17 歪んだ太陽
17 歪んだ太陽
マッドに全幅の信頼を寄せるリンツ少年に手渡されたものは、油紙に包まれた衣服であった。
「これは……聖女のローブですか? 使われている生地と縫製からいって、かなり高品質ですね」
「その通り。ソイツをちょちょっと刺繍を入れてほしいんだ。俺はこの通り無一文なんで、金は払えないんだが……」
「なにを言ってるんですか! マッド先生のおかげでこの工房は救われたんです!
もちろん無料で、最高級の刺繍を入れます! で、どんな図案なんでしょうか?」
マッドはそっとリンツに耳打ちした。
青空のように澄みきっていた少年の瞳が、わずかに翳る。
「え……!? そんなものを、聖女のローブに入れろというのですか……!?
でもそんなものを入れたのがバレたら、このローブの持ち主はタダではすみませんよ!?」
「わかってる。だからお前に頼んでるんだ。
ちゃんと足が付かないように考えてあるから、お前の工房にまで手が及ぶことはない」
「で、でも……これは、あまりにも……!」
震えるその肩に、ガイコツのような手が置かれる。
「……この工房を、もっと大きくしたくはないのか?
伝説の装備を作りたいんじゃなかったのかよ?」
「そ……それは……!」
「だったら俺の導きに従い、この仕事をやり遂げるんだ。
そしたらこの工房は、もっともっと大きくなることを約束しよう」
「し……しかし……しかしっ……!」
気付くとリンツの瞳からは、先ほどまであった希望の光がすっかり消え失せている。
とうとうマッドの目も見られなくなり、うつむいてしまった。
「む……無理、ですっ! 僕には、とても……!」
――チッ、仕方ねぇな……!
♪やれるかな やれるかな 君ならできる~
♪やってやれ やってやれ 今がそのとき~
♪うまくいく 笑うのは君 ガンガンいけ~
ハッ!? と遠雷を聞いたウサギのように、少年は顔をあげた。
「や……やれる……!? 僕なら……!?」
マッドは歌いながら、「ああ、お前ならやれる!」と力強くシャウトする。
「お前には最大のチャンスが巡ってきてるんだぞ!? いまやらなくて、いつやるってんだ!?
これを逃したら、また元の弱小工房に元通りだぞ! 先代からの工房を潰しちまってもいいのかよ!?」
「い……嫌だっ! それだけは嫌だっ! 僕はモノづくりがしたいんです!」
そのすがるような瞳に、光が戻る。
いや、新たなる光に上書きされていく。
太陽の脚のようにまばゆく、まっすぐな光ではなく……。
血のような満月が放つ、妖しくユラユラと揺れる光に……!
「や……やります! このローブに刺繍します!」
ガッ! と力強くローブを受け取るリンツ。
ガッ! と掴むように、リンツの頭に手を置くマッド。
「よぉし……! それでこそお前は、この俺の生徒だ……!」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
それからさらに数週間後。
街には聖教司女が視察に訪れ、大聖堂で講演を行なう。
この大聖堂は、上級職の授与の儀式にも使われており、かつて穏者が誕生した場所でもあった。
しかし今回は講演なので、そのような不幸は起こらないはずである。
大聖堂には聖教司女のありがたい言葉を聞こうと、多くの民衆が詰めかけていた。
ステージには主役の聖教司女、そして各地域の大聖女たち。
司会進行はこの街を統括する大聖女がすることになっているので、ハメリアも登壇していた。
ステージ脇のほうでは、この街の聖女全員がずらりと並んでいる。
その最前列にいたピュリアは、ツギハギだらけのローブのせいか、妙に目立っていた。
「それでは聖教司女様からのお言葉の前に、皆で女神ルミナレルム様へ祈りを捧げましょう!」
ハメリアのよく通る声が、聖堂じゅうに鳴り渡ると、ステージと観客席を含め、その場にいた全員が跪く。
この最初の祈祷は、司会進行役のいちばんの見せ場でもあった。
唯一、跪く必要がなく、ルミナレルムからの神託を述べるのだ。
神託といっても実際に賜ったものではなく、司会進行役がオリジナルで考えたものである。
いずれにせよ、すばらしい神託を披露できれば参加者たちの信心は増し、司会進行役の手柄となる。
すぐそばに上司もいるので、ハメリアにとってはまたとないポイント稼ぎの場であった。
天井から差し込む光が鏡によって屈曲し、すべてハメリアに向けらる。
するとハメリアの絹のローブに光が反射し、ひときわキラキラと輝きはじめた。
観客席から「おお……!」と感嘆の声が漏れる。
「う……美しい……! ハメリア様が、太陽のように輝いておられる……!」
「ま……まるで、女神様だ……! あ……ありがたや……!」
すべての人間がひれ伏し、ハメリアの興奮も最高潮に達する。
誰にも聞こえない声で、噛みしめるようにつぶやいていた。
「さ、最高っ……! みんなが私に跪いてる……! まるで、私が女神になったみたい……!
ここで最高の神託を披露して、信者どもを騙せば……! 二階級特進も夢じゃないかも……!
さんざん私にイヤミを言ってきた聖教司女をブチ抜いて、今度は私がイジメ返す番よっ……!」
ハメリアは満を持すように両手を広げる。
ローブの長い袖が翼のように翻り、光を受けて不死鳥の羽根のように燃え上がった。
「おおおおーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
その神々しい輝きに、さらなる驚嘆が沸き起こる。
エクスタシーを迎えたように、ハメリアは身体を大きくのけぞらせていた。
堂内にいる者たちの心は、女神の生まれ変わりのような美しき大聖女によって、ひとつに……。
なったかのように見えた。
しかし、大聖女のパフォーマンスに心を奪われていない者がひとりだけいた。
まるで、別のパズルから紛れ込んだ異質なるピースのように。
それは、観客席の最前列にいた。
――そろそろ、頃合いだ……!
さぁ、滴り堕ちろっ……!
彼がそう念じたとたん、ハメリアのローブの袖に、
……どろりっ。
廃油が染み込んだかのように、じっとりとある図柄が浮かび上がっていった。
驚嘆は、驚愕へと変わる。
「み……見ろ……! あれを! 大聖女様の袖に、絵が浮かび上がっているぞ!」
「あ……あれは!? 『逆さ女神』っ!?」
「ま……まさか、大聖女様が、邪教の崇拝者だったなんて……!」
『逆さ女神』というのは、女神ルミナレルムの足首を悪魔の手が掴み、逆さ吊りにしている絵のことを言う。
この世界においては邪教の証とされており、軽い気持ちで落書きするだけでも重い処罰を受ける。
その最大の禁忌ともいえるシンボルが、よりにもよって女神を祀る聖堂のなかで、しかも大聖女の袖に浮かび上がったのだ。




