エレディナ
『エレディナ。フィルリーネだよ。可愛いだろう。彼女と同じ瞳をしている』
美しくなるだろう。そんな感想をまだ生まれたばかりの子に言って、ハルディオラは静かに笑った。
「あんた、何やってんのよ」
「エレディナこそ、何やってる」
「休憩よ。休憩」
植物園で、少し頭を冷やそうと思った。呼ばれたから行ったけれど、あの男と話しているとボロが出そうになる。近寄りたくないと思っても、呼ばれればどうにもならない。あの男は既にこの国の王族だ。マリオンネで婚姻の儀式を終えてないとは言え、精霊はもうルヴィアーレをこの国の王族と認めている。
エレディナは水辺に植わる木の枝に腰掛けた。ヨシュアは溜まった水辺に足を浸している。靴ごと足を突っ込んでいるが、気にしないあたり獣だ。
「魔獣退治は進んでるわけ?」
「狩ってもいっぱいいる。全部燃やしたい」
ヨシュアが全開で炎を飛ばせば、それは簡単に魔獣を退治できるだろう。だが、さすがに草木を一緒に燃やすわけにはいかない。そしてそんなことをすればフィルリーネの雷が落ちる。
それくらいの常識はあるが、基本的に翼竜は短気で攻撃的なので、ヨシュアとしては豪快にやりたいに違いない。
「気持ちは分かるけどね。でもあんたが燃やしたら精霊も死ぬからやめてよね。熱いのよ」
「だから、やってない。ちまちまやってる。面倒臭い」
けれど、そのちまちまを翼竜が行わなければならないほど、魔獣が増えてきていた。
フィルリーネは魔獣退治に民間組織へ資金を出し計画的に討伐を進めている。王都だけでなく協力する領にも援助金を与えた。
今まで一定に狩りを行なっていたが、もうそれでは間に合わない。フィルリーネは打開策にルヴィアーレの提案した魔鉱石を作っていたが、それは魔獣を寄せ付けないための道具にすぎない。問題の解決にはならなかった。
人が通る場所だけでも確保しなければならない。そんなぎりぎりの状況が増えてきているのだ。
「マリオンネ、どうなってるか、あんた聞いてんの?」
「仲間は近寄ってない。ムスタファ・ブレインがいる」
「どういう意味よ」
「他の島にムスタファ・ブレインが来た。女王もいた。けど、近寄りたくないから、住む場所を変えた」
「何よそれ」
マリオンネの人口は多くない。昨今子供が産まれる数も少なく、マリオンネに住まう者たちの数が激減している。
島は小さなものを数えれば数多あるが、彼らが住む場所は決まっていた。そこから広げる必要があるならまだしも、人の数が減っていながら住まう場所を拡張する必要はない。
そもそも、マリオンネは精霊や翼竜など、特別な獣が住まう島でもある。その場所を奪う真似をマリオンネの者たちが行うことはなかった。
今までは。
「アンリカーダ、一体何をする気なわけ…?」
「あの女王、精霊、近寄らないのいるって。前の女王がいいって、言ってるのいる」
「そんなの、分かってるわよ。一部の精霊が怖がってるのは私も聞いたわ。私もあの女が女王になるのはやだったもの。でも女王は一人しかいないんだから、どうにもなんないでしょ」
女王が子供を孕めばその子は必ず次の女王だ。次代が死なない限り、他に例はない。
前女王の娘、ルディアリネ。彼女はアンリカーダを身籠もってから精神を病んだ。それを知っているのは女王や一部の女王の関係者と、精霊の上位にある者たちだけ。
次期女王として精霊や聖獣たちに愛されるはずだったルディアリネだが、泣き腫らし続ける彼女を哀れに思い、前女王は彼女に休息を与えたと言う。
結局その後死んでしまったが、残ったその娘のアンリカーダはルディアリネと違い挑戦的で攻撃的な性格だと言われている。そう言われたのは、アンリカーダが精霊を殺したと言う噂が精霊たちの間で囁かれたからだ。事実は定かではないが、そのせいでかアンリカーダを怖がる精霊は多い。
問題なのはそのアンリカーダがマリオンネの女王になると言うことだ。
女王になれば精霊の意思など否応なく女王に力を貸さなければならなくなる。王族の制度と同じ、一種の契約だ。
今までは女王に問題など起きなかった。だから何の問題もなかったのだが。
「女王になったから、影響されない場所に逃げるしかない。マリオンネから離れる」
「でも、地上からも精霊は消えてんのよ。前女王を悼むために地上を離れてるって言うけど、マリオンネから離れるんならどこ行くのよ」
「知らない」
「つっかえないわね!」
「うるさい、エレディナ」
ヨシュアはふんとよそを向いた。ガキみたいな態度だが、翼竜でもかなり幼い年である。ガキで間違いないので、相手をするのも疲れたと、エレディナは植物園内にある滝の方へ移動した。
精霊が減っているのはマリオンネも同じだとしたら、アンリカーダも何かしているのだろうか。
「アンリカーダには関わらせたくないのよ…」
前女王はともかく、孫娘のアンリカーダにはフィルリーネを関わらせたくない。
だから、ルヴィアーレを選定の場所に連れて行きたかった。狙われるのを分散したかったからだ。
もしアンリカーダが選定場所が四箇所あることを耳にしていれば、狙われるのは選定を行なった者たちである。アンリカーダはマリオンネの根底を揺るがす選定について許したりしないだろう。
女王になり、ムスタファ・ブレインと不穏な動きをしていると言うアンリカーダ。女王になった今、彼女は自分の座を脅かす者を容赦しないはずだ。
だから、ルヴィアーレを巻き込みたかった。
「あの男がいれば、アンリカーダは先にあの男を狙う…」
王都の遺跡にある選定の祭壇へ行く道はアシュタルたちは入られなかった。だからルヴィアーレはどうか確認しようと考えたのはフィルリーネである。
だが、選定を行うことによってアンリカーダが狙う対象者を分けたかった。
フィルリーネだけが狙われるのを避けるため、ルヴィアーレを連れるべきだと言ったのは自分だ。
卑怯だと思われていい。だが、ハルディオラにフィルリーネを守ると約束した。それを違える気はない。
本人は選定を行っていいのか気にしていたが。
ふいに声が届いて、エレディナは立ち上がった。
「フィルリーネが呼んでるわ」
フィルリーネの呼び声が届いた。探している声で急を要してはいない。ヨシュアは魔獣を探しに行くと先に消えた。
呼ばれた先に行くと、フィルリーネが服を着替え終えていた。外に出るフィリィの格好だ。
「街行くわけ?」
「うん、ラザデナの街」
「はあ? あんたそんな暇あるの!?」
仕事が忙しい中遺跡に行ったせいで、夜中書類仕事をしていたくらいだ。フィルリーネの確認する書類は多く、ここ最近いつも夜遅くまで仕事をしている。
それなのに、あの砂漠の街ラザデナに行くと言う。
「リンカーネさんから連絡あったんだ。急いで見せたいものがあるからって。ここに手紙が届くまで結構時間掛かってるから、早く行こうと思って」
女兵士だったリンカーネはフィリィが王女と知らず連絡をとってくる。宛先は勿論フィルリーネではないので、何箇所かを経由して届くため時間が経っていた。
だからか、いそいそと用意して、砂漠用の靴やマントを羽織る。
「止めても行かれるのだから、付いていくしかないだろう」
最近引き籠もり部屋に待機するようになったアシュタルが腕を組んだまま仁王立ちしていた。後ろを向いていたので、着替えるのを待っていたようだ。
また男の前で着替えをしたのか。突っ込む気も起きない。アシュタルが居心地悪そうにしても気にもしないのだろう。
そう言うところは本当にガキだな。といつも思う。フィルリーネは子供の心を持ち続けたまま捨てられないのだ。




