13 サヨナラ坊ちゃん
13 サヨナラ坊ちゃん
「あんたもしかして、ラスクかい?」
早朝の港は、多くの働く男たちで賑わっていた。
そんななか、ボロ布をまとった男が声をかけてきたのだ。
「なんで僕の名前を知っている!?」
ラスクはかつて一度、そのボロ布の男に斬り掛かったことがある。
しかしそんなホームレスなどこの街には掃いて捨てるほどいるので、ラスクはボロ布の男の正体には気付かなかった。
汚れた布きれをフードのようにしていた男は、鼻から下だけが見えている。
その口元が、残念がるようなため息を吐き出した。
「あ~あ、やっぱりあんたがラスクか。聖女の格好をした女が、ずっと『ラスク様』って叫んでいたからな」
「叫んでいた、だと!? そ……その女はいま、どこにいるんだ!?」
「港のはずれを歩いてたら、聖女の格好をした女が船に引っ張り込まれるのを見たんだよ。
ありゃ奴隷船だったな。
このあたりにはよくいるんだよ、奴隷を出荷するついでに、追い銭がわりに港で見つけた女をさらっていくヤツが。
出港しちまえば、衛兵もわざわざ追ってこないからな。
今頃はもう、海の上だろうぜ」
「なっ……なんだと!? 船がどこに向かったかわかるか!?」
「船のヤツらは、カテーメラン王国まで行くって言ってたなぁ」
ボロ布の男が告げたのは、遥か遠方にある島国の名であった。
「ぐっ……! そ、そんな、遠い所に連れて行かれるとは……!」
ラスクはうつむき、がっくりと肩を落とす。
その顔にはあきらめの色が広がっていた。
ボロ布の男は「あ~あ」と、ことさら残念がっている。
「かわいそうになぁ、女はずっと泣き叫んでたぜ、『ラスク様、ラスク様』ってなぁ。
きっとあんたのことを、よっぽど愛してたんだろうぜ……」
「ぐっ……! で、でも……!」
「お前さんの愛ってのは、ちょっと離れただけで薄れるもんなのかい」
「し、しかし、カテーメランといえば、この国の真裏にあるほど離れている! そんなところまで行けるわけが……!」
「ああ、お前さんみたいなお坊ちゃんには、どだい無理だろうなぁ」
その一言に、ラスクは「なんだと!?」と激昂。
ボロ布の男の胸倉を掴もうとしたが、男はラスクの手をするりと抜ける。
そしてついに、嫌らしく歪んだ口から、あの歌が放たれた。
♪やれないね やれないね お前には無理~
潮風にボロ布をはためかせ、船上の幽霊のようにゆらり踊る。
♪やれないね やれないね クソして寝ろ~
その歌詞と動きがたまらなく不快で、ラスクの苛立ちをさらに煽った。
♪あきらめろ 百パー無理 ザマザマみろ~
「ふっ……ふざけるなぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーっ!!」
その歌が終わるか終わらないかのうちに、ラスクはトランクに下げていた、金貨の袋を掲げていた。
そして、周囲の男たちに喧伝する。
「おいっ! カテーメランまでこの僕を連れて行ってくれる船乗りはいるか!
金ならいくらでも出す! その途中の国まででもかまわん! 我こそはという者は……!」
ラスクは港でも有名人だったので、すぐさま船乗りたちがこぞって手を挙げてきた。
むくつけき男たちに囲まれ、港に停泊していたいちばん立派な船へと乗り込んでいくラスク。
その後ろ姿を、ボロ布の男はゆるゆると手を振って見送っていた。
――アバヨ、坊ちゃん……。
お前は幸せだぜ……愛する女が変わっていく姿を見ることなく……。
永遠に、美しいままの姿を追い求めて、生きていくことができるんだからよ……。
残された家は、ちゃあんと俺が面倒見てやるから、安心していっちまいな……!
ラスクが駆け落ちしたという情報は、ブライト家の人間たちにもすぐに伝えられる。
「まさかラスクとピュリアが愛し合っていて、駆け落ちするだなんて……!?」
クララは驚いていたが、ピュリアがふつうにそのへんを歩いていたのと、ピュリアはラスクのことをなんとも思っていないようだったので、誤解だというのがわかった。
いずれにしても、ラスクは女を追って街を出たのは間違いない、という結論に至る。
当主のバッソは激怒していた。
「あのバカ息子め! このワシの当てつけに駆け落ちするなどとは……!
今まで男だからといって大目に見てきたが、もう許さん! ヤツは勘当だ!
我がブライト家の跡継ぎは、クララとする!」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ラスクがいなくなり、クララがブライト家の次期当主となってから数日後。
マッドはブライト家の屋敷の中に招かれていた。
「おいおい、いいのかよ? 俺みたいなのを屋敷の中に入れて」
マッドはそう言いながらも、お茶菓子を頬張り、紅茶を遠慮なくすする。
目の前に座っているクララは、秘書のような格好から、まさに女当主のようないでたちとなっていた。
「わたしが跡取りになりましたので、わたしのすることには、父上も大目に見てくださいます。
それよりも、マッド先生のおっしゃっていたとおりになりましたね」
クララはいつもの落ち着き払った表情だったが、その言葉はわずかな戸惑いを感じているようだった。
「わたしはこの家の当主となり、立派な騎士となるのが夢でした。
しかし幼少の頃からがんばって優秀な成績を残しても、決して認められることはありませんでした。
マッド先生と再会したからこそ、わたしの夢が叶ったのです。
わたしが何年かけても無理だった夢を、マッド先生はわずか数日で叶えてくださったのです」
彼女の頬に、薔薇のような赤みがさす。
「マッド先生が……裏から手を回してくださったのですよね?
ピュリアをメイドとして寄越して、それから……」
探るようなその言葉を「なんでもいいじゃねぇか」と遮るマッド。
「でもそこまでわかってるんだったら、話は早いな。
こんな茶菓子で誤魔化そうってわけでもねぇんだろう?」
「ええ、もちろんです。なんなりとおっしゃってください。
お金もかなり自由にできるようになりましたから、お好きなだけ……」
「金なんていらねぇよ。それよりも、力を貸してくれ。
ピュリアを聖女にしてやってほしいんだ」
「わかりました。我がブライト家として、ピュリアを後押しをすればよいのですね。
父上は反対するかもしれませんが、わたしが説得してみせます」
「よろしく頼んだぜ」と、立ち上がるマッドを、クララは拍子抜けした様子で見上げていた。
「それだけでいいのですか?」
「ああ。今はそれだけでいい。次は大聖女との繋がりを作ってやるから、ちょっと待ってろ」
「それはいくらマッド先生でも無理ですよ。
この街の大聖女であるハメリアは、ブルーイン家と繋がっているのですよ。
ブルーイン家が我がブライト家と反目する騎士の一族であることは、マッド先生もご存じでしょう?」
「ああ、知ってるよ。まあ、黙って見てろって。じゃあな」
ボロ布をずるずると引きずって、応接間をあとにするマッド。
その跡には、死体を引きずったようなどす黒い跡が残っていた。




