レブロン2
「申し訳ありません。本日フィルリーネ様はお部屋でお休みになられております」
ルヴィアーレがフィルリーネの部屋へ訪れると、扉の前で断られた。
珍しい。最近では部屋で休むなどと言う暇はないと聞いていたのだが。
ルヴィアーレもそう思っただろう。一度間を置くと、警備をしているアシュタルをちらりと見遣る。
「本当に休ませぬと、身体を壊すぞ」
誰に言うでもなく口にすると、断った側使えのヨナクートは静々と頷いたが、アシュタルが一瞬ピクリと眉を傾げた。
「勿論でございます。姫様には休息が必要ですから」
「ならば良い。部屋から出てきたら話があると伝えてくれ」
「承知いたしました」
ヨナクートは柔らかい笑顔でルヴィアーレを送る。アシュタルも頭を下げて見送った。
「何、休んでんですかね。忙しかったんじゃないんですか?」
イアーナがここぞとばかりに文句を口にする。すぐに脇腹を肘打ちしたが、身体をよじらせながらも再び文句を言う。
「他にもやることあるんじゃないんですか? 何やってるか知りませんけど」
「イアーナ」
肘打ちでは治らないので、名前を呼んで喝を入れる。不満げな顔をこちらに見せるが、言い足りないと口を尖らした。
イアーナは子供すぎる。
ルヴィアーレは何も言わないが、サラディカが目に余ると、鍛錬でもしてこいと追い払った。
「未だフィルリーネ王女について悪し様に言うのは、さすがに問題だと思いますが」
ついそう口にすると、サラディカが溜め息を吐いた。言うことを聞かない年離れた弟を相手にしているみたいだろう。サラディカは元々感情をもろ出しするイアーナをルヴィアーレの麾下に置くことは避けたかったがっていた。
事実グングナルドに向かう直前まで、イアーナを連れて行くかどうかで大きく揉めたのだ。連れてこなければ良かったと考えるのなら、今からでもラータニアに送り帰すべきだと思っているかもしれない。
それでも連れてきたのは、ルヴィアーレ様だが。
「イアーナはこちらの粗にもなるが、あれほどの剣を使える者はいない。こちらに人数がいないことを鑑みれば、イアーナが必要になることはあるだろう」
ソファーに姿勢良く座りながら、何の感情もなく発言する。フィルリーネが王の代理に立っても、まだ危険は去っていないと言うことだ。
「粗にも程がありますが…」
サラディカは溜め息混じりだ。単純で何でも口にしてしまう護衛など、王族を守る者として最低だが、イアーナの剣術は国一である。剣術と言うか、馬鹿力と言うかだが。
イアーナは魔導が高い割に剣で戦う方を好む。その力は十人力で、周囲に仲間のいない場所で発揮しやすい。
窮地に立った時、護衛対象を逃がして戦いに赴くことが向いている。
グングナルド王が捕らえられた今、ルヴィアーレを狙う者は少ないだろうが、それでも危険が去ったわけではない。イアーナは念の為必要だった。
最悪の場合を考えた人選だな。
「気になるのは、アシュタルもですが」
「あれは仕方あるまい。やっと銘打ってフィルリーネの警備が行えるのだ。こちらを敵視するのは当然のことだ。フィルリーネを信じていた者たちからすれば、私の存在は疎ましい」
ふっと微笑みながら言う姿に、サラディカと顔を見合わせてしまった。
ここにイアーナがいれば当たり前に文句を言うだろうが、今の言い方を聞くと別の突っ込みをしたくなる。
アシュタルがフィルリーネの警備についてから、今までの態度に比べて硬化したのは間違いない。最初はフィルリーネの所業に同情するような態度をしていたが、それは演技である。
今はフィルリーネを第一として警備を行っているため、ラータニアに当たりが強かった。ラータニアの存在はともかく、ルヴィアーレとの婚約を快く思っていないからだ。
それがフィルリーネに傅く者たちの考え方だと、ルヴィアーレは当然と思っている。
それを、どうにも優しげに言われては、別の心配が芽生えてくるのだが。
サラディカも感じただろうな。
この頃、ルヴィアーレがフィルリーネといると、僅かだが表情が出やすくなってきている。
王族以外の女性に会う時は笑顔という仮面で隠していた表情を、フィルリーネの前では行わなくなったが、その分別の表情をするようになってきていた。
いや、この突っ込みはしないでおこう。婚姻については今のところ白紙に近い。婚約を続けてグングナルドを監視する役目を持っているだけなのだから。
「フィルリーネ王女は身体を壊されたのでしょうか。イムレスとの演習で疲労したのでは?」
「そうではない」
即座に否定されて面食らう。あれだけの戦いで余裕を見せてはいたが、実は疲れが溜まったのではと予想するのが普通だと思う。しかし、ルヴィアーレは全くそうではないと首を振った。
「体調を崩していたら逆に隠す。それに魔導量もあれが限界ではない。フィルリーネは勘違いさせたいだけだ。演習は王族直属の魔導士にも劣らない水準だった。ここで疲労を見せるくらいにしておきたいのだ。まだ釣れていない敵は多いからな。全てを見せる必要などない」
それをフィルリーネと話し合ったわけではないだろうに。しかしルヴィアーレは言い切るのだ。
ここにイアーナがいなくて良かったな。
「引き籠もって行うことは想定している。アシュタルの機嫌が悪いのはそのせいだろう」
「まさか、市街に?」
「他にあるか?」
人型の精霊だけを従えて、一人で街に行く。それを聞いた時は、そんなことが王族として許されるのかと思ったが、我が国の王も同じだったと思い直した。
ただフィルリーネは女性でそこまで剣の腕や魔導があるとは知らなかったこともあり、王女だけで外に出るなど無謀だと思ったのだが。
ルヴィアーレはけろりと言って、外に出ていることを当然として受け止めていた。
「街に出るのは、状況を知りたかったからなのでは? 今であれば警備騎士に任せても良いでしょうに」
「フィルリーネが街に出るのはただの趣味だ。それを抑えたら暴れ出す」
「暴れる…ですか」
「ただでさえ長く城にいるのだ、それくらい許さなければそれこそ何をするか分からない。抜け出すなど簡単にできるのだから」
「そうでしょうが…」
「確かに、警備をつけぬのは問題だ。つけぬと言うより、警備たちの心持ちの問題だが…」
独り言のような言葉は、誰に言うでもない。しかし、警備を行う自分からしても理解ができた。
アシュタルの機嫌の悪さ。やっと警備に復帰できたのに、フィルリーネが警備をつけずに街を出た。アシュタルはついて行きたかっただろう。
それはアシュタルに同情する。
「これに関しては注意はできぬ。あれが行く場所に護衛はつけられぬからな」
あれ、と固有名詞を使わずフィルリーネ王女を呼ぶのは無視しておこう。危険があるのならば護衛はつけるべきで、街に行くならば護衛に警備騎士をつけるでも構わないと思うのだが。
「なぜでしょうか。まだ狙われる危険は続くのでは?」
「行く場所を漏らせば、相手が狙われる」
フィルリーネは街の子供たちを大切にしている。子供を人質に取られることを心配しているのだ。
「こればかりは放っておくしかない。ついていった方が迷惑だ。アシュタルには説得の仕方を変えろとフィルリーネに伝える。」
その言葉を聞いて、やはりサラディカと顔を見合わせてしまった。




