピラホームレスたちだった。
「おいおい、なんて格好してやがんだ! 山奥にいる仙人でももっとマシな服着てるぜ!」
「それにそのやつれた顔! マジで仙人みたいだぜぇ!」
「仙人サマは、こんなホームレス街になんの用なんだい?」
「み、水……」と絞り出すだけで精一杯のマッド。
その死にかけの蚊のような声に、チンピラたちはさらに笑った。
「ギャハハハハ! 水だってよ!」
「水が欲しいならくれてやろうか、ほら、ここにあるぜぇ!」
チンピラのひとりが指さした先は、河原沿いの道端にあった水たまりだった。
明らかに汚水であろうそれは、穢れた虹のような色の油が浮いている。
マッドはゴクリと喉を鳴らす。
もう、この水でも構わないといった表情で。
「おおっと待ちな、仙人サマ! 特別に、トッピングをしてやるぜ!」
チンピラのひとりが、腰に提げていた茶色い瓶を取り出し、栓を開けて水たまりに向かって振った。
切り取られた舌のような物体がボトボトと落ち、水面に穢れた王冠をつくる。
「ソイツはなぁ、『ドラキュラの舌』って呼ばれている恐ろしいヒルだ!
俺たちの武器である『ヒル爆弾』の中では、最高に威力があるやつなんだぜぇ!
いちど食いつかれたら最後、血を吸って風船みてぇに膨らむまで離れねぇし、吸われたところは焼けただれたみたいになるんだ!」
「せっかく俺たちの虎の子のブツをブレンドしてやったんだ!
まさか飲めねぇとは言わねぇよなぁ、仙人サマよぉ!」
「こんな礼儀知らずな仙人サマなら、何したって文句は出ねぇよなぁ!? ああんっ!?」
「そうそう! なんたってコイツはギルドに所属してねぇんだ! ブチ殺したって衛兵も動かねぜ!」
「さあどうする、仙人サマよぉ!? 飲むかぁ!? それとも死ぬかぁ!?」
ヒル・オア・ダイ。
マッドはわけもわからぬうちに、究極の2択を迫られてしまった。




