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動き5

 闇の精霊が飛んだその日の夜、冬の館では大雪が降り続けた。

 予定外の大雪だったため、マグダリア領兵士は足止めを食らったようだ。


『兵士たちの動きに変化はなく、こう着状態』

 冬の館から届いた連絡に安堵しつつ、フィルリーネはもう一枚の手紙を見遣った。

 ラータニアから来た秘密の書簡だ。


 それを持ってきたものがヨシュアの隣で頭をなでている。ヨシュアが微妙な顔をしているのを軽く見遣ってから、返事を書くためにペンを手にした。


「あたま、触るな!」

「久しぶりに会ったのだし、触らせてちょうだいよ」


 ストレートの長い濃い青の髪に、長い手足。骨張った身体から性別は男性のように見えるが、言葉遣いが女性のようで、真っ赤な口紅がよく似合っている。


 カーシェス、と名乗った男はヨシュアの頭を愛しそうになでながら、うふふと笑った。

 ラータニア王、シエラフィアから頼まれ、彼の手紙を持ってきたわけだが、ヨシュアと親しい関係のようだ。


「ずっと会っていなかったのだし、少しくらいなでさせてほしいわ。わたしはとても淋しくしていたのだから」

「さみしくない! フィルリーネ、手紙まだ書き終わらない!?」


 ヨシュアはカーシェスに触らせまいと、ばちりとカーシェスの手をはたく。

 カーシェスは唇を尖らせて、ちらりとこちらに視線を向けると、色っぽく口角を上げた。


「うちの子を使役にするのは苦労がいるでしょう。まだ赤ちゃんだもの、かわいいけれど、役に立てているか不安だわあ」

「よく仕えてくれてますよ。助かっています」

「あら、そう? 普通翼竜は人に慣れないのよ。マリオンネの者ならともかく、地上にいる者ではね。王族といえども特別扱いをする考えは持っていないから。なのに、いつの間にか地上に降りるようになって、帰ってこなくなってしまったの。淋しいわあ」


 カーシェスがヨシュアの腕をとって肩に頭を寄せると、ヨシュアは苦手なものでも見るかのように顔を歪めて歯を剥き出した。

 ヨシュアが子供のように嫌悪を見せるのは珍しい。エレディナと口撃し合って子供の口喧嘩を見せることはあるが、苦虫を嚙みつぶしたような顔をすることはあまりない。

 ヨシュアにも好き嫌い以外に苦手なものがあるのだと再確認する。


「手紙だったら取り行くのに、何でお前が来るんだ!」

「ラータニアの王が、お前を呼ぶ術などないでしょう? 相変わらずおばかちゃんなんだから」

 つん、と鼻を指で押されて、ヨシュアは虫でも払うように顔をブンブン左右に振った。カーシェスは楽しそうに笑っているが、こちらに向ける金色の瞳が鋭い。


 翼竜は普通人には慣れない。マリオンネに住む者には慣れることがあるようだが、地上で翼竜を手懐けたのは叔父のハルディオラくらいだろう。

 その血縁者である自分にヨシュアが慣れたのも、子供の頃から会っていただけにすぎない。本来ならば慣れるはずのない生き物である。カーシェスはヨシュアが地上で王族に仕えていることが気に食わないか、笑顔を見せながらもこちらを見る目はとても静かで冷淡な雰囲気を持っていた。


 翼竜の仲間に会うのは初めてだ。ヨシュア以外に翼竜を見たことがない。今までマリオンネの浮島に住んでいたが、アンリカーダが女王になったことで翼竜たちは住処をラータニアへ変えた。

 どこに住んでいるかははっきりしないが、ラータニア王の手紙をグングナルドに渡しに来るまでラータニア王と交流を図るようになったらしい。


 ラータニア王の手紙は誰かが代筆したのか、女性の手だった。おそらくジルミーユだろう。

 自分でペンを持てないほど体調が悪いのか、さすがに手紙には書いていない。しかし、その内容も明るい話題ではなかった。


「闇の精霊が城を襲うのは珍しいわよねえ。ここのところ精霊の動きがおかしくて嫌になるわ」

 カーシェスは手紙の内容は分かっていると、こちらの反応を確かめるようにため息混じりに口にする。

 カーシェスの手が離れたと、ヨシュアはすぐにソファーを経ってフィルリーネの側に寄りカーシェスを威嚇した。


 闇の精霊が動く頃、何者かが動くと予想していたが、ラータニアでは闇の精霊自体がラータニアの王城を襲った。

 襲ったと言うよりは、何かに誘導されたかのように、王城の窓目掛けて闇の精霊が押し寄せたそうだ。

 本来ならばマリオンネに飛ぶはずの闇の精霊。それが大挙して王城に入り込み、城は混乱に陥った。


 それが、アンリカーダの仕業なのかはまだ分かっていない。


「翼竜たちは、精霊の動きがおかしいと思うことがあるんですか?」

「ラータニア王を襲った精霊が死んだ後、精霊たちはひどく怯えてねえ。わたしたちのところに逃げてくるほどだったのよ。精霊たちはわたしたちを避けるのにね」


 精霊は翼竜を恐れる。翼竜の吐く炎に巻かれれば一瞬で黒焦げになるからだ。翼竜に比べれば精霊はとても小さな存在。恐れるのは当然で、近寄る真似も避ける。

 その精霊が翼竜に助けを求めるかのように近付いてきた。それは間違いなく異例のことだ。


「逃げる場所を探す精霊も増えてきたわ。ラータニアの王族を好む者たちが、彼らから離れるためにわたしたちに助けを求めるなんてかつてない話よ。おかげで配達員なんて真似をすることになってしまった」

「手紙くらい届けるの、簡単!」


 ヨシュアは偉そうに踏ん反り返って反論したが、そんな話をしているのではないと、カーシェスは肩を軽く竦めてヨシュアにもう一度、おばかちゃんねえ。と返した。ヨシュアはフィルリーネの頭の上で威嚇したが、フィルリーネは文字を書くのを止めて頭を上げる。


「翼竜の側に逃げてきたということは、精霊たちを操る者が翼竜を恐れると精霊は考えているのでしょうか?」

「……さてね。わたしたちを恐れるのは誰も彼もじゃない? 精霊はそう思っているわけだわ。わたしたちの側にいるより、更に恐ろしい何かを避けているのではないの?」

「それが何なのかは、お分かりですか?」

「知らないわあ。精霊たちはわたしたちを恐れながら、それに怯えているのよ。仲間が急に死んだのだから分からないでもないけれど。余程のことだったとはいえ、わたしたちの側に逃げ込んでくるのならば大事よね」


 確実な答えを語る気がないのか、カーシェスは誤魔化すように答えを口にせず、クスリと微笑む。色っぽい仕草をしながらも、やはり視線は鋭くこちらを品定めしているかのようだった。


「ラータニア王から手紙を受け取った経緯を聞かせてもらってもいいですか?」

「あの日の夜、闇の精霊たちが悲鳴を上げてね。何事かと皆で様子を見て回ったのよ。精霊たちも普段ならば闇の精霊を嫌がって早めに住処へ戻るのに、突然鳴き出して」


 カーシェスはその時のことを思い出すように、淡々と話し始めた。

 夕暮れに闇の精霊が飛び始めて、少しずつ空が暗んでいく。集まりつつあった闇の精霊が徒党を組むように空を闇に染めた。

 いつも通りの風景の中、突然闇の精霊たちが悲鳴を上げたのだ。


「考えられる? 空を覆うほどの闇の精霊が、一斉に悲鳴を上げるの。そりゃわたしたちだって驚くし、住処に戻った精霊たちも怯えるわ。いつもならばマリオンネに飛ぶはずなのに、飛んでいく方向は違うし、わたしたちは何事かと闇の精霊を追ったのよ」

「そして、それらが城に集まったわけですね」

「そうよ。闇の精霊たちは混乱したみたいに城の中で飛び回って、人間たちも散々だったでしょう。ガラスは割れて、城の中もごちゃごちゃよ。そうしたら、精霊たちが王を守ってってわたしたちに呼び掛けるの」


 助けて。助けて。

 小さな精霊たちが翼竜へ鳴きながら頼み、叫び続け、カーシェスがラータニア王を探した。

 そうして、そこで眠っていたシエラフィアを見つけたそうだ。


「ラータニア王の様子はどうなんでしょうか。彼は、毒を受けて身体を壊してるんです」

「精霊が王を襲ったと言うのでしょう。その話は聞いているわよ。逃げてきた精霊が怯えている理由だわ。わたしが彼の元へ行った時は、女騎士が精霊を倒してしまっていたけれど」


 女騎士。おそらくジルミーユではなかろうか。彼女は昔王を守る騎士団の一人だった。シエラフィアを守るために彼女が闇の精霊を倒したのだろう。


「手紙には無事だと書かれていますが、何分そこまで真実は教えてもらえないので。彼の息子がグングナルドにいますから、ラータニア王が無事であるか真実が知りたいのです」

「闇の精霊に傷付けられたかって聞いているなら、女騎士が倒したから問題ないわよ。ただ、あの身体は弱っているから、そういう意味なら無事ではないわね」


 前に会った時より体調を崩しているのだろうか。カーシェスに聞いてもそこまで判断できないだろう。しかし、あまり良くないのは間違いない。

 そんな中で闇の精霊が暴徒と化した。病人に鞭打つような出来事だ。


「原因は何だと思いますか?」

「さあね。闇の精霊は混乱してたみたいだし、何が起きているのかあの子たちも分かっていなかったんじゃない? 城の中で逃げ場を探してパニクっちゃったみたいな感じよ。結局外に出られた子たちだけでマリオンネに飛んでいったわ。城に残った闇の精霊は人間に殺されたから、後々面倒になるかもしれないわね……」

「それは……」


 城の中で闇の精霊を殺した。事実だけを見れば精霊たちは不審を抱くだろう。王族のいる城の中で、精霊を多数殺したのだから。

 グングナルドで起きたように、精霊たちはラータニアの城から離れようとするかもしれない。もっと安全な自然のある場所。ラータニアから出ることは叶わないため、人の少ない場所を探すかもしれない。


 精霊の力を借りる王族たちから離れるとなれば、グングナルドのように草木が枯れる道へ進むかもしれない。

 精霊を連れる真似をするわけではないので、そこまで大きな環境変化はないだろうが、王族を避けるようになるのは問題だ。


「地味な嫌がらせみたいよねえ。王族の力を削ぐわけじゃないけど、精霊を殺した罪は深いわあ」

 カーシェスの言葉にフィルリーネは、はっとして頭を上げた。


「罪……。罪にする気なの……?」

「ちょっと、返事ちゃんと書いてよ。ヨシュアに会いにきただけじゃないんだからね」


 カーシェスに急かされて、フィルリーネはペンを持ち上げた。

 カーシェスは分かっているのか、とぼけたように鼻歌まじりで他所を向く。


 アンリカーダは、これを罪にする気か。

 王族が精霊を殺した。その事実を、罪に。


「ペンが止まってるわよ」

「カーシェスさん、マリオンネについて、女王について詳しいですか!?」


 フィルリーネが語気を強めて問うと、カーシェスは目をそばたてて口を閉じる。笑みの消えた表情から冷えた雰囲気が感じられるが、フィルリーネはその金色の瞳をじっと見つめた。


「何か聞きたいことでも?」

「あります!」


 フィルリーネのはっきりとした言葉に、カーシェスはただただ沈黙した。

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