動き4
「体調は大丈夫なの?」
「問題ない」
ルヴィアーレはいつもと変わらず特に表情もないまま返事をしてくる。
顔色が悪いわけでもないし、疲れているような雰囲気もないが、ルヴィアーレは感情を隠すのもお得意なので、本当に体調が良くなったのかまだ悪いままなのか良く分からなかった。
ラータニアのことで疲れがあるのは当然だろうし、早めに話を切り上げよう。
見舞いというわけではないが、今日はルヴィアーレの部屋にやってきた。前の棟より日当たりが良く警備がしやすい場所に引っ越してもらったので、フィルリーネは軽く部屋を見回した。
まともな部屋を充てがったのだからおかしなところはないだろう。
それには安堵してソファーに座ると、ルヴィアーレは皆に出ていくよう手を軽く振った。
アシュタルは若干片眉を上げたが、ちらりとこちらを確認して出ていく。
皆が部屋を出ていくと、ルヴィアーレは少しだけ力を抜いた。やはり体調はまだ良くなっていないのか、少しだけ疲れを見せる。
「風邪でも引いたのかしらね。最近寒くなっているし。とはいえ、王都の寒さなんてたかが知れているから、すぐに暖かくなるけれど」
ダリュンベリは気温が高い場所なため、冬になっても雪が降ることはほとんどない。北部はそろそろ雪が降る頃だが、冬の館は積もり始めているだろう。
冬の館に秘密裏に兵を送ったが、マグダリア領に気付かれず行う必要があった。領同士の戦いに王族が理由なく手を出すことができないからだ。
ミュライレンの故郷であるダリアエル領に航空艇で兵を送り、そこから徒歩で冬の館へ侵入する。
魔獣を増やしたのはそれを邪魔するためでもあっただろう。冬の館があるサマレンテ領は山に囲まれている。そのため雪も降り始めている山を越えるのに時間が掛かった。だが致し方ない。
領地戦が始まる前に兵をもう少し多めに送っておくべきだった。
そんなことを今さら言ってもだが。
フィルリーネはルヴィアーレにその話を告げた。今後再び争いが起きる可能性が高くなったため、一層警備が増えるからだ。
「王都に刺客がやってくるかもしれないというわけか。オルデバルトはどうしてもこの国を手に入れたいようだな」
「危険なのはあなたとコニアサスなの。悪いけれど、あなたの周りにも警備を増やさせてもらうわ」
ルヴィアーレは納得したと頷く。
「それと、来週闇の精霊の渡りがあるから、特に気を付けてちょうだい。ほとんどの者が部屋の中に閉じこもるから、外を動いても気付かれにくいのよ。おかしな動きがあるかもしれないから」
「もうそんな時期か……」
ルヴィアーレは感慨深げに言う。それもそうだろう。ルヴィアーレがこの国に来て、とうとう一年が経とうとしていた。
闇の渡りが終われば一年だ。長いようで短いような。怒濤のような一年だった。
ルヴィアーレとの婚姻がなされる前に追い出す予定だったのだが、予定外のことが起きすぎて結局一年。それ以上の日々をグングナルドで過ごさせる羽目になるのである。
ルヴィアーレがラータニアに戻れる日はいつ来るのか。現状では想像すらできない。
アンリカーダが本来の女王らしく、王族に進言するだけの立場になるなどと、あり得るのだろうか。
「あ、そうそう。ちょっと後ろ向いて」
フィルリーネは思い出したと隣に座るルヴィアーレによそを向くよう押しやる。
「何だ?」
「前にあげた髪紐ずっと使っているでしょう。別の色でも作ったからこっちにしなさいな。色々作ったのよ」
フィルリーネはルヴィアーレの髪紐をさっと引っ張って、新しい髪紐を手にソファーの上で立ち膝になる。
ルヴィアーレが嫌がると思ったが、髪紐を見ると大人しく後ろを向いた。
「あなた誕生日すぐでしょう? 私の誕生日と近かったのね。誕生日会でもやりたいところだけれど、今城に人を招くのは危険だから、内々で食事でもしましょ」
「……何か欲しいものでもあるか?」
「それは私が聞きたいんだけれど?」
ルヴィアーレの方が先に誕生日なのだが、こちらの誕生日を気にしてくれるらしい。
誕生日など、多くの者たちから贈り物が届き、それをいらないと言いながら皆に配るのが常だった。誕生日会などは開かない。前王が娘の誕生日を覚えていなかったからだ。
いや、前王も自分の誕生日を祝うことはしなかった。生まれた日など、どうでも良かったのだろう。
誕生日にはアシュタルやカノイ、イムレスやガルネーゼたちが何かしら贈ってくれる。
それが嬉しかった。心から祝ってくれることに、幸福を感じられるからだ。
きっとルヴィアーレはラータニア国で祝ってもらえていただろう。変に飾り立てるより親しい者たちで祝った方がルヴィアーレは好むはずだ。
「グングナルドで祝うのは、今回限りにしたいわね」
来年の誕生日はラータニアでおくれるといいのだが。
そう思いながら口にすると、まだ結び終わっていないのにルヴィアーレがこちらに勢いよく振り向いた。
あっと思った時には髪紐がソファーに落ち、髪紐を握っていたはずの手をぐっと握り締められていた。
「え、何。どうしたの?」
髪を引っ張りすぎて痛かっただろうか。手櫛で済ませようと思ったのがいけなかっただろうか。ルヴィアーレは人の手首を握り締めたまま微動だにせず、その銀色の瞳をこちらに向ける。
眉間に皺が寄っているが、その青銀の瞳が近付くとつい見つめてしまう。じっくり見ることがないため、遠慮なく眺めてしまいそうになった。
「ラータニアに戻る話はするな」
ルヴィアーレは怒気がこもった声音で静かに口にする。ピリつかせる空気が珍しい。
しかし、ここのところラータニアに戻った時の話をすると、不機嫌を見せていたのは確かだ。
フィルリーネはこくこく頷きつつ、やはりじっと青銀の瞳を見つめた。見ているとなぜか心が落ち着く気がしたからだ。
ここ一年で見慣れた色になったからだろうか。宝石のように輝く瞳は氷の中に咲く凍えた花のように見える。
『エレディナ、帰ってきた』
『あ、ばかっ! 何、邪魔してんのよ!!』
突然ヨシュアとエレディナの声が頭に響いてフィルリーネは頭を上げた。頭の上で二人が話しているわけではないが、つい上を見てしまうと、近付いていたルヴィアーレの瞳が離れた。
それがなぜか残念に思えたが、ルヴィアーレが手を離して立ち上がったかと思うと、髪紐を拾ってささっと髪を束ねた。自分で結べるらしい。
「お帰り、エレディナ。後で話を聞かせて」
『今はそっちに集中しなさいよ!』
エレディナに頭の中で怒鳴られて、首を傾げたくなる。立ち上がったルヴィアーレはもう話は終わりだとでもいうように、後ろ背を向けたままなのに。
「他の髪紐これね。食事の話は決まったら伝えるわ」
体調もあまり良くないようだし、とりあえずここは退散しよう。
そう思いながら背を向けたままのルヴィアーレを横から仰いで見ると、ルヴィアーレはほんのり頬を赤く染めていた。
「え。熱あるんじゃないの!?」
「ない! いや、ある!」
どっちだ。熱を測ろうと額に手を伸ばすと、勢いよくはたかれる。
「体調が悪い。もう出ていけ」
言うなりルヴィアーレは人の体をぐいぐい押して、部屋の扉を開けると無遠慮にフィルリーネを追い出した。
「フィルリーネ様、どうされたのですか!?」
すかさず扉前で待機していたアシュタルが食いついてきたが、それはこちらが聞きたい。
「体調悪いみたい。サラディカ、あとはお願いね。ルヴィアーレ、熱があるのかも」
サラディカに後を頼み、フィルリーネは部屋を離れた。
頭の中でエレディナが、大きな溜め息を何度もついて、あー、もー。あー、もー。を連呼していたが、なぜそんな唸っているのか、フィルリーネにはさっぱり分からなかった。




