護衛2
ラータニアは温暖で比較的緩やかな気候を持ち、精霊が多く住む国だ。
精霊は普通の人間には見ることができない存在で、魔導を持っていても見られる者は稀だ。魔導の強い者には見られると言われているが、それもほとんどいないと言う。
だから、精霊を初めて見た時は驚いた。
攻撃や防御で使う魔導が目に見えるのと同じく、魔導の塊がふわふわと動いている。ぶつかってくるでもなく浮遊して、空を飛んだ。
精霊は群れを成して動くことが多い。だから王族でもない自分でも気付くことができたのだ。
単体で飛ぶ精霊はまず目に見えることはない。しかし、精霊の魔導の強さによっては、目で確認できることがある。それもよほど近くを飛んでいればの話だが。
ラータニアでは精霊は堂々としている。あちこち飛んでおり、王族の城ともあれば、どこにでも現れる。
それは、隠れる必要がないからだと、ルヴィアーレは言った。
グングナルドは違う。城にいれば何が起きるか分からない。だから、気配を消すように魔導の放出も抑えている。
『私でも、精霊が見にくくなる時がある』
精霊が気配を消し魔導量を隠すように飛ばれては、ルヴィアーレでも精霊が霞んで見えることがあるそうだ。
そんなことは、ラータニアでは考えられないと言って。
それが、この国の直面している状況なのだと。
それでも、精霊がいなくなると言う想定をすることに、違和感しかなかった。
「水が、枯れてる…」
沼に流れるはずの小川は細く、ちょろちょろと雨水が流れているような量だ。その先の沼は汚泥で埋め尽くされており、枯れた枝や泥にまみれた石が頭を出していた。
辺りは異臭が立ち込めている。沼に住んでいたらしき魚の死骸が浮かび、魔獣でも食わないほど腐り切っていた。
「聞いていた以上にひどいわね」
「この小川は支流ですが、ここまで水が枯れているとは思いませんでした」
「くさい。くさい」
「ほんと、くっさーい。何よこの匂い」
ヨシュアとエレディナは浮きながら沼を眺める。ヨシュアに至っては鼻を摘んで森の上まで飛んだ。
「ヨシュア。近くに魔獣が増えたりしてないか、確認してきて」
フィルリーネは匂いも気にせず沼に近付くと、その足で沼の土を確認する。
ぬかるんだ土はフィルリーネの靴を呑み込み、ぐちゃりと言った。
「乾燥しているところもあるわね。急激に減ったようには思えないけれど、水が枯れているのはこの辺りだけなのかしら」
「私が見てくるわよ」
「精霊の姿も全く見えないから、その辺りも確認してくれる?」
今度はエレディナが周囲を確認しに行った。ヨシュアとは別方向に飛んで、空から確認する。飛んで空から確認できる調査なんて、兵士よりずっと使い勝手がいい。
フィルリーネ本人が何で調べに出るのかと思うが、翼竜と人型の精霊を使役にするのだから合理的だった。
それじゃ、警備や兵士たちの面目丸潰れだよな。
アシュタルをちらりと見たが、その辺り割り切っているのか、フィルリーネの側から離れず周囲を警戒していた。
フィルリーネの護衛として離れる気はないって感じだ。
「どっちが先かしらね」
呟きにハッとする。何の話をしていたのか、アシュタルは眉を潜めていた。
「この辺りは足を踏み入れたりはしなそうですね。遺跡の調査に兵士が多く入り魔獣を倒したことで、狩人がこちらまで入り込むようになったんですから、その時に気付いただけかもしれません」
「女王が亡くなって、精霊がマリオンネより戻ってきていないだけではない気もするわ」
「現女王の統治が未だ不安定ということでしょうか」
「アンリカーダが何を考えているかは分からないわ。前王が懇意にしていたのだから、精霊の戻りも遅れる可能性はなきにしもあらずってところね」
何の話だ。それではまるで、女王がわざと精霊をグングナルドから減らしているように聞こえる。
「その辺りの調べがこちらで行えないことが歯痒いです」
「そうね…」
「マリオンネが意図的に国を困窮させてるってことですか!?」
何を馬鹿なことを。女王はこの世界の中心だ。大国グングナルドとキグリアヌンはその女王から他国を守るようにと命じられている。その義務を怠ったから罰を受けているだけだろう。
だからと言って、女王を貶める発言は聞き捨てならない。
食ってかかると、アシュタルがさっとフィルリーネとの間に立ちはだかった。
フィルリーネを盲目的に信じすぎじゃないか? 女王に軽口を叩く女だぞ?
フィルリーネは何も言わずこちらに視線を向けた。アシュタルの背からこちらを見つめてくる。無言の圧力を感じて、何故か後退りしたくなった。
時々、こいつに迫力を感じるのは何なんだろう。顔が整っているからか? 傲慢に嫌味を言ってくるからか?
「イアーナ。ルヴィアーレから何も聞いていないことに、何の疑問も持たないの?」
「何だって!?」
「ルヴィアーレはあなたを信頼しているでしょう」
それは当然だ。だからラータニアからグングナルドまで連れてきてくださった。そのためにルヴィアーレ様を必ずお守りすると誓ったのだ。それなのに、こんな女の護衛をしなければならない。
それを口にせず黙っていると、フィルリーネは咎めるような目を寄越した。
「信頼しているのはあなたの能力だけよ。性格に関しては一切信用を置いていない。サラディカには話されていることを、自分には話されていない。それはサラディカが特別な部下だからと履き違えているんじゃないの?」
「何を…っ」
「話せないのは理由があるからよ。あなたに話すべきことではない。話す必要がない。ルヴィアーレからそう判断されていることが分からない?」
「はあ!? ふざけたことを」
「何のためにルヴィアーレが私にあなたが付くことを許したと思っているの? 本当に罰だと思っていたら愚かにも程があるわ。言っても聞かず納得もせず、ただ思い込みで進むことを忠義と思うならば、あなたは必要ないのよ」
根拠のない言葉に、怒りが膨れ上がった。黙って聞いていればぐだぐだと、何を説教するつもりなのか。
「罰じゃなければ、何だって言うんだ!」
「最終通告よ」
フィルリーネはきっぱりと言い放つ。
「あなたのことは、ルヴィアーレから最終的に私の判断に任せると言われているのよ。ルヴィアーレの判断はもう終わっている。私の個人的感情で判断されるとでも思っていたの?」
「何を言って…」
「ルヴィアーレの判断は終わり、私に委ねられたのよ。理解していなかった? あなたの態度がそのままであり、改めることがないのならば、私がどう判断しようとルヴィアーレは何の文句も言わない。私にとって最終であって、ルヴィアーレにとってはもう終わった話だわ」
「そんなことっ!」
「他国に渡っているという自覚もなく、ルヴィアーレの足を引っ張ることを考えることなく、ただ思ったことを顔に出す。私の意見への反応をそのまま表情に出して反論をされても態度を変えることなく、むしろルヴィアーレに助けられ顔を合わせないようにされてきた。それすら不満に思っていたのでしょう」
それはフィルリーネの態度があまりにもひどかったからだ。演技だと知ったのはずっと後で、ルヴィアーレの護衛としてフィルリーネは憤懣やるかたない存在だった。
それに怒りを覚えるのは当然だろう。
「思い上がらないことね。あなたの態度全てがルヴィアーレの足手纏いになっていることを、今ですら気付かぬのなら、ルヴィアーレの側にいる資格がない。その隙を狙われていながら、未だ反省も持てぬのだから、ルヴィアーレの人選が間違っていただけと判断されるのよ」
痛いところをつかれてぐうの音も出ない。
確かに自分のせいでルヴィアーレ様に迷惑が掛かった。
けれど、それはこの国がおかしいからじゃないか。
「ルヴィアーレの恥となっていることを、よく考えるのね」
フィルリーネは言うだけ言って、背を向けた。
周囲を見回ってきたヨシュアとエレディナが戻り、気になった場所へと移動していく。
アシュタルは何も言わずフィルリーネの背を守った。自分との距離を考えるように、こちらを確認する。
いつ自分がフィルリーネに振りかぶろうと、すぐに対応できるように。
生臭い匂いを混じらせた風が吹いて、飲み込んだ空気が肺の中を腐らせるような気がした。




