日常
「随分賑わっているな」
「久し振りの祭りだからね」
フィルリーネはルヴィアーレを連れて街へ出ていた。既に酔っ払って大声を出す者や、香ばしい匂いをした肉を頬張る者もいる。
屋台が出て、そこに並ぶ焼き菓子や肉などを眺めて、フィルリーネはいつもの場所に向かった。
今日は精霊の祀典である。
早朝からお風呂に入れられて、髪の手入れやら化粧やらをされて、去年以上に気合が入っているなと思ったが、去年と今年で側使えたちが変更されたからか、と納得する。
ヨナクートを筆頭にした側使えによりフィルリーネの装いは整えられて、ルヴィアーレの待つ部屋へと行く。
去年、ルヴィアーレの装いを見るために部屋の周囲をうろつく者たちがいたが、今年ももれなく同じことをする者がいるようだ。警備は多いためおかしな者はいないだろうが、浮き足立っている女性たちを見るのも久し振りで感慨深い。
もう、一年が経ったわけだ。
ルヴィアーレがこの国に来てから多くのことが矢継ぎ早にありすぎて、まだ一年かと思うが、一年のうちに終わらせることを終わらせたのに、別の問題が起きてしまった。
ルヴィアーレの今年の衣装を拝むことになって、去年は真っ白だったことを思い出したが、今年は違うらしい。
紺色に銀の刺繍。中は黒に近い紺色だが足元が真っ白で、足の長さがよく分かる。なんだ、自慢したいのか!
今回も合わせる気はなかったのだが、フィルリーネも寒色系で、淡い青のドレスだった。
二人が並ぶと、ほう、と皆が吐息をつく。いいから皆さん仕事にお戻りください。
祀典といえば演奏だが、本日は特別な催しとして考えていた。
コニアサスがこちらに気付いて、ぱっと笑顔を見せる。可愛らしすぎだ。
側に控えている教師のラカンテナがフリューノートのケースを持っている。それを確認すると、コニアサスは照れたようにして体を揺らめかせた。
「たくさん、れんしゅうしました!」
「ええ。知っているわ。とっても頑張りましたね」
「はい! 今日は、がんばって吹きます!」
隣でミュライレンが心配そうな顔をしていたが、コニアサスなら立派にこなしてくれるだろう。ラカンテナがかなり力を入れて演奏を見てくれていたのも知っている。
「ラカンテナ、演奏まで見てくれてありがとう。コニアサスも楽しく練習していたみたいで安心したわ」
「コニアサス様の努力の結果です。フィルリーネ様も何度も足を運んでいただいたので、コニアサス様もその時間を楽しみにしていらっしゃいました」
嬉しいことを言ってくれる。コニアサスは頬を紅潮させていて、これから舞台で皆の前で演奏をすることに興奮しているようだった。
「コニアサス様は人前に出ることはほとんどありませんので、緊張がどの程度になるかは分かりませんが、人前で練習はしておりますので、おそらく問題ないかと」
ラカンテナがこっそりフィルリーネに教えてくれる。
「大丈夫でしょう。わたくしも気を付けて演奏しますから」
「楽しみにしております」
ラカンテナは今日眼鏡をしているせいか、目付きの悪さが割増なのだが、声が優しげだ。ホッと安堵したような声を出したので、ラカンテナも若干緊張しているのだろう。
精霊の祀典で演奏は初めてというより、コニアサスが人々の前で注目されることがほとんど初めてなのだ。
前王はコニアサスを前に出す真似をしなかった。フィルリーネがいるというより、後継者に興味がなかったのだろう。大きな催しで一緒にいることがあっても、声を掛けているのは見たことがない。
そのため、人々の視線がコニアサスに集中する中、何かを行うというのは初である。
もちろん、その助けのために自分も演奏するのだが。
「二人で演奏なんて楽しみだわ!」
「浮かれすぎではないのか?」
悦びに勇んで演奏が待ちきれないフィルリーネに、ルヴィアーレが呟いた。うるさいよ。浮かれて何が悪いのさ。
精霊の祀典に人々は集まり、舞台を残して席に着いたのを見計らい、王族が入場する。
度々この催しにトラブルが起きるが、警備はいつも以上に厳重だ。その中で、厳かに祀典は始まった。
ラータニア王の件から精霊たちは集まりながらも遠巻きにこちらを見ているが、この日の演奏を知っている精霊たちが演奏を待っている。
今回は、次期王がコニアサスであることを示すための演奏でもあった。
コニアサスがラカンテナから渡されたフリューノートを手にして舞台に立つと、コニアサスは口をポッカリ開けてどこかきょろきょろと目を動かした。
さすがに集まっている人数が多すぎるか、視線が全て自分に注がれると気付いて、今にも泣きそうな顔をしてしまう。
「コニアサス」
フィルリーネの声にコニアサスはぱっと振り向いた。
フィルリーネが席に着き、ロブレフィートの鍵盤に指を乗せる、そうして、ゆっくりと頷いてやると、怯えていたような瞳をきらきらさせて、そっと演奏を始めた。
コニアサスの始めた演奏にフィルリーネが合わせていく。今回の演奏はあくまでコニアサスが主役だ。
街の賑わいが聞こえる中で、コニアサスのフリューノートが響く。簡単なメロディではあるが、その分伴奏であるフィルリーネがその音を補った。
柔らかな音の中に、淡く暖かな空気を感じる。
これを感じられる者はこの中にどれほどいるだろう。仄かに光り始めたコニアサスの魔導に引き寄せられて、精霊たちが瞬き始めた。
まだ昼間で光は良く見えないかもしれないが、それでも気付く者たちはいるだろう。
前王が演奏をすることはなく、それと比べることはできないが、コニアサスが今までとは違う演奏をしているのだと分かるはずだ。
わっ、と聴衆が拍手をして歓声を上げた。
コニアサスは瞳をぱちぱちと瞬かせてこちらを見上げる。
「コニアサス、ご挨拶をして」
フィルリーネの言葉に、コニアサスは満面の笑みを湛え、軽く手を上げた。
精霊を操ることのできる、次期王が現れたのだと、すぐに知れ渡るだろう。
「あの時の演奏は、あまりにもお膳立てが過ぎると思ったが?」
ルヴィアーレは祀典の演奏について、そんな感想をくれる。
「いいのよ。あれくらい分かりやすく皆に知らせた方がいいでしょう。コニアサスが実際行なったのだから、問題はないわ」
前回のルヴィアーレの演奏でもほんのちょっぴり魔導は流していたが、コニアサスは全力でそれを行なった。緊張していた分、魔導を流しすぎてしまい、その後疲れですぐに眠ってしまったが、ルヴィアーレよりも魔導が外に現れて精霊の集まりも多かった。
「夜でなかったのが残念だったわ」
夜であれば精霊の瞬きが良く分かる。光の点滅はきっと美しく彩られたことだろう。次回から夜に演奏しようか、迷うところだ。
「君が演奏をすれば良いと思うのだがな」
「私が行なったら、意味ないじゃない」
それではコニアサスが次期王に相応しいのだと、人々にアピールできない。今のところフィルリーネが王代理として居座っているが、コニアサスが成人すればすぐに王になるのだと、人々に知ってもらいたいのだから。
「わざわざ、君は魔導を使わず抑えて弾いてまでして……」
ぶつぶつうるさい。フィルリーネはルヴィアーレを無視して、旧市街へと足を向ける。
祭りだから屋台も出ているが、やはり品は多くなさそうだ。物価上昇もしており、食糧難とまではいかなくとも、じりじりと市井の食糧問題が浮き彫りになってきている気がする。
街の物価高は資料を得ているが、直接確認したい。しばらく会っていなかったバルノルジにその辺りを聞きたいと街に出てきたが、ルヴィアーレを連れてきたのは街にいる精霊の雰囲気も見てほしかったからだ。
去年の祀典でルヴィアーレは精霊の祭りで殺生を行うことに驚きを隠すこともしなかった。この国での祀典は祭りで、楽しむ意味もあり、それに精霊も喜んでいることを伝えられればと思ったのを思い出したのだ。
この時期に、未だ冬の館とマグダリア領が睨み合っている状況で街に出ることは反対があったが、ルヴィアーレに見せる機会は今日くらいだと思い、無理に連れてきたのである。
鳥追いは始まっており、近くで鳥が鳴く声や歓声が聞こえた。
「ほら、もう始まってる。精霊たちも見にきてるわ」
ルヴィアーレの腕を引っ張って、フィルリーネは鳥追いの柵近くまで近寄る。頭の中で、ヨシュアが、あっち行った。また来た。とかうるさい。
ヨシュアも鳥追いは好きらしく、興奮した声で叫ぶが、頭の中なので少しは遠慮してほしい。
同じく鳥追い好きのエレディナは最近ずっとフィルリーネの近くにいなかった。ラータニア王が襲われた件で、近くに寄るのを避けているようだが、精霊たちの動きを確認しているようだとヨシュアは言う。
気にせずに近くにいろとは言えない。エレディナも不安なのだ。今は彼女の好きにさせているし、呼べばすぐに来るので心配はしていない。
代わりのように、カーシェスが城に現れるようになった。
ヨシュアと同じ翼竜のカーシェスは精霊の結界を無視し、ラータニア王への手紙を持って帰っていったが、その後も時折現れてヨシュアをからかいに来た。ラータニア王から何か繋ぎをつけるわけでもないのだが、ラータニア王にグングナルドの様子を見るよう頼まれているのかもしれない。
手紙の返事には体調はどうなのかと記したのだが、その返事は来ていなかった。
良いのか、良くないのか。他国の王族に伝えるつもりはないだろうが、ルヴィアーレ宛の手紙をカーシェスに渡しても良いと思うのだが。ルヴィアーレが帰りたがらないようにしているのだろうか。
「すごい騒ぎだな」
「皆楽しそうでしょう。あの子たちもそうよ」
フィルリーネが顔を上げると、ルヴィアーレも顔を上げる。精霊たちが鳥が走り抜けるのを追って、後ろからやってきた別の鳥にぶつかりそうになっていた。
目に見えていないのだが、鳥の風は受けるので、その風で飛ばされてケタケタ笑っている。陽気な精霊たちだ。
そちらを眺めていると、制服を着た男がこちらを見ていた。
ナッスハルトだ。




