護衛3
無言のまま沼の淵を歩き、フィルリーネとアシュタルの後をついていた。
どこまで行く気なのか、足元が濡れて泥だらけになっていても、フィルリーネは何の文句も言わず、むしろアシュタルに後ろ足で跳ねる泥に気を付けるよう言いながら、こちらを見遣った。
ちらちら気にして見られているわけではなく、かと言って睨みつけられているわけでもない。自分の更に後ろを確認しているだけ。
ただ単に魔獣が寄ってきていないのか、護衛対象である王女が確認しているのだ。それがかえって腹立つ。
アシュタルも背後は確認するが、王女がそれを行うことを気にしていないようだ。
俺がしんがりを務めているだろ! 前向いて歩けよ! そこまで信用ないのかよ!
ルヴィアーレの護衛を離れてフィルリーネの護衛に入る前、サラディカに『王女の護衛は苦労するぞ』と注意を受けた。
その時は、どうせ街の人間にも迷惑を掛けるから、その後始末でもさせられるんだろ。と思っていたが、今なら分かる。
王女は護衛なんて必要としていない。
アシュタルは何も思わないのかよ。
フィルリーネは護衛と同じか、それ以上に周囲を注視している。進む先に視線を注ぐのではなく、やたら辺りを見回し警戒した。
まるでこちらが守られているような気さえする。
サラディカの注意は、護衛として役に立たなくなるなと言う戒めだった。
枯れた枝木がマントやズボンに引っ掛かり、滑った地面に足を取られて枝が顔を掠った。
魔獣が出てくるにはもってこいの場所だ。沼地に住む魔獣は足を取られた生き物を逃したりしない。
案の定、水のなくなっていた泥の中から、泥に塗れた何かが蠢いた。それは一瞬で飛び上がり、鋭い牙を見せながら大きな口を開いて降りてくる。
持っていた剣はその魔獣の顔面を引き裂いた。何の魔獣だか知らないが、自分に斬れない魔獣はいない。
自分が持っている剣は特注で、手に持っているだけで自分の魔導が流れるようになっている。魔導を操ることが下手な自分に合った、特別な剣だ。
普通の魔剣士の剣は剣に嵌められた魔鉱石に魔導を溜められるようにしてあるが、この剣は剣自体に魔鉱石のかけらを混じらせてある。そのため、常に魔導を纏うだけで魔導を溜めることなく、一定の魔導で満たされるようになっていた。
それが自分には丁度いい。
沼から飛び上がってくる魔獣は数多く、どこからともなく現れて狙ってきた。
フィルリーネはアシュタルが守っているが、あの王女は守ってもらうと言う心を持っていない。
当たり前に魔法陣を作り上げると、さっさと魔獣を燃やした。
ルヴィアーレ様だって護衛が戦っている時は手を出さないぞ!?
それは自分たちに信頼を置いているからだ。戦わずに終わると分かっている。その手伝いをするのは、自分たちにだけでは相手が難しいと考えた時だろう。
それなのに、フィルリーネは率先して魔導を飛ばした。
しかも、
「燃やしすぎると、香ばしい匂いで他の魔獣が寄ってきちゃうかしらねえ」
「そうかもしれませんけど、香ばしいって言うのやめていただけませんか?」
「香ばしくない?」
「香ばしくありませんから。この魔獣は食用になりませんから」
「食べたら泥臭そうだよね」
フィルリーネは残念そうに言うが、会話が狩人のそれなんだよ!
さっきまで人に説教した王女の雰囲気はどこへ行った。「お腹減ってきたねえ」と呟きながら、焦げた魔獣に視線を落とす。物欲しげに見るなよ! 食う気か!?
「なー、あっちあんま魔獣いないー」
いつの間にか現れたヨシュアが、焦げた魔獣の上に降りてきた。消し炭になった魔獣を踏みつけて、鼻をすんすん鳴らす。お前も食べる気か。
「向こうの湿地にちょっと魔獣いた、けど、少ない。でも気配はある」
「どう言うことだ?」
アシュタルは問いながら泥に汚れた剣を魔法陣から出した水で洗った。器用な真似をする。水を出すにも魔導が多い者では剣を洗う程度の水を出すのは逆に難しい。鋭利な刃物にする方が簡単だ。
魔導が少ないわけないのだから、魔導の扱いによほど長けていることになる。
王騎士団だもんな。当然か。しかも王女直属の護衛騎士。サラディカと同じ、魔導を操ることを得意とする剣士なのかもしれない。
「地下に魔獣がいるかもね。前に見つけた遺跡の近くでしょ? 地下が繋がっているかもしれないわ」
「それを言われると、地下に水が流れてしまった可能性もありませんか?」
「そうしたら遺跡も沈んじゃうんじゃない? そうなってたら報告来るでしょう。水が引いたのは地盤が緩んだからとは思えないわ。沼の周辺の木々の枯れ具合を見る限り、精霊が離れたことが関与している可能性の方が高そう」
フィルリーネが言うように、沼の周辺は枯れた木々が多かった。沼の水が浸って成長できていないようにも見えるが、枯れている範囲が沼から離れていてかなり広範囲に思える。
「元々この辺りは魔獣も多くて精霊が少ないから、精霊の恩恵がここまで届きにくくなっているのかも」
「カサダリアの街に近い場所で、それは問題ですね…」
そんな話を証拠付けるかのように、川を確認しに行っていたエレディナが眉を寄せて戻ってきた。
「川の水、結構遠くの方まで枯れかけてたわ。山際からこっちに届くまでに流れ終わるって感じね。精霊の姿もほとんどないわ。マリオンネに飛び立ったきり、戻ってきてないみたい」
女王が崩御し精霊が悲しみにくれてマリオンネから離れない。その間大地の育みが遅れると言われているが、川が枯れるほどなど聞いたことがない。
しかし、グングナルドではその影響力を不安視していた。
本当にそこまでの影響があって、川が枯れるのかよ。
フィルリーネたちは顔色を曇らせた。想定していたより状況は悪いのだ。
木や水草の枯れ方から見るに、昨日今日で枯れたわけではない。しかも、広範囲で川が枯れているなら、周囲の被害は大きい。
沼の周囲にある木も葉はあまりついていなかった。この辺り一体の森は湿地帯が多いせいで所々木が育たなくなっているが、地面にしっかり植わっている木でも地面に落ち葉が見られる。
かなり高さのある木で今までは育っていたはずなのに、現状では枯れ始めているのは確かだ。触れてみると皮がぼろぼろと剥がれ落ちた。
「っと、あ。わ!?」
木に少しばかりもたれかかったら、ぐらりと揺れた。
「うわ、わわわっ!」
地面に靴がはまっていたせいでバランスを崩すと、もたれた木が根っこから倒れ雪崩れるように隣の木にぶつかり、その木も倒れてドミノ倒しに木々が倒れ込んだ。
「うわ。何してんのよ。あーあ、ちょっと、ひどくない?」
エレディナが呆れ声を出した。枯れ木ばかりの森の中で、大仰な音をたてて一本道のように木が次々倒れてしまった。
「わ、わざとじゃないっ」
「わざとだったらどんだけ怪力よ」
「怪力って話はルヴィアーレから聞いてるけどねえー。怪力にも程あるよねえー」
フィルリーネがわざとらしく語尾を伸ばして茶々を入れてきた。いくら怪力でも大木を押しただけで何本も倒せるわけないだろう。
「木が根腐れでも起こしていたんでしょうか。この辺りは湿地帯だったでしょうから」
「元々根本は柔らかいんでしょうけど、結構遠くまで倒れていったわね」
フィルリーネの言葉にヨシュアが人の真似をするように木を蹴り倒した。ヨシュアが勢いよく蹴ると、その勢いで周囲の木々が一気に雪崩れていく。
「こら、ヨシュア。何やってるの!」
「蹴っただけ! 蹴っただけ!!」
「蹴っただけじゃない! 近くに遺跡があるんだから、兵士に見つかっちゃうでしょ!」
「フィルリーネ様、そう言う話ではありません…」
気が抜けるのは自分だけだろうか。フィルリーネは子供を叱るようにヨシュアに注意し。ヨシュアは怒られた子供らしく、でかい図体を小さくして頭を抱えて座り込む。
エレディナが馬鹿にすると、ヨシュアと子供同士の口喧嘩が始まった。
こいつらいつもこうなのか? 冗談でやってるのか真面目にやってるのか判断がつかない。
呆れそうになったが、どこからかの風を感じて、そちらへ目を向けた。
自分は耳がいい。レブロンに獣みたいだと言われたことがあるが、はっきり聞こえる音に皆が気付かない方が不思議に思う。
その音は空洞に響く風の音で、ひゅーひゅー言った。
「ふぃ、…フィルリーネ姫。地面に空洞があります」
それはヨシュアが蹴り倒した木の中で、小さな穴だったが、強い風が吹き出していた。
ぽっかり空いた土の中。暗いがかなり深そうだ。フィルリーネは炎を作り出すと、それを穴の中に落とす。周囲が燃えない、明かり代わりの炎だった。
「遺跡の地下に繋がってるのかしら…」
「入ってみないと分かりませんが、この穴から入ることはお勧めしません」
木が倒れることによってできた、小さな穴。人一人は入られるが、湿地だった場所だ。穴が小さくて服が泥まみれになるのは予想ができた。
しかしフィルリーネはとぼけた顔をアシュタルに向ける。口をしっかり閉じて、鼻の下を伸ばし無言でアシュタルを見つめた。
「そんな変な顔しても駄目です」
アシュタルは変顔を見ないように顔を背ける。だがフィルリーネは無言のまま、ただアシュタルをじっと見続けた。
「少しだけですよ! 少しだけですからね!!」
「行こ、行こー。さっと行こー。一人ずつねー」
言って、先に入り込もうとするのは勿論フィルリーネだ。慌ててアシュタルが飛びつき、二番手で来るように叱りつける。
エレディナによってアシュタルは降りたが、アシュタルが中の感想を言う前に、ヨシュアを使ってさっさと下に降りた。
頭が痛くなる。あれは本当に王女か?
好奇心が旺盛すぎて、動きが子供みたいだ。王女とは名ばかりの、平民のよう。間違ってもラータニア王女ユーリファラとは、比べ物にならないほど王女の威厳がなかった。
「イアーナ、おいてくよー!」
地下からフィルリーネの声が届く。エレディナがパッと背後に現れると、あっという間に地下の地面に落とされた。




