16 ロフレル工房
16 ロフレル工房
次の日の昼、ドッグランで飼い主に駆け寄る犬のように、ピュリアがやって来た。
「はぁ、はぁ、はぁ……! こ、こんにちは、マッド先生!」
「今日はいちだんと張り切ってるな。なにかあったのか?」
「は、はいっ! き……聞いて驚かないでくださいね!?
わたくし、大聖女様のローブの洗濯係になったんです!」
100点のテストを取ったみたいに、弾ける笑顔のピュリア。
いつもは大人しい彼女がこれほどの笑顔を見せるとは、よほど嬉しかったのだろう。
「これも、マッド先生のご指導のおかげです!」
しゅばっ、と芝生にひれ伏すピュリア。
上目遣いでマッドを見つめるその瞳は、もはや忠犬と呼んでもおかしくない。
その頭を、マッドはよしよしと撫でてやる。
「そうか。じゃあ、次の指導だ。
大聖女の正装のローブを洗濯するときになったら、それを洗濯する前に俺のところに持ってくるんだ」
それが思いも寄らぬことだったので、ピュリアは「えっ」と虚を突かれたような声をあげる。
「大聖女様の、ローブですか……?」
「そうだ。誰にも見つからないようにこっそりと持ち出して、数時間だけ俺に預けてほしいんだ。
なに、ちゃんと返してやるから心配するな」
ピュリアはもうマッドを疑うことをしなかった。
「かしこまりました。マッド先生がそうおっしゃるのであれば、なにか深い意味があるのですよね。
来月に聖教司女様を聖堂にお招きして、お言葉を頂くことになっております」
『聖教司女』とは、大聖女の上役にして、この地域一帯にある聖堂を取りまとめる地位にある聖女である。
「大聖女様はそのときに正装のローブを着られると思いますので、マッド先生にはその数日前にお渡しさせていただきます」
マッドは心までも、悪魔の口のように醜く歪めていた。
――絶好のタイミングじゃねぇか……!
いよいよ最初のチェックメイトの瞬間が、やって来たぜ……!
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
時は少し戻る。
洗剤を手にしたピュリアと別れたマッドは、風に煽られる紙クズのように、フラフラと街を歩まわっていた。
これは彼にとって、有益なものが無いかを探す日課のようなものだったのだが、今日は明確な目的がある。
大通りから少しはずれた場所にある、『ロフレル工房』と看板の掲げられた建物の前で立ち止まるマッド。
通常であれば、店などに用がある場合は、営業時間内ならそのまま中に入って用事を済ませればいい。
しかしマッドはギルド未所属という、この世界では異分子ともいえる存在なので、中に入ろうものなら衛兵を呼ばれてしまう。
「昼寝でもして待つか……」
マッドは石畳を突き破るようにして生えている雑草の上に腰掛ける。
長期戦を覚悟していたが、目的の人物はすぐに出てきた。
工房から木箱を抱えてできた少年に、「よお」と声をかける。
少年は掛けていたゴーグルを持ち上げ、大きな雑草を見るような顔つきをしていたが、やがて正体に気付いた。
「……マッド先生!?」
「久しぶりだな、リンツ。元気でやってたか?」
「僕のことよりも、先生はどうなんですか!? 学校を辞めたって聞いてから、心配してたんですよ!
でもその格好じゃ、あんまり大丈夫じゃなさそうですね……とにかく、中に入ってください!」
リンツと呼ばれた少年は、息せき切ってマッドの手を引っ張る。
「いいのかよ、俺みたいなのを入れて」
「この工房の主は僕ですから、大丈夫ですよ! ぜひマッド先生に見てほしいんです!
といっても、小さな工房ですけどね!」
リンツはかつてのマッドの教え子のひとり。
工房に生まれたひとり息子で、将来の夢も父の跡を継いで工房主となることだった。
工房というのはこの世界における工場のようなもので、衣類や日用品、武器などを生産する場所である。
リンツは小学生の頃、様々なモノ作りを父親から教わった。
しかしそれ以上に彼に影響を与えていたのは、マッドが教えていた工作であった。
ハサミと紙だけで夢の世界を作り上げるマッドのことを、リンツは心の底から尊敬していた。
そしてそれは今でも変わらないようで、みすぼらしい格好のマッドを賓客のようにもてなした。
「見てください、この鎧のモックアップを!
この工房ではマッド先生の教えのとおり、まずは紙で試作品を作るようにしてるんですよ!」
「そうなのか、だが炉のほうは動いてないようだが?」
マッドに指摘されると、リンツは「たはは」と苦笑い。
「そうなんですよね、うちの工房は見てのとおり弱小なので、長いこと金属装備の注文が無いんです。
だから、ずっと衣類ばかり作ってるんですよ。
でも、服屋で終わるつもりはありません。
いつかは小学校で作ったような、伝説の装備を作るのが僕の夢なんです」
「そうか。伝説の装備とまではいかないが、騎士の装備くらいだったら作らせてやれるかもしれん」
「えっ、本当ですか? でもここいらの戦闘系のギルドの装備の受注って、ぜんぶ他の工房に独占されてるんですよ?」
「ちょうどいい隙間ができたんだ。そこに入り込ませてやるよ」
その隙間とは、ブライト家の次期当主交代である。
ブライト家には贔屓にしている武器商人や工房があったのだが、それらをクララの一存で変えさせた。
クララの使う剣や鎧だけでなく、所属している兵士たちの装備までもを『ロフレル工房』に一任させたのだ。
おかげでリンツは、大口の取引先を得ることとなった。
「あ……ありがとうございます、マッド先生!
実をいうとうちの工房はギリギリで、もう閉めてしまおうかと悩んでいたほどなんです!
でもマッド先生のおかげで持ち直すことができました!
職人たちも久々に鍛冶ができて大喜びしてます!」
マッドは数日ぶりに工房を訪ねていたのだが、その汚れた手をリンツは握りしめて離さなかった。
かつての教え子の成長ぶりを手のひらで感じながら、「そうか、よかったな」と微笑むマッド。
「俺の教えの通りにしていれば、お前は世界一の工房主となれるだろう。
どうだ? 課外授業を受けてみる気はないか?」
リンツは「い……いいですかっ!?」と、目をこれでもかと見開いた。
「ぜひお願いします!
実をいうと中学にあがってから、ずっとマッド先生の授業が恋しかったんです!
マッド先生の教えがあれば、この工房はもっともっと大きくなるのは間違いありません!」
マッドは品定めする目つきを悟られないように、リンツをじっと見つめる。
――ピュリアとまではいないが、澄んだいい目をしてやがる。
よし。これなら俺の駒として、本格的に使ってやっても良さそうだな……。




