立場
「姫様、少し休憩されたらいかがですか?」
カノイは抱えるほどの書類を持ってきながら、遠慮気に、丁寧な言葉でそう言った。
中央政務官室で斜め隣に席を置くガルネーゼと、彼と対面して座っている政務最高官長エシーロムも書類を見ていた顔を上げる。
「そうですね。そろそろ休んだ方がいいでしょう。王女とは思えぬほど目の下が黒い」
余計なことを言うのは勿論ガルネーゼである。エシーロムがいる手前いつもとは違って気安い言葉を使わないくせに、内容は失礼だ。
「フィルリーネ様、お茶を運ばせましょう。少しでも休憩は必要かと存じます」
エシーロムもそう言ってカノイにお茶を運ぶよう伝えた。書類を置いたカノイがすぐに外に伝える。
「もうこんな時間? これだけ見たってのに減らないわね」
朝から書類に囲まれて確認をしてきたが、もう夕食の時間が近付いてきている。今日中に終わらせたいのだが、間に合うだろうか。
机の上に積み重ねられた書類を見ながらうんざりする。政務官室には保存されていなかった王個人の帳簿を発見し、各領の財政やお金の動きを再確認しているのだ。
王の棟は罠だらけで、普段通っていても家探しは危険が伴う。イムレスを中心に隠し部屋がないかを調査させていたところ、帳簿が見付かった。
他にも続々と怪し気な手紙が見付かったが、それもまだ一部だと言う話だ。
「政務室も死屍累々って感じです。ルヴィアーレ様、人こき使うの好きみたいですね」
「自分が良くできて、相手にもそれを求めるからよ」
「姫様と一緒だと思います」
「失礼ね。ぎりぎりまでは見定めるわよ」
「見定めるのがぎりぎりですからね」
ルヴィアーレには隣の中央政務室を見てもらっている。彼は数字が大好きなようなので、細かい確認作業もお得意だ。自分以上にねちねち…、詳細に多くを確認してくれている。
おかげで政務官たちはしごかれているようだ。それにはイカラジャも一役かってくれているので、隣の部屋も死相が見えそうな人が増えてきた。
カノイはすぐに届いたお茶のために書類をどかす。ゆっくりお茶を飲むにもテーブルにつきたいが、飲みながら作業を進める。
それが分かっていると、ヨナクートが小皿で簡単に食べられるお菓子を用意してくれたようだ。少し甘めのケーキを口に入れて、紅茶を飲み込む。
ここで作法はいらないと、エシーロムには言ってある。しかしエシーロムはフィルリーネが口にしてから紅茶を口に含んだ。
仕事中なのだからそんなこと気にしなくてもいいのだが。言ってもガルネーゼですらその辺りの区切りはしっかりしており、人がいる前で王女を蔑ろにする真似はしない。
エシーロムはタウリュネの父親で会うのは婚姻式以来だったが、謹慎が終わり政務に出てきた。
政務最高官長でありながら完全に王の手ではなかった。政務の間おかしな金の動きを無視してきた罪は重いが、王に気付かれぬよう貧民への救済を行なっていたことから謹慎で済ませられた。
フィルリーネの反乱に驚愕どころか困惑していたが、政務に戻り仕事を共にするようになって、やっとフィルリーネを認め始めたところだ。
「フィルリーネ様、失礼いたします。前に頂いた魔鉱石の効果測定が出ましたので、こちらもご確認をお願いいたします」
アシュタルが書類を持ってやってきた。警備は部下に任せて魔獣について確認していたようだ。前に魔獣が増えたと言われて作った、魔鉱石の効果が出たのだ。
ルヴィアーレに教えてもらい作った魔鉱石に魔導を注入したもの。魔鉱石とは言っているが呼び方がないのでそう言っているだけの、特別な魔鉱石である。
ルヴィアーレと合わせたくもない魔導を合わせ続けて、その後エレディナとの魔導の放出は一度で成功した。
元の魔鉱石は濃度が高めの色をしていたのに、作り終えれば表面に油膜が張ったように透明で、中心に核のような濃い色ができていた。触れても硬いままなのだが、透明な部分が波打っており、柔らかそうに見えた。
その特別な魔鉱石を使った魔獣避けの実験は上手くいったらしい。コツは掴んだので今後のためにいくつか作っておいた方がいいだろう。
このまま経過を見ると言う書類をガルネーゼに渡すと、ガルネーゼからエシーロムへ渡される。
「幾つか製作していただき、流通に不可欠な道に埋めることができれば、警備の数が減らせる場所ができますな」
「結果はよろしゅうございますが、この魔鉱石を作るにはフィルリーネ様のお力が必要不可欠。魔導の放出力はどれほどのなのでしょうか」
ガルネーゼが喜んだのに対し、魔導量が少ないとされているフィルリーネのことを心配したか、エシーロムが問いかける。
アシュタルもこちらを注視するよう見つめてきた。
「前回、顔色を悪くされたほどです。多くを作るにはお時間も足らないのではないでしょうか」
「あの時は練習で神経をすり減らしたせいよ。魔導に関しては大したことではないわ」
「勿論そうでしょうが、お忙しい現状を考えれば、すぐに何個も制作するのは控えられた方が良いと思います」
練習を終えて魔鉱石をアシュタルに渡した時、フィルリーネは確かに体調を悪くしていた。顔色にまで出るほど魔導を使いすぎたわけではなかったのだが、アシュタルにはそう見えたのだろう。
精神がすり減っただけなんだよね。一回で成功したとは言え、練習でルヴィアーレの魔導を相当身体の中に吸収した気がする。その上で自分の魔導を何度も放出するものだから、とてつもない疲労感があった。
その状態でアシュタルに会ったものだから、アシュタルはとても心配してくれたのだ。
しかもその後、ルヴィアーレとの間に問題ができた。
「ルヴィアーレ様に製作していただくのが一番かと思います。魔導の高い方なのですし」
アシュタルの言葉がどこか鋭い。本人がいたら嫌味に聞こえる気がする。
「ルヴィアーレ様であれば体力もあるでしょう。そのようにお願いされたらいかがですか?」
あの時の状況を知らないエシーロムが頷く。状況を知っているガルネーゼが若干面倒そうな顔をした。
「ルヴィアーレも私も時間がないのは同じだから、空いている時に行いましょう。ルヴィアーレも手伝ってくれるわ。魔導の使い方もまだ他にも教えてもらえることになっているから、魔導の使いすぎはお互い気を付けないと」
「コニアサス王子とミュライレン様へ、精霊への魔導の与え方を教えていただくとか」
「ええ。コニアサスが楽しみにしていると言っていたわ。私も楽しみなの」
「それはようございました。グングナルドにとってルヴィアーレ様の助力は大きな力となりそうですね」
エシーロムに悪意はないのだが、ガルネーゼと一緒につい咳払いをしてしまう。
アシュタルは無言のまま警備につくと扉の前を陣取った。その扉を過ぎた先にルヴィアーレがいる中央政務室があるのだが、そこの行き来を封じるような佇まいである。
ちょっと何とかしろよ。みたいな目でガルネーゼがちらっとこちらを見たが、どうにもこうにも難しい話なのよ。
きっとルヴィアーレもこんな気持ちなのだと改めて思ってしまった。アシュタルはそのまま感情を口にしないので、イアーナに比べれば大したことではないのだが。
魔鉱石を作った際に、アシュタルは今と同じように心配の声を掛けてくれた。
病を患い倒れることはフィルリーネは殆どない。仮病ならたくさんあるが、病という面では元気はつらつな子なので、風邪も殆どひかない。
しかし、イムレスに教わった魔法陣の練習に魔導を使いすぎて倒れそうになったことは何度かある。アシュタルが護衛になっていた間、魔導の使いすぎで気分を悪くしたことが多々あったのだ。
それを覚えているのだろう。特別な魔鉱石を渡した際にアシュタルが魔鉱石を手にしながらも、こちらを心配そうに見遣った。
その時に、ルヴィアーレがアシュタルを下がらせ、「水分を取れ。魔導の使いすぎで体温も下がっている。暖かいものを口にしろ」とフィルリーネに婚約者らしく命令した。
ヨナクートはルヴィアーレの言葉に頷く。ヨナクートがその指示をされても特に気にならなかっただろう。婚約者のルヴィアーレがフィルリーネの周囲に何かを命じたとしても、気にする話ではないからだ。
けれど、アシュタルはそこで違和感を感じたのだ。
前々とは違う、ルヴィアーレの素の言葉で命令を受けたアシュタルは若干眉を寄せた。すぐに頭を下げてその場を下がったが、何か思ったのは間違いない。
ルヴィアーレに指示されるとは思わなかったのかもしれない。アシュタルからすれば立場が微妙だからだ。しかし、表向き今はまだ婚約者である。ルヴィアーレの動きが悪いわけではなかった。
婚約を破棄する予定と思っている者たちからすると、ルヴィアーレが婚約者として動くことに不満を覚えるのだろう。
婚約してからルヴィアーレは一度としてフィルリーネの部下に何かしらの命令をしたことはなかった。
だから、尚更違和感があるのだ。
元々しっかりとした王族である。いや、私がしっかりしてないわけではないよ。
ルヴィアーレは王族たる王族で、それが当然の教えを受けている人だ。婚約者の部下に命令するくらい当たり前。今までは問題が起きないよう、行っていなかっただけである。
そのルヴィアーレの態度が変化したのだ。今までは引き籠もり部屋でしか行なっていなかった態度を、部下たちの前で行なった。
そのせいでアシュタルの中でもルヴィアーレに対する態度が変わった。分かりやすく変わったわけではないし、ルヴィアーレもあまり気付いていないだろうが、自分には分かった。
ああ、これはまずいな。とガルネーゼと視線だけで理解しあったのだ。
婚約だっていつまで続くか、こちらも分かっていない。アシュタルが不満に思っても当然。散々婚約は破棄すると言っていた手前、自分が反故にしているのだから、こちらも非がある。
現状は我慢してくれと、口頭で言うべきか、迷うところだ。
ラータニア王に子はいないのだから、ルヴィアーレをラータニアに戻すことが必要なのだし、ラータニア王に子ができない限り、ラータニアを継ぐのはルヴィアーレなはず。
子供ができたとか言わないよな…。
王妃は元王騎士団だったと耳にしている。年下のはずだが婚姻してから何年も経っていた。
ユーリファラの母親である側室との間に子をもうける可能性はあるだろうか。王族にしたのだから、ないとは言い切れない。
いやあ。ルヴィアーレをグングナルドに捨てるとは思えないんだけどなあ。
こちらは女王にならないのだから、ルヴィアーレが婿となっても旨味がないのだ。コニアサスが王になった時にどの役目を得るか、今から奔走する気なら何とも言えないが。
自分はとっとと引退する予定であるので、その邪魔はお断りである。




