選ばれぬ者2
女王の娘ルディアリネが死んだと訃報があったのは、まだ自分は歩けるようになった程度の幼児の頃だった。
ルディアリネは女王の一人娘として次期女王とされていたが、元々身体が弱く長い療養を続けていた。
女王の引き継ぎは子を成した後移行されるのが慣例だったが、身体と心の弱さに引き継ぎもなく、前女王のエルヴィアナが続いて女王の座に君臨していた。
だが、その女王の座を引き継ぐことなく、ルディアリネは逝去したのだ。
それはとても早い死で、自分は幼いながらも精霊たちが嘆いていたのを深く記憶している。美しい花が咲き乱れる浮島で、俯き啜り泣く精霊たち。人型の精霊の前で悲嘆していた。
多くが嘆き悲しみにくれる中、一際落胆していたのが、シエラフィアだった。
遺体がマリオンネに運ばれる前にルディアリネに花を手向け、泣き腫らした顔で私の頭をゆるりと撫でて抱きしめる。
シエラフィアがまだ王になる前の話だ。
「ルヴィアーレ様、こちらが今回の調査内容になります。前王から離れた商人は一部はマグダリア領に流れておりましたが、取引が可能になった商人に魔鉱石の輸入を秘密裏に行えることをちらつかせたところ、食いついた者が」
サラディカの報告書に目を通すと、小さな魔鉱石でも高額で取引したいという申し出がされていた。
「ラータニアの商人であることは理解しての上か?」
「勿論です。婚約について不満があるように見せており、そちらは問題ないと」
グングナルド前王を贔屓にしていた商人たちの中には、前王の投獄という状況に商売が行えないほど損害を被った者がいる。フィルリーネは悪事に関わりのない商人たちにのみ救済措置を行った。
前王に与し戦争に関わるような商人には罰を与え、商売の取引を禁止したのだ。
その中で、末端の職人などにはその処罰を与えなかった。フィルリーネからすれば情状酌量とする気持ち半分、泳がせて再び前王関係者に与するのならば、そのまま丸々捕らえる算段だっただろう。
しかし、どこにでもその網を掻い潜る輩はいるものだ。
グングナルド前王の情報を得るために広げていた手下の者が商人たちに接触を試みていたが、前王が倒れた後もその繋がりを利用することになるとは思わなかった。
「フィルリーネは気付いているか?」
「こちらが商人を使い情報を得ていることは気付かれておりますが、内部にまで侵入していることは気付かれておりません」
「得られた情報はフィルリーネにも開示しろ。秘密裏にな」
「よろしいのですか?」
サラディカは少しばかり怪訝な顔をしたが、フィルリーネに黙っていてもフィルリーネの手下を混乱させるだけで時間の無駄だ。
今まで確かなことがなかったため、広げていた手をフィルリーネに知らせる気は起きなかったが、明確に魔鉱石を欲しがっているならば、知らせておいた方が無難だろう。
まだ、王派は何かを企んでいるのだから。
「フィルリーネはどうしている?」
「また忙しい日々を過ごしているようです。イムレスやガルネーゼと三人で籠もることもあるようですが、イアーナが入られないので内容までは分かりません」
フィルリーネは一時期籠もり部屋から転移し、好き勝手をやっていたが、それはもう終わったかのように政務に勤しんでいる。
溜まっていた仕事を鬼のように捌いているが、それだけでなく貴族たちの謁見、商人たちとの会合、魔導院での研究確認、コニアサスの面倒を見たりと、城のあちこちを移動する。
忙しさで顔色が悪くしているのではと思うこともあるが、疲れは見せていない。
ただ気になるのは、その目付きだろうか。
何があったのか、はっきりとは分からなかった。
しかし、ラータニアから届いた手紙を読んで、その理由がはっきりとした。
「どこまで知っただろうか…」
「何か仰られましたか?」
呟きにサラディカが反応したが、それを何でもないと手の平で返す。寝室から全員を出すと、窓の外を見遣った。
天気が悪いせいか少しだけ冷えるような気がした。天気が悪いだけで肌寒く感じるのは初めてだ。冬は短いと聞いていたが寒くないわけではない。
冬支度を始めるため王宮に商人の出入りが多くなっており、それに比例して警備も多くなっていた。
この国に来てまだ一年経っていないが、そろそろ区切りの一年が近付いてくる。
ラータニアから届いた手紙を読み直し、ルヴィアーレはため息を吐いた。
「この時期に、帰還命令か…。しかも秘密裏にフィルリーネを連れてこいとは、難しいことを言ってくれる」
そう呟いてエレディナの名を口にすると、すぐにその姿が現れたのだ。
フィルリーネは案外あっさりとラータニア行きを了承した。できるだけ急いで戻ってこいというラータニア王の命令もあったが、フィルリーネの最近の日程を鑑みれば、急いでもひと月は掛かると思っていた。しかし、秘密裏であればすぐにでも出発すると返答があった。
「急にラータニアに戻れとは、何かあったのでしょうか」
イアーナは不安げな顔をして問うてくるが、その理由は手紙にも書いていなかった。
ただ、できるだけ早く、そして周囲に気取られることなく、訪れてほしい。
その手紙の内容にこちらも眉を顰めたくなるが、間違いなく浮島に関する話だろう。他に何かあるのならば、手紙にも書けぬような重要な何かが起きたことになる。
秘密裏にということで、エレディナの力を借りることにした。
エレディナはグングナルドの精霊となっているので、ラータニア王の許可を得てラータニアに連れて行くことになる。前回前王との戦いでラータニアに入ることができたのは、前々からラータニア王に許可を得ていたからだ。
そのため、今回もラータニア王にエレディナが入国できるよう許可を得た。
他国に別の国の精霊が入ることは、マリオンネのルールで禁止されている。物理的にエレディナは結界に弾かれてしまうのだ。
王の許可を得ることでそれが可能になるが、翼竜であるヨシュアにはそのルールが適応されない。彼は精霊でなく翼竜であるからだ。
「別にヨシュアはラータニアに来なくて大丈夫よ? エレディナだけで移動できるし」
フィルリーネがついてくると言って聞かないヨシュアに宥めるように言ったが、ヨシュアは大きな図体をして頭をぶんぶん振った。
「嫌だ。ついていく!」
そうしてべったりとフィルリーネに覆い被さり、その腕をきつく締めた。
「重い、重いから!」
フィルリーネの腰が曲がって折れそうなほど、ヨシュアがしがみつく。その横でエレディナが腕と足を組んで横目をしてみせた。
「ヨシュアの仲間が向こうに飛んでってんのよ。仲間に会いたいんでしょ」
「翼竜が、ラータニアに…っ?」
イアーナが後ろでごくりとつばを飲み込む。
翼竜はラータニアにも住んでいない。ヨシュアが翼竜から人型に変身するのを見てイアーナは少々落胆していたが、他にも仲間がいるのならば見てみたいと背筋を伸ばす。
しかし、ラータニアに翼竜が飛んでいれば、ラータニアは大騒ぎになっているのではないだろうか。
「なぜラータニアに翼竜が移動したのだ?」
「マリオンネ、住みにくくなった。浮島には近付けないから、ラータニアの方行っただけ」
「住みにくくなった? 何だそれ?」
イアーナはとぼけた声を出すが、それはかなり状況が悪い証拠ではないのか。
フィルリーネもそれに気付いたか、微かに眉を顰める。
「浮島がいーけど、浮島は翼竜住めない。怒られる。残念」
「あんたたちみたいなのが大挙押し寄せてきたら、精霊が恐れて逃げてっちゃうでしょ! 馬鹿なの!?」
「だから、行ってない!!」
エレディナとヨシュアの言い争いに、フィルリーネが耳を塞ぐ。どうでもいいから行こうと、アシュタルを手招きした。そしてその手招きの意味を、アシュタルがハブテルに説明する。
今回、急なラータニア訪問に、フィルリーネはハブテルを連れることにした。王騎士団長としての働きをここで行わせるあたり、フィルリーネは部下の体裁を考えているようだ。
アシュタルばかりを連れているのはやはり問題になるのだろう。ハブテルを連れれば面目は保てることもあるし、ハブテルを連れる意味を感じているのだ。
マリオンネが敵になる可能性が高くなったからだ。
ハブテルはフィルリーネの砕けた話し方と、エレディナとヨシュアの言い合いに、少しばかり目を点にしたがすぐにいつも通りの顔に戻す。
いくらフィルリーネが偽っていても、あそこまで平民風だとは思いもしなかっただろう。そして人型の精霊と翼竜に懐かれている姿は、驚愕しかしないはずだ。
「ルヴィアーレ、手を。ヨシュア、ついてきてもいいけれど、あまり騒がないようにね。うるさくしたら追い出すから」
「分かった。黙ってる」
そう言ってヨシュアは口を両手で塞ぐと、フィルリーネの頭に自分のおでこをつけた。エレディナの力で移動するからだ。
ハブテルの眉がピクリと動き、隣でアシュタルが悟ったような顔をする。王女相手にあるまじき態度だが、あれは翼竜だ。目くじらを立てても仕方がないのだが、見目は良くない。しかし諦めているフィルリーネがエレディナの手を握って頷いた。
そうして、すぐに景色が変わるのだ。
「お兄様!!」
指定された場所にエレディナが移動すると、そこにはユーリファラとジルミーユが待っていた。大広間には数人の兵がいたが、秘密裏というだけあって人が少ない。
その中で、ユーリファラがこちらの姿を見てすぐに駆け寄ってくる。
胸に飛びつくようにやってきたユーリファラは既に涙で濡れていた。
「ユーリファラ、失礼ですよ。フィルリーネ様、お久し振りでございます。このような急な呼び出しに快く応じていただき、ありがとうございます。ラータニア王に代わりお礼申し上げます」
「いえ、こちらもお話ししたいことがありました」
ジルミーユの挨拶にフィルリーネが返しながら、フィルリーネは視線だけで誰がいるのか確認する。
しかし、一番に現れなければならない者がいない。
「ラータニア王は、どちらに?」
そう問えば、ユーリファラは再び涙を溢れさせた。
嫌な予感がする。兵士たちも顔を背け、床に視線を逸らした。
「フィルリーネ様、ルヴィアーレ。お二人だけ、こちらにどうぞ」
ジルミーユの言葉に、ただただ、背筋が強張るだけだった。




