もしも4
抱きしめるつもりでフィリィが走り寄ったが、フィリィの知っているマットルは何かが違うように思えて、フィリィは足を止めた。マットルも抱きついてくるかと思ったが、フィリィの手前で止まる。
「フィリィ姉ちゃん、久し振り!!」
「マットル?」
コニアサスより年上で、もう七歳。いや、そろそろ八歳になるマットルは、近付くと、フィリィの記憶に比べて、更に顔が細く、身長がやけに高くなっていた。
髪型は前と同じ、貧民街に多い適当に切られ、潤いが足りないバサバサな焦茶色の髪。顔は日焼けしている上、栄養が若干足りない土色の、丸みも足りない子供の顔で、目だけがぱっちりと大きい。―――だったのに、それ以外が別人のようだった。
「元気だった? ずっと見なかったし、バルノルジさんも見てないって言ってた。みんな心配してたんだよ?」
心なしか、声も少し低い。話し方もはっきりして言葉遣いが滑らかだ。
成長しすぎではなかろうか?
「大きくなったねえ」
語彙力なくて申し訳ないが、それしか言えない。可愛らしさがちょっぴり削げて、男の子の成長にある、少々生意気な雰囲気すらあった。なんといっても、体の線が筋張っている。荷物運びを続けているせいだろう。
可愛くてなでなでしてばかりだったが、それも嫌がるような年頃になってしまった。でもなでたいので、よしよしと頭をゆっくりなでてやる。しかし、やはり少し嫌がられてしまった。照れているようだ。
「髪の毛どうしたの? すごく短くなったね。かわいい」
「可愛い!?」
むしろマットルに言われて、ふらつきそうになる。もうおもちゃで遊ぶような年ではないような発言をされてしまった。
なんだか寂しい。仕方がないのだが、寂しい。
「マットルは、今は何をしているの?」
「バルノルジさんの商会で商品の荷物運びだけじゃなくて、品物の発注も頼まれてる。フィリィ姉ちゃんみたいになれるように、勉強も頑張ってるよ」
ならば、業者と会話する機会も増えたのか。そのおかげで話し方が大人っぽい。子供の成長は早いものだ。庇護される年ではあるが、それでもそこから抜けようとする時期である。貧民街では特にそれが強要されるので、その辺の子供よりよほど大人になるのが早かった。
胸が痛むのは、その姿が哀れだからではない。この成長に立ち会えることを嬉しく思うからだ。彼が大人になるための過程に、自分の行いが影響しているのだ。
「これからバルノルジさんの店に行くんだけど、フィリィ姉ちゃんも行くの?」
「街を見て、それから行くつもりだったんだけど、一緒に行きましょう」
バルノルジには精霊の祭りで会ったが、あまり話せなかった。最近の商品の話も聞きたいと、一緒に歩き始める。手は繋いでもらえないので、手持ち無沙汰で歩いた。
マットルがちろりと後ろを歩くアシュタルを見遣って、背伸びしながら耳打ちしてくる。
「あれは誰? 前の人とは違うね。フィリィ姉ちゃんの護衛の人?」
アシュタルはいかにも騎士っぽい風体に見えるようだ。護衛と言われて苦笑いをする。
「そう。最近物騒だったから、護衛がいるの」
「そっか。フィリィ姉ちゃんって、やっぱり貴族なんだね」
断定されて苦笑いを続ける。正直な感想はさすがにまだ子供である。バルノルジは敢えて口にはしない。今までの付き合いができなくなることを、お互い望んでいないからだ。
「マットル、ダリュンベリの街は大変だったって聞いたけど、影響はなかった?」
「大丈夫だよ。瓦礫が落ちてきたのは、偉い人たちが住む方だし」
「城に近い方がお金持ち率高いから、影響を受けたのは貴族ばっかりだものね」
ただその混乱で、強盗が多く出たとも聞いた。貧民街には関わりないが、犯人が貧民街に逃げている可能性もあるので、警備騎士たちに治安維持に努めてもらっている。
バルノルジがいつもいる店を通り過ぎ、バルノルジの店に行く。表通りに面したバルノルジの店は高級店だ。残念ながらマットルは表からは入れないので、裏から入りバルノルジを呼んでくれた。すぐに戻ってくると、家で待っていてほしいと伝言をくれる。
「すぐに行くって、言ってた」
「ありがとう。マットル。お仕事中にごめんね?」
「ううん。でも今度は、ゆっくり話せる時間に会いたいな」
もちろんですとも!!
目尻を下げまくって、マットルと別れる。後ろ髪を引かれるが、マットルは仕事中だ。邪魔してはならない。
「顔がふにゃけてますよ」
「ほっといてよ。はあ、大きくなっちゃったなあ。マットル」
「子供の成長は早いですからね」
「年老いた気分だわ」
「なに言ってるんですか。十代が口にする言葉じゃないですよ」
学院を卒業すると、すごく年上かすごく年下しか周囲にいないのである。時折自分が何歳になったのか忘れそうになるのだ。
子供のふりをして周囲を騙すのはもう終わった。まともな王女として振る舞うのが普通になったが、実際どちらも本当の自分ではない。王代理を行っている自分も偽っているようなものだ。そうなると、精神年齢も偽っているような気さえしてくる。
「のんびりしたいねえ」
「……そうですね。そのうち趣味に没頭するようになったら、なおさら忙しくなりますからね」
「それは間違いないわ」
その日がいつ来るか。アシュタルも思っているだろうが、お互い顔を見合わせて笑顔を見せる。平和になって、普段通りになれば、少しは違うだろう。
「とりあえず、今日はゆっくりしてください。短い時間ですけど、許されてますからね」
笑いながら話していれば、バルノルジが走ってやってきた。すぐに家に入れてくれる。アシュタルを紹介すれば、なにか言いたげにしたが、突っ込みはなかった。
「ここ最近、王都は大変だったんだ。カサダリアはなにもなかったのか?」
「カサダリアは問題ないですよ。あったのは冬の館周辺でしょう」
「そっちも大変だったという話は聞いた。前王が倒れてから落ち着いたと思ったが、こんなに多くのことが色々あるとは思わなかった」
ソファーに座るなり、最近の情勢の話を始める。
突然の城の爆発に街は大パニックになったこと。街を守る結界も壊れて魔獣が現れたこと。概ねニュアオーマの調書と同じで、夜中に星のように光る精霊たちに皆が驚き、不安が和らいだことなどを教えてくれた。
「魔獣もいなくなったから、この周辺は危険がなくなった。代わりに魔獣の集まった地域はあるんだが。そちらは警備騎士たちが向かってくれるそうだ」
警備騎士たちは早めに動いてくれた。その報告も受けている。この辺りの魔獣がこぞって逃げていったのだから、数は多い。ダリュンベリの街に繋がる通りに魔獣が増えれば、物流も滞ってしまう。
「それで、今日は、商品は、ない、よな」
なにも持っていないので、あるわけがない。バルノルジは分かっていると言いつつも、肩を下ろしてあからさまにがっかりしてくる。
「暇が、暇がないんです……」
「そうみたいだな。カサダリアに問い合わせたら、とんと姿を現さないと言っていた。連絡先に問い合わせても、今は連絡が取れないと。その、あー。忙しかったんだな」
「そうですね?」
バルノルジが再びもじもじし始めた。なにか聞きたいことがあるようだ。チラリ、とアシュタルを見たので、アシュタルとの関係を聞きたいのだろう。
アシュタルは椅子に座らず、扉の前で立ったまま。バルノルジはソファーに座ることを勧めたが、アシュタルは断ったので、護衛と理解したと思ったのだが。
「ゴホン」
意を決したと、バルノルジが背筋を伸ばして咳払いをする。
「ゴホン。その、前一緒にいた男は、婚約者だったのか?」
そっちか。精霊の祭りで会った時は本人がいたので聞けなかったのか、ルヴィアーレがいないため聞いてみようと考えたようだ。
「婚約者でしたけど、破棄になりました」
「は! 早くないか!? 仲良さそうに見えたのに!?」
「そうでした?まー、まだ正式じゃないんですけど、破棄は破棄になるかと」
「それは、その、残念、だったな。いや、良かったのか? 婚姻する気ないとか言ってたし。だが、気が合っていそうな感じだっただろう? 貴族の婚約となると、婚約破棄して、後々も仲良くとはいかないだろうから」
貴族同士ならばどこかで会う可能性もあるが、ルヴィアーレはラータニアの王族。シエラフィアが王に戻れば、国同士で話すことがあっても、ルヴィアーレは出てこないだろう。
元々他国の王族に会うのは稀だ。キグリアヌン国のオルデバルトは例外で、普通は会うことがあっても、マリオンネに呼ばれた時ぐらい。
それも、女王に何かあったなど、特別な時しか世界の王族が集まることはないのだ。
個人的にグングナルドに来るわけがないのだから、ルヴィアーレに会うことは、おそらく、まずないだろう。
ふと、妙な感じがした。胃が重いような、背中が重いような。なんだか分からないので、背中を掻いておく。
「フィリィ?」
「ああ、そうですね。会うことはないです」
「失礼するわね。焼いたお菓子を持ってきたの。フィリィちゃん、お久し振りね」
ノックが響いて部屋に入ってきたのは、アリーミアだ。バルノルジの愛する可愛い奥様が、お茶とお菓子を持って、にこやかに入ってくる。
「……ごめんなさい。真剣なお話の最中だったかしら?」
「いや、その……」
バルノルジが言って良いのか分からない話題だと、フィリィに視線で確認する。特に隠す内容でもないので、先ほどの話をもう一度すると、笑顔のアリーミアが真剣な面持ちでバルノルジの隣に座った。
出されたお茶やお菓子が美味しそうだったが、アリーミアは憂え顔だ。前にも話したことがあるので、婚約破棄することは知っていただろうが、それでも真剣に考えてくれるのだろう。
「最近のお話なの? フィリィちゃんからご連絡を?」
「そうですね。話は私の方から。まだ正式ではないんですが、ほぼ覆ることはないと思います」
「お相手の方はなんて?」
「なんて?」
おうむ返しにすると、アリーミアの目が急に眇められた。
「男性方は少し外で汗をかいてきたらいかがかしら。あなた、剣のお相手をしていただいたら?女性のお話には興味ないでしょう?」
アリーミアの冷えた言葉に、バルノルジが怯えるように頷きながら、すぐに立ち上がる。アシュタルは首を振ろうとしたが、バルノルジが目力でそれを黙らせる。
そうしてそのまま、無理やり連れていってしまった。
「さて、フィリィちゃん」
「はいっ!」
「婚約破棄のお話、ちゃんと聞かせてくれる?」
アリーミアの笑顔に、底知れない迫力を感じて、フィリィはコクコクと何度も頷いた。




