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アンリカーダ

 魔獣が走り、それを見て悲鳴を上げる者たち。魔導は持っていても、戦い方を知らないマリオンネの住民が逃げるのは当然のことだった。


 魔法陣から飛ばした氷の刃が魔獣を突き刺す。バタバタと倒れる魔獣を横目に、大声を上げた。

「魔法陣を探せ! まだどこかにあるはずだ!!」


 マリオンネで戦うことになると想定していたが、魔獣と戦うことは想定していなかった。

 ラクレインは持っていた剣を握りしめる。汗で滑るのかと思ったが、魔獣の血が手に付いていたからだ。それをマントで無造作に拭った。魔獣の血だらけになったマントでも、少しはましだろう。


 汗もかいていて金色の髪をかるく上げるが、それにも血がついただろうか。蜂蜜色の瞳に汗が滲んできて、今度は腕で顔を拭う。


「魔法陣です。ありました!!」

 仲間の騎士が魔法陣を見付け、その魔法陣を崩す。一体いくつの魔法陣を設置したのか、あちこちにあるその魔法陣から、マリオンネにはいない魔獣が現れて、マリオンネはパニックに陥っていた。

 転移魔法陣。地上と繋げたもので、自動的に魔獣を送り出すようになっていたのだ。


「よくもここまで、こんなに多くの魔法陣を隠しておけたな」

 女王やムスタファ・ブレインのいる区域だけでなく、マリオンネに住む者たちの居住区にまでそれは及び、マリオンネ全体が窮地に立たされたのだ。まるで、人々を一掃するような、多くの魔法陣によって。


「ラクレイン様!」

 血相変えて走り寄ってくるのは、ムスタファ・ブレインのフルネミアだ。フルネミアも戦いで返り血を受けている。魔獣がゴロゴロ現れるものだから、魔法陣の攻撃だけでは対処しきれなかったのだろう。ラクレインもそうだ。


「居住区の魔法陣はどうした」

「居住区はすべて破壊しました。魔獣は今の所現れていません。精霊たちもいなくなり、戦いはしやすかったですが、多くの犠牲が」


 居住区の者たちは魔獣など見たことがない。精霊もおかしくなり、いきなり金切り声を上げて飛び立った。その声に怯える正気の精霊もいたが、多くが同じ方向へ飛んでいった。それを見ているだけで恐怖したことだろう。

 そして、何事かと思った途端、魔獣が溢れ、暴れ出したのだ。


「あれだけの精霊を操れる力を持っているとは思わなかった」

 女王としての素質はあったのに……。

 口にはしないが、言いたくもなる。


「翼竜が暴れてくれたおかげで精霊たちは逃げましたから、操られていない精霊たちは無事でしょう」

 精霊が正気を失った後、翼竜たちが集まり精霊を威嚇するかのように鳴き出した。それによって正気に戻った精霊もいたが、精霊は元々翼竜が苦手で、集まった翼竜を恐れてマリオンネから飛び出していった。

 おかげでと言うべきか、精霊を巻き込まずに戦いが行えたのである。


「ベリエルは見付かったか?」

 ラクレインの言葉にフルネミアは首を振る。

「他のムスタファ・ブレインが追っています。転移し続けているので、追跡に難航しており」

「逃げ惑っているわけか」


「ベリエルに従う者たちはあらかた倒しました。その中にムスタファ・ブレインが二人いましたが、処分し終えてます。アンリカーダもやはり見付かっておりません」

「アンリカーダは浮島へ行った。その報告は来ている。あちらも、終わるだろう」

「新しい、女王ですね」

 フルネミアは期待を持った顔をして言った。アンリカーダがいなくとも、次の女王は決まった。だから問題ないのだと。


「アストラルを見たか?」

 ラクレインは答えずに問うた。フルネミアはアストラルを嫌っているので、すぐに顔を顰める。

「まだ見ていません。アンリカーダと一緒なのでは?」

 それはないと首を振っておき、他に残党がいないか確認するよう命令する。


「何度も転移していれば、一度確認し終えた場所にも現れるかもしれない。各場所に人を当てがい、しらみつぶしにしろ」

「承知しました!」


 フルネミアの後ろ姿を見送って、ラクレインは歩き出すと、備えられている転移魔法陣を使い、転移する。

 ベリエルが行く場所。このマリオンネに隠れる場所などない。だとしたら、


 転移して辿り着いた長い廊下。足を踏み入れれば、濁ったような空気を感じた。生臭い、鉄のような吐き気のする匂い。魔獣のものは嗅ぎ慣れて感じなくなっていたが、それとは違う匂いだ。

 白の階段を登れば、剣に血を滴らせて立っている男がいた。


「アストラル」

 踏みつけているものに視線を下ろしていたが、声に気付いて顔を上げた。いつもは後ろに流している金髪が乱れて、額に掛かっている。その下に鋭い灰色の瞳が見えて、獣と勘違いしそうになる。


「凶悪な顔をしているぞ」

「思ったより、抵抗したので」

 低い声音で答えると、剣を振ってその血を飛ばす。念の為なのか、もう一度周囲を見回した。気が立っているのか警戒している。

 アストラルのいる階まで登ると、その床には屍が折り重なっていた。

 よくもまあ、一人でここまでやったものだと感嘆しそうになる。


「ボロボロだな」

「自分の怪我ではないですよ」

「お前の話じゃない。建物の話だ」

「ああ。狭い場所で抵抗するもので」


 女王の寝所。アンリカーダの宮。エルヴィアナ女王の寝所とは離れた場所に建てられた、警備の厳しい場所。

 この一画は強力な警備を強いていたようだが、アストラルには関係なかったようだ。通路はそこまで広さはないので、壁に穴が空いていたり、天井が崩れていたりしている。床もボロボロで、削れたり焦げたりしていた。


 その床の上に倒れ、踏み付けられていた屍の、その表情は、今でも悲鳴を上げて苦しみそうな、生々しい顔色をしていた。

 追いやられて辿り着いた場所で、アストラルが待っていたとは思わなかっただろう。軽く蹴られてゴロリと転がったベリエルの最後は、この男によってもたらされた。


「残っている、ムスタファ・ブレインはどうなりました?」

「もうすべて処分し終えた。ベリエルを探していただけだ」

「それは良かった」


 アストラルは顔を拭う。頬に跳ねていたその血が伸びて、なんともおどろおどろしい。

 ムスタファ・ブレインの白の服は血まみれだ。機動性の悪いムスタファ・ブレインの服を着たまま、一人で大暴れしたらしい。フルネミアは動きづらいマントは早々に脱いでいたのに。


「フルネミアは、お前が女王についていったと思っている」

「彼女は私を毛嫌いしていますからね」

「昔のお前を知らぬからな」

「古い話です」


 ムスタファ・ブレインの中でも古参のアストラル。

 普段はエルヴィアナ女王を敬っている姿など見ることはないが、それを望んだのはむしろエルヴィアナ女王だ。中立に見せて、その実内情を探る役目を持つ。


 ベリエルはそれに気付いていなかった。何を考えているから分からないと遠巻きにはしていたが、見えない顔は誰にでも同じ。誰からも遠巻きにされていた。


「ベリエルを殺したのは、エルヴィアナ女王の命令か?」

「いいえ。私の意思ですよ」


 アストラルは事も無げに返してくるが、よく言うと思う。

 頼まれていた。の間違いだろう。エルヴィアナ女王はアンリカーダが女王になることを憂いつつも、ベリエルが愚行を犯すことを予知していた。


「あの方は父の代から仕えている方ですよ。この地位に私が就いたのも、あの方の指名があってこそ」

 その割にスパイのような真似をしていたわけだが。

「そうであれば、アンリカーダを止められたのでは?」


 意地悪く言いたくもなる。この男はアンリカーダが幼少の頃から教育をしていた。女王になってからも指名されたが、それ以前にアンリカーダの側にいたのだ。

 アストラルはわざとらしく肩を竦める。


「あなたも知っているでしょう。子供の頃、アンリカーダが何をしていたか」

 それは、それは、おぞましく、母親のいない次期女王という立場を抜きにしても、考えられないことをする子供だった。

 思い出しても寒気がする。


 アンリカーダは幼い頃よく、精霊の羽をむしり、生きたまま埋めたりしていた。

 子供の残虐さは大抵の者に見られるものだが、昆虫などと違い、精霊は話すことができる。助けてと叫ぶ精霊を見て、なんの表情も浮かべず、その頭を砕いた。


 それは秘密裏にされたが、その後もアンリカーダは精霊を捕えては、その体を弄んだ。

 エルヴィアナがどれだけ注意をしても、それを知っているムスタファブレインが何を言っても、聞く耳を持たない。

 成長してそのうちやめたと思えば、隠れて行っていたのだから、そのことに気付いた時は、当時のムスタファ・ブレインや女王が話し合いを行ったほどだった。


 それが、母親がいないために起こる不安定な心のせいなのか。しかし、そこまでの残虐性に理由は付けられない。

 どうしてなのか、なぜなのか、そのことを止めても理由すら聞かず、頷くことすらせず、ただ、愚か者を見るかのように、蔑んだ視線を見せた。


 エルヴィアナ女王が注意をすれば、黙って聞いているだけ。

 女王の言うことを端から聞かないということはなかったが、女王の方が身分が高い、そんな程度に聞いていただけだ。


 それが、少しずつ変化していったのはいつからだっただろうか。

 いつからか、女王を見れば憎々しげな顔を向けた。無表情だった子供が、女王に対してだけ感情を持ち始めた。

 その憎しみがどうやって生まれたのか、未だ分からない。


「お前は、知っているんじゃないか? アンリカーダがあれほどの恨みを持つようになった理由を」

 アストラルは口を閉じる。そうして大きな息を吐いた。


「あれがきっかけかどうかは知りませんが、エルヴィアナ女王の命令で、一度だけ浮島に連れていったことがあります。次期女王は幼い頃からあの場所の話を女王から聞くことになっていますが、それを教える前に、連れていくことがあります。それが最初で最後でしたが。その時にラータニア王に会いました。当時の、ラータニア王子に」

 シエラフィアが浮島に訪れていた。その時にはルディアリネは死んでいたが、そこで全てを察したのかどうか。


「ベリエルはその頃には近付いていましたからね。なにをどう伝えていたかは、分かりません。それで、アンリカーダは?」

 アストラルは話を変えた。知らないと言う割には、知っているかのような雰囲気だ。


「死んだそうだ。浮島から落ちて。自ら飛び降りたと」

 先ほど翼竜のカーシェスから連絡があった。マリオンネで大きく騒いで精霊たちを追い出した後、翼竜たちはラータニアに向かった。そこで最後を知ったようだ。


 自ら死を選ぶような者だとは思わなかった。どうにもならなくなって、殺されるならばと飛び降りたのだろうか。

 しかし、


「喜ばれたらいかがです。問題は去りました」


 冷えた言い方にラクレインが顔を上げる。この男こそ無表情だと思うのは、いつも作られた微笑みを貼り付けているからだ。だから何を考えているか分からない。ラータニアの小僧も似たような真似をしてるが、ラクレインの方が年を経ている分、鉄壁だ。


 何が言いたいのか。見据えつつも頷く。

「ああ、問題は去った」

「マリオンネの問題は、これから山積みでしょうが。アンリカーダ亡き後は、どうなさるおつもりですか? あの娘に女王を?」

「フィルリーネが首を振ると思うのか?」

「さあ、私は彼女とは一度しか会ったことがありませんから」


 フィルリーネが女王の印を得た。そのためアンリカーダが死亡しなくとも、女王はフィルリーネだと精霊たちは判断しただろう。精霊の王の選定を終えた、女王の印を持つ者。

 これ以上の器はいない。


 だが、アンリカーダの今回の行動は、精霊たちに大きな闇を落とした。

 マリオンネの存在を大きく覆す、最悪の出来事だ。まるで、アンリカーダに呪いをかけられたかのように。


「それが、彼女の目的かもしれませんよ」

 何も言っていないのに、アストラルが口にする。


「あなたはフィルリーネに、女王として生きていくことを勧めたいのですか?」

 問われて口を噤む。フィルリーネに、マリオンネの女王として生きてほしいか。そう言われて、すぐに頷く気は起きなかった。


 女王としてマリオンネで生きていく。地上で生きる女性が、それを望むだろうか。

 しかも、次の女王となるべく、精霊の子を孕んで?

 エルヴィアナ女王はルディアリネが病んだことで、いつも同じことを言っていた。


『このような制度は、いつまで続けられるかしら。

 双子の片割れをいなかったことにしてまで、女王となり。また、その子を女王にするため、浮島に行く。

 アンリカーダは、それを全否定するような子供だわ』


 しかし、この世界で女王は絶対だ。マリオンネに女王がいなくなったら、地上の王族たちは力を失い、精霊との対話もうまくいかなくなる。

 だから、ルディアリネが死に、アンリカーダがあのように育ったことを、エルヴィアナ女王は憂いていた。

 アンリカーダが女王として精霊を愛しむ心を持たないことに、弱音を吐いていた。


 そう思っていた。


「どうして、お前にアンリカーダの教育を任せたのだ。普通は女王を育てるのは女性で」

 慣例通りならば、女王を教育するのは女性だ。フルネミアのように補助的な役目を担う。

 性格の凶暴なアンリカーダには男の方が良いと考えていたから、気にもしなかったが。


「なぜだ?」

「さあ。私は命令されて彼女の教育を任されただけです」

「では、アンリカーダが、ここまで短慮な真似をしたのは、なぜだ」

「さて、なぜでしょう」


 エルヴィアナ女王は未来を憂いていた。アンリカーダが女王になることを。

 本当に?


 ならば、女王を辞めさせていれば良かった。それこそフィルリーネがいる。女王になるはずだったルディアリネの血を継ぐルヴィアーレと共に、マリオンネで過ごさせればいいだろう。

 グングナルド前王によってできた縁だが、悪いことではない。

 だが、その子は?


 フィルリーネが男しか産まなければ、また女王になるための命を与えてもらうのか?

 それを考えて、エルヴィアナ女王はフィルリーネを女王とはしなかったのだろうか。

 マリオンネの未来よりも、フィルリーネの未来を考えて? ルヴィアーレの未来か?


 アンリカーダは変わらなかった。残忍性を持ったまま、それが治ることはなかった。エルヴィアナ女王は途中から諦めていた。アンリカーダを更生させることを。


 アンリカーダが女王の印を得られなかったことも、気落ちしていた様子はなく、エルヴィアナ女王は分かっていたかのように、当然とそれを受け入れていた。

 そうなると想定していても、落胆することもなく。

 まるで、失格の烙印を押されたアンリカーダが、必要かのように。


 女王としての矜持を持てないアンリカーダ。彼女の残忍性は女王制度を揺るがすものだった。それに拍車が掛かれば、自動的に女王は続かない。

 それで良かった。だが、アンリカーダはそれを知っているかのように、今回の事件を起こした。


 祖母が終わりを望んでいたことに、気付いていたから?

 都合の良い存在だと、知ってしまったから?


「考えすぎるのは止めましょう。アンリカーダは死んだ。エルヴィアナ女王はもういない。孫はいますが。さて、あなたはどうしますか?」


 フィルリーネを女王にする。そうすれば元のマリオンネに戻るだろう。たとえその先に、多くの困難が待ち受けていようとも。今まで通りの、マリオンネに。

 だが、言葉が出ない。


「それが答えでしょう」

 アストラルの言葉に、ハッと顔を上げた。その、心のこもっていない、わざとらしい微笑みを目にして、急に寒気がする。


「どちらにしても、マリオンネは長く続かない」

 女王制度は終わりだ。アンリカーダの死をもって。


 エルヴィアナ女王はもういない。答えを知っている者はいない。

 アンリカーダも死んだ。彼女が何を思って戦いに身を進めたのか、答える声はない。

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