渡り
「きゃあっ」
「ひゃあっ」
外の吹き荒ぶ風よりも、女性陣の声に驚いてしまうのは、気のせいだろうか。
レミアたちがいる部屋から窓の外を覗くと、それは不思議な光景が見て取れた。
何かが外を横切っている。最初は黒い何かが真横を通っていたのだが、いつの間にか増えて、今窓の外は真っ暗だ。一体どれくらいの精霊が集まってきているのか分からないが、羽音のような移動音がすごい。
ゴオオという風のような音が続くが、時折、ギギャアッ、と鳴き声がする。それがまた恐怖を掻き立てるらしく、その鳴き声がすると、再び女性たちが喚き始めた。
激しいなあ。
フィルリーネは口をモグモグさせながら、側仕えたちの悲鳴を聞いていた。
食事どころじゃないね。
闇の精霊が移動するせいで、闇の濃くなる日とも言われるが、この日に外に出ると、心を病むとまで言われている。
実際どうかは知らないが、大量の闇の精霊が自分に激突してきたら、病むと言うか、勢いですっ飛ばされて気を失うのではなかろうか。
外はうねるように動いている。闇の精霊が誰の目にも見えるのは年に二度しかないのだから、楽しめばいいのに。そう言ったら、エレディナに嫌そうな顔をされたので、さすがにやめておく。エレディナも闇の渡りは好きではないらしい。
「恐ろしい音ね。食事も静かにできやしない」
そんなことを一応言っておいて、フィルリーネは部屋に戻る。
とりあえず、引き籠もって玩具を考えるという使命が、私にはある。
廊下を歩いていると、音が反響するかのようにびゅうびゅう言っているのが聞こえる。低音で、雄叫びのような、グゴオオオと言う音がすると、ムイロエが飛び上がった。
子供たちも怖がっているだろうか。闇の濃い日は、音がうるさくて、睡眠の邪魔になる。
『そういう感想は、子供は持たないと思うわ』
何でよ。うるさいんだよ。真夜中ごうごう言われると。耳栓欲しくなるんだよ。
「ルヴィアーレ様の元に行かれなくてよろしいのですか?」
「は?」
脳内でエレディナと話していたら、耳を疑う言葉が出てきたので、ついレミアに問い返えした。
何だって?
「なぜ、ルヴィアーレ様が出てくるの?」
「え、婚約の儀式を終えたのですから、このような時には頼られたらいかがかと」
何と!?
一瞬、ひどい顔しちゃいそうになったよ。後ろのムイロエはすごい顔してたけどね。レミアの発言に驚きだよ。乙女だね!
「このような時間に、殿方の部屋に行くべきではなくてよ? たとえ婚約の儀式を終えても、まだ婚約者であるだけだわ」
『あんた、婚姻しても、絶対行かないでしょ』
エレディナの突っ込みが早い。
確かに行かないね。何で行くの? 闇の精霊がごうごう言ってるだけだよ。何しに行くの。
「これから、婚姻の儀式もございます。ルヴィアーレ様とのお時間を、できるだけお作りした方が良いと思いますが」
レミアは婚約できたことで安心したのかと思えば、その先を見据えていた。なんてこと。
婚約したからいいじゃんね。カノイが言っていたが、政務関係者はルヴィアーレとの婚約の儀式を終えたことで、祝福の雰囲気が溢れているらしい。これでフィルリーネが女王になっても国が安泰すると、喜びの声が聞こえるそうだ。失礼な!
大体、ルヴィアーレとの婚約の儀式が終えられただけで、この国の精霊がルヴィアーレに合うかどうか、まだ全く分からない。
「ルヴィアーレ様と我が国の精霊と相性が合うのかどうか、分かるのはこれからよ。まずは半年。精霊のために祈らなければならないわ」
「それは、そうでしょうが」
婚約して早くて半年すれば、その国の精霊が婚約を祝福してくれる。
その祝福を受けるにはどうするかというと、聖堂に毎日祈りに行くのだ。毎日毎日、精霊に婚約したよ、受け入れてね、お願いします。と祈るのである。
実際それってどうなの? と思うのだが、エレディナが言うには、毎日精霊に祈りを捧げることによって、精霊からすれば譲歩しようという気持ちが生まれるらしい。本当に?
ただ、それは聖堂ではなくていいそうだ。婚約してこの国の精霊のために祈りを捧げれば、場所なんてどこでもいいらしい。要は気持ちだね。
王族になるのだから、この国の精霊を大切にしなければならない。それが約束できる者なのかどうか、精霊は確認したいわけなのである。それは魔導が強ければ強いほど、精霊に伝わりやすいそうだ。
ということはだ。聖堂で祈りを行っても、心から祈らなければ、魔導がない者などは、特に精霊の許しを得にくくなる。
ルヴィアーレは魔導が強い方だ。だとしたら、精霊はルヴィアーレの祈りに耳を傾けようとするだろう。だがしかし、ここで問題がある。
ルヴィアーレが本当に、精霊に祈りを捧げるか? ということである。
しないよ。絶対しない。しかも、ラータニア国の精霊に愛されているとすれば、もっと面倒なのだ。
「ルヴィアーレ様が、ラータニア国の精霊との相性がとても円満であったのならば、ルヴィアーレ様の魔導は、ラータニア国の精霊の魔導を色濃くされているはずだわ。たとえ、ルヴィアーレ様が我が国の精霊との相性が悪くないとしても、我が国の精霊の魔導の色を得るには時間が掛かるのではなくて?」
「ルヴィアーレ様は、魔導に長けているというお話ですものね」
レミアがしゅんと肩を下ろす。
真面目に祈っても、一年掛かりそうじゃない?
元々人が持っている魔導と精霊の相性がある。たとえそれが良かったとしても、ルヴィアーレはラータニアの精霊の魔導の力を多く得ている。そうすると、別の国の精霊は、あまり好んで近付いてこないそうなのだ。
他所の匂いが嫌。みたいな感じ? 別の精霊の匂いつけて、加護を得られると思うなよ? みたいな。犬猫みたいだね。
だから、ひたすら祈る。この国のために王族として精霊を大切にするから、婚姻させて。とひたすら祈り続け、精霊から祝福を得るのだ。
「精霊の祝福は、お二人にしか分からないのですよね。何かはっきりと理解できるものであれば良いのですけれど」
ふう、とレミアは溜め息交じりに言った。
「祝福を得たのだと、すぐに分かるのでしょう? 問題なくてよ」
「そうだといいのですけれど」
レミアは眉尻を下げて心配をする。
「分かると言うのだから、分かるのよ。部屋に行くわ」
フィルリーネは部屋に辿り着くと、自分の部屋の扉に手を伸ばそうとした。レミアがすかさず、明日より始まりますのでお気を付けください。と口にした。
「明日から————っ」
部屋に入った途端、フィルリーネは、ギャーッと叫んだ。外のうねりに負けない音量だ。
「明日から、頑張りなさいよ」
「嫌だ。なんで、私が祈るの! めんどくさい、めんどくさい!」
そう、祈りはルヴィアーレだけではない。婚約者同士が一緒に精霊に祈るのだ。
だって、婚姻するのは二人だもんね。二人で協力して、精霊さん、私たち婚姻するから。許可ちょうだいって、祈るのだ。毎日!
「苦痛! そして、絶対ルヴィアーレは真面目に祈らない!」
「あんたもでしょ?」
「ううー、嫌だよ。嫌だよー。何が嫌って、毎日、ルヴィアーレに会うのが嫌!」
「大丈夫よ。相手もそう思っているから」
エレディナが冷たい。フィルリーネはすごすごとソファーに座る。
「実際、どうなんだろうねえ。ルヴィアーレがこの国の精霊と相性悪いとして、なんとかお願いして精霊に祝福をもらうにしても、ラータニアの精霊の力に影響されていて、この国の精霊が近寄ってこずに耳も貸してくれないってなったら、どれくらい掛かるの? 最高一年があったって話が残っているだけだから、本当に一年で済むかも分からないんじゃないの?」
「さすがにそこまではないわよ。本気で祈るのならば、一年なんて長いわ。精霊だって情はあるもの。毎日祈りを捧げる者を蔑ろにはしない」
「そうかなあ?」
多種いる精霊が、いいよ。と言ってくれなければ許可を得られない。種類というのは、水とか火とか、属性のことである。エレディナは氷で、水の精霊とは種類が違う。同じ属性ならば意志が似ているので、例えば一匹の水の精霊がルヴィアーレ嫌だわー。となると、水の精霊全てが、ルヴィアーレ反対派になる。
その意思を変えるのが祈りだ。この国にいて精霊大切にするからね。と祈り続ける。だが、それで本気で祈らないとどうなるって?
「婚姻ってとこが問題なのよ」
「どういうこと?」
「そもそも、あんたがこの国の人間でしょう? まあ普通は同じ国の人間だからいいんだけど、別の国の人間が、この国に嫁いでくるわけじゃない? それはつまり、半分なのよね」
「半分?」
「この国と、別の国」
フィルリーネはうんうん頷く。百として、五十は祈りもなく許す。もう半分の五十をどう埋めていくのかになるのだ。
「あと五十は、私たちにお願いしなさいよ。そしたら、考えてやってもいいわよ?」
「偉そうですね。それで?」
「けど、これに私たちの感情は関係ないわ。私はあの男が嫌だと思っても、魔導の繋がりが良ければ、許すことになる」
「なんですと?」
聞き捨てならない。フィルリーネは唇を尖らせた。
ちなみに、エレディナさんは、どうお思いなのでしょうか。
「氷の精霊との相性を言えば、全く問題ないわ」
「裏切り者!」
「だから、感情じゃないって言ってるでしょう。あの男はこの国に来てから、結構演奏してるのよ。あんたがロブレフィートを送ったから。演奏をする時に魔導をのせるものだから、精霊たちはざわめくのよね。魔導は精霊を揺るがせる。王族の魔導には引き寄せる力が備わっているから」
そうなると、魔導の相性云々関係なく、興味は持つそうだ。ロブレフィートを送ったのは早まったか。
「演奏を聞いている精霊は、あの男を気にするでしょうね。演奏を聞いた時点で、大抵の精霊は相性が良いか悪いか、もう分かっているわ。演奏の時、集まってきた精霊たちは、もう受け入れている」
「陥落するの、早いよ!」
ルヴィアーレが精霊の祀典でフリューノートを吹いた時、青や黄赤の色が見えた。青系は水、赤系は炎。エレディナものりのりだった。その系統に近い精霊は、すぐに祝福するということだ。
「ぎゃーっ。やめてやめて!」
でも、大丈夫よ。精霊は多種。色だって色々。
「けれど、それは、あの男だけの話よ。あんた自体の精霊の相性が、ほとんど良ければどうする?」
「うん?」
「合わせて百よ? あんたたち片方片方で、五十と五十じゃないからね?」
「……うん!?」
「あんたが、どの精霊にも元々相性が良かったとしたら、あの男との相性が悪いとしても、緩和されるってことよ」
聞き捨てならない。フィルリーネは口元を大きく歪めた。
「やめなさいよ、その顔。緩和だからね? 完全に許すわけじゃないわ。でも、ゆるまりはするのよ。私があの男と相性が悪すぎても、感情抜きであんたの相手だから関心を持っちゃうの。仕方ないのよ。相性なんだもの。そのための契約儀式でもあるのよ? 同じ印が手の甲にある。婚姻予定の二人だって。精霊には分かる」
「やめて、やめて。でもほら、ラータニアの精霊がルヴィアーレ大好きってことは、うちの精霊たちは近付きにくくなるんでしょう?」
「あっても、あんたの魔導と、あんたと精霊の相性にもよるのよ。あんたは魔導が強くて、この国の精霊と相性もいい。一年かかった例は、魔導も弱くて、相性も悪かったからだわ。魔導が強くて嫌われやすいのは、相手方が弱すぎただけでしょう。だから、あんたの場合、思うより早いんじゃない。あんたがちゃんと祈れば、かなり早まると思うわ」
「大丈夫。祈らない!」
どーんと胸を叩いてきっぱり言う言葉に、エレディナが呆れた顔をする。
そんな顔しても、祈るわけなかろう。婚姻せず、お帰りいただくのだから。
「祈らなくても、あんたの相性によっては、半年もかからない可能性があるわよ?」
「ちょっと、それはやめようか。だって、半年以上って決まってるんじゃないの!?」
そんな話、初耳である。初耳ったら初耳だ。
エレディナは宙に浮きながら、しれっと言う。
「今まで、王族同士で婚姻の例が少ないからね。それに、あんたほど精霊に好かれている王族がいなかったのかもしれないわ。過去の例として、半年は祈らなければ精霊の許可が得られなかっただけかもしれない。そのくらい王族同士の婚姻は稀で、珍しい話なんだし」
だからといって、最低半年祈らねば精霊の許可が得られないとされてきたのを、急に変更しないでほしい。こちとら、一年以上かかることを希望しているのに。
「あの男は、確かに魔導が不思議なのよね。感じたことがない魔導なんだなって思うわ。変な気分はするのよ。もぞもぞするって言うか、ピリピリするって言うか。それが国の精霊の違いなんだわ。相性が悪い奴らは、もっと違和感があるんだと思う」
その違和感がひどいと、ルヴィアーレの魔導を避けたがる。王族の魔導は精霊に影響を与えるため、影響を受けにくくするのだろう。
それで、祝福を得ずに婚姻した場合、怒りを買うわけだ。
「それでも、一年なんてかからない気がするわ。あんたはこの国の精霊に好かれているから、あの男にいやでも興味を持つでしょ」
嬉しいけれど、全く嬉しくない。ここは私のために頑張って、一年以上引き伸ばしていただきたい。
「精霊が祝福するのって分かるって聞いてるけど、どう分かるの?」
「知らないわよ、そんなの。分かるって言うんだから、分かるんでしょ?」
さっきレミアに言った言葉をそのまま言われて、フィルリーネは分かっても言わなきゃいいよね。と呟いた。




