王都ローエ2
「フィリィどうしたの? 顔が赤いわよ?」
「え。赤いですか?」
意見も言い終わったデリが、急にそんなことを言ってくる。赤いつもりはないが、アシュタルがすぐ食い付いてきた。
「体調が悪いんですか? 熱でも?」
「熱なんてないよ」
「忙しくされてるんですから、少しは自分の体を労ってください」
そんなことで熱など出さないし、熱はないと思うが、アシュタルが心配げに手を上げたり下げたりしている。熱を測りたくても測れないという仕草だ。
うん、それはアシュタルにはできないだろうなあ。
自分で額に触れてみたが、それほどでもない。少々顔が熱いくらいだろうか。この建物が暖かいからだと思われる。
「ヨシュアで先にお暇されたらどうですか」
「大丈夫だよ。ここ少しあったかいのかも」
「そうかもしれませんが」
アシュタルは小声で問いながらそわそわしだすが、たいしたことではない。デリとバルノルジも気にし始めてくれるので、心配ないと言いたい。
見学に来ている貴族たちを横目にしている辺り、アシュタルはフィリィと似たようなことを考えたのだろうが。
「知らない人たちだよ」
「そうかもしれませんが!」
貴族たちは、ローエの人間ではなく、この事業に賛同している領主たちの関係者だ。もうそこまで話がいっているのかと思う反面、国主体で行うわけではなく、あくまで民間で進める気なのかとも考える。
グングナルドでも表向きは民間になってるからなあ。
いきなり王主導で他国の事業に声をかけたら、国の重役たちが騒ぐだろう。やはりそこには利権が伴うだろうし、それらに搾取されないためには、まずは民間で成功例を作り、国がそこに支援するという形を作りたいはずだ。グングナルドでもそのつもりで進めたい。
集まってきた貴族たちは、サラディカにそそのかされたか、本当に必要としている地域の者たちなのだろう。
デリとバルノルジは持ってきた教材などを売り込み始めた。貴族たちはその商品を見て、質問をしたり唸ったりしている。
「まずは、このローエの街で成功させ、地方へ広げていくつもりです。見学されている方々には、成功例を見せなければ」
ドナーロは貴族たちを見ながら決心を口にする。幼子を預かる事業はラータニアでも特異な話だ。それでも貴族たちが見学に来ている。失敗するわけにはいかないのかもしれない。意気込みが見えた。
「地域性によって、教えることも変わると思います。年齢によって必要な物も変えなければならないでしょう」
場所によっては年齢が寄ったりするだろうし、教えられる者を確保できるかが問題になる。
「貴族からの寄付を募っても、人がいなければどうにもなりません。どれだけの人が賛同し、協力してくれるか。これはまだ未知数です」
ドナーロは頷く。グングナルドでも人材確保は大切だ。
「グングナルドでは、商品の売り上げと、商品からこの事業を知った貴族からの寄付を使い、給料を賄っています。ですので、教える人間はボランティアから給料制になりました」
「そうでなければ、行う者もいないでしょう。余裕のある者ばかりではありませんから」
そうなると、成功例を作り、寄付を募る必要がある。そして寄付なしでも給料が賄えるような仕組みが必要だ。
先は長い。だが始まりにきただけましか。それが他国で行われるならば、尚更。
子供たちの面倒を見るのは、最初は聖堂の者になるらしい。ドナーロもそのつもりのようだ。
私も子供たちに教えたいねえ。
グングナルドには平民の子供たちの学校がないため、この制度を全国に浸透させるまで時間がかかるだろう。子供たちの将来を広げるために、ラータニアの今後の進め方も聞いておきたいところだ。ラータニアには平民の子供でも学べる機関がある。そちらとの兼ね合いも含め、お互いの国で共有したい。
「聖堂に通う子供の方が、学びが増えるでしょうね。学校に入る前の準備運動になりますか?」
「もちろんです。むしろ学校に初めて入る子供たちの方が、学びが遅くなるかもしれません。そのあたりも考えなければならない時が来るでしょう。今後の贅沢な悩みになります」
試験的に集まった子供たちがやってきて、ドナーロから紹介を受ける。玩具を与えながら教え方を試すためだ。ドナーロは子供が好きなのか、柔らかな微笑みを見せた。
実践して問題点をあらい出していると、再び来客があったか、廊下の方が騒がしい。ドナーロが呼ばれ、部屋から出ていく。
「なんか、忙しそうよね」
「思ったより大事業ってかんじだしな。領主の関係者が来るとは思っていなかった」
「それだけ問題にしてるってことよね。どの国も似たような問題抱えてるんだわ」
デリはため息を吐きつつも、グングナルドでの他の領土への進出も考えなきゃ、と肩を竦めた。実際のところ、グングナルドでもまだ二箇所しか設置できていない。今後賛同してくれる聖堂を探し、数を増やしていく必要がある。
大きい都市は増やしていけるだろうが、小さな村や町では難しいだろう。どこまで民間で増やせるか。考える必要がある。
やっぱり職業訓練も兼ね合わせた方がいいかねえ。かといって絶対その職業につけるわけでもないから、後々詐欺とか言われそうだし、問題は山積みだわ。
食事ができるというふれだけでは、難しいこともある。あの手この手で子供を預けたくなる工夫がなければならない。
うーん。と唸っていると、ドナーロが顔色悪くして戻ってきた。
「なにかありましたか?」
「フィリィさん、兵士が」
ドナーロが語る前に、後ろから兵士が数人やってきた。フィリィを見つけたとばかりに、囲い始める。
「何事ですか?」
すかさずアシュタルが間に入り込んだ。しかし、ラータニアの兵士を前に剣を出すわけにはいかない。アシュタルが右手で剣に触れるのを押さえる。兵士たちは剣を出す気はなさそうだが、フィリィを鋭く睨みつけた。
「旅券に不具合が見つかった。同行してもらう」
「不具合だと?」
「偽造旅券の可能性がある。こちらへ」
「フィリィ様、お下がりください」
兵士たちが促そうとするのを、アシュタルが遮る。
「邪魔をされるならば、偽造旅券を使用したとみなすが?」
「なんだと?」
「アシュタル」
「偽造旅券って、どういうことよ。フィリィがそんなことするわけないでしょ!」
アシュタルは押さえたが、代わりにデリが前に出た。バルノルジも頷いて間に入ってくるが、ここで問題を起こすのはまずい。今後の繋がりが消えてしまうし、せっかくの事業だ。それに、旅券に間違いなどあるはずがなかった。なんといっても、グングナルド宰相が作らせた旅券である。
「大丈夫ですよ。なんかの手違いでしょう。アシュタル、みんなをお願いね」
「フィリィ様!」
「デリさんたちに迷惑かけると困るから、ちょっと様子見てくるだけよ」
「ですが」
アシュタルは食ってかかろうとしたが、それを宥めて軽く叩いておく。
デリやバルノルジだけでなく、ドナーロも心配そうな顔をしてくるが、問題なんてないと伝えて、兵士たちに従った。
兵士たちは捕えるような真似はしてこないが、三人でフィリィが逃げないように囲ってくる。
彼らは演技ではなく、真面目に偽造旅券だと信じているようだ。手荒い真似をしてくるわけではないが、疑いは深いのだろう。
アシュタルが後ろで今にも切り付けそうな顔をしているが、頑張って我慢してほしい。ここで暴れる方が問題になるのだから。
「フィリィ様、どうぞお気を付けください。もしもの場合は、ヨシュアをお使いください!」
大声で後ろから呼びかけてくる。兵士たちはそれだけで若干怯んだ。フィリィの身分が高いのだと感じたようだ。
さすがアシュタル。呼びかけだけで兵士たちを威圧する。
とはいえ、旅券が偽造されたわけではないので、すぐに戻れるだろう。
兵士たちは馬車に乗るよう促して、一人は馬に、二人は一緒に馬車に乗った。馬車といっても客を乗せるようなものではなく、護送用の馬車だ。外側から鍵を閉められて、外に出られないようになっていた。
さてねえ。なんだろうねえ。
『こいつら、倒していい?』
いや、やめようか。外交問題になっちゃうよ。
ヨシュアが察して、暴れたそうにしてくる。ここは変に察してくれなくていい。あと、姿現したそうにしないでほしい。
ヨシュアが馬車の中に現れたそうにするので、それも抑えておく。お願いだから勝手に暴れないでくれ。
馬車の中で兵士たちは無言のまま、カラコロとどこかに進んでいた。
ヨシュアちゃんよ。どこに向かっているか、わかるかね?
問えば、ヨシュアは少しフィリィから離れて、すぐに戻ってくる。
『城見える』
あらまあ、王宮ですかしら?
「どちらに行くんですか?」
「城だ。取り調べをさせてもらう」
兵士は不愉快そうな表情で答えた。本人たちはその気なのだろう。
お城かあ。旅券の偽造となれば、グングナルドに問い合わせが必要になるんだけれど。さて、手違いなのか、それとも。
そう思いながら、フィリィはただのんびりと、馬車の中で足を伸ばしてくつろいだ。




