エルフィモーラ
「お祖父様がいらっしゃっている? イムレス様のところに?」
ラータニアから戻ってすぐ、戻ったことをイムレスに伝えさせればその答えが戻り、フィルリーネは若干驚いたような顔をした。
フィルリーネの母親の父親。母方の祖父に当たる。その人が城に訪れて、フィルリーネは好意も嫌悪もない、不思議そうな顔をした。
その顔を眺めていると、フィルリーネは少しだけ肩を竦める。
「ほとんどお会いしたことのない方なのよ。宰相を務めてらしたけれど母が亡くなって宰相を辞されて田舎に引き籠もられたの。王宮になんて訪れることない方なんだけれど…」
自分に会いに来る人ではないため、イムレスのところにいるのだろうが。と言いつつ、気になるから顔を出してくると、フィルリーネはその場を後にした。
「おじいさまって、誰だ?」
なぜかヨシュアがこちらに聞いてくる。婚約しても会ったことのない祖父のことを、自分が詳しく知っているわけがない。
「フィルリーネの祖父だそうだ」
「死んだあいつ?」
死んだなら王宮に来るはずないと言いたいが、ヨシュアはとぼけた顔で首を傾げた。
「それは、父方の祖父の話だろう。前王の父親ではない。母方の祖父の話だ」
真面目に答えるのは馬鹿らしいが、それでもヨシュアには分からないと、逆に首を傾げる。
「フィルリーネの母親は知っているのか?」
「ん〜。知ってる」
その間は何か。ヨシュアはわざとらしく横を向いて口笛を吹いた。
「その母親の父親だ。会いに来ているそうだ」
ヨシュアは見た目は青年のそれだが、知能はまだ幼子だ。そのせいか嘘がつけないようで、吹けていない口笛で誤魔化すと、姿を消した。フィルリーネについていったのだろう。翼竜の家族構成がどうなっているか聞いてみたいものだ。
ヨシュアはラータニアにいる間、仲間に会いにいくつもりだったようだが、精霊の襲撃の話を聞いて、それを諦めた。エレディナが離れ精霊が襲ってくる可能性を気にし、フィルリーネから離れられなかったからだ。
グングナルドに戻る寸前、ヨシュアは瞬く間に翼竜に変身して大きく一鳴きした。
そのおかげで王宮は大騒ぎになり、その後遠くの空から鳴き声が戻ってきたことでさらに大騒ぎになった。
翼竜はラータニアの人気のない山に住みつき始めたらしい。
ラータニア王や王宮の者たちはその情報を得ていたが、いざ鳴き声が遠くから届くとさすがに慌てる。
その鳴き声で王宮近くをうろついていた精霊たちは、一斉に隠れてしまったようだ。
精霊たちはラータニア王が襲われたことにひどく落胆し、王宮の外で様子を伺っていたのだが、翼竜を恐れて逃げてしまった。一度炎を吐き出されたら焼き尽くされてしまうので、精霊たちは翼竜に近寄らないようにしている。
ヨシュアはそんな真似しないと言っていたが、ヨシュアの咆哮で精霊たちをある程度竦ませたようだ。
しばらくはヨシュアを恐れて王宮には入ろうとしないだろう。ヨシュアがそこにいなくとも、ラータニアの精霊は翼竜を初めて見るため耐性がない。
そんなことで、時間が稼げると思うのが悔しい。
精霊にラータニア王へ近付くなと言うのは、あまりに横暴な話である。
グングナルドのように精霊へ危険があるならばまだしも、ラータニアでは王族に引っ付いているくらい近い場所で当たり前にうろついている。
その中で、ラータニア王が狙われた。
精霊たちはこの状況を理解し、女王の力を恐れて王族から離れているが、王族に懐いているのに近寄るなと言われて我慢できなくなる精霊もいるだろう。精霊もまた精神は幼いのだから。
そのうちこっそりとラータニア王に近付く精霊が出てもおかしくない。それが心からの心配だとしても、こちらはそうは見えなくなってしまっている。
再びラータニア王を狙えば、精霊を信用することはできなくなる。王宮全てに結界を張り、精霊を物理的に追い出すしかない。今は口約束で外に出てもらっている状態だ。それが追い出す形になれば、精霊は何を思うだろうか。
精霊が王を狙った。この前代未聞の事件に、精霊たちもどうすべきか戸惑っているが。
「ルヴィアーレ様!!」
部屋に戻るなり、イアーナが飛びつくように走り寄ってくる。置いていかれたことを根に持っているか、鼻息荒く近寄ってくるのをレブロンが止めた。
ラータニアに戻る機会があったにも関わらず、出国を秘密裏に行ったため皆戻れずにやきもきしていただろう。一体何があって戻れと命令されたのか、心配していたに違いない。
どう説明すべきか。ラータニア王が精霊に襲われたと聞けばイアーナが挙動不審になるのが見えるようだが、話しておかなければならない。
そう思った瞬間、エレディナが突然姿を現した。イアーナが飛び上がるように驚く。
「な、急に現れるな!」
「うるさいわね。あんた戻ってきたの? あっちにいるのかと思ってたわ」
エレディナは剣呑な光を瞳に宿して、こちらを見下ろす。
イアーナへの返答が荒いため、イアーナはすぐに眉を逆立てた。
精霊が攻撃したことがショックだったのだろう。やさぐれているのか態度がいつも以上に横柄だ。
「こちらでやることがあるのだ。フィルリーネなら彼女の祖父に会いに行ったぞ」
「祖父? ……何しに来てるのよ」
「さあ。フィルリーネも不審がっていた。随分と驚いていたくらいだ」
「……でしょうね。でも、丁度いいわ。ちょっと顔貸しなさいよ」
エレディナは言った途端自分の腕を引いた。瞬間、目の前に広がった紫の風景。
風になびいて流れるように浮く紫の花びらが、幻想的な風景を作り出していた。
「フィルリーネの部屋に描かれていた……」
一本の木から枝垂れる花々はフィルリーネの部屋で見た風景と同じだ。動物はいないが、地面に絨毯のようになった紫の花びらが一面を紫に染めていた。
エレディナは一瞬でこの場所に連れてきたようだ。残されたサラディカたちは大騒ぎだろう。イアーナがどれだけ騒ぐか頭が痛いが、目の前にいるこの人型の精霊は、簡単に帰してくれそうにない。
「ここは?」
「ハルディオラの隠れ家よ。冬の館に近い場所」
随分遠くまで飛んだものだ。それだけ誰にも聞かれたくないのだろう。
しかし周囲には精霊が集まりつつあった。何事があったと、絶壁の上からふよふよと飛んでくる。小さな屋敷の屋根の上から覗く精霊もいた。
精霊に攻撃されたと言っても、そう簡単に精霊を除けるわけではない。良い例だ。
屋敷は窓が閉められて人気がなかった。今人は住んでいないようだ。
「急に何だ。戻らねば部下たちが騒ぐ」
何が問いたいのか想像は付くが、早めに戻った方がいいだろう。信用を失う真似はしない方がいい。念の為そう言ったが、エレディナはキッとこちらを睨みつけた。
「どうなったのよ、結局」
「精霊を近寄らせぬよう、結界を張るべきだと助言されたが、フィルリーネは一つの案だとして頷くだけに止めた。フィルリーネにそのつもりはない。ラータニア王が襲われて頷くしかなかっただけだ。エレディナが精霊に伝えれば、一定の抑止力はあるだろうと考えている」
それはとても甘いものだが、エレディナを守りにしているフィルリーネは簡単に精霊を除外しろと言えないだろう。王宮だけでも行うべきだとハブテルが意見したが、彼女は黙ったままだった。
「精霊たちから情報を集め、速やかに対処する方向で進める気だ。他に手がないというべきかもしれないが」
「精霊たちに警戒するよう伝えたわ。あちこちにね。皆怯えていた。前のようにわけのわからない精霊が現れたみたいに、おかしくなるんじゃないかって」
魔獣と精霊を掛け合わせて造られた精霊。あの精霊に追われて混乱しながらも逃げおおせた精霊は、何が起きたかも良く覚えていなかったという。
そうなれば、アンリカーダが命じた場合と似たようなことが行えるのかもしれない。
「でも、何か気付けばすぐに知らせるとは約束してくれたわ。皆んな怖がってるけれど」
「女王が意志に関係なく操るのだ。恐れて当然だろう」
エレディナはひどく肩を下ろした。恐れているのはエレディナも同じ。今まで起きたことのない状況に精霊たちは恐れしかないはずだ。
崖上から風が吹いて、精霊たちが降りてくる。しかし、こちらに近付かないように気を遣っているのか、空を泳ぐように自分から離れた。
精霊たちもそうするしかないと理解したのだろう。風が吹く度、屋根や紫の花に捕まり、その風を堪える。
揺れる枝についた紫の花と一緒に、精霊がなびいている。紫の花びらが舞う美しい風景に目を奪われていると、エレディナがぽそりと言った。
「ヴィオーラ。古い呼び名でエルフィモーラって言う花よ。ハルディオラの好きな花なの」
「フィルリーネの部屋の壁に描かれていたな」
「ハルディオラの好きな花だと思っているからね」
「好きな花なのだろう」
「……エルフィモーラは、人の名にも使うのよ」
「人の名……」
それは、まるで、ハルディオラが好きな者を側に置くような。
「あんたはフィルリーネの敵にはならないわよね。女王の孫なんでしょ。女王になるべきだった、ルディアリネの子供なんでしょ!!」
エレディナはまるで叫ぶように言葉を吐き出す。切羽詰まった声。何かを恐れて怯えをごまかすように、金切り声を出す。
「何が言いたい……。エレディナ、お前は一体何を知っている?」




