慰霊祭
「叔父様、そろそろ終わらせたいわ」
石でできた台座の上に白の花を一輪置いて、フィルリーネは踵を返す。
エレディナが石の前で浮き沈みを繰り返したが、フィルリーネの手を取ると、ふわりと髪を揺らして、その場から転移した。
魔導があるんだから戦えますよ。なんて軽く言って、当日は現地集合でお願いしておいた。バルノルジは何度も止めようとして人の言葉を遮ろうとしたが、自分もどの程度の魔獣が増えているのか確認したいので、強行させてもらう。
額にシワを刻んで反対をしてきたが、何とか宥めて日程を確認する。行けたら行くからと軽く伝えたので、来ないことを祈っているに違いない。
慰霊祭のすぐ後に行いたいようだが、慰霊祭時期は雨が多いので狩りに向かない。そのため、日程はまだ先だった。その時に、何の予定もなければいいのだが。
「フィルリーネ様、ルヴィアーレ様がいらっしゃいました」
ムイロエのはしゃぐような声が耳に届いて、フィルリーネは重い腰を上げる。
億劫な催しに、億劫な人間と向かわねばならない。
「フィルリーネ様、そのような簪は……」
衣装の用意をした時にはつけていなかったフィルリーネの金の簪を見つけて、レミアが咎めてきた。金の髪に合わせた金の簪だ。よく見なければ分からない。髪飾りなどを使わないために、レミアが髪を細かくきっちり編んでまとめたのに、いつの間にか刺さっているのだから呆れただろう。
「このような日に、そのような髪飾りは」
「あら、いいじゃない。陰気な催しに花があっても」
「お召し物に合わぬかと」
レミアは何とか簪を飾るのを止めたがったが、自分は取る気はない。
「うるさいわよ」
レミアの制止を一蹴して、フィルリーネは廊下で待つルヴィアーレの元へ歩む。ルヴィアーレも近寄ったら気付いたのだろう、一瞬視線が頭にいったが、すぐにそれを逸らした。
フィルリーネも気付かないふりをして、ルヴィアーレが差し出した腕に気持ち触れる。
聖堂は王族の棟がある場所から少し離れた所にあり、距離があるので、城の中を移動式魔法陣で移動する。長い階段の先にあるため、城に入らない貴族たちは城に入らず、階下の階段から入った。
王族は、直接聖堂に入るための回廊を使用した。回廊は途中までのもので、聖堂のある建物の敷地は歩かねばならない。既に聖堂前の広場には貴族たちが集まり、灰色の絨毯の上を歩く王族を待っていた。
鐘の音が、鳴り響く。
粛然とした雰囲気に合った鉛色の空は、今にも崩れそうな湿った空気を運んでくる。
王が精霊に捧げる特別な木を捧げて、精霊に死を悼み分かち、死者を弔うよう口上を述べる。王が台座に捧げた木はマリオンネにしか咲かない木で、精霊が眠るとされたラニースクの木だ。マリオンネの精霊はそのラニースクの木に集まる習性がある。精霊の魔導が残っているとされており、その木を死者に捧げることによって、深く安らかに眠れるように祈るのだ。
その枝には模様が描かれており、薄い灰色で描かれた花の模様が枯れたように見えた。
第二夫人ミュライレンとコニアサスが同じ木の枝を渡され、順番に台座に置いていく。
フィルリーネとルヴィアーレはその姿を見ていた。婚約が近いので、死に近付けないという配慮である。
それを終えると、聖堂院の神官が本を広げ王の前に差し出し、王が更に祈りを捧げた。古い精霊語だ。
精霊語を理解する者はいても、古代の精霊語を理解する者は少ない。
眠くなるような囁き声はとても小さく、後ろに並ぶ者には、何も聞こえないだろう。
生を得た全ての者には必ず死が訪れ、それは常しえに巡り回帰し、再びその地に降り立つだろう。全てのものに訪れるのだから、嘆くのではない。再び戻るその時まで、静かに眠ろう。
厳かな言葉だが、要約すれば、悼む必要はない。そんな単純な話だ。
ラータニアでは、その意味が浸透して祭りになっているのかもしれない。悼む必要などなく、残された者は楽しく生きているのだと、死を持つ者に知らせるのだろう。
こんな風に悼んでも仕方がないのだ。誰も何も思わない。殺しを行使した者が、ここにいるというのに。
「厳かなのですね」
聖堂を出ると、ルヴィアーレは振り返りながら静かに呟いた。国とあまりに違うのだろう。
「虚しいだけですもの、当然ですわ」
形だけの意味のないもの。嘆き悼む気もない者が祈りを捧げて、何になると言うのだろう。
この儀式に意味などない。王族へのおべっかが始まり、悼みを分かつ話など何も出ないのだから。
ルヴィアーレは何か口にしようとして、それを閉じた。
この後は王族の墓へ行き、花を捧げるだけだ。ここからすぐ裏にある、植物園のような場所に墓所がある。歴代の王族の墓は植物に囲まれているので、一人ずつの墓に行くのではなく、簡易的に置かれた台座に花を置く。
ここでも、フィルリーネとルヴィアーレは。ただ見ているだけである。花を手向けることも、死者へ繋がるため、関わりが持てないのだ。
だったら、来なくていいと思う。広大な場所のあちこちにある王族の墓は、一人一人が離れて埋められている。あちこちにある墓に行くのが面倒臭いので、台座で終わりだ。悼む気など、全くない。
王族の墓は、普段厳重に閉じられて、入ることもできない。貴族たちが本心で悼み、花を手向けようと思っても、墓の前には行けない。この時に、ただ台座に花を送るだけなのだ。
そのせいか、貴族たちもおざなりに花を一本ずつ台座に置いていくだけだった。何の感慨もない、形だけの儀式。
下らない。
ここに、叔父の遺体は埋められている。そうなっている。
エレディナはここには来ず、叔父が隠れ家として使っていた家に作られた墓へ祈りに行った。遺体はそちらに秘密裏に移動させてあるからだ。
貴族たちが花を捧げ終わるのを待つことなく、王は墓場を後にする。フィルリーネもその後を追い、聖堂への道を戻った。この後は食事会が待っている。だが、そこに行く気は起きなかった。
ぽつり、と空から雫が落ちてくる。
「雨が」
「最低ね」
レミアが急いで傘を持ってくる。この時期は雨が多いため、用意をしておいたようだ。
「フィルリーネ様」
「いらないわ。ルヴィアーレ様に差し上げて。わたくしは部屋に戻ります」
慰霊祭は、この後の社交が本番だ。フィルリーネが戻ると口にすると、レミアは焦ったようにした。それを無視して、来た道を戻ろうとする。
「ルヴィアーレ様は……」
「ご案内してちょうだい」
「フィルリーネ様」
「あなたは楽しんでらして」
するりと腕に触れていた手を離し、フィルリーネが一人足を回廊に向けると、雨がぽつぽつ目に見えて落ちて来た。王に差し出す傘が届く前に、王の周りで雫が弾ける。
魔導の防御が身体を覆って、雨の雫すら金色の光で弾いた。
なんて、滑稽。雨まで防御し、隠さねばならない壁が丸見えだ。
王は襲撃を気にして、目に見えない護りをつけて、いつまでも自分だけが安全であると誇示している。
「ルヴィアーレ様をおいていくのは、王もお叱りになるのでは」
ルヴィアーレの案内はムイロエに頼んだか、レミアが傘を差し出してついてくる。
「お父様と話されるでしょう。問題なくてよ」
「ですが……」
「気分が悪いの。雨のせいか調子が悪いわ。部屋に戻ります」
二度も言うまい。フィルリーネが言い切ると、レミアはもう何も言わず、ただ回廊まで傘を差し、王女の側仕えとして後をついて来た。
王とルヴィアーレが何か話すとは思わないが、この後の社交を、笑って過ごす気力はない。
鐘の音が耳障りだ。
あの日も、こんな雨だった。
鈍色の空から、雨が滴り落ちてくる。ぽつぽつと落ちて来た雨が、殴るような雨になって、自分一人、城へ戻った。
自分を可愛がってくれた叔父ハルディオラ。彼の死に、エレディナは嘆いていた。ずっと叔父を護っていたのに。
部屋へ戻った後、襲撃の知らせを聞いた。エレディナはいなかった。マリオンネに戻って遅れて帰るつもりだったから。
別人の様な白い顔。血の通わない、鼓動の止まった遺体。雨に濡れて流れた血が、衣装を薄紅に染めていた。
びくりと身体を震わせて、フィルリーネは薄暗い部屋のソファーで目を覚ました。
嫌な夢を見た。白黒の衣装を見ていると、いつも思い出す。はっきりと覚えている、薄紅の衣装。叔父の血に染まった、あの色を。
「――――、誰!?」
大きく息を吐いた瞬間、エレディナ以外誰も入らないはずの部屋に、気配を感じた。
咄嗟に腰元の短剣に手を伸ばすと、森閑とした部屋の中、紫色の花が咲き乱れる壁の絵の前で、本を開いたルヴィアーレが佇んでいた。
「何を、していらっしゃるの?」
部屋には結界が張ってある。いや、単純な結界魔導だ。ルヴィアーレならば簡単に解くことができるだろう。だが、ここは個人の部屋で、ルヴィアーレを通すことはない。フィルリーネの棟の一番奥にある部屋で、ルヴィアーレが入る部屋ではなかった。
それなのに、ルヴィアーレは静かに佇み、手にしていた本をパタリとたたむ。
明かりも灯さず、雨の降る薄暗い外の光だけで、ルヴィアーレは人の部屋で何をしていたのだ。
「扉の結界魔導が、然程でもありませんでしたので」
静かな声音に、ぞくりと背筋が粟立った。
聞いている問いの答えではない。ルヴィアーレは無表情のまま、持っていた本を側の本棚に戻すと、するりと足をフィルリーネの方へ進めた。
「何か、ご用ですの? 婚約前の殿方が、このように入り込むなど」
近付くことは許さない。フィルリーネの鋭い言葉に、ルヴィアーレは足を止める。
「誰も入れぬと言うので、呼びに参りました」
側仕えはここには入らない。入ればフィルリーネから叱責を受けるからだ。それでルヴィアーレを使ったのならば、馬鹿げているにも程がある。
いや、ルヴィアーレが進んで入って来たのだろう。それが、容易に想像ついた。
「見事な、絵ですね」
ルヴィアーレは、囁くようにして呟いた。見遣った壁の絵を見つめて。
壁一面に描かれた、紫の花の絵。一本の木から垂れ下がる花々の下で、動物が安らかに眠っている。一体が眠りを守り、一体が安らかに眠る絵だ。
「当然でしょう。わたくしが描いたのだもの」
エレディナが外れている時に限って、タイミングが悪い。
慰霊祭では、エレディナは叔父の隠れ家に行く。悼むために戻るのだ。そんな時に限って、侵入されるとは思わなかった。
側仕えたちの愚鈍さには呆れ返る。婚約も済ませていない男を一人、王女の部屋に入れる愚行を、よくも犯したものだ。これで何かあれば、どうするつもりだったのか。
「出て行ってくださる? 寝起きで、殿方に見せる姿ではありませんわ」
「承知致しました」
ルヴィアーレは一度目を眇めると、そっと頭を垂れて音も立てずに翻り、部屋の扉を開けた。
「王が、お待ちです」
一言付け足して、ルヴィアーレは静かに部屋を出て行った。




