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慰霊

 夏なのに、ひどく気温の低い、雨の降りしきる夜だった。

 さわさわと、窓の外で雨の降る音が聞こえる。


「濡れてしまったね」

 乗り物に乗ってきたのに、降りる時にすっかり濡れてしまって、見上げた顔は涙を流しているように頰に雨水が伝っていた。


「エレディナはいないの?」

「久し振りに、マリオンネに行ったからね」

 エレディナはマリオンネで生まれたから、たまに帰ると、帰ってくるのが遅くなる。


「だから、エレディナは遅れて帰ってくるよ。フィルリーネも、お部屋に戻りなさい」

「はあい」

「王はいつも通りあちらにいらっしゃる。気を付けて帰るんだよ」


 お部屋に戻って、お風呂に入ってご飯を食べたら、ベッドに行く。みんないなくなったら、今日の復習をして、いっぱいお勉強して、たくさん寝る。朝早く起きて、もっと復習して、ご飯を食べたらお部屋にこもって、遊びに行く。


 いつものこと。いつも通り。いっぱい勉強するけれど、誰にも見られちゃダメなの。


「わかんないことがあったら、こっそりイムレス様に聞くの。人がいるところで聞いちゃダメなの」


 たくさん、たくさん、お勉強するの。そしたら、おじさまが褒めてくれるから。

 だから、明日、おじさまのおうちに遊びに行くの。エレディナが帰ってきたら、おじさまのところに行くの。


 けれどね、フィルリーネ。それは、長く続かないんだ。


 紫に染まった、美しい花。いつもそこに帰るのだと、叔父ハルディオラは、ただ頭を撫でて、静かに笑った。






「フィルリーネ様!?」


 掛けられた声に、フィルリーネは瞼を上げた。ぼやけて見える顔に気付いて、ゆっくりと身を起こす。


「お疲れですか? 体調が悪いのでは……?」

 起き上がると、頰に流れた雫に気付く。

 どうやら夢を見ていたようだ。目覚めるのが遅かったのか、レミアが起こしに来てくれたらしい。いつもより長く眠ってしまっていた。疲れでも溜まっているだろうか。


「大丈夫ですか?」

「問題ないわ」


 ベッドから起き上がると、レミアが持ってきた水桶で顔を洗う。流した涙もそれで消えた。寝間着を着替えて、朝食を食べる。朝は軽いものだったが、ほとんど口にすることができなかった。


 古い夢が、やけに鮮明で、めまいがする。

 雨の降りしきる、薄暗い夜。夏なのに肌寒く、寒気がした。


「あら、雨が降ってきてしまいましたね」


 レミアの声に、ただ身震いした。






「祖先の霊を慰める日、ですか」


 薄い灰色と白にまとめられた衣装を纏い、ルヴィアーレは冷えたお茶の入ったカップを手にしたまま、フィルリーネの言葉に納得した声を出した。


「十日間ございます。喪に服すようなものですわ。ただ色のない服を着て、静かに過ごすだけ。気にされることはございません。最終日に聖堂へ入り祈りを捧げるだけのこと。あとは特に何もなくてよ」

「それで、白や黒の衣装ですか」


 フィルリーネも同じように、纏っている衣装は白と灰色、もしくは黒を使った物のみ。飾りも装飾品も白や灰色を使用したものだ。ルヴィアーレの側仕えには伝えていたが、まともに説明をしていないのかもしれない。身に付けるものは全て白や灰色、黒の単色で、意外に揃えるのが大変なので、前々より衣装を揃えておくようにさせていたわけだが。


 ルヴィアーレは不思議な物でも見るかのように、フィルリーネの衣装を眺めている。地味な装いを見るのが初めてだからだろうか。


「亡くなった者を落ち着かせるのですって。故国に似たような催しはなくて?」

「慰霊祭はございますが、祭りになります」

「お祭り、ですか?」

「ええ。花を飾り、歌い、踊り。自分たちが幸せであることを示すのです」


 そんな話を聞くと、文化の違いに首を傾けたくなる。隣国で貿易もありながら、そういった文化は全くこちらに入ってきていない。精霊の祀典もそうだが、違う催しへと独自に変化するようだ。

 他国へ出掛けても、商人くらい。国を跨いでの婚姻は一般でも少ないので、新しい文化が入りにくいのだろう。


 グングナルドでは、ただ厳かに過ごせばいいだけである。最終日には祈りを捧げるが、十日も似たような服を着なければならないので、令嬢方には気が乗らない催しとなった。

 グングナルドと違って、自分たちが幸せであることを故人に示すとは、故人との繋がりの深さを感じる催しだと思う。


「……素敵ね」

「……………」

「陰気臭い催しですのよ。丁度この頃は雨が多い時期ですし、早く終わってほしいわ」


 つい呟いてしまった声に、フィルリーネはすぐ別の言葉を被せた。

 ルヴィアーレの沈黙は、一体何を考えているのかと恐ろしくなる。話していても、何を疑っているのか考えなければならない。


 面倒だ。


「悼む方がいらっしゃるのですか?」

 ルヴィアーレは感情のない声で問うた。笑顔はない。淡々とした問いだ。

「わたくしにはそんな方はいなくてよ。最近は、お葬式にも出席しておりませんわ」


 どこで聞いたのか。いや、王の弟が死んだことくらいは知っているか。母親も入るだろうか。生まれてすぐ亡くなった者を悼むかは分からない。自分は母親の顔を三割り増し肖像画でしか知らない。


「叔父上を亡くされたと伺いました」

「あらいやだ。いつの話をされているの? もう十年以上昔だわ。今更、悼む必要があって?」

「幼い頃は、よくご一緒されていたとか」

「とても幼い頃よ。わたくしも覚えていないくらい」


 フィルリーネは肩を竦める。あまりに昔だわ。と一蹴する。ルヴィアーレは瞼を一度下ろすと、失礼しましたと、謝りながら、笑った。


 いちいち、鼻につくな。


 最近苛立ちが募るのは、間違いなくルヴィアーレのせいだ。

 ロブレフィートを弾いたあの日から、いや、もっと前からか、ルヴィアーレは自分の何かを探り当てようとしている。

 自分が苛ついているからか、今日は特に感じる。古い夢を見すぎた。それから、街へ行けていないのが、精神的に安定できない理由だとも思う。


「街でも、白や灰色を基調に飾りますのよ。部屋から見える街は一層白く、まるで灰を浴びたようになります。建物に白色の布を飾りますから」


 屋根から長く大きな布で壁を隠す。壁や屋根の色が明るいからだ。初めは白い布を飾っていたのだろうが、何度も使ううちに薄汚れていった。個人でその大きさの布を毎年織るのは大変だ。だから皆で協力して、同じ布を飾る。洗っても長年使う布は汚れて、茶色のような灰色になっていった。


「最終日には、聖堂へ参りますわ。その後、王族の墓へ行って食事で終わりです。大したことのない催しでしてよ」

「大国だからでしょうか。ラータニアより催しが多いように感じます」

「そうですの? 隣の国でありながら、多くが違うようですわね」


 その辺り色々聞いてみたいが、次の機会にしよう。今日は何だか、長く話したくない。

 疲れてきたのでそろそろ話を終わりにしようかと思ったら、ルヴィアーレがフィルリーネを見据えた。


「申し遅れましたが、ロブレフィートをいただけましたこと、お礼申し上げます」

「大したことなくてよ。それに、わたくしが提案したことではございません。側使えが思い付いただけですわ。礼には及びません」


 何を言われるのか身構えたが、そんなことかとフィルリーネは存外に返す。

 あれだけの腕で練習できないのは、勿体無いと思っただけだ。普段ならよく弾いていたのだろうし、暇も潰せるだろう。フリューノートは持ち運べても、ロブレフィートはさすがに婿入り道具として持ってきていなかった。


 ムイロエに、ルヴィアーレは自室にロブレフィートを置いて、毎日のように暇に任せて余程の練習をされていたのでしょう。と呟いただけである。そうしたら乗りかかったムイロエが、ロブレフィートを贈られたらいかがでしょうか。と言ってきただけだ。自分は、そうしたら? と答えただけに過ぎない。


「とにもかくにも、十日の間は、お衣装にお気を付けになって」

「承知致しました」


 早々に話を打ち切ると、ルヴィアーレは粛粛と首を垂れた。





「うー、つっかれたあ」


 ルヴィアーレと話していると、心身ともに疲れる。話している間の緊張感よ。私の心を苛んでくれる。

 つまり、めんどくさい。


 茶会一度くらいでは許してもらえず、軽いお茶に誘ったり昼食を食べたりと、交流を頑張って図っている。夕食はお断りだ。長くなる。できればただのお茶がいい。ちょっとケーキを食べて終わりだ。ただ、ルヴィアーレがお菓子をあまり食べないので、さすがに可哀想になって昼食にするわけだが、時間を考えたらお茶でいい。


 部屋であったり、外向きのテラスであったり、それでも奥の部屋に入れさせる真似はしていない。タウリュネの言う通り、婚約前の婚約者予定の男を棟の奥に入れるのはどうかと思うの。という理由で、自分の棟にはほとんど入れていない。城の人間が入れない王族専用の建物は広大なので、その辺りを使う。城の構造も分かって丁度良かろう。良いはずだ。


 そんなで、私の苦痛時間は増えているのだ。イムレスにはしばらく街に行くなと言われているが、もう無理である。無理無理。

 私は待った。これ以上もなく時間を置いた。そして、そんな気分の時に、笛が鳴ったのである。

 バルノルジに渡した笛だ。エレディナが気付いて、もう街に行かなくちゃダメね。とやってきたのである。呼ばれたからには行かないとね。


 真夏の日の光の中に黒は着たくないので、若干灰色の薄手のマントを羽織って、街を歩く。街も既に布の用意がなされており、通りに面した建物の壁には大きな布が掛けられている。窓や扉に掛けられた布は、日差し避けになっていた。日差しが強いので、丁度いいのだろう。たまに、ずっとそのままにされているのを見掛ける。街の人間からすると、日差しが避けられていいよね。くらいの催しでもある。


 貴族の屋敷は窓に掛けられている程度だ。さすがに巨大な屋敷全てに布は掛けない。城では一番高い部屋の窓から、カーテンを敷いているようになっていた。テラスを隠し、その階下まで布が垂れ下がる。相当な布の量だ。

 屋上に出られる家は、屋根の上まで布が掛けられていた。そこまで布を用意できるのは、店を持つ主人の家であることが多い。高級住宅地付近を通ると、花々の鮮やかさを隠す布も見えた。そこまでやる家は、大抵直近で誰かを亡くしている。赤は特に禁忌なので、花の周囲はしっかりと包まれていた。


 悼む人がいる。そこに気持ちがあるならば、行うといい。なければ、行う必要などないだろう。


 レストランに行くと、バルノルジはいなかった。店の人に聞いたが、今日は来ていないようだ。珍しい。仕方なく家に行くと、そこにもいなかった。お店にいるらしい。珍しい。

 なので、バルノルジの経営する高級店に行き、店にいるか尋ねた。どうやらお客様に呼ばれて、外に出て行ってしまったようだ。


 急に呼ばれても行けないかもしれないと、バルノルジに言ってあるので、大丈夫だろうとは思うが、いないのならば仕方がない。店の人に伝言を頼んで、旧市街に行くことにした。

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