イアーナ2
「何か、怒っていらっしゃったのに、あんな風に女性に触れるルヴィアーレ様、見るの初めてだったんですけれど…」
フィルリーネの普段見ない間抜け面を笑ってやろうと思ったが、笑いが出なかった。なぜかため息が出そうになると、隣でレブロンが横目でちらりと見る。
「気安い仲になられているんじゃないのか?」
「はあ!? あの女ですよ!? 馬鹿で我が儘で、嫌味なあの女ですよ!? 何言ってるんですか、レブロンさん!」
そんなこと冗談でも言わないでほしい。
憤慨して口を膨らませると、レブロンは小さく息を吐いた。
「その態度はいい加減改めておけ。サラディカも何度も言っているように、あのフィルリーネ王女は今までの王女とは別人。人型の精霊を使役にして翼竜を手懐けるような方だ。イムレス殿やガルネーゼ殿と裏で手を組んでいたような王女で、だからこそラータニア王もルヴィアーレ様も王女に手を貸したんだろう。諦めて認めないとお前が困るぞ」
「困るも何も、信じられないものは信じられないですよ!」
人型の精霊は俺は何度も見ていないし、翼竜を手懐けたと言うのも耳にしただけ。レブロンさんは見たと言っているが、俺はまだ見ていない。
普段フィルリーネを守っていると言うが、殆ど姿を現したことがない。俺は見てない。
「婚約の続行は考えがあってのことだろう。グングナルド王がいないのだから、フィルリーネ王女が代わりになるしかない。その地盤を作るのにラータニア王は関わるべきだとお考えなんだ。不審に思ったとしても口に出すなとサラディカに言われただろう。今後のラータニアのためにも、王女を口悪く言うんじゃないぞ」
「そうかもしれませんけれど!」
それでも言いたくなる。
レブロンの叱咤に口を閉じたが頬は膨らませたまま、持っていた荷物を抱えて進む。
フィルリーネの計らいとかで住む棟を移動することになったのだ。どうせもっとひどい立地の建物に案内されると思ったけれども、前と違い日の当たる見晴らしのいい棟だった。
問題なのはフィルリーネの棟に近いことだけれども、同じ棟でなくて安心する。
警備の問題上近い場所に移動してほしいとのことだが、下心あるんじゃないのか?
人手を出し荷物運びが始まったが、自分の荷物は自分で運ぶことになり、暗い騒音のあるあの棟を出てきた。
行く途中にまだ工事を行っている箇所を通る。戦いで崩れ造り替えた建物の壁を丁寧に塗っている職人が見えた。通り道には面していないので、職人はこちらを気にせず壁面を塗っている。
鼻につく匂いが気になるが、それとは別に甘い匂いが鼻腔をくすぐった。
甘い匂いは通り過ぎた侍女からで、カートに甘そうな焼き菓子や軽食が乗せられていた。どこに行くのかと目で追っていたら、職人たちの方へ進んでいき足を止める。
「皆様どうぞ。フィルリーネ様よりのお裾分けです。休憩なさってください」
そんな声が届いて、目を見張った。聞き間違えたかと思ってレブロンを見たら、レブロンも同じく驚いた顔を見せる。
職人たちは当たり前のように梯子から降りてきて、頭を下げながらその菓子を手にする。
侍女は菓子の乗った皿を廊下に置いてあった小さな机に置くと、そのまま戻ってきた。
「ちょ、ちょっと、あの」
「はい、何でしょうか」
「今の、フィルリーネ様からって?」
「ええ、そうですよ。フィルリーネ様より、城の修復を無理に急いで行ってもらっているからと、時間になると職人たちに軽食を出すよう命じられているんです」
「フィルリーネ、さま、が?」
レブロンと顔を見合わせると、侍女は小さく笑った。
「他の方にも聞かれたことがありますが、本当です。修理が始まった当初から職人たちに軽食を出すよう命じられていました。そのおかげか城の修理に関わる職人が普段よりずっと早く仕事をしてくれると、現場の担当者が喜んでいらっしゃったぐらいですから」
職人に費用以外の施しを渡すなど、どうにも考えられない。レブロンも信じられないようにして職人を見遣った。
城で食べる菓子はうまいのだろう。笑顔で口にして職人同士軽く談笑すると、休憩するのかと思ったらすぐに仕事に戻った。
そこまでの待遇がいるか? たかが職人だろう。仕事を与えてやって費用を払えばそれでいいじゃないか。
それもフィルリーネが行ったと言う。嘘くさくてたまらない。
「そんな必要、感じないけど」
「フィルリーネ王女の心付か。そうすれば職人も喜ぶだろうな。王女からの配慮を賜れば意気込みも違うだろう」
「そんなのただの嫌がらせじゃないですか? さっさとやれって脅しですよ」
「お前な…」
そうでなければ、どうせ別の誰かが命令したのを自分の命令のように言っているのではないか。
レブロンの呆れ顔を目端から外して、新しい棟へと足を進める。自分たちの荷物はそこまで多くない。一度で運べるので順番に取りに行っていた。
けれど、俺は棟へ戻って警備をする予定だ。盗まれて困るものは自分たちで運ぶが、それでもフィルリーネの部下が荷物運びついでに何も盗まないかなんて分からない。
「…こんなこと…よねえ」
「ほんと、もうみんな…で」
「あんな風に、…なんて。フィルリーネ様が…でしょう?」
ぼそぼそ、ぼそぼそ。回廊の柱に隠れ、侍女たちが何かを話している。顔は笑っており穏やかな雰囲気だが、途中フィルリーネの名前が出てつい聞き耳をたてたくなる。
「何の話をしているんでしょう」
「さあな。会話に夢中でこちらに気付いていないようだが」
曲がり角の先の廊下で話している彼女たちは柱にひっそりとしているつもりだろうが、三人女性が集まり会話が弾むと声も大きくなる。こちらに気付かずフィルリーネの名を出してはくすくすと笑った。
「文句を言っているようではないな」
「そうですか? 馬鹿にしてるかもしれませんよ」
「なら、注意が必要だ」
「何言ってるんですか。俺も混ざりたいですよ。ねえ、君たち、フィルリーネ、さまの何の話をしているんだい?」
突然掛けた声に女性三人は驚くとすぐに笑いをやめて頭を下げてきた。衣装の長さや飾りから見て掃除をする者たちのようだ。
「い、いえ。フィルリーネ様より掃除の手間を褒められて、その話をしていたところにございます」
一人が言うと他の二人もうんうん頷く。顔を上げられないと下げたままなので、本当にそう思っているのかよく見えない。
「顔を上げていいよ。掃除の手間? フィルリーネ様が君たちに褒める話をしたって言うのかい?」
「フィルリーネ様はお一人で城内を歩かれていることがあるようで、どうしても綺麗にできない汚れについて話していた私たちの話を耳にされたことがあったらしく、その場所を探されたそうです。ですが次に歩いた時に綺麗になっていたので、誰がどうやって掃除をしたのかと仰られ、皆で知恵を出し合い汚れを落とした話をしましたところ、そこまで一生懸命仕事をしてくれてありがとうと、お礼を仰っていただき、わたくしたち驚いてしまいまして、その話を今していたところにございます」
「嘘でしょ?」
心の声が口から漏れると、女性たちは嘘は言っていないと慌ててかぶりを振った。
「本当でございます。フィルリーネ様から労いの言葉をいただき、一同気を引き締めて仕事を行わねばと話していた次第でございます」
絶対に嘘だろう。今度はいい王女を演じているに違いない。そう言ってやろうかと思ったがレブロンに肩を掴まれて、彼女たちから引き離された。
「何ですか、レブロンさん!」
「お前が何をするか分かるから話を終わらせただけだ。イアーナ、フィルリーネ王女は確かに素行が悪くルヴィアーレ様ですら驚かせた方だ。けれど、それも今の話もどちらも本当で、本来の性格は我々では推し量れん」
「だから、今のが偽物でしょう!」
「だから、お前が何を考えても口に出すな。態度に出すな。フィルリーネ王女は父である王すらも欺けた方だ。お前が表面だけ見て理解できる方じゃないだろう」
「そんなこと…」
「あのルヴィアーレ様ですら欺いていたんだ。俺たちが叶う相手じゃない。何を思っても口に出すな。何度でも言う。口に出すな」
そうやって強く言い含められても、納得できることじゃなかった。
レブロンはため息混じりだが、腹が立つ女の前で我慢しなければならないなんて、腹立たしなんてものじゃない。そしてあれがルヴィアーレ様の婚約者かと思うと一層腹立たしい。
ルヴィアーレ様にはもっと相応しい方がいるんだ。
そうあの女の前ではっきり言ってやりたい。
「くっそう。あの棟遠いんだよ」
この城はラータニアの何倍も大きく広いためにあちこちに移動式の魔法陣が設置されている。けれどルヴィアーレ様の住まいとしていた棟には殆どなかった。
だから移動は歩きでかなりの距離を歩く。この引っ越しだって嫌がらせなんじゃないか。ルヴィアーレ様に面倒を強いるための。
「きゃっ」
「わっ」
いらいらして歩いていたら通りすがりの侍女が傍からぶつかってきた。侍女は急いで頭を下げて陳謝する。
「申し訳ございません。急いでいるあまり他所目をしてしまいました。お怪我はないでしょうか、騎士様」
荷物を持っていなかったが急いでいたところを見ると、引っ越しの手伝いをしていた者だろう。黒髪を後ろでまとめた女で、顔が見えないほど深々と頭を下げている。
「顔を上げて。俺は怪我などしていないから。忙しそうだね」
「…え、ええ。申し訳ございません。このように城はばたついておりますので」
「急に引っ越しになったからね。忙しいのは良く分かるよ」
「騎士様にはご迷惑をお掛けして申し訳ありません。フィルリーネ様のご命令で目が回るほどでございます。どうぞご容赦いたければ」
「王女が何か命令でもしたの?」
「このところ多くの仕事が迷い込んでいるだけでございます」
顔を上げた女性は顔が青白くひどく疲れているように見えた。身長はあるが手足も細いのに無理な仕事を押し付けられているに違いない。勿論フィルリーネからだ。
よく意味の分からない命令を側使いたちに言っていた。侍女たちにも同じように無理難題を命令するのだろう。
「無理はしないようにしなよ。王女のくだらない命令ならば適当にやればいいさ。どうせ確認なんかしないんだから」
「まあ、そのような。ですが、ありがとう存じ上げます。そのようにお優しい言葉をいただけて、それだけで心が軽くなるようです」
その程度の言葉で侍女は泣きそうな顔を向けてきた。よっぽどひどい目にあったのだろう。フィルリーネの相手でもすれば皆そうなる。俺も何度面倒を言われたことか。
「何かあれば俺に言えばいいよ。俺はラータニア国ルヴィアーレ王弟殿下の部下イアーナ。君の名前は?」
「私の名は…、アリアンと申します」
黒髪に青の海のような色をした瞳のアリアンは、愛らしい唇を上げてゆるやかに笑った。