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結界

「闇の渡りの日、密かに貴族が襲われたそうです」

 そう報告されたのは、渡りの日から、数日経っていた時だった。



 毎朝ルヴィアーレに付き合って、聖堂で祈りを捧げるこの辛さの中、耐えきれず城を飛び出した祈りの後、癒しの子供たちに会うため、旧市街へ行こうとしている矢先、ロジェーニが颯爽と兵士たちに指示しているのを見掛けた。


 森の討伐もロジェーニの仕事になったため、街での動きを多くしているらしい。魔獣の情報を得るために、街の商人からの話を兵士たちにまとめさせているのだ。


 ロジェーニはフィリィに気付くと、首を軽く上げて部下たちに先に進むよう伝える。フィリィは小道に逸れると、人気のない方へ進んだ。曲がり角の手前、身を隠すようにして足を止めると、馬の蹄が近付き、近くで足を止めたのが耳に入った。


「森の討伐の件、今の所、魔獣が増えている噂はありません。バルノルジとの魔獣情報は、改めてお知らせいたします。別件で、アシュタル様にもお伝えしましたが、姫にお話ししたいことがございます」


 早く会えて良かったと、ロジェーニは顔を引き締める。そして、話されたのが、渡りの日の、貴族襲撃の件だった。


「ラータニアとの商いを個人的に支援していた貴族ですが、一家全滅でした。側仕えも被害にあっております。大きな家ではなかったので、警備の兵などはおりませんでした」

 また、ラータニアか。ここまで重なると、狙ってきたとしか言えない。


「その貴族と繋がっている商人は、ルヴィアーレに関する者ではない?」

「……調べさせます」

 ロジェーニは真摯だ。静かに頷く。


「ルヴィアーレを呼んでおきながら、なぜラータニアの関係者が死ぬのか。それで理由が分かるかもしれない。ベルロッヒが戻ってきてるわ。少し動きづらくなると思うけれど、お願いね」

「勿論です。お任せください」


「ロジェーニ、ルヴィアーレに関する事件の時は慎重に。王が関わっているのは間違いないの」

「承知しました。いつもの通りに子供たちはおりましたが、姫もお気を付けください。ルヴィアーレ王弟も、一筋縄ではいかぬと聞いております」

「うん、ありがと」


 フィリィが礼を言うと、ロジェーニは、ふっと柔らかく笑んで、馬の腹を蹴り上げて道へ戻った。


 あれだよ。かっこいいっていうのは、あれ!


 ロジェーニ親衛隊からしたら、ロジェーニほどかっこいい人はいないよ。鎧が似合って、剣も強くて、魔導も長けていて、そしてドレスを着ると、そりゃもう、美人で尊い。そして、それに見合う性格の良さ。拝むね!


『まあ、分かるけどさあ』

 エレディナも分かってくれてるよ。ロジェーニ、最高! ロジェーニが婚約者だったら、うはうはだよ。ルヴィアーレと並んでたら、ロジェーニの手を取るよ!


 胸の高まりが治まりません。しかし、そんなことをしている余裕がなくなった。ラータニア関係の死亡者が増えてきている。これをルヴィアーレが知っているかどうかだ。


「もしかすると、ルヴィアーレの関係者ばかりなのかも」

 前にも、道行きで強盗に殺されたラータニア人がいた。それですら、ルヴィアーレの手だったかもしれない。

『確実に狙ってきてる感じはあるわよね』

「そうなんだよね」


 子供たちが今日もいるのは分かったが、ロジェーニに会えたから良しとしよう。今日は他に行かなければならないところがある。




「こんにちはー」

 暖色系の屋根を持つ通りの小さな店に、フィリィは顔を出した。

 小さな看板には、筆とパレットが描かれている。中には長い棚にいくつもの種類の筆と、小さな瓶に入った色とりどりの粉や石が並べられている。画材屋さんである。


「やあ、いらっしゃい。フィリィさん」

 白髪混じりで品のいい老人が、ゆっくりと椅子から立ち上がった。絵を描いていたようで、筆から手を離す。キャンパスは逆を向いていてフィリィからは見えなかったが、ここの店主が熟練の絵師だということは知っていたので、ついそちらに目をやってしまう。


「今日は、絵の具かな」

「壁に描くための顔料が欲しくて」

「ゆっくり見ていって」

「ありがとうございます」


 街に来る楽しみの一つ。画材選びである。玩具にも使うが、絵も描くので、そのための材料を買いに来た。


「最近、ラータニアの人が増えてるって聞きますけど、ラータニア人のお客さんとか、来ます?ラータニアの絵具とか入ったりしないですか?」

「そうだねえ。増えてるとは聞いたことはあるけれど、そこまでこちらには関係はないかもね。王女様の婚約が決まって、一時期増えたような気はするけれど、商人たちもこちらには入りにくいって話だよ」


 前に聞いた、証明書を持っていても、国境から入ることを許されなかった話と同じだ。一定の人間は入国を拒否されている。それは続いているのだろう。


「ラータニアの絵具ならば、そこにあるよ。珍しい、何色と言うんだろうね。柔らかい薄みの黄緑で、緑にしては温かみのある色だ」

 フィリィは、その瓶を手に取る。輸入品のため高価だが、グングナルドでは見たことのない色だ。


「霧がかった森の中の色だわ。綺麗ですね」

「他にもあるよ。そこの瓶のあたりは、他より高めだろう。高いのはラータニアの絵具だよ」


 何種類かの瓶だけ二割ほど高価だ。しかし、みんな柔らかめの色で、とても穏やかな色合いだった。フィリィはいくつかの瓶を手に取ってみる。店主は蓋を開けると、少しずつ色を試しに出してくれた。


「綺麗な色ですね。どれも淡い」

「他の店には入っていないと思うよ」

 店主はここにあるだけ。と勧めてくるが、確かに他では見ない素敵な色だ。


「じゃあ、これと、これと、これ、あと、これとー」

「フィリィさんは、買い方が豪快だからね」


 大量に購入するフィリィに苦笑いをしながら、店主は購入する絵具と秤を持ってくる。店に並んでいるのはお試し用なので、購入用は色褪せないようにするため、暗所から持ってくる。


「量はどうする?」

 フィリィは唸りながらも、多めに購入することにした。次、いつここに買いに来られるか分からない。

「また、商人が売りに来てくれればいいけれど、ラータニアとの貿易は、規制が多いみたいだからね」

 そのせいで売買が難しいようだ。珍しい品だと、相手も高値で売ってくる。


 ラータニアからの来訪に規制がかかる。調べさせているが、まだ正確な情報が入ってこない。

 ラータニアとの国境、ヒベルト地方領主のシグナルテは、命の危険を感じて、身を隠している。今は別の者が領土を受け持っていた。彼の代わりに派遣された者は、王の手だ。

 結局、あの場所は王の手に落ちてしまった。


 王は少しずつ確実に、ラータニアへの足掛かりを、自分の手に変えているのだ。





「描き直すの?」

 部屋に戻ってきて、買ってきた顔料の入った瓶を取り出すと、エレディナは興味深げにして、顔料に頭を近付けた。


「結界を強めようと思って」

 部屋の扉は真っ白の板だが、これは前にフィルリーネが白の絵具で塗ったからだ。白の絵具の下には絵具で描いた魔法陣がある。その魔法陣を消すように、白の絵具で隠した。


「ルヴィアーレが入れないほどの結界を作っちゃうと、色々疑われてしまうから、少し強めるだけにして、結界崩して入り込んだら、すぐに分かるようにしようと思って」


 今までの結界も、破れば分かるようにしていたのだが、それすら解除されていた。あまり高度な魔法陣ではなかったが、軽々やられてしまうと、次もあり得て怖い。

 部屋の隅々も片さなければならない。もし入られても、簡単に見られないようにしていたのだが、それも解除されていた。しかし、それは片付けて行いたいので、大掃除になるので後回しだ。


「筆で魔法陣描くのも、珍しいやり方よね」

「叔父様から教わったのよ。絵は魔導を込めやすいからと。魔法陣だけでやるより、気付かれにくいのよね。イムレス様が、これで毒をゆっくり注ぐといいって言ってたわ」

「あのおっさん、黒すぎない?」


 それは知っている。主に遅効性の毒だが、気付かれない自信があれば、その方がいいだろうとのことだ。何に使ったかは聞かないでおく。

 大きく頷いて、買ってきた顔料を取り出し、欠片のものは砕き粉にして、油に溶く。絵を描いて、その中に隠した魔法陣を描くつもりだ。なので、絵具は大量に購入してきた。


「あの男、結構いい腕あるわよ。もっと、面白いの描いたら?」

「面白いの? 気付かれちゃうと困るし」

「気付かれることを前提に、結界張るのもどうなのよ」


 そんなことを言われても、ルヴィアーレは再びここに入りそうな気がする。レミアたちにも口を酸っぱくして、部屋に入れたら許さんぞ。って言ってある。しかし、うまく言い包めて、入って来そうな気がする。

 それなので、結界を複数かけて、ルヴィアーレが完全に解除する前に、気付いて帰ろう作戦である。


「そんなのいくつもかけたって、低度の結界じゃない。意味あるの?」

「うぐ……」


 だが、高度な魔法陣を使えることは、気付かれたくない。あまり高度ではなく、しかし、ある程度時間が稼げる魔法陣がいい。


「じりじり、入れない結界とか?」

「何よ、それ」

「足元が滑って、すってんころりんとか? くしゃみ連発する薬撒き散らして、くしゃみしてる間に帰ってこれる!」

「それ、面白い結界って言うか……。美しさの感じない、間抜けな結界は嫌ぁ」

 そう言いながら、エレディナはふわふわと扉の周りを飛ぶ。


「ルヴィアーレが後ろに転げたの見れるなら、いいと思う」

「あんた……」

 悲鳴上げて、ごろごろ後転している時に帰ってきたい。是非、そんな姿を見てみたい。絶対、引っ掛からなそうだけど。


「そんな子供みたいな罠考えたりするから、ガキだと思われて笑われるのよ」

「なにを、失礼な。私には心の恋人、ロジェーニがいる!」

「何が、心の恋人よ! ロジェーニが嫌がるわよ!」

「それは切ない」


 だったら、なんの魔法陣描こうか。本気で迷う。

 時間を稼ぐ魔法陣は色々あるが、あまりレベルの高くないものとなると、中々難しい。それも気付かれて、解除されてしまえば、意味はないのだが。


 フィルリーネは、薄い乳白色を一面に塗りたくる。


「淡い色ばっかりねえ」

「ね。綺麗だよね」

「これだけで描く気?」

「うん。可愛いから」

 購入する時に、構図と色合いは決めているので、足りなくなることはないだろう。


「地面にも描く気?」

「一部ね」


 応用で作れば、高度なものでなくても、それなりのものになる。

 フィルリーネはせこせこと筆を動かすと、色を重ねていく。エレディナが楽しげにその様子を見守った。

 精霊は芸事が好きなのだと思う。窓から水の精霊がこちらを覗いた。エレディナが窓にいる精霊を招き入れる。


「触っちゃダメよ」

 精霊たちは、しない、しないよ。と首を振りながら、周囲に集まってきた。小さな青色の光がふわふわと辺りに漂っては、エレディナと小さな声でクスクス笑う。


 絵に魔法陣を隠して描き、魔導を入れていく。あの緑とも黄色とも言えない、淡いけれど鮮やかな色を足し、フィルリーネは新しい絵を描き上げた。

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