王妃レディアーナ
「アディウォ様。お久し振りですね」
魔導院の客室で窓の外を見つめていたのは、老齢の男性だった。
薄い金髪は短かくカットしており、細い顔の輪郭を際立たせている。娘と同じ碧眼だが、鋭い眼光を持っていた。昔ほどの鋭さはないが厳格そうな雰囲気はそのままだ。
「イムレス。久しいな。急な謁見を申し込んで悪いが、急用だったものでね。イムレス様と呼ぶべきか?」
「イムレスのままで構いませんよ。城を出られてからどれほど経ちましたか。こちらにいらっしゃるのは久し振りでしょう」
バッガス・アディウォ。元宰相であり、王妃レディアーナの父親である。
王妃が亡くなってから宰相を辞して、それから王都に来ることはなくなった。フィルリーネにも会うことはなく、静かに暮らしていると聞いている。
そのアディウォが王都に来るなど、珍しいの一言ではすまないほど稀なことだ。
「何かありましたか」
「まあ、そう急くでないよ。王が倒されたと聞いて驚きを隠せなかった。フィルリーネ様が決断されたようだな。噂に聞いていたあの方が、そこまでの力を隠していたとは知らなんだ」
「フィルリーネ様は幼少から王の断罪を求めておりました。ようやくそれが実ったのです」
「随分と、成長されたのだろう…」
アディウォが最後にフィルリーネに会ったのはいつだったか。もう思い出すこともできないほど昔の話だ。今更祖父として現れることに疑問を持つ者もいるだろう。
何のために王都まで来たのか。困ったことだね。フィルリーネがいない時に限って、珍しい来客だ。
「フィルリーネ様は女王となるに相応しい方ですが、コニアサス王子を次期王と望んでいます。コニアサス王子に授業を行うほどですよ」
「そうか…。王の座を空席にするのはいかがとは思うが、フィルリーネ様がそう決められているのならば仕方がない」
長く会っていないせいか、随分と大人しい性格になったように思える。アディウォは見た目から近寄り難い雰囲気で、政務官たちは宰相だったアディウォを恐れていたほどだ。
魔導院によく顔を出していた時に顔を合わせる機会が多かったが、実験中に立ち寄られれば全てを見透かすような瞳で見られるため、それなりに緊張したことを思い出す。
「フィルリーネ様に会われるのならば、約束を取り付けなければお会いすることはできませんよ」
「いや、フィルリーネ様にお会いする気はない。私がお会いするような方ではないからな。今日はレディアーナの墓へ参るつもりで来た。そのついでで顔を出しただけだ」
なぜ、今頃王妃レディアーナの墓に来るのか。命日が近いわけでもない。
「王都に何かご用があるのですか?」
「いいや。墓参りだけだ」
その言葉につい眉を傾げたくなる。何か目的があって来たはずだが、レディアーナの墓に来ただけだと言うのか。
その疑問を顔に出したつもりはないが、アディウォは静かな笑みを見せる。
「手紙を出すより直接言いに来た方が安全と思ってね。ワックボリヌはまだ捕らえたままか?」
「…ええ。牢に入れられたままですよ。まだ全てが終わっていないため、王もワックボリヌも死刑は免れています」
「ワックボリヌの妻の行方は分かっているか?」
「…さて。私は詳しいことは何も」
「フィルリーネ様に知らせておいほしいことがあるのだが。我が屋敷の者が妙な話を仕入れてきてね。私兵を集めている者が近所にいるようだ。最近増えてきた魔獣を倒すためとかほざいているようだが、あまりにうるさくて堪らない。どうやら我が一族の遠縁が関わっているようだ。迷惑極まりない」
「それは…、迷惑な話ですね」
アディウォは肩を竦めて世間話のように言うが、鋭い視線はそのままだ。客室はイムレスとアディウォしかいないが、周囲を警戒する意味で元宰相らしく含んで言葉にしてくる。
ワックボリヌの妻は、アディウォの遠縁に当たる。近い血筋ではないため関係は薄いが、王派としてアディウォは警戒していたのだろう。
ワックボリヌ夫人は屋敷を逃げ出し、一人娘を置いてマグダリア領へ逃亡した。
そこにはキグリアヌン王子オルデバルトもいる。
フィルリーネには早めに伝えたい話だ。やはりマグダリア領元領主サリーネス、現領主ルカンタラは何かを始める気なのだ。
そこにキグリアヌン王子オルデバルト、ワックボリヌ夫人が集まったとなれば、危険しかない。
「フィルリーネ様は魔獣退治を最重要項目として率先して行なっておりますから、早めの退治を進め周囲に静寂が戻るよう努力を惜しまぬはずです」
「それはありがたいことだ」
アディウォはそれだけを伝えるためにわざわざ来たと、ソファーに腰掛けることもなく踵を返す。
その時だった。ノックの音が響いたのは。
「フィルリーネ様。お久し振りでございます」
客室にやってきたのは、フィルリーネだ。アディウォは当然のように片膝をついてフィルリーネにかしこまる。
「顔を上げてください、アディウォ様。いらっしゃったと聞いて参りましたが、邪魔をしてしまいましたか?」
「いえ、こちらからご挨拶差し上げるべきところ、フィルリーネ様よりお声がけいただき幸甚の極みでございます」
「そこまでかしこまらなくて良いでしょう。わたくしはあなたの孫なのですから」
「とんでもございません」
アディウォは頭を下げたまま。フィルリーネが顔を上げろと言ってやっと立ち上がると、もう一度胸に手を当ててかしこまった。
祖父でありながら、かなり謙遜した態度をするものだ。
フィルリーネも久し振りに会った祖父がそこまでへりくだるとは思わなかったのか、少々対処に困っている。珍しく困惑した表情を浮かべた。
「フィルリーネ様。本日アディウォ様はレディアーナ様へお会いに来られたそうです」
「お母様の? では、よろしければご一緒させてください」
「ありがたいお言葉ですが、お忙しいフィルリーネ様の時間を奪うわけにはいきません。私はこれにて失礼させていただきます」
そう言って、アディウォは早々に部屋を出て行ってしまった。残されたフィルリーネがぽかんとしている。
「帰ってくるのは、思ったより早かったようだね」
「ああ、ええ。ちょっとあとで三人で話しましょう。ところで、どうしてお祖父様が?」
「ワックボリヌの妻が私兵を集めているそうだ。マグダリア領に人を入れているのだろうね。アディウォ元宰相は完全に政治ごとには関わらない主義を徹底していたから、今更現れて驚いているところだよ」
「そうですね、ちょっとびっくりしました。お会いした記憶などなかったので」
「そうだろうね…」
王妃レディアーナが死亡して間もなく、アディウォは宰相を辞した。レディアーナが死亡したことにより影響力を失ったからだと噂する者がいたが、そんなことで宰相の座を退くわけがない。
「急にいらっしゃったと聞いたから、何事かと。関わりがない方なので、良からぬ話かと思いました」
「そうだね。私も驚いているくらいだ」
「…あんな風に逃げられるとは思わなかったです」
「何年も会っていない孫だしね。君のことは心配しているのは間違いないだろうけれど、女王に近いから遠慮したのだろう」
「そこまでですか?」
フィルリーネは納得いかないと顔を膨らませようとしたが、側にハブテルを従えていたので尖らせた口をすぐに戻した。一応ハブテルの前ではまだ気を使っているらしい。
「それにしても、お祖父様が情報を下さるとは思いませんでした。ハブテル、マグダリア領からの情報をまとめてちょうだい。武器などの収集も行なっているのだから、反乱の予定でもありそうだわ。念の為キグリアヌンからの情報はまだか確認して」
「承知しました」
ハブテルは命令を受けてすぐに部屋を出ていく。フィルリーネは帰ってきてすぐこちらに寄ったのだろう。少し疲れた顔をして、髪をなでた。
「ルヴィアーレも放置してきてしまいました。ルヴィアーレと話すことがありますから、その後ガルネーゼを交えて時間をください」
「分かったよ。まずは疲れを取るといい。あまり顔色が良くないよ。エレディナはまだ戻ってきていないからね」
「分かりました」
フィルリーネは急に訪れた祖父のために、すぐにこちらに来たようだ。
生まれてからほとんど会ったことのない祖父。王妃の父親。フィルリーネは母親の記憶もなければ、祖父の記憶もないだろう。
そんな祖父が何をしに来たのか。フィルリーネは気になったに違いない。
情報を持ってくるとは思わなかったけれどね。
アディウォがこの王都を離れて何年経っただろうか。
子供を身籠もり体調を崩したレディアーナは養生のためカサダリアへ移動した。その時にレディアーナを気にしていたのは、カサダリアにいたハルディオラだった。
気が紛れるようにと、暖かい頃にはハルディオラの隠れ家に連れたほどだ。
アディウォもまた、臨月間近のレディアーナへ会いにカサダリアへ訪れていた。子を産むことに不安を抱えていたレディアーナが病んでいたからだ。母親であるアディウォの妻も連れてきていたが、レディアーナの状況は変わらなかった。
当時、ガルネーゼもレディアーナの近くにおり、病状を気にして何度か私に手紙を寄越した。何かあればすぐに対応できるように、魔導院の医師がほしいと王に提言していたからだ。
あの時、カサダリアにはハルディオラ、ガルネーゼ、アディウォがいた。私が到着した時は、レディアーナは生まれてくる子供に恐怖を覚え、ひどくうろたえていた。
必死の形相。子を産みたくないと泣き叫び、何度もハルディオラに懇願していた。
殺してほしい。
どうか!!
そんな精神でも何とか子供を生み落とした。妊婦だった者に励まされて少しは前向きになったからだ。
生まれた子はレディアーナに似た金髪で、瞳は、碧眼だった。
「アディウォは、見ていなかったはずなんだけれどね…」
子が生まれてレディアーナが死に、アディウォは宰相の座を退いた。フィルリーネが生まれて、あの子の顔を見たことだろう。
何も言わず去ったアディウォが、その後フィルリーネに会うことはなかった。




