陰謀7
魔獣と精霊を混ぜて、新しい生命体を作り出す。そのために、魔獣を連れてきたのか。
戦いのために魔獣を連れてきたのではない。精霊たちを呼び寄せたのも、戦いに使うためではない。ただ、異形の精霊を作るためだけのもの。
一匹は倒した。もう一匹はまだ遠くにいる。そして二匹が、ニーガラッツの肩の上と、魔法陣の上にいた。
「ニーガラッツ!」
「そう睨まれましても、よくできているでしょう。ここまで簡単に作れるようになったのは、女王アンリカーダ様のおかげなのです」
女王が協力したおかげで、異形の精霊を簡単に作れるようになった。そんなことを、肩を揺らして口にする。そこには生命に対する倫理はなく、ただ己が欲望のために行ったのだと、いやらしい笑いを浮かべた。
女王もまた、問題になどしていない。女王としての矜持もなく、精霊に対しての思いやりなど遠い先。ニーガラッツはそんなことすらどうでもいいのだろう。この男にとって、精霊も女王も何の価値もない。自分の欲求を満たすものがあれば、何でも利用するのだと、出来上がった異形の精霊を見て満足そうに頷いた。
その姿を睨みつけながらも、目が眩むのを感じて首を垂れる。
意識が朦朧とする。ここで意識を失えば終わりだ。なんとか立ち上がらなければと、膝に力を入れた。
「この精霊の魔導を受けて、そこまで耐えられるとは、やはり女王の血を継いでいるだけあるんですかなあ」
誰に言うでもない、呟きが耳に入る。
魔獣の魔導の量が少なかっただろうか。急遽交雑するには、魔獣の強さが足りなかったか。それとも精霊の数が少なかったか。ならば、今ここにいる精霊を増やしてみようか。
ニーガラッツはここまで集まってきていた精霊たちに網のようにした魔導を投げて、魚でも獲るように手繰り寄せる。近くで倒れている魔獣も引き寄せて、再び魔法陣を描き始めた。
これ以上の暴挙は許せない。
だが、身体がうまく動かず、足はガクガクと揺れた。立ちあがろうとすれば胃の中で何かが暴れるような感覚がし、そのまま吐き出しそうになる。
首をもたげれば、そのまま倒れてしまいそうだ。
もうここまでか。
そう少しでも思った時、首からしゃらりと何かがずり落ちてきた。それは首元で留まり、ぶらぶらと光りながら揺れている。
「女王とは違った生まれでは、魔導量も少ないということですかな。それはそれで、使い道はありますがの。比べることはできませんがな」
ニーガラッツが草花を分けるように歩いてくる。老人特有の足を擦った歩き方で、草花を踏みつけた。異形の精霊もまた近付いてくる。鳴き声が耳に届いて、ルヴィアーレはその光を握りしめた。
「ギャッ!!」
弾けるような鳴き声に、ニーガラッツがすり足で後ろに下がった。
「まだ、そんな元気がありますか」
驚いたというより、感嘆したような声をあげて、ニーガラッツは後ずさった。
肩にいた異形の精霊がほろほろと崩れるように灰になり、風に乗って消えていく。
ルヴィアーレの飛ばした剣がくるくると回って地面に突き刺さった。魔導で飛ばされた剣は異形の精霊を突き刺し、その命を消した。
ルヴィアーレはゆっくり立ち上がる。
握りしめた光。フィルリーネが女王エルヴィアナから下賜された、精霊の雫のペンダントだ。
精霊の雫には魔導が入っている。それだけではない。どこか力が湧いてくる気がするのは、この石に癒しの力が入っているからだ。
あなたが持っていた方が、いいでしょう?
そっちの方が、危険があるから。
そう言いながら、あどけなく笑った。
型破りの王女。
「ひひ、そうでなければなりませんよ。そうでなければ、精霊の命を持つとはいえない」
「黙れ! 前王が失脚すれば今度は女王か。己の望みを叶えるために、よくも多くの命を蔑ろにしたな」
「そのようなお言葉を口にされる方だとは思いませんでした。グングナルドはさぞ居心地が悪かったでしょう。あの国は何かと自由でしたからな」
「そう導いたのは、お前だろう?」
「これは異なことを。王が望んだことです」
王が失脚した今では、遠い昔のようで感慨深いと、ニーガラッツは肩で笑う。
前王はただの傀儡だ。分かりやすい望みを持った前王を操るのは簡単だっただろう。
「フィルリーネの叔父を殺したのは、お前か」
ルヴィアーレの問いに、ニーガラッツは深いしわだらけの頬を上げた。
「ハルディオラ様は、王にとって邪魔な者でしたな。マリオンネと繋がり、人型の精霊を側に置いた。弟であるハルディオラ様は特別な力を持たれた方だった。王が憎く思って当然の存在でした。父王も次期王はハルディオラ様と決めていたものですから、それは、それは、ひどく激怒されて。いやはや、あの頃の憎悪は凄まじかった」
父王が死に、王になり、それでも弟を苦々しく思っていた。
「新しいことを行うにも、むやみやたら正義を振り翳すものは邪魔でしかありません。王はその日をいつかいつかと待ち望んでおったものです」
そうして起きた、あの日。
人型の精霊が側を離れるのは、あの日しかない。
マリオンネから帰ったその日は、雨が降っていた。
「雨に混じった毒は、肌から簡単に入り込む。よくやる手ですよ。だから王は、雨ですら嫌っていたものです」
「雨に、毒、だと……?」
いつの日だったか、前王は身体中に魔導の結界を張らせていた。急な雨に、弾かれた雫に、その結界があらわになった。
それでなのか。
雨までも弾く結界を作らせていたのは。
「毒さえ含めば、原因などどうにでも操作できますよ。簡単なものです。さて、そろそろ良いでしょう。女王の血を継ぐ者の死体を使えると思うと、今からでも興奮しますのでな。何をするか、考えていることは多いので」
ニーガラッツは魔法陣を描いた。まだ異形の精霊は作れると、精霊たちや魔獣の死体を引き寄せる。その間にまだ生き残っている異形の精霊が近付いた。
「させるか!」
ニーガラッツが魔法陣を発動する前に、ルヴィアーレが先んじる。描いている途中の魔法陣を切り裂き、その発動を邪魔した。しかし、ニーガラッツは素早くルヴィアーレの足元に魔法陣を描いた。
「魔導封じ!?」
小さなものでもそのものの魔導を封じ、外へと放出する魔法陣。
すぐに転移を施し、起動される前にその場を退く。魔物向けの魔法陣だが、人に使えば急激な魔導の消失で死に陥る可能性もある。そんな使い方考えたこともない。
戦い慣れているというより、生物の欠点を良く理解して攻撃してくる。さすが、あの王の元で魔導院院長の座に居ただけあるか。
ニーガラッツはその隙に異形の精霊を作り出していた。魔法陣を描く速さも並ではない。
異形の精霊が近付く前に、ニーガラッツを囲むように氷の刃が届く。地面から突き出してくる氷の攻撃に、ニーガラッツが周囲へ防御を掛けた。地面からの攻撃を避ける、足元だけの防御だ。
「往生際の悪い方ですな」
「どっちが?」
その振りかぶられた剣を、避ける間などないだろう。
金色の髪がなびいて、その軌跡を追った。剣の切っ先はニーガラッツの首元に届き、腕を割くように振り抜かれた。
「ぎゃああ!!」
ニーガラッツの悲鳴を聞く間もなく、フィルリーネは異形の精霊に剣を突き刺す。魔導を使ったルヴィアーレと同じ方法で、剣だけを飛ばし、その身体を真っ二つに吹き飛ばした。
ヨシュアが口から炎を出すと、新しく生まれた異形の精霊を消し炭にした。翼竜の炎は魔導と違うからか、一瞬で消え去ってしまう。
「はー、間に合った。間に合った」
「フィルリーネ!」
「あんまり間に合ってなさそうね。ヨシュア」
フィルリーネは倒れているエレディナに気付き、ヨシュアに運ばせる。意識を失ったままのエレディナに眉を顰めながらも、癒しを施した。
温かい光に、こちらまで癒される気がする。どこか、滲み出るような魔導の量に、不思議な感じがした。浮島にいるからだろうか。
エレディナの火傷だらけの肌が元に戻っていく。ぴくぴくと瞼を動かし始めた。
あっという間の癒しだ。治療は早いが、傷は深かった。しばらく意識は戻さないだろう。
それにしても、
「フィルリーネ、その、髪は」
「ああ。ちょっと切れちゃって」
「切れちゃって?」
フィルリーネは首の後ろにかかる金の髪を無造作にかいて、王女らしからぬ仕草をした。
首元がすっきりしていて、ない髪の毛を探しているかのようだった。ばさばさと首元にかかる髪を擦ってみせる。
長く美しく靡いていた金の髪が、肩に乗るか乗らないかの長さになっている。しかもあまり揃えられておらず、誰かに無理に切られたかのようだった。
「切れちゃったのよー。だから軽く揃えたけど、適当に切ったから、あちこちアホ毛がねえ」
間延びした話し方に、脱力しそうになる。
突然の出現前に、ヨシュアが頭の中でニーガラッツを足止めしろといきなり言ってきたのだ。氷の攻撃で周囲から円状に足元を固める攻撃をしたが、フィルリーネが転移して攻撃するとは思っていなかった。
相変わらず呆気らとして、フィルリーネは軽く笑ってから、草むらに転がるニーガラッツに視線を向けた。
「ひ、は。はは。こちらにいらっしゃるとは。フィルリーネ様。よくもそこまで、騙し続けたものですな」
「気付かない方がアホなのよ」
「無能な父親とは違いましたか。実に素晴らしい」
ニーガラッツは腕をぶらりと下げながら、自らに癒しをかけてその腕を治療する。血が流れた分顔色は悪いが、大して問題ではないと、曲がった腰から顔が見えるように首を上げた。
「うわ!!」
瞬間、ニーガラッツの指から魔導が飛ばされた。フィルリーネはヨシュアによってそれを避けたが、驚いている風にしながらも余裕があるように見えた。
「危ないわあ。あれ、持ってるの」
「気を付けろ。フィルリーネ!」
一応言っておくが、フィルリーネはやはり大したことはないと、肩を竦めた。
「血だらけの人に言われても」
「余計なことだし、問題ない」
「問題あるよ。ひどいよ、ボロボロだよ」
ボロボロは余計だ。こんなことを言いたくないが、もう少し気の利いたことは言えないのだろうか。
そう言いかけてやめた。フィルリーネはいつの間にか人に癒しを施して、ニーガラッツを睨み付けている。
「君の、叔父の仇だ。君が仕留めるか? それとも、私がやって構わぬか?」
その言葉にフィルリーネは眉を上げた。殺したいのならば殺せばいい。だが、その役目は自分にほしいと思った。彼女の痛みを、自分が晴らしたいと思ったからだ。
「構わぬのなら、私がやる。精霊を蔑ろにした罪は許せるものではない。この傷のお返しもしたい」
一瞬だったかもしれない。それでも、フィルリーネはルヴィアーレを瞬きもせずに見つめた。久し振りに見る、その蜂蜜のようなとろけそうな色をした瞳。怨嗟にまかれてくすみ掛けたその色が、初々しい洗練された色に戻った。
「任せるわ」
「分かった」




