選定
「どこ、ここ」
闇に包まれた空間にぽつりと落とされて、フィルリーネは辺りを見回した。
ラザデナの遺跡のように壁に囲まれた空間ではなく、どこまでも闇が続く空間。
光はないが、足元とその先に進むことのできる地面だけが明るい。
今、自分は魔鉱石の上に立っている。
透明なガラスのような、けれど虹色に輝く魔鉱石が地面となっており、その下が透けて見えたが、下は一面の暗闇である。
魔鉱石と分かるのは、ほのかに魔導を感じるからだ。闇の中の空間で魔鉱石がその魔導で浮いているのだろう。ただ、この空間がどれほどの広さなのか、さっぱり分からなかった。
何せどこまでも真っ暗で、魔鉱石以外何も見えない。
魔鉱石の地面は中心だけ平面で、円形になった端には鋭く尖った魔鉱石が壁のように連なっていた。向こう側には行くなとでも言わんばかりだ。
ただ、一箇所だけぽっかり空いている。
その先には、飛び石のように魔鉱石が等間隔で浮いていた。空中で階段のようになっているのだ。
「転移した先がいつもと違うな…。エレディナとも離されちゃったし」
すぐ戻りたいところだが、前回のように手を乗せる台がなく、元の場所に転移する方法が分からない。
地面の端まで行くと、やはりその飛び石を歩むしか先に進む術がなかった。
魔鉱石の飛び石は階段のようになっているが、足を踏み外せば地面がなく、ただ闇の中に落ちるだけだ。
「落ちたらどうなるんだろう…」
そう思っても試す気はないが。フィルリーネは大股に足を開いて飛び石へと移る。
飛び石の長い階段。魔鉱石は明るいのに、先にある魔鉱石は光を帯びていない。一定の距離を進むと先にある魔鉱石が光り、それをしるべに登っていくと広い魔鉱石の地面へ辿り着いた。
「うわ…」
そこには、魔鉱石でできた建物のような、オブジェのような巨大なものが聳え立っていたのだ。
「すごい、大きい…」
色のない魔鉱石ならば濃度は薄いと言いたいが、透明でも中は虹色だ。むしろ特別な魔鉱石のように思える。
まるで、女王にもらったペンダントのような。あれは淡い水色だったが、虹色になれば同じに見えた。
ここが地上だとは思わないが、マリオンネに飛ばされたのだろうか。
自分たちが入られるマリオンネはほんの一部でしかない。多くの島々があるマリオンネの中に、こんな空間を擁する島があってもおかしくなかった。
何せ自分は選定の遺跡を四つ全て訪れたのだから。
「いや、四つめには魔導は渡してないか…」
ならば、この目の前にあるオブジェに触れれば、魔導を奪われたりするのだろうか。
目の前のオブジェは地面から突き出したような魔鉱石が連なり重なっている。どんどん地面から生まれて上へ上へと伸びたみたいだ。
他に進む方向はなく、目の前のオブジェに触れてみるしかなかった。
そっとそれに触れた瞬間、ずわっと魔力が流れるのが分かった。
「——————うわっ」
すぐに手を離したのに、一瞬でごっそり持っていかれた。全てを奪われたわけではないが、いきなり多くの魔導を失ったせいで、軽く目眩がする。
選定の遺跡にあった魔導の塊はないが魔導は奪われ、それは虹色の魔鉱石の中に混じっていく。
透明だから、それが目に見えた。
「私の、魔導…」
水の中に、別の液体をたらしたかのように、性質の違う魔導が魔鉱石の中に流れていく。それは血脈のようで、魔鉱石に命を与えたかのように見えた。
途端、魔鉱石が揺れた。
まるで、魔鉱石の中から這い出るように、虹色の髪が流れ、指や手が浮き出てくると、巨大な人の姿をした何かが現れた。
『——————我を、目覚めさせるのは、誰だ』
巨大な、けれど人型で、魔鉱石と同じ虹色をした透明の精霊が、唸るように声を上げる。
人形のように整った美しい顔。長い髪が足元まで伸びている。顔からは男か女か分からない。ただ、声は少し低めで、男のようにも思えた。
『珍しい、人か。我を起こしたのは、お前の魔導か』
頭に響く声がエレディナと同じだが、目の前の精霊は話している。話しているのに耳に響くのではなく、頭に響いているようだった。
何の精霊か。ただ、この精霊が人型でもかなりの力を持った精霊だと分かる。目の前にいるだけで両手に鳥肌が立ち、背筋が寒くなるのを感じた。
「—————私が、私が魔導を流しました。ここから、どうやって出ていいのか分からなくて、魔導を流せば何かが起きるのかと」
『異な事を言う。器があるのか確かめるために訪れたのだろう? いるのはお前一人だけか。選定は長らく行わぬようになって久しいのに、再びここに訪れたのか?』
「器…? 長らくとは、どれほど長く行っていなかったのでしょう?」
『さて、どれほどかな。人間の時間は短い。我が眠っている間にどれほどの時が流れたのであろう』
虹色の精霊はこてりと首を傾けると、さて何も分からないと言いながら、ふわりと浮いてオブジェに座り直した。
『まあ良い。こちらへおいで。お前は地上の人間とは少し違うようだが、確認をしてやろう』
手招きをしてくれるが、自分は選定に来たわけではない。首を振ると、人形のような整った顔が小さく歪んだ。
『ならば、何しにここへ来た? 地上を有する力量があるのか確認せねば、我は助けることはできぬ』
「地上を有する……?」
『待て待て、お前は何をしに来たのだ。はあ、少々眠りすぎて頭が回らぬぞ』
虹色の精霊は大きな手の指を伸ばし、フィルリーネの近くへ寄せた。このまま触れられたら、頭を潰されてしまいそうなほど大きい。
『ふむふむ。お前は本当に地上の子か? 天上に住む者ではないのか?』
「え…? いえ、私は、地上に住んでいますが…?」
『待て待て。今見ておるよ。待ちなさい。その持っている物を見せなさい。話はそれからだ』
何を言っているのか。自分は何も持っていない。剣だろうかと見せたが首を振られてしまった。よく分からず眉を顰めていると、虹色の精霊は苛立たしげに、首にかけているものだ。と人の顔の目の前で指を差した。
「あ、女王様にいただいた、ペンダント」
常に首にかけていた女王から賜ったペンダントを外すと、フィルリーネはそれを前に掲げる。虹色の精霊はそれを見るためにぐっと大きい顔も寄せてきた。
大きすぎて後退りしたくなる。顔だけでもフィルリーネの何倍も大きいのだ。息を吹きかけられたら後ろに飛ばされ、闇の中に落ちていくだろう。
『ふむ。その力も混ざっているからか? いやいや、それだけではないな。それはどこで手に入れたのだ?』
「これは、マリオンネの女王様にいただいたものです」
『マリオンネとは何だ?』
何だと言われても、マリオンネはマリオンネだ。マリオンネを知らない精霊など、この世にいるのか?
けれど、マリオンネができる前があった。その前から眠っている精霊だったら?
「マリオンネは、浮島のことです。地上ではない、空に浮かぶ島。マリオンネの女王様はそこに住まう人々や地上に住む人々の上に立つお方です」
虹の精霊は体勢を戻すと、何度か瞬きをし何かを考えているように間を置いた。
『我の役目が終わり事情が変わったゆえ、そのように変化したのだっただろうか。眠りすぎて思い出せぬな』
どれだけ長く寝ていたのだろうか。表情も変えずに首を傾げるので考えているようには見えないが、もう一度思い出せぬと言ってペンダントを指差した。
『その石は精霊が精霊になる前のものだ。だが精霊そのものでもある。魔鉱石は精霊が作るが、精霊が精霊を生む時にその魔鉱石へ閉じ込める』
「魔鉱石に、閉じ込められた、精霊…?」
『命になる前の精霊だ。死んだわけではない。それは大きな力を持ち、人間が持ち続けると魔導を得られるだろう。地上の人間の浅知恵だが、道理に適っている。それを持っていれば人間の魔導に大きく影響を与える。しかし、とても珍しい物だ。力の強い精霊にしか作れないものである』
「作るん、ですか?」
『当然だ。魔鉱石に命を吹き込み作られる。精霊から与えられなければ人間がそれを持つことはない。余程好かれた精霊にもらったのだろう』
女王であれば精霊からそんなものを与えられても疑問に思わないが、精霊が命を魔鉱石に入れて作る方法が、ルヴィアーレが教えてくれた魔鉱石に魔導を入れる方法と似たような原理な気がした。
ルヴィアーレはこれを知っているのだろうか。ラータニアでは知られている話なのだろうか。
『それを手に入れた人間はここには訪れぬのか?』
「女王様は、お亡くなりになりました。それでいただいたようなもので」
『なるほど、なるほど。それでお前が代わりにここに来たのだな』
「いえ、そう言うわけでは」
話が通じない。お互いに微妙な顔をして黙りこくる。
「選定とは、一体何なんでしょうか。私は地上に住む一国の王女です。三つの古い遺跡に魔導を流し、四つめの遺跡に入ったところ、ここに飛ばされました。もとの場所に帰りたいんですが、帰る道が分からないんです」
『選定を知らぬとは、どれだけ我は眠っていたのだ?』
「…知りません」
再び沈黙が起きる。虹色の精霊は埒が明かないと、ゆっくり立ち上がった。するりと流れた長い髪が地面に降りそれが伸びてきたと思ったら、身体に巻きついて足元を浮かせた。
「ひえっ」
巻き付いた髪が虹色の精霊の顔の前まで運ぶ。魔獣の尻尾にでも捕まえられて捕食される寸前のようだ。
『我は寝すぎた。選定する者を待つ身であったが疲れて眠ることにした。精霊は人間に比べ長生きできるが長年生きていると面倒ごとはしたくなくなるのだ。説明のできる者のところへ行こう』
「はあ…。ちなみに、どちらへ?」
『地上だ。我のように眠っておらぬのならば、地上におるであろう。お前も来るがいい。お前はそれを持っていても気配が妙だ。その理由もあれならば知っているであろう』
人の気配が妙とはどういう意味だろうか。良く分からないが、とりあえず移動するらしい。胸から腕は出ているが、その下は髪の毛に包まれていて、正直身動きができなくて恐ろしいのだが、それを言ったらこのまま離されてしまいそうなので黙っておく。
早く帰らないと、アシュタルたちがとても心配しているだろうが、早く帰りたいと言っても帰してくれなそうだ。
虹色の精霊は立ち上がったままふわりと浮いて、いきなり飛び上がった。
「わぁうっ!」
飛び上がったかと思ったら、猛スピードで飛んだらしい。突然の重力が掛かり気を失った時には、既に別の場所に移動していた。




