出発
「うわ、なにこれ。精霊!?」
「すごいな。ラータニアでは、魔力が少なくとも、こんなにはっきり精霊が見れるのか?」
バルノルジとデリが、呆然と、窓の外を見つめた。
グングナルドでは見ることができない、その情景に、二人はただ、呆気に取られたまま、いつまでも外を眺めていた。
ここがラータニアだ。浮島のある、特別な国。
精霊たちの歓迎を受けて、フィリィたち一向は、目的地のあるラータニアの王都、ローエに向かった。
早朝から、子供向けの玩具や貴族向けの文房具などの商品を、小型機に積む。ラータニアの聖堂で子供を預かる事業で訪れる予定なのに、商売をする気満々だと、デリが指示をしながら箱を積ませていた。
「こんなものまで持っていくのか?」
バルノルジが箱の中身を確認して、苦笑いをした。前に作った、魔獣のカードなども入っている。ラータニアとグングナルドでは現れる魔獣も違うのだが、この機にどんな物でも見てもらいたいという、デリの商売魂が見えた。
「いいのよ! なんでも持って行って、なにかに繋げられれば。こんな機会、次に続くかわからないんだから! バルノルジだって、なんなのさ、その荷物!!」
デリの指摘にバルノルジは他所を向く。バルノルジも同じく、子供たちの教材には関係のない商品を積んでいた。
二人とも、目的を忘れているのではなかろうか。
「今日は、子供を預かる事業でラータニアに参ります。お二人とも、用意はできているのでしょうか?」
「やだ、フィリィ、そんな言い方して。もちろんできてるに決まってるでしょ!」
「そうだぞ、フィリィ。俺たちは浮かれてなんかいないからな。用意は万全だ!」
本当かなあ。商売しにいく気、満々でしょうよ。
バルノルジは最近作った、精霊の絵本まで荷物に入れていた。精霊の役目をわかりやすくした絵本で、精霊の発する色との関わりを絵で描いた物だ。
話はフィリィが考えた。絵は絵師のシャーレクと相談して、二人で分業して描いた。精霊自体の絵はフィリィが描き、その背景はシャーレクだ。
精霊について、グングナルドでは特別に学びはない。口伝のように、精霊が魔鉱石を作るとか、魔導が強ければその気配が感じられるとか、その程度が語られた。精霊がいるおかげで作物が育ち、自然が美しいという考えは、かなり薄い。精霊を重んじてこなかった前王の影響もあるが、グングナルドの精霊が少ないため、その恩恵を感じる機会が少ないこともあった。
精霊はいるのだと、親から子へ教えられても、物語のように聞くだけ。大人になれば、そんな話を聞いたことがある程度に思う者も多いのである。
そのため、教材を作ることにしたのだ。どんな色の精霊が、どんな自然に関わり、それを育んでいるか。色と絵で表現し、その大切さを説く。
グングナルドでは必要な教材だ。
「ラータニアだと、その教材が使えるかは、ちょっとわかんないですけどね」
「どうしてだ? ラータニアは精霊が多いんだろう?」
「多いからこそ、ラータニアは精霊を大切にしている国です。そういう教材とか、普通にありそう」
「そ、それもそうか」
むしろ、そういった教材を見せてもらえないだろうか。見せてほしい。
ラータニアへ行っても、王宮か浮島へ向かうので、街に行ったことはない。街並みをじっくり見学したいところだ。そんな余裕はあるだろうか。
「ほらほら、乗った、乗った。旅券は持った? お兄さんも、乗って、乗って」
デリの号令で、小型艇に乗り込む。お兄さん呼ばわりされたアシュタルは、最後に小型艇を一周回り、確認をしてから乗り込んだ。
「落ちたりしないわよ」
デリはアシュタルが周囲を確認したことを笑う。少し古めの小型艇なので、ちゃんと飛ぶのか確認したのだと思っているのだろう。アシュタルからすれば、王女の乗る小型艇におかしなものが仕掛けられていないか、確認をしただけだが。
アシュタルは軽く苦笑いをして、フィリィのななめ後ろに座る。
小型艇は、大荷物もあって、そこそこ大きめの中型のものになる。バルノルジやデリ以外に、デリの店の者たちも乗っていた。それなりに大きい船であるのと、アシュタルが初めて会う者たちも同行するため、警備のために近くでも周囲を確認する。
ラータニアへ行くのに、民間の小型艇に乗るべきか、最初は迷った。
当初は、別行動で現地集合しようと考えていた。他国へ入るのは、旅券が必要だ。王女には必要ないが、旅券なしに王女が勝手に乗り込むのはさすがにまずい。浮島に行くのは問題ないが、商売として行くのならば、旅券を作る必要がある。
事業の助言に行くとはいえ、商いをする気で国を跨ぐので、商売の証明書が必要だ。その証明書は、旅券と結び付いていた。
他にも、小型艇の識別番号確認やら荷物確認が、小型艇発着地で行われる。ラータニアに入れば入るで、その確認をすることになった。旅券がないわけにはいかない。
王女でありながら、旅券を偽装することになるとは、思わなかったよ。
肩書きをどうするか、少々迷ったが、フィリィの身分は末端貴族になった。その護衛、アシュタル。ガルネーゼが作ってくれた。本来、他国にバレたら外交問題レベルである。しかし、シエラフィアも同じことを行い、グングナルドに来ていたので、気にしないことにした。シエラフィアに至っては、わざわざ別の国を通ってグングナルドに訪れていたのだから。
どのみちバレることはない。偽装は偽装でも、旅券の偽造ではなく、本物の旅券だからだ。問い合わせてきても、ガルネーゼがなんとかしてくれる。問題ない。
小型艇でグングナルドを出て、ラータニアの国境を抜けたらすぐに、その確認が行われる。
「ラータニア楽しみだわあ。国境ってどうなってるんだろうね。精霊の結界って、目に見えるものなの?」
「破壊しない限り、見えないですよ」
デリは国境の結界が見たいと、窓に張り付いた。残念だが、見えて国境の壁だけだ。
ラータニアとの戦いの際、前王が壊した精霊の結界は目に見えて砕けた。それくらいでしか、人の目に見えたりしない。あとは、壁の修理を精霊に願った時に見られるくらいだろうか。
壊れた結界が元に戻る様は、不思議な光景だ。割れたガラスが戻っていくような、時間が巻き戻されるような情景が見られる。
「ラータニアとは、戦いがあったんだものね。知った時には終わっていたから、あまりピンとこないんだけれど」
「カサダリアにいればそうだろうな。ダリュンベリは、大騒ぎだったよ」
バルノルジは当時のことを思い出したか、ため息混じりだ。フィルリーネが城で戦っていたことを、地方は知る由もない。ダリュンベリでは多くの航空艇が移動したため、街では騒ぎになっていた。
デリは知らぬ間に戦いが終わっていたことに、嘘の噂が流れていたと思っていたようだ。
「あれから、色々変わったわよねえ。ラータニアと戦争になるかと思ったら、王女と王子の婚約はそのままで。安心していたら、婚約破棄でしょう? ラータニア王が亡くなったなら、王女がラータニアに嫁げばいい話じゃない?」
そんな話をここでしないでほしい。なぜか話が婚約破棄についてに変わった。王になったのだから、婿ではなく、嫁に行けばいいのになどと、デリが言えば、バルノルジも唸りつつ、頷いている。
「王女も嫁ぎたいだろうが、コニアサス王子が幼いからな。そう簡単にいかなかったんだろう」
「なるほどねえ。なら、成長したら、結婚するのかしらねえ」
「どうだろうな。王子は今、何歳だ? 結婚するとなると五、六年は待たなきゃいけないんじゃないか。ラータニア王は王女と年が離れていただろう。そこまで待つより、誰かを娶る方が早いだろうな。後々王女と、とはならんだろうから、婚約破棄するしかなかったんじゃないか?」
「そこをなんとか、我慢してもらって」
「なにを話してるんだ?」
「いい話、いい話が聞きたいのよ、私は!」
デリが握り拳を作って叫ぶ。バルノルジが、またなにかあったのか? と若干引き気味で問うた。
前にデリが婚約者に裏切られた件が思い返される。あの時はひどく荒れていたが、また同じようなことがあったのか心配になる発言だ。
「だって、噂の王女が、実はまともだったわけでしょ? それなのにラータニア王の体調が悪いからって、婚約破棄になったわけじゃない。弟王子はまだ幼くて、守らなきゃいけない。だから、簡単には嫁げないってんだから、かわいそうでならないわ。王女なのに、行き遅れになっちゃうじゃない!」
そんな大声で言わないでほしい。後ろで絶対アシュタルが苦笑いしている気がする。いや、大笑いを我慢している気がする。
それにしても、王女の婚姻に興味を持つものなのだな。と、市井の生の声を聞いた気がした。街でこれならば、貴族たちがうるさいわけである。誘いの手紙があまりに多すぎて、次の言い訳をどうするか、イムレスと考え中だ。
なんにせよ、コニアサスが大人になるまで、婚姻をすることはできない。やはり幼子では不安定であり、嫁いでフィルリーネが口を出せなくなるのは困るからだ。せめてコニアサスが婚約するまで。そうなると、十五、六歳まで待たなければならない。その時、コニアサスは王になっているだろうが。
そして、コニアサスの後ろ盾となるには、もし嫁いだとしても、それなりの相手でなければならなかった。しかし、それまで待つとしたら、フィルリーネの相手となる年の者は、皆が婚姻していることだろう。
そうすれば、フィルリーネが婚姻することはなくなる。それか、かなり年下の相手と婚姻するしかない。
とはいえ、それまで婚姻をしないことを、どうやって言い訳するかが決まらないのだ。
面倒だねえ、王女って。周りはうるさく、いつまでも放置もしておけなくなるかもしれない。領主たちが徒党を組んで婚姻を迫ってくるとは思わないが、城にいる貴族たちの多くが集まって、婚姻を迫ってもおかしくない。王族と手を繋ぎたい者たちが手を組んでくるとも限らないのだ。
そう考えると、ルヴィアーレとの婚約は、良い壁となっていたわけである。
その壁が壊れて、一年。いつまで壁なしで保つか。なんとも言えない。
「国境って遠いのねえ」
「ダリュンベリからカサダリアへ行くより、ずっと距離があるからな」
ダリュンベリからビスブレッド国境門までは遠い。普段はエレディナの力で飛んでいたが、航空艇では冬の館に行くくらいの距離があった。ラータニアを横断するよりも長距離だ
ラータニアは小さな国だ。広大な土地を持つグングナルドとでは、規模が違う。
「あれが、国境?」
ビスブレッド国境門。ラータニアとの国境は、見えない結界で区切られているが、ビスブレッドの町にはそこを通り抜けられる門がある。人々はそこで許可証を確認して、門を出た。航空艇の場合、一度降りて許可証を確認してもらってから、結界の門を越える。
二本の柱があり、その間は結界が開け閉めできるのだ。
一度小型艇を降りて、許可証と旅券の確認をし、兵士が小型艇の点検をする。荷物の点検を終える間に、簡単な質問を受けた。
「警備、結構いるのね」
「戦いもあったしな。怪しいと判断されると、許可証を持っていても渡れないって聞いたぞ。だが、王が侵略しに行ったのに、この程度で済む方がおかしいだろう。王女はよほどラータニア前王に信頼されていたんだろうな」
「そっかあ。そうなるわよね。本来だったら、国交断裂ものだものねえ」
「国境の結界壊して、侵入して、戦いになったんだからな。王女が王を止めるために、翼竜に乗って、自国の航空艇を破壊してまで王を止めた。それで、当時のラータニア王も理解を示したんだろう」
デリとバルノルジの話を聞いていると、遠く昔のことのような気がしてくる。
実際、グングナルド前王が侵略行為をした。本来ならば国交断絶してもおかしくない。止めたと言っても、国境は壊れ、ラータニアへ侵入し戦いになったのだ。シエラフィアの懐の深さに甘え、通常通りの国交となっただけである。
ただ、グングナルドから国外逃亡する輩がいることも考えて、国境の警備は強化した。ラータニアと問題を起こすわけにはいかない。ラータニア王が友好的でも、グングナルドとの国交をよく思わないラータニアの貴族たちも多かったからだ。
フィルリーネが戦ったことで、それを目で見た民はそれなりに納得しただろうが、目撃していない者たちは違う。
これ以上の問題は防ぎたい。
身体検査をされて、おかしな物はラータニアに持ち込まないように、念入りに確認されてから、小型艇に戻ることを許される。そうして、やっと国境を越えることができるのだ。




