05 穏者誕生
05 穏者誕生
あたりはすでに暗く、マッドのこれからの行く末を暗示しているかのよう。
しかし彼を待ち構えていたものは、もっと残酷なものだった。
「へへ、よぉ先生。あ、もう先生じゃねぇんだっけか」
「俺たちちょっと金に困っててよぉ、ちょっとばかし貸してくんねぇかなぁ」
それは、チンピラ同然のホームレス4人組であった。
それまで抜け殻のようだったマッドだったが、ようやく正気に戻る。
仕事をクビになった以上、手持ちの現金だけが頼りだ。
それだけは絶対に渡してなるものかと、胸のあたりをきつく抱きしめる。
素早くあたりを見回し、通りの向こうを歩いていた衛兵を呼んだ。
「え……衛兵さーんっ! 助けてくださーいっ!」
マッドは元レンジャーだけあって動きは素早い、
チンピラたちをすり抜け、あっという間に衛兵に駆け寄った。
「助けてください! あの男たちに襲われそうなんです!」
小さくガッツポーズをするようにして訴えるマッドだったが、衛兵は怪訝そうにしている。
「その前に、キミ、所属ギルドは?」
「フィロソファーズ・レイヴの教員ギルドです!」
「ウソをつくな。フィロソファーズ・レイヴの一員なら、手の甲のところに紋章があるはずだ」
「はっ!?」と自分の利き手を見るマッド。
長年にわたってそこにあった紋章は、もはや跡形すらも無くなっていた。
「ギルドに所属していない者は、一切の社会保障が受けられないのはキミも知っているだろう?
我々『衛兵ギルド』は、他のギルドからの寄付金によって運営されているのだからね」
衛兵は事務的にそう言って、パトロールへと戻っていく。
「そ……そんな……!?」と立ち尽くすマッドを、さらなる衝撃が襲う。
後頭部を棒のようなもので殴られ、前のめりに倒れそうになる。
なんとか踏みとどまったが、周囲をチンピラたちに取り囲まれていた。
「へへっ! 逃げようったって、そうはいかねぇぜ!」
「ギルドに所属してねぇヤツなんて、マジでいるんだな!
俺たちホームレスどころか、奴隷だってギルドに所属してるってのによぉ!」
「ギルドに入らざる者は、人ならず……! コイツは野良犬と同じで、なにしたってお咎めナシってことだ!」
「ひゃっほーっ! やりたい放題だぜぇ!」
殴られて朦朧とするマッドは、頭をぶるんと振って意識をなんとか取り戻す。
すかさず、鋭い目つきでチンピラたちを威嚇した。
「おおっ、コイツ、この数を相手にやろうってのかよ!」
マッドは小学校の教師ではあるが、ギルドの要請で冒険にも駆り出されることもある。
現役のプロの冒険者なので、この程度のチンピラであれば遅れを取ることもない。
武器になりそうなものは、肌身離さず持ち歩いている『シザーナイフ』。
もっぱら工作に使っている、ハサミとナイフが一体になった刃物だ。
しかしいくら正当防衛で多人数が相手とはいえ、抜くわけにはいかなかった。
なぜならば、ギルドに入っている彼らを必要以上に傷付けた場合、衛兵はマッドのほうを取り押さえるからだ。
マッドは身構え、格闘のポーズを取る。
――ならば……素手で軽く痛めつけて、追い払うしかない……!
「やっちまえーっ!」
蛮声とともに挑みかかってくるチンピラたち。
マッドはその素人丸出しの大根パンチを、軽々といなす……ことができなかった。
頬に、腹に、頭に、背中に、股間に、面白いようにパンチがめり込む。
マッドは自分の身になにが起こったのかわからず、まるで野盗に襲われた女子供のように地面に縮こまっていた。
「おらおら、どうしたどうしたぁ!」
「コイツ、威勢のいいのは最初だけだったぜ! てんで弱ぇ!」
「おらっ、金をよこしな! 服もぜんぶ剥ぎ取っちまえっ!」
マッドは身ぐるみ剥がされた末に、全身をアザだらけにされるまで蹴られ、道端にあるゴミ捨て場に蹴りやられる。
チンピラたちはシザーナイフも奪おうとしてきたが、それだけは殺される寸前まで蹴られても絶対に手離さなかった。
このシザーナイフにはマッドが教師になって新調したもので、長年に渡る子供たちの思い出が詰まったものだったからだ。
血とゴミにまみれたマッド。
視界はどす黒い血に覆われ、レッドアウトとブラッグアウトを繰り返している。
――僕は……このまま、死ぬ……のか……な……。
最後に見ているものが、チンピラたちの足……だなんて……。
そこに、見覚えのある足と、声が混ざる。
「ハリアップ! どうやら、片付いたようだね」
「あ、校長! へへ、ご覧の通りでさぁ!
「コイツ、てんで弱かったっすよ! 本当に教師だったんですかい?」
「私がそうなるように仕向けたのだよ。退職金を渡しておけば、この男は無職になってしまうからね。
さて、彼の退職金をこっちに渡してもらおうか」
「校長も悪っすねぇ!
同意書にサインさせるために退職金を渡しておいて、あとで俺たちを使って奪い返すだなんて!」
「ハリアップ! 時は金なりという言葉があるように、私にとって金は時なりなのだよ。
1秒たりとも無駄にしたくはないのでね。
あの男の服とサイフはキミたちにやるから、好きにしたまえ。
おや、雨が降ってきたようだから、私はこれにて失礼させてもらうよ」
裏門へと戻っていく足音を追いかけるように、雨音があたりを満たしはじめる。
チンピラたちはマッドを一瞥すると「そんなところで寝てると風邪ひくぜぇ」とツバを吐きかけて去っていった。
マッドは死にかけのイモムシにように蠢き、わずかに残された力で必死に生を求める。
ほんの数分前までは、もう死んでもいいとすら思っていた。
だが今は違う。
――なんとしても、生き延びてやるっ……!
あたりにあるゴミをまさぐる。
この裏門は小学校のから出たゴミを出す場所でもあるので、学校関係のものがたくさんあった。
掲示板に貼られていた羊皮紙、破れた上履きやボロ雑巾、割れた牛乳のガラス瓶。
その中でボロボロになった暗幕を見つけたので、衣服がわりに羽織る。
あがくマッドをあざ笑うかのように、雨はどんどん激しくなっていき、暗い空は稲光が明滅しはじめた。
「ううっ……寒い……!」
あたりに散らばっている羊皮紙を手当たり次第に集め、服の中に詰め込む。
その最中、ひときわ目立つ飾りのついた一枚の紙が目に止まった。
『フィロソファーズ・レイヴ 命令書』
ギルド長の名において、イソギン・チャック校長に命ずる。
今年度の上級職の配分において、女神ルミナレルムより、100年に一度とされる『穏者』が与えられることとなった。
国王への忠誠の証として、我が『フィロソファーズ・レイヴ』がその『穏者』を引き受けることとなったのは、貴殿も知ってのとおりである。
貴殿の申し出のとおり、貴殿の部下であるマッド・ラックスが推薦されることとなった。
本件において、ギルド長の承認はすでに得られており、聖皇母と授与役の大聖女にはすでに伝達済みである。
あとは当日まで、マッド・ラックスに悟られることなく、聖堂へと送りだすように。
なお、マッド・ラックスをギルドから除名する申請については、すでに受領されている。
そのため、除名後の処遇については、貴殿の一任とする。
……ズガァーーーーンッ!!
爆音とともに、マッドの背後に雷撃が落ちる。
その雷に撃たれたかのように、マッドは硬直していた。
――すべて、仕組まれたことだったなんて……!
ゴミが燃え上がり、メラメラと炎が噴き上がる。
赤い逆光に照らされたマッドの顔つきが、パチパチと弾ける音とともに、少しずつ豹変していく。
穏やかな教師の面影は消え去り、そこには、血すらもすする餓えた悪鬼のような顔があった。
――ゆ……許せねぇ……! 絶対に……!
僕は……いや、俺は……!
たった今から、冥府魔道に堕ちるっ……!
泥をすすり、草を食らってでも、その時を待ち……!
たとえ、地獄の野良犬になり下がってでも……!
ギルド長、聖皇母、大聖女……そして、イソギンっ……!
その喉笛を、いつかきっと、かみちぎるっ……!
そして、ぶっ潰してやるっ……!
『フィロソファーズ・レイヴ』を……!
「俺は……穏者だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」
マッドは滝のような雨に打たれながら、暗雲に咆哮を轟かせる。
それは最強にして、最悪の穏者が産声をあげた瞬間であった。




