事業
「キグリアヌンから、婚約の打診ですか? 本当に来ちゃったんですね」
「正式ではないけれどな」
カノイがガルネーゼの部屋に書類を渡しに行った時、ガルネーゼとイムレスがお茶をしていた。しかし、二人ともやけに真剣な顔をして、見合っていたのである。
テーブルに手紙が重なっており、何枚かの封筒は封が開けられていた。その中の一枚が、キグリアヌン第一王子、セレファムからの婚約打診だったわけだ。端に寄せてあるのは、読まずに捨てる手紙だろう。
「姫様は、そのこと知ってるんですか?」
「今、手紙を確認したところだ。これから伝えるが」
「断るでしょうね」
ガルネーゼの言葉に、イムレスが続ける。カノイもそう思って頷いた。フィルリーネが首を縦に振ることはないだろう。そもそも、フィルリーネのなにを知っているのか分からないような男に、嫁がせるわけがない。と父親目線で二人は思っているはずだ。
どうやって断るのか、相談していたのだろう。
「でも、僕もよく聞かれます。フィルリーネ様は、ご婚約はどうするのかって」
キグリアヌンの王子だけではない。ここ最近、フィルリーネの婚約を心配するような声がよく届いてくる。フィルリーネを、自分の息子の嫁にしたいと考える者が増えているのだ。
「他の貴族からも、やたら連絡がくるようになった。まあ、当然か」
ガルネーゼもイムレスも、同じ経験をしているようだ。少し前まで、傷心で、なんて言い訳をしていたのだが、いい加減、それも終わったのだろうと思われている。なにせ、本人すごく元気で、活動的だ。
ただ、わざと忙しくしているような感じは見受けられる。気のせいだろうか。
フィルリーネの王代理は、多くの者たちが心配していた。高飛車で馬鹿で、常識がない王女。それが王を倒したと聞いて、信じていない者たちは多かった。フィルリーネが戦っている姿を目の当たりにしていない者からは、どうせ部屋に引き籠っていただけだろう。と思われていた。
コニアサスを王にするためのクーデター。それが、一番合点がいく。イムレスとガルネーゼが王を倒し、フィルリーネを王代理とした。だから、フィルリーネはただの飾りだろうと。
フィルリーネは、その後もわがままで、ラータニア王弟、ルヴィアーレとの婚約を破棄し、ラータニアとの繋がりを消した。そのため、マグダリア領で反乱が起き、キグリアヌン第三王子がその反乱を手伝い、その攻撃によって城や街を囲む結界まで破壊された。
そんな悪辣な噂もあったのである。今までの噂と相まって、すべてがフィルリーネのせいではないかと信じた者もいただろう。フィルリーネの近くにいなければ、当然かもしれない。
しかし、ここ数ヶ月の間、コニアサスと共に地方周りをしただけで、その噂が百八十度変わったのである。
「前よりも婚約打診の話が増えたのは、地方で行った精霊に祈る儀式のせいですよね」
「王族の力を存分に振るったからね。しかも、女王の力だ」
フィルリーネはコニアサスを連れて、精霊を呼び込むための儀式を、その地、その地で行ったのである。
反乱によって城を攻撃されたので、その悪い印象を消すために、地方へ訪れることにしたのだ。ダリュンベリにいれば精霊が現れるのでフィルリーネの印象は良いのだが、地方までその噂は届かない。
女王を知らしめるのはまずいって話は、もう忘れたみたいだ。利用できるものは利用することにしたらしい。
コニアサスと演奏をして、精霊を呼び込む儀式。フィルリーネはコニアサスを立て、伴奏に徹したが、儀式を行うだけでなく、その土地の平民たちの話まで聞きに行った。ほとんど巡業である。
多忙なフィルリーネにとって、それがどれだけ大変なことなのか。
政務の仕事をかたわらに、マリオンネの女王の仕事。マリオンネで精霊に祈りを捧げ、王族の婚姻の儀式を行い、浮島と今後どう付き合っていくかを、なぜかフィルリーネが浮島の精霊と話し合う。
次期女王候補者は現れたが、まだ小さな男の子で、コニアサスの後見人となっているのと同じく、そのマリオンネの王候補の男の子の代理のような真似をしているのだ。そして、睡眠を削って商品を作り、時間を見付けては、街にその相談をしに行った。
マリオンネや職人の仕事は秘密なので、公になっていないが、王代理の行為が目立ちすぎたのだろう。前々からガエルネーゼにフィルリーネの婚姻はどうするのかという問い合わせは多くあったらしいが、今ではひっきりなしに連絡が来るのである。
「魔導院でも、狙っている貴族がいるんだよ。あの子が研究にも手を出してきただろう」
そう、フィルリーネはとうとう魔導院の研究にまで手を出してきた。前から手を出したかったのだろう。
フィルリーネは、ヘライーヌと案外気が合うので、面白い題材を思い付いては、ヘライーヌに伝えていた。
魔獣を確実に避けられる魔導具をヘライーヌと作り始め、完成すればその魔導具の使い勝手がよいと、あちこちの領主がほしがり、それが噂になってしまったのだ。
そして、精霊がいなくとも植物が育つようにするための研究を後押ししたのがフィルリーネだと、今更周知された。植物研究員のオゼが、フィルリーネのおかげで研究がうまくいったとのだと証言したからである。
フィルリーネの株は急上昇した。
「あいつはなんでも作るのが好きだからな。魔導具にも興味を持っているとは思わなかったが」
「魔導銃や魔導剣に興味を持つような子だからね。君の剣にも興味津々だっただろう? 自分だけが使うのでは意味がないから、魔導具として使えないか、ヘライーヌと楽しそうに相談していたからね」
「姫様は、興味持つとすぐに手を出す人ですからね」
カノイが付け加えると、ガルネーゼとイムレスが遠い目をした。
とはいえ、実際のフィルリーネが、悪辣な噂とは程遠い人物と周知されたと思っていいだろう。
姫様の性格は、もっとすごいけどね。それはさすがに気付かれてないけどね。
「平民と対話を行った成果なんですかねえ」
「貴族の中には嫌がる者はいるが、そうでない者たちの好感が上がりまくったからな」
「平民と一緒に畑の芋掘りをする王女なんていないよ。平民たちからは絶賛の嵐だったようだからね」
フィリィであれば気にせず行っているだろうが、フィルリーネでも同じことを行ったのだ。フィルリーネは平民たちと一緒にご飯を作り、一緒の席で食事をした。しかも、その辺に座って。貴族がまったく行わない、下品な行為と思われても仕方ないことを、王女が行ったのである。
うまいよな。と思うのは、精霊を呼び出す儀式を行い、目に見えて精霊が現れるのが分かる中、畑仕事に入ったのである。これを拒否できる平民はいないだろう。恵みを与える精霊を呼んでくれた。しかも、普段は見ることができない、本当にいるのかと信じていない者たちもいる中で、奇跡を起こしたのだから。
王族が、これほどの力を本当に持っているのか。そう思ったに違いない。そして、それを初めて目に見せてくれたのが、フィルリーネとコニアサスなのだ。
儀式に参加していた貴族たちは唖然としていたようだが、平民を味方につけたのは間違いない。
そして、平民や貴族たちの不満を、その場で聞き取った。
「悪く言う貴族もいますけど、評価する人間の方が多かったように思います。皆の話を聞く前から問題点を調査して、領主ができることとできないことまで下調べしてましたから。できるできないが分かってる人に、やれと言われたら、やるしかないですからね」
「用意周到だからな。フィルリーネを知らない地方の領主たちでは対抗できないだろう。侮っていた者はなおさらな」
ガルネーゼは嬉しそうに言う。内心、ざまあみろと思っているに違いない。
フィルリーネの幼少の頃からの演技が過ぎて、実際のフィルリーネが理解されない歯痒さがあったはずだ。
「本来、領土にそこまで首を突っ込めるわけではないけれど、精霊が減っていることを理由に乗り出したと言われたら、断れないからね。相手の弱点を突いた、良い案だと思うよ。そのおかげで、噂が変わって、この状態だけれど」
イムレスは、これは余計だったと、封筒をもっと端に寄せる。
「それで、今、フィルリーネは?」
「聖堂で子供を預かる事業の説明に、街に出てます。フィリィとして」
「なんであいつがやってるのか、聞いていいか」
「子供たちに会いたいだけじゃないかい?」
「そろそろ、街のことは他の奴らに任せた方がいいだろう」
「そんなことしたら、王女辞めちゃいますよ」
カノイの言葉にガルネーゼがびくりと肩を上げる。フィルリーネならば、全て片付いたら勝手にいなくなるくらいするだろう。イムレスもそれはやめた方が良いと、ガルネーゼを止める。
「あの子は多くを偽ってきたけれど、やりたいことはやってきた子だからね。それを抑止するのは体に良くない」
「落ち着いたら、もう少し身近な未来を考えると思うか?」
「思わないねえ」
「はあ。苦労するな」
ガルネーゼはため息混じりで、テーブルを見やった。身近な未来は、フィルリーネのお好みではないようだ。
「じゃあ、僕も聖堂行ってきます。お手伝いしてるんで」
二人の男が娘のようなフィルリーネのことで頭を悩ませている姿は、平和が訪れたことを実感させてくれる。
しかし、カノイには気になることがあった。
二人が姫様に婚約を勧めないのはなんでかなって、みんな気にしてるんだよね。だって、コニアサス王子が王になっても、姫様が王女としているんじゃ、コニアサス王子の影が薄まっちゃうもん。
そうならないように、フィルリーネはコニアサスを立ててはいるが、本当のフィルリーネを知っている者たちからすれば、あまりにも勿体無いと惜しまれている。
フィルリーネこそ、 グングナルドの女王になるべきだと考えている者が増えていることを、カノイは知っていた。
その声が大きくなれば、再び派閥ができるだろう。
だが、二人は、誰かにフィルリーネを嫁がせるような計画は立てていない。コニアサスのためにも、婚約をさせて外に出て行く体を取った方が良いと、分かっているのに。
まあ、姫様が婚姻興味ないうえに、色々やりたいことありすぎて、隠居場所探してそこで職人やる気がありすぎるというのもあるけれどさ。
フィルリーネは演じてきた分、親しい友人も作れなかった。恋人なぞは夢のまた夢だ。王を倒し、コニアサスを王にすることしか考えていなかったのだから。
姫様、一般的な令嬢の将来とか、考えたことないんだろうなあ。
「食事や給料は貴族や商人の寄付によって賄いますが、玩具を売買した一部を事業に割り当てています。玩具によってどれだけの効果があるのかも調査するので、試験的に玩具を制作し、子供たちが気に入った玩具や、効果のあった玩具を一般に販売しています」
「なるほど。試験的な役割も兼ねているんですね。商人たちもそれならば寄付しやすいのか。小さな子供たちでも、これなら楽しめて勉強できますね。勉強と分からないのがいい」
聖堂を見学するラータニアの役人たちを前にして、発起人のフィリィが細かに説明をする。見学に来た者たちが感嘆しながら聖堂の一部屋を視察していた。
平民にも教育の場を。ラータニアでは行われていたが、子供を預かるついでに、学びを与えるという珍しい試みを知り、紹介を得て、ラータニアから役人がやってきたのである。
フィリィの協力者はバルノルジやデリ。いつもの顔ぶれだ。カノイは初めて会ったが、噂は耳にしている。
「カノイさん、予算案の資料くれます?」
「はいはい。持ってきてますよ」
さん付けされて呼ばれ、少々寒気を感じながら、資料を渡す。
フィリィは活き活きとして説明をしている。時々デリが口を出すが、主体はフィリィだ。
説明が終わり、見学者たちと次に会う日を調整する。
「では、再来週」
再来週、ラータニアに行くことになったようだ。ラータニアでは子供を預かる場所は用意してあるが、フィリィに確認をしてもらいたいという。
見学者を見送って、フィリィは大きく息をついた。バルノルジとデリも安堵して、事業が他国にも浸透することに喜んでいた。
「姫様、再来週、時間なんてあるんですか? 精霊を祀る祭事ありますよ」
「超特急で他の仕事終わらせるわよ。ラータニアに来てほしいって、前々から言われてて」
ボソボソと、周囲に聞こえないように小声で話す。
アシュタルは側で護衛しているが、口は出さない。けれど、少しだけ肌にピリつくような雰囲気があった。何かが気に食わないようだ。
姫様が隠居したら、ついていくらしいから、気になるんだろうな。
それにしても、再来週かあ。ラータニアねえ。
デリは異国に行けることを喜んでいる。スムーズに決まった事業に、バルノルジは若干心配そうな顔をしていたが、デリに叩かれて納得させられていた。玩具を輸入する気であるため、デリはやる気に満ち溢れている。
良いモデルがグングナルドにあると教えてもらって。というフレーズでやってきた役人たち。国の指針で学びの場所を増やしていきたいという話に嘘はないだろう。
アシュタルが気になっている理由はよく分かる。この事業を役人たちに紹介したのは、サラディカなのだから。
新しい王が推薦したとは聞いていないが、ラータニアにもそのような場を作ろうという試みを勧めたのは、間違いなく王だ。
ガルネーゼとイムレスの間にあった机の上には、封筒がたくさんあった。そこに、見覚えのある封蝋のされた封筒があったことは口にしていない。
渦中の人は、全く、全然、さっぱり、連絡とってないみたいだけど。
そう思いながら、知らないふりをする。
ラータニアで何が待ってるかなんて、僕には分からないしね。




