選ばれぬ者
「フィルリーネ!!」
「フィルリーネ様!! ご無事で!!」
遺跡に戻れば、エレディナとアシュタルが抱きつくように飛んできた。
時間が経ってしまったので心配しただろう。後ろにいたイアーナでさえホッとした表情を見せた。
「いつもと違って帰る道が見付からなかったのよ。心配かけたわね」
「エレディナが付いていかなかったので、心配しました」
「選定した者でしか入られないような結界があったみたい。それよりー」
ここで長く話すことはできない。イアーナがいるのと、確認したいことがあった。
「時間が経ちすぎたわ。もう戻りましょう」
「そうですね。城を空けすぎましたから」
アシュタルは察したか、すぐにエレディナに戻るように視線で促す。エレディナも反論することなく手を伸ばした。
結構な時間を費やしたので、ガルネーゼにとやかく言われることだろう。
「それで、急に鍵を開けろなどと」
「確認したいことがあるのよ。警備には問題はないのでしょう」
「問題はないが、先に言い訳はないのか」
「そこで話を聞いていればいいわ」
ガルネーゼの反対を押し切り、フィルリーネは地下に降りる階段を歩んでいた。
ダリュンベリは水が少ないのに、地下はどこかじめじめしていた。外の気候に比べ少々寒さを感じるのはこの湿り気のせいだろうか。
地下何階か。移動式魔法陣で地下に降り、そこから更に階段を下った。長い廊下は広くなく、天井の低いそこを歩んでいると奥に扉が見えた。
一つ目の扉を過ぎ、少し歩いてもう一つの扉に入る。そうしてもう一度階段を降りて、格子のある扉の前へ辿り着いた。
廊下には光が置いてあるが、格子の中には光はない。粗末なベッドとトイレしかない、罪人の留まる部屋だ。
捕らえてもまともに会話をする気もなかった。イムレスやガルネーゼから子細を耳にするだけで、直接会おうとも思わなかった。
ひどい姿だな。
目の前で四つん這いでこちらを見上げる男を見下ろして、最初に思ったのはそれだけだ。
すえた臭いが鼻につんとくる。髪も髭も手入れなく伸びており王であった威厳は一切ない。
これがあの王か。
元々髭面で目元しかはっきり見えなかったが、長くなった髪のせいで最早誰かも分からない。
ただ、こちらを見るギラギラとした目付きが、こんな顔だったかもしれないと思い出させる。
「笑いに、来たのか…?」
掠れた声は確かに前王のもので、別人ではない。だからだろうか、この男を視界に入れるのでさえ気分が悪くなるのを感じた。
「聞きたいことがあるだけよ」
「はっ。やっと訪れて、今更聞きたいことだと?」
やっと訪れて何が悪いと言う。嫌悪を吐き出してきたが、自分は永遠にここに訪れる気などなかった。
「よくも、お前は! 自分が何をしでかしたのか分かっているのか!? 分かっているまい!! 私が望んでいた全てを、お前は邪魔をして、何も考えずに、イムレスやガルネーゼに唆されたのだろう!?」
前王は、がっと格子を両手で握りしめ、後ろにいるガルネーゼへ唾を飛ばさんと怒鳴り散らしてくるが、未だそんなことを口にしていることに呆れしか出てこない。
この男はここまで愚かだったのだろうか。
いや、愚かだったのだ。自分が気付かなかっただけで。
王という決められた立場に置かれて、自分がさも高い能力を持っているのだと勘違いした。それが実力だと思い込んでしまった、ただの愚鈍な輩だっただけなのだ。
「お前の浅ましい望みなどどうでもいいのよ」
フィルリーネは目の前にいる男を蹴り上げたくなったが、足を踏みしめることでそれを耐えた。
「ラータニアの浮島。そこまで得たい理由は何だったの」
フィルリーネの一声に前王が顔を上げる。そうして、ふつふつと湧き上がるように笑い始める。
「何も知らずに行動する、愚か者が」
「精霊の王」
「——————得たのか!?」
人を小馬鹿にする笑みを浮かべていたくせに、前王はそれだけで声高に叫ぶ。格子に縋り付くとがたがたと音を立てた。
後ろで控えていたアシュタルがするりと剣を抜き格子前に翳し前王を黙らせる。前王は途端後ずさり一瞬怯えた顔を見せたが、それよりも高揚しているか大口を開けた。
「ルヴィアーレは選定を終えたのか!? そうだろう!! 聞いた通りあの男は女王の子だったか!!」
勘違いをしているようだが、敢えて訂正はしなかった。前王はマリオンネの誰かからその話を聞き、ルヴィアーレが女王の子と知って婿に迎えたのは間違いない。
そして、選定を行える程であれば、ルヴィアーレの子供もその資格を得られると考えたのだろう。
ルヴィアーレの子供の時代ならばアンリカーダは出し抜けると思ったのか、どちらにしても蒙昧な考えだ。
「選定を終えられ、許可を得られる者になれば、女王の座を奪うことができる。お前はこの世の母になれるのだ! 浮島を手に入れた方が容易いと思っていたが、選定を終えたのならば、早く子を成せばいい!!」
本気でそれを思っているのだ。前王はうわ言のように言い続ける。
「王になるのだ。この世界を統べる唯一の王に。それこそが我が夢!!」
浮島を手に入れてアウラウルに精霊の命を得るか、ルヴィアーレとの子を成して選定を進めるか。どちらにしても自分に子を産んで欲しかったと、恥ずかしげもなく言ってのける。
妄想も甚だしい。
吐き気しかないその考え方に、頭を撃ち抜いてやりたくなる。
こんな愚かな男のために、多くが苦しんできたのだ。権力を得てはならない者が手に入れてしまった。そのせいでどれだけの者が犠牲になったのか。
自分ができぬことをまだ生まれてもいぬ者に託す。そしてそれが自分が得たことになるのだと履き違えられる神経。狂っているとしか言いようがない。
「なぜ、叔父様を殺したの。精霊の血を得ているから?」
叔父ハルディオラを殺したのは前王より魔導量が多いからだと思っていた。その事実は間違いないだろうが、もしここに精霊の血が王族に混じっているとあれば、前王の劣等感は比べ物にならないだろう。
同じ精霊の血が入っていながら、叔父は多くの魔導量を持ち、しかし前王はほとんど魔導量がなかった。
「精霊の血など、遠い話だ」
前王は、ぽそりと呟いた。
そうして、ぐしゃり、と石畳の床をえぐるように拳を握る。
「遠い過去だ。我が一族に精霊の血が入ったことなど。それなのに、なぜハルディオラだけ。なぜハルディオラだけにあれほどの魔導が宿ったのだ! 私が、得られるはずの力だ。そうだろう!!」
長男でありながら魔導をほとんど持たず、王族でありながら精霊の存在すら感じられない。
「分かるか!? 奴は幼い頃から既に精霊に語りかけ、その助けを得ていた。私には何も見えぬものから恩恵を得て、ついには王の座まで奪おうと!」
「叔父様はそんなものに執着などしていなかったわ」
「お前が知らぬだけだ! 父も王にはあれを推そうなどと!!」
「…お祖父様を、手に掛けたの?」
「はは、ははは。ニーガラッツに聞け。私は知らん。ニーガラッツが自由にするには邪魔だっただけだろう。ハルディオラも同じ」
「ニーガラッツ。ニーガラッツですって!? お前が命じたのではないの! 叔父様を殺したのは、殺せと命令したのはお前ではないの!!??」
「邪魔だと言ったが、命令をしたわけではない。丁度良いと言ったのはニーガラッツだ。人型の精霊を従える者など、邪魔でしかないだろう。ニーガラッツも求めるのは、自由にできる精霊だ」
その言葉に、ラグアルガの谷の洞窟にいた精霊を思い出した。
魔獣と精霊を合わせたような、不気味な存在。
それを自分の自由にできるとしたら、叔父につくエレディナや精霊たちは邪魔になるだろう。だとしたら、王族で精霊を手にできない前王だけがいればいい。
叔父は邪魔になる。
「フィルリーネ様!!」
「フィルリーネ!!」
アシュタルとガルネーゼが同時に叫んだ。
氷で鋭利な刃物のようになったフィルリーネの腕は、格子を半分に切り裂く。
前王にも届いたその氷の刃物は、前王の腕に傷を付けた。
「手加減してるわよっ」
腕から流れた血は大したことはない。前王は魔導の攻撃に愕然としていたが知ったことではない。後で手当てでも受ければいい。
「なぜだ…。なぜ、力がありながら、それを隠したのだ。お前の魔導量があれば、選定を過ぎたかもしれぬのに。私の苦労は少なくて済んだかもしれぬのに」
「苦労? 何の苦労!? お前は何もせず、ただ目障りな者を消すしかしなかった。脳のない、愚かな王が。何の苦労を!?」
「分かるまい…。何もない。全ておいて、下にしかならぬ。上回ることなどなく…」
初めから決められた椅子にも座ることができず、それを他人の手で与えられた王。
こんな王のために、犠牲になった者たちが哀れだ。
「お前の母も魔導量はあった。なのにそれを使う強い精神がない。お前を孕んで、病んで、カサダリアで死んだ。お前が似たのは、魔導量だけか…」
前王は床に座り込むと、ぶつぶつと呟き続けた。




