来訪3
「あら、オルデバルト。こちらにいらしたの?」
「これはフィルリーネ様。ご機嫌麗しゅうございます」
お前の話を聞く前まではご機嫌よろしかったのよ。とか言いたくなるのをグッと我慢して、周囲で顔色を悪くしている側使いたちに目配せする。
ホッと安堵しているのはミュライレンだ。いつも通りコニアサスと二人、庭園を散歩していたのだろう。そこに邪魔な毒蛾がやってきて、鱗粉を撒き散らしにコニアサスへとたかったようだ。
急いでコニアサスの側使いが使いを出し、自分を呼んだのである。
「フィルリーネお姉さまに、ごあいさつ申し上げます。おさんぽ、していらっしゃるのですか?」
コニアサスが安堵したかのように、麗しい笑顔を向けてきた。
いやこれはお姉様に会えて嬉しいんだよ。だよね。挨拶もしっかりできて、挨拶以外の一言もある。
そうなのよ。最近はね、挨拶以外にも言葉を交わしてくれるの。いつもはこっちから聞かなきゃ答えないのに、向こうから声を掛けてくれるんだよ。
しかも、フィルリーネお姉様って!
はー、可愛いねえ。うちのこ可愛いでしょ。
「コニアサスもミュライレンお母様とお散歩ね。何か見付けられたかしら?」
「先ほど、せいれいさんに会いました。ごあいさつできました」
「それは良かったわね。お話はできた?」
「できました! せいれいさんからお話ししてくれたんです」
コニアサスは満面の笑みを讃え、興奮気味で話してくれる。ちょっぴり鼻息荒く話すところが可愛らしい。
ここでもっと話を深掘りしたいのだが、ここには邪魔な虫が一匹。駆除しなければならない。
「ミュライレン様、少々風が出てきたようですわ。そろそろお部屋にお戻りになって。コニアサスが風邪をひいても困ります」
「そ、そうですね。コニアサス、お部屋に戻りましょう」
フィルリーネの言葉にミュライレンはぎこちなく頷くと、コニアサスを連れる。コニアサスは急に散歩を切り上げられてぽかんとしていたが、側使いたちが帰りを促した。
「残念ですね。お話をしたかったのですが」
お前のせいだよ。と口に出そうになるのをグッと我慢し、コニアサスに手を振り終えると問題の男に向き直す。
「コニアサスに何かあっても困りますわ。あの子は大切な弟ですもの」
「弟、ですか」
こちらの含んだ言葉に、オルデバルトが意味ありげに復唱する。
この男がどこまでこちらの情報を得て、それをどこまで信じているか分からない。
こちらはこの男の前で演技を崩したことがなかった。今まで前王と同じく高飛車で愚かな王女だと思っていたはずだ。
しかし、現在はどうだろうか。
「オルデバルトはどうしてこちらに。道に迷われたのかしら」
「素敵な庭園を見付け、足を踏み入れたところです」
オルデバルトは胡散臭く微笑んだ。ある意味ルヴィアーレ並の胡散臭さである。
にこやかな笑顔はオルデバルトの方が含みがあるか、爽やかさはさっぱりない。ルヴィアーレもないが、それ以上にオルデバルトの笑みは嫌らしい笑みに感じた。
元々前王の腰巾着と思っている分、オルデバルトの印象は最初から悪かった。そしてたまに王都に訪れた際に行われたパーティで、綺麗なお嬢さんたちへのアプローチが鬱陶し…、歯の浮くセリフで対応する姿に苦手意識を持ったわけである。
オルデバルトはフィルリーネに会うためにグングナルドへ訪れたと称し、来訪するたびに挨拶をしに来たが、二人で長い時間会うことはほぼなかった。
勿論、コニアサスにも形式的に会うことがあっても、言葉を交わすことなどほとんどなかっただろう。前王は自分の子を紹介するような男ではない。
理由を持ってコニアサスに近付いたのだろうが、コニアサスへ接点を持とうとすれば全てこちらにその情報が入るようにしている。
ミュライレンはコニアサスを王と推すような野望家ではなく、むしろ守られることが当たり前としている気弱なところがある女性だ。そのミュライレンとコニアサスを守る確約をしているフィルリーネに情報を遮断する人ではない。
ミュライレンやコニアサスの周囲は、元々二人を守っていた者たちで固められているので、現在のフィルリーネに対峙しようとは思っていない。彼女たちが信じているガルネーゼが後ろ盾としているからだ。
その為、おかしな輩から連絡があればフィルリーネに情報が入り、またそうならないように常に警戒をしている。
そして、不安定な状況である現在、庭園で誰かとばったり会うようなことがないように、王族だけが入られる場所に限定して散歩をしているのだ。
本来ならば迷って入ることのない王族専用の庭園。そこに入り込むなら案内が必要だっただろう。そして抜け道を教えた者がいる。
「オルデバルトは、こちらの庭園にいらっしゃったのは初めてだったかしら」
「ええ、初めて入らせていただきました。コニアサス王子とお会いできるとは思いませんでしたよ。よくいらっしゃられるのでしょうか」
「さあ、どうかしら。コニアサスは活発な子ですから、どこにでも姿を現してよ」
特定の場所にいるわけではない。そう言っておいて、どこのどいつがこの庭園に案内したのか頭を巡らせる。
警備や侍女は選ばせてオルデバルトにつけてはいるが、客人の給仕全てを掌握しているわけではない。こちらの目を盗み何者かがオルデバルトと繋ぎをとることも不可能ではなかった。
入ってはならぬ場所に入り込もうとしたところを、こちらの警備が邪魔しても、オルデバルトは腐ってもキグリアヌン国の王子。強行に出られればこちらも止め続けるわけにはいかない。
オルデバルトの後ろで侍女が申し訳なさそうにしてるが、彼女たちに落ち度はない。
オルデバルトが無理をした場合の報告方法を練り直した方が良さそうだ。
「フィルリーネ様、よろしければ庭園をご案内いただけませんか?」
無駄に畏まってうやうやしく頭を垂れる。長い金髪をさらりと揺らし、碧眼をこちらに向けた。目尻の黒子に色気を持たせ、物言いたげに瞬きをする。
女性たちはその感情をこもらせた視線が堪らないとよく言っていたが、それを誰にでも振りまく不実さを隠そうともしないところに寒気しかしない。
今すぐその顔を、特に顎辺りから蹴り上げたい。
よく飛ぶと思うの。遠くまで金色に輝いて。
「フィルリーネ様?」
オルデバルトが遠くへ飛んでいくのを妄想していたら、オルデバルトがばちばちと瞬きをしてこちらを見上げた。妄想しすぎて返事を忘れていたらしい。
「ええ、そうですわね。少しお話をしましょうか」
まったくしたくなんてないけどね。しかしこの男にこちらも探りを入れなければならない。面倒だが、致し方ないのだ。
『袋に入れて川に流しちゃえば?』
エレディナが語りかけてくる。つい頷きそうになってそれを我慢する。
私もそうしたいところだけど、色々面倒なんだよ。
『捨ててきてあげるわよ。袋に詰めて、砂袋つければいんでしょ?』
って嬉しそうに言わないでほしいよ。やる気満々だよね。
エレディナも同じく趣味が合わないと、オルデバルトを小突きたくなるのを我慢しているらしい。やめてね。一応王子だから、魔導量によっては気配で気付かれるから。ルヴィアーレと言う特別例もある。
オルデバルトにどれほど魔導量があるのか知らないが、腐っても王子。腐っても王子であるので、恐らく精霊は見られるだろう。
前王と言う前例があるので、一概には言えないが。
「コニアサス王子は聡明な方ですね。コニアサス王子を次期王とされると伺いました」
「コニアサスであれば良い王になると思いませんこと?」
文句でもあんの? の睨みをきめたいが、ここは笑顔で返したい。文句あんの?
オルデバルトは嘘くさく、その通りだと思います。と言ってくる。その通りだけど、あんたに言われると無性に腹立つの。
「フィルリーネ様が女王になる姿を見るのかと考えていたのです。美しい女王になるのではと。しかし、コニアサス王子にお譲りになるとは、こちらに参るまで思いもしませんでした」
「あら、そうですの? わたくしが女王となりルヴィアーレ様が伴侶として国を担う手伝いをしてくださるとお考えでして?」
「…そうですね。ラータニアの第二王子である方が、フィルリーネ様のお手伝いをされるのかと思っておりました」
ルヴィアーレの名前を出すと、オルデバルトは一瞬止まったように見えた。
前王よりどう説明を受けていたのか。ルヴィアーレとの子供を前王が望んでいれば、フィルリーネの伴侶となるのは想定通りだろう。
しかし、オルデバルトは少しばかり反応が悪い。
やはり自分の相手になるのだと、初めは思っていたのだろう。前王もそのつもりだったに違いない。
どこかで前王はルヴィアーレが必要となり、オルデバルトとフィルリーネの婚姻はなくなった。婚約を約束していたわけではないが、そんな話を前王よりされていたのだろう。
一体どこで、ルヴィアーレに必要性を感じたのか。誰から何の話を聞かされたのか、疑問に思うところだ。そしてその情報源はキグリアヌンではない。
だとしたら、やはりマリオンネか。
「ルヴィアーレ様は素敵な方でしてよ。文武両道で、魔導にも長けていらっしゃいますの。わたくしのお相手として申し分ございません。ですが、王になると話は別。グングナルドの次期王はコニアサスですわ。わたくしとルヴィアーレ様はその間の繋ぎとしてグングナルドを立て直す所存でしてよ。オルデバルトもお国に戻れば王のために働くのでしょう?」
だからさっさと帰るといい。お前がこの国にいても得られるものはない。
今のところオルデバルトに動きはない。警備は厳しく行い、オルデバルトへの面会を望む者たちの把握はできている。
動くならばいつだろうか。そして、もしそうであれば、オルデバルトの目的は何なのか。
まさか前王を奪還しようなどと愚かな考えは持っていないだろう。
だとすればグングナルドの王の座をどさくさに紛れて奪う気か。
その場合、狙われるのはルヴィアーレとコニアサスになる。
オルデバルトは口端を上げただけ、国に戻る気はないと流し目を向けて微笑んだ。
『気持ち悪』
エレディナが心を代弁してくれた。
今まではそれなりに対応をしなければならなかった。前王が連れる男に対しあからさまに嫌がる真似ができなかったからだ。
ルヴィアーレに対しては婚約が決まり嫌がらせで帰ってもらいたい一心だったが、ただ紹介されただけのオルデバルトを嫌う雰囲気は出せない。
仕方なく、当たり障りのないように相手をしていた。
それをオルデバルトはどうとっていたか。それすらも関係なかっただろうか。
前王の娘として、次期女王として、手に入れなければならない相手と思っていれば、オルデバルトは常にこちらに媚びる真似をしなければならないのだ。
だから、オルデバルトは無駄にこちらを意識したかのような態度をとってくる。




