婚約の儀式 ルヴィアーレ3
「何か、懸念が?」
サラディカは怪訝な顔をしてきたが、ルヴィアーレは軽く首を左右に振った。
「王女は、マリオンネの知り合いが多いようだ。王と良く訪れているのかは分からぬが」
「そんな簡単に、マリオンネって行けるんですか? ラータニア王だって、ほとんどないって、仰ってませんでしたっけ」
「婚約、婚姻、王になる時、と伺っておりましたが」
イアーナがとぼけた声を出すが、隣でレブロンが捕捉するように追加する。
「女王への謁見を求める場合、ムスタファ・ブレインへ謁見し、それ相応の話なのかを確認される。それから、女王と会えるかどうかだ。マリオンネへ行き、女王と話さねばならぬほど、急を要することは、まずない。普通は」
ルヴィアーレは語尾を強めた。ラータニア王は国にある浮島について、女王から意見を述べられることがある。そのため、マリオンネに訪れることがあったが、呼ばれた時だけだ。それ以外ではない。そして、呼ばれたからと言って、子供を連れて行けるわけではない。
ムスタファ・ブレインとは、会う約束はできるが。
「王女を知る親しい女性と、王女に懸想をしているような男がいた」
「懸想ですか?」
「趣味悪っ」
イアーナが呟くと、レブロンが肘打ちした。
「王が連れていかなければ、マリオンネの人間と会うことはないでしょうが、懸想されるほど、そう何度も訪れることは可能なのでしょうか?」
サラディカはイアーナの声を無視して、マリオンネに反復して行き来できるものなのか問うてくる。
ムスタファ・ブレインに相談する必要性があれば、訪れることはあっても、そう度々ではない。
ラータニアでは、王ですらマリオンネに行くことは稀だ。なのに、システィアはフィルリーネを、親しみを持って呼び、フィルリーネは表情すら違っていた。
まるで、別人のように。
「マリオンネに何度も訪れるような真似ができるとしても、王だけだろう。他の王族が個人的に訪れるのは、聞いたことがない。あっても、王と共に訪れているはずだ。ただ、王女は、マリオンネの人間と接するのに慣れている」
あの王が、フィルリーネを連れて、マリオンネに行くだろうか。ムスタファ・ブレインと話すのに、あの王女を?
それに、フィルリーネは、地上では見たことのない顔をしていた。慈しむような、緩やかな笑み。普段の拗ねた王女からは考えられない。
そして、ティボットが触れようとした時の、波動。あれは本当に、ラファレスの力なのか? 熱情の精霊が、氷を操れるのか?
ムスタファ・ブレイン、アストラルが触れた時に、あんな現象は起きなかった。
「あの王女は、侮らぬ方が良いかもしれぬ」
皆が一斉にルヴィアーレに注目する。
何がとは言えない。時折雰囲気が変わるだけだ。それも、まだ数回。そんな面もあるのかもしれない。ただそれだけの可能性もある。
だが、勘ぐれば、全てが怪しくなってくる。
ルヴィアーレは大きく溜め息をついた。王女に関われば関わるほど、分からなくなっていく。あの王女はどこから本物で、どこからが偽物なのか。
「少し、お休みになられたらいかがでしょうか。早朝より移動もしましたし」
「いや、外に出る。頭を切り替えたい」
サラディカの提案に首を振る。
庭園でも歩いて、頭を空にしたい。固定概念が頭を曇らせている気がする。一度フィルリーネの評価を零にして考え直したかった。
「それでしたら、メロニオルに紹介された庭園はいかがですか?」
レブロンが勧めるのは珍しい。そこまで疲れた顔でもしているのか、つい苦笑する。
最近、王女に関して神経質になり過ぎているかもしれない。そう思って、レブロンの意見に賛同した。
「わー、またすごいですねー」
最近イアーナは、すごい。しか言っていない気がする。
ラータニアにはない規模の建物や、見たことのない建造物が多いため、イアーナは興味深げに左右をキョロキョロ見たり、見上げたりした。
回廊を歩いていたフィルリーネのようだ。いや、そんな素振りは見せなかったが、イアーナのようにしたかったのだろう。良く我慢していたなと思いながら、頭の中でかぶりを振る。
王女のことを振り払うつもりで来たのだから、一度忘れたい。
庭園は城の数多くあるテラスの上にあるが、ここは他の風景とは違う。テラスの中心に向かって人工的な川が流れ、その川の左右が歩けるようになっている。建物の中と変わらず支柱がいくつかあって、その支柱からツタで繋がった植物が屋根を作っていた。川は中心に注ぎ、その中心は泉になっていたが、さらにその真ん中に穴が開いており、そこから下の階へ滝のように流れていた。
下の階から見ると、穴から滝が流れているという、凝ったつくりになっている。下の階は下の階で休憩所なので、この城に来てイアーナが驚くのは当然だった。ラータニアでこのような遊びのある建物など見たことがない。
多くの人間が休憩する場所が、城のあちこちにあるため、王族も気分によって休憩所に訪れるのだとメロニオルは言う。たまにフィルリーネもいるのかもしれないが、さすがにそんな偶然はない。
しかし、サラディカが目配せした。泉近くのベンチで、女性と子供が遊んでいる。
第二夫人ミュライレンと、その息子、コニアサスだ。
ミュライレンはこちらに気付くと、ほんのりと笑顔を見せた。メロニオルの話では、ミュライレンはとても人柄が良く、コニアサスを殊の外可愛がっており、それ以外、王族として何かをしていることはないという。
ミュライレンは立ち上がると、玩具で遊んでいるコニアサスを立ち上がらせようとした。ルヴィアーレはそれを手をかざすことで止めると、胸に手を当てて軽く挨拶をする。
「ミュライレン様には、ご機嫌麗しく」
「ご機嫌よう、ルヴィアーレ様。本日は、おめでとうございます」
ゆるりと笑った笑顔に偽りはなさそうで、線の細さと声の小ささから、気弱な印象を感じた。ミュライレンに恭しく礼を述べると、ルヴィアーレをじっと見つめるコニアサスと目が合った。
「フィルリーネ様のご婚約者である、ルヴィアーレ様ですよ。ご挨拶をしてください」
ミュライレンに言われると、コニアサスは目を大きくさせて、
「ルヴィアーレ様にはごきげんうるわしく、ぞんじあげます」
緊張した面持ちで、しかし、はっきりとした言葉で挨拶をしてきた。
まだ擦れていなさそうだが、五歳になる前だ。何とも言えない。
ルヴィアーレは挨拶を返すと、コニアサスが持っていた玩具に目をやった。ミュライレンがコニアサスに、どんな玩具か説明差し上げて。と言うと、大きく頷いて、たどたどしく説明しはじめる。
「木をたくさんかさねると、動物になります。この木を、のせて、はめると、いっぱいどうぶつが、たくさんできます」
「積み木のパズルですわ」
「パズル、ですか」
コニアサスが持っているのは、いくつかの木片で、今作りたてなのか、足のような手のような何かが体から突き出ているように見えた。ここから顔が作られるのです。とミュライレンが説明してくれる。使う木片によって色々な動物が作られるので、コニアサスが気に入って使っているようだ。
他にも持ってきているらしく、コニアサスは持ち運びできる色の塗られた台車のような箱から、真っ青な正方形の立方体を取り出す。その立方体には白で文字が書いてあるが、どこから読むのか分からない。
「文字の順番を間違いなく選んで抜き取ると単語になり、細かい木片となってバラバラになるんです」
ミュライレンが言うと、コニアサスは嬉しそうにその立方体をバラバラにした。慣れているらしく簡単に崩れてしまう。そうして、またそれを組み立てて立方体に戻した。
「珍しい、玩具ですね。初めて拝見しました」
「第二都市カサダリアで流行している玩具です。同じ店で作っているようですが、人気があるらしいですわ。この子もこの店の玩具をとても気に入っております」
渡された青の立方体には白の文字以外に、一箇所小さく焼印がされていた。
「この、記号は?」
「どの玩具にも記されているので、職人の印ではないでしょうか。こちらの玩具にも印が」
ミュライレンは台車に記された焼印を指差した。
どこかで見た、花の模様。フィルリーネの部屋にあった、玩具にも記されていた。
「この玩具は、フィルリーネ様から送られたのですか?」
「え、いいえ。第二都市にいる、副宰相ガルネーゼからですわ」
「ガルネーゼ?」
「まだ、お会いされていないと存じますが、第二都市を王の代わりにまとめる方です。お怖い顔をしていて、とても優しい方ですわ」
ミュライレンはおっとりと言いながら、コニアサスの頭を撫でる。コニアサスは贈り物をいつも楽しみにしているそうだ。ガルネーゼはミュライレンと故郷が同じで、城に入ってからも気に掛けてくれるのだという。
「第二都市カサダリア、ですか」
「すぐに、フィルリーネ様からご案内いただけますわ」
ミュライレンは、眉を垂らすと、申し訳なさそうに言った。
案内がないことなど気にもしていないが、フィルリーネのことを一旦忘れるつもりで庭園に訪れたのだ。それなのに、こんなところでもちらついてくる。
「その内、訪れることを楽しみにしております」
笑顔で返しながら、結局、フィルリーネのことしか考えられない気がして、背筋が震えた。




