毒2
「自分の身の安全を一番にしろと言っている」
「はあ、まあ、そうね。気を付けているわ」
再びとぼけたように聞こえたか、その返事にルヴィアーレが眉を逆立てた。
「自分が狙われたことを忘れているのではないのか?」
「忘れてないけど」
「ならば自分の周囲にも警備を増やしたらどうだ。コニアサスの周りにばかり注意させ、君の周囲は変わっていないのではないかと、ミュライレン様ですら心配されていた」
そこでミュライレンが出てくるとは思わなかったが、ルヴィアーレはコニアサスにいつ会ったのだろうか。そちらの方が気になる。人の目を盗んでコニアサスと会っていたと言うことか?
そう思っているのが顔に出ていたか、ルヴィアーレが大きな呆れの溜め息を吐いた。
「コニアサスがラータニアの話を聞きたいと、私に時間をとってほしいと頼んできたのだ」
「コニアサスが!? ずるい。私だって全然会ってないのに!」
「会えばいいだろう。時間があるのかは知らぬが」
「ぐぬぬっ」
こちらは最近外に出ていた付けが回って書類仕事三昧なのだ。
羨ましい。を顔に書いて睨み付けると、ルヴィアーレは頭を振ってから不機嫌に顔を背けた。
背けたその背の首の後ろに、薄いピンク色の精霊がくっついている。ルヴィアーレから離れない花の精霊だ。その子まで、ぷい。っと顔を背けてきた。
ルヴィアーレのこと好きすぎじゃない?
「コニアサスの話をしているのではない。はあ、もういい。とにかく自分の心配をしろ」
最近のコニアサスの様子を知りたいのだが、ルヴィアーレはその話をやめて部屋を出て行った。
『あんたさあ…』
ルヴィアーレが部屋を出るとエレディナが現れた。
「はあ、まったくさあ…」
何が言いたいのか、大きく息を吐いたのち、こちらを見て、やはり大きく息を吐く。
「まあいいけど。繋ぎが来たわよ」
そっと囁かれた言葉に、フィルリーネは強く頷いた。
「システィア様!」
「久しいわね。フィルリーネ」
叔父の家の前で、金髪の女性が笑顔をこちらに向けた。
マリオンネに住む、叔父ハルディオラの友人、システィアだ。
「元気そうで良かったわ。ここも変わらないこと。ヴィオーラの花も良く咲いている。懐かしいことね」
システィアが見上げた木には紫の花が満開である。叔父の家の庭に植えられた、ヴィオーラの花。自分の部屋にも描いた、マリオンネの花だ。
「植樹してからここまで育つとは思わなかったのよ。マリオンネの木でしょう。地上では育たないのではないかと思っていたのだけれど、しっかり手入れをしたのね。こんなに大きくなるなんて」
システィアは叔父が生きている頃に、何度かこの家に訪れていた。ヴィオーラの花はその頃からあり、懐かしげにして花にそっと触れる。
「あなたを呼んだのはマリオンネの状況を知らせるためだけれど、しばらく会っていなかったからずっと心配だったのよ。何度か狙われたと聞いたわ。前以上に苦労があるわね」
「いいえ、覚悟していたことです。それでも、前進はしました」
「…前王は捕らえたままだと聞いているわ。すぐに弑すると思っていたの。だから、安心したのよ」
システィアは宥めるように頭に触れた。ゆっくりと抱きしめられて、まるで母親に抱かれているような気分になる。
優しくて、心からの憂いが暖かい。
「本当は殺したかったんです。けれど、まだ分かっていないことも多く、殺すにしても早計だと自らを諌めました。あの男を罰するのは全てを明らかにしてからです」
前王の部屋を調べさせたが多くの罠があり進みが悪かった。私腹を肥やす証拠は出たが、ルヴィアーレを望む理由は未だ得られていない。
そして、叔父を殺した証拠も全く出ていないのだ。
その証拠だけは得なければならない。どうやって殺したのか、魔導の強い魔導士として力のある叔父を簡単に殺した方法は、どうしても暴かなければならなかった。
「…キグリアヌンの王子も訪問していると聞いているけれど」
「キグリアヌン王に追い出されたのかは分かりませんが、自ら毒をあおりこちらを揺さぶる真似をしたところです」
システィアに今回の事件を話すと、心配げな顔を深くした。
「あなたが心配でならないのよ、フィルリーネ。あなたは大切な子だわ。ハルディオラが亡くなった時、何度あなたをマリオンネに連れようと思ったことか」
「私を、ですか…?」
システィアが叔父と親しく会うたびに姉のように接してくれていたが、そこまで自分を思ってくれているとは思わなかった。
「ハルディオラはあなたの幸福を望んでいたでしょう。修羅の道に連れることを望んでいたわけではないわ。けれど、結果的にあなたを苦しめることになった。あなたの能力を隠すことによって、あの男から敵視されることを避けたかったのでしょうけれど、あなたの本来の姿を知る者はほんの一握りになってしまった。幼かったあなたの感情を消すことが、あなたの幼い生活を台無しにしてしまった」
「そんなことは…」
「わたくしはそれがつらかったのよ。ハルディオラも生きていたらそう思ったでしょう。それでも、あなたはあの男を退ける立場になってしまった。その役目を持っているのはあなただけだから」
当時まだコニアサスは生まれていなかった。叔父があの男を退けられなかったのだから、行えるのは王族の血を引く自分しかいない。
それで良かったと思っている。優しいコニアサスでは大人になる前にあの男に潰されていたかもしれないのだから。
「恨んでなどはいません。叔父様の敵を討つことに何の迷いもありませんでしたから」
「だからこそよ。わたくしたちマリオンネの人間は地上の者たちに関わってはならない。そう教えられてきたため、ハルディオラとは王族として親しい友人としてだけ接してきました。地上の争いにわたくしたちは関わることはできない。けれど、わたくしはそれを大きく後悔しているの」
「システィア様…」
「フィルリーネ。あなたには穏やかな生活を過ごしてほしいのよ。けれど、マリオンネではあなたの動向を注視する者がいる」
父親である王を断罪した。マリオンネで決められた王を玉座から引き摺り下ろした。
王を指名するのはマリオンネの女王ではないが、王と認めたのはマリオンネの女王だ。
王を陥れたフィルリーネは女王の意志を否定したことになる。
「それについてはラータニア王から聞いています。王を勝手に断罪し、王の代理を行うのは女王に不敬ではないかと言う者がいると」
しかし、ラータニア王が後ろ盾となり、コニアサスが王になるまではラータニア王の手助けを得て王代理を行うため、グングナルド国を疎かにするわけではない。
むしろ他国を踏み躙ったグングナルド王を断罪した勇気を賞賛すべきだと、ラータニア王は演説した。
それによって事なきを得られたのは、ラータニア王を庇護するムスタファ・ブレインや、地上の国を本当に憂いるムスタファ・ブレインが数多くいたからだろう。
アンリカーダもまた、それを拒否することはない。王族が減れば精霊に願う者も減り、精霊の機嫌を損ね、それによって精霊が怒りを伴えば、その土地が枯れてしまう可能性があるからだ。
前王が精霊に愛されていると言うことはないので、精霊がストライキを起こすことはないだろうが、マリオンネからすれば王とその娘を失う危険は回避するだろう。
ラータニア王は上手くまとめてくれた。それによってグングナルドを憂いるムスタファ・ブレインからは、注視程度で済むことになったはずだ。
しかし、システィアはかぶりを振る。
「あの男がラータニア攻撃を許し、ラータニア王がその事実について証言したため、あなたがあの男を断罪したことについては異論を唱える者は少なかったわ。けれど、あの男と親しいムスタファ・ブレインがどう思うかは、分かるわね?」
グングナルド前王はマリオンネに良く訪れていた。
そこで会っていたムスタファ・ブレインの顔は知っている。灰色の髪の髭を蓄えた男で、前王と同じくらいの年の男だ。四角い顔の体格の良い男だった。
「ムスタファ・ブレイン、ベリエル。新女王アンリカーダ様に近い男よ。前女王エルヴィアナ様が亡くなる前から、アンリカーダ様を早めに女王にすべきと推薦していた者。ベリエルは前女王の体制を良く思っていなかった。アンリカーダ様を女王として、何を求めているのか。あの男と同じで地上に何かしらの影響を与えるつもりだったのではないかしら」
「ムスタファ・ブレインがですか?」
「あなたにはまだ話せないことがあるけれど、これだけは知っていて、フィルリーネ。今、マリオンネは大きく揺れている。前女王エルヴィアナ様に付くムスタファ・ブレインと、アンリカーダ様に付くムスタファ・ブレイン。均衡を保っていたはずがエルヴィアナ様が亡くなったために少しずつアンリカーダ様に流れ始めている。アンリカーダ様は何を考えているか分からない。王代理であるあなたにも影響はあるでしょう」
新女王アンリカーダ。前王は彼女を見ると自ら頭を下げて彼女の足元にひれ伏した。
まだ子供だったアンリカーダをどこか心酔する雰囲気さえあった。
エルヴィアナ元女王が年配で次期女王であるアンリカーダから優位を得られるようにおもねっているのかと思っていたが、そうではないのではないかと思い始めていた。
「アンリカーダ様はまだ女王の学びを得て静かにしているところだけれど、学びが終わってからは分からないわ」
ラータニア王も同じようなことを言っていた。女王になったばかりで何か動くことはまだないだろうと。しかし、彼女に会うことになれば、どう動くかは分からない。
その助言を聞いて、マリオンネには行かなかった。
元々、アンリカーダの雰囲気はあまり好きではなかったこともあったが、近付かない方が良いと言う気持ちがあった。ただの勘で理屈ではないのだが、近寄るべきではないと感じていた。
ラータニア王ははっきりと口にはしなかったが、アンリカーダが今まで世界の中立としていたマリオンネの立場を、大きく変更させる動きをするのではないかと言う考えを持っている。
グングナルド前王がアンリカーダについていながら、ラータニアの浮島を狙ったのは、アンリカーダが黙認すると知っていたからではないだろうか。
だからエルヴィアナ元女王が亡くなってから、進軍を強行したのではないだろうか。
「ラータニアの浮島に何があるのか、システィア様はご存知ですか?」
これを聞いたことはなかった。システィアはマリオンネの情報を殆ど話したりしない。グングナルド前王がムスタファ・ブレインに会うことを教えてくれるくらいだった。
システィアは瞼を下ろし、静かに首を左右に振る。
「わたくしからは何も言えないわ。ラータニアの浮島はマリオンネにとっても大切な場所なのよ」
「そうですか…」
やはりあの島には秘密があるのだ。システィアは困ったようにしながらも、フィルリーネの肩をぎゅっと握った。
「ラータニア王と協力を持ったあなたが、むしろ危険に晒されるのではないかと言う心配もあるの。けれど、そうでなければ王族としての立場を引き摺り落とされていたかもしれない。詳しく話すことができなくて申し訳ないと思うわ。ただ、わたくしが言えることは、とにかく国を治め安定させるしかないと言うこと。アンリカーダ様が手を入れる隙を与えないこと。その内、ムスタファ・ブレインがあなたの状況を確認するでしょう。その時に隙を見せてはならない。ラータニアの庇護が続き、あなた自身が国の王代理として堂々といられることを証明しなければならないわ」
システィアは声を押し殺すようにしてフィルリーネに伝えた。王代理としての立場を確立していなければ、その座を手放さなければならないと。
マリオンネの状況は、自分が思っているよりもずっと深刻なのかもしれない。
エルヴィアナ元女王にもらったペンダントを服越しで握りしめると、その手が汗で滲んでいるのにやっと気付いた。




