イアーナ
「フィルリーネ様の安全は、私が保障致します」
領主との会談が終わりかける頃、ルヴィアーレ様は何故か笑顔でそう言い放ち、領主たちを驚かせた。
ラータニアはそこまでフィルリーネの肩を持つのか。それともフィルリーネを手玉に取り、ラータニア主導でグングナルドを統治していくのか。
グングナルドの次の王としてまだ幼いコニアサスを立てているけれど、実際はラータニアが実権を持つのか。領主たちは頭を悩ませるに違いない。
それならいいさ。それならばまだ許せる。
頭の悪い王女。人の話など完全に無視し切った傍若無人の数々。会話が面倒になればすぐに立ち去って逃げていく。嫌なことは人に押し付けて自分は好き勝手を行い、都合が悪ければすぐに部屋に閉じ籠もった。
魔法で結界を作っていると言っていたが、それが本当かどうかなんて分からない。部屋に入るきっかけがあり、ルヴィアーレ様は簡単に部屋に入った。
ほら、当然だろう。ルヴィアーレ様がお前ごときがかけた結界など、手を掛けることなく崩すことができるんだ。
その後ルヴィアーレ様は何度となく部屋に足を運んだが、入らなければならない理由があったに違いない。
あんな女。ルヴィアーレ様は仕方なく付き合ってやっているだけだ。ラータニア王より命じられて、嫌だと顔には出さないだけ。望んで婿に来たわけではない。
だから、婚約が続行になりグングナルドに居続けることになっても、ラータニア王とルヴィアーレ様の考えに因ったのだと、理解している。
理解している!
「そこまで敵を作りたいのか?」
領主との会議の後、ルヴィアーレは自分の部屋に戻ろうとせず、フィルリーネの部屋につき、部屋に入った途端怪訝な顔で言い出した。
眉を逆立てて怒る姿などあまり見ない。たまにラータニア王が行方知れずになり、戻った際に怒りを見せることはあるけれども、それも稀だ。感情を表に出さず、無表情なことが多い。外に出る時は笑顔を絶やさないが、普段表情がないことは警備をやっていればすぐに気付く。
感情を表に出さずに内に秘める。常に冷静で的確な判断は、さすが王弟である方だと思わずにいられない。
なにせ、あの馬鹿王女の相手をしていて怒りを出さないのだから、尊敬する。
そう思っていたが、グングナルド王が捕らえられてからルヴィアーレ様はフィルリーネを前にすると、やけに構い怒りを見せるようになった気がした。
「何か怒ってらっしゃる?」
フィルリーネが肩を竦めて戯けるように言うと、ルヴィアーレは目を眇めてフィルリーネを見下ろした。
会議中どう言う段取りでフィルリーネが発言するのか知らなかったが、有力者を前にしてフィルリーネが対処するのは初めて見た。
グングナルド王が失脚し王の代理として立つと発言した時は一方的な発言で質問などはない。だから発言全てを覚えていただろうと考えていた。どうせカンペがあっただろうけれど。
しかし今回は会議と言うことでフィルリーネの一方的な発言だけではなかった。領主から質問があり、それに答えるのは宰相になったガルネーゼかと思えば、答えていたのは常にフィルリーネだった。
我が儘王女からは考えられない発言に、広間に集まっていた者たちはぽかんと口を開けてフィルリーネを眺めていた。
俺もそうだったけれど。
口を開けていたら隣でレブロンがいつも通り肘打ちをしてきた。
それ結構痛いんですよ。あざがいつも消えないのはレブロンさんのせいだから。
それはともかく、今回領主の前で発言したフィルリーネ様は反論されても動じず、常に上から目線で王女らしく領主たちに接していた。
嫌味くさいのはお馴染みだったが、どうせ今回も質問内容を予想し、フィルリーネでも答えられるようにカンペが用意されていたのだろう。
そのフィルリーネとルヴィアーレ様は、部屋に戻るなり見つめ合っている。
いや、見つめ合ってなんかいない。ルヴィアーレ様がお怒りだ。どうせ計画にないことでも話したんだろ。分かってる。
「何に怒ってるの。領主たちに今後一定の時間をかけて査察を行うって伝えたこと?」
「する気もないのに脅したことだ」
「失礼な。ちゃんと行うわよ。こっそりだけど」
「何がこっそりだ…。領主たちを警戒させて引き締めるのは構わないが、脅しが強すぎる。強行していく姿を見せつけて反感をかうことが目的か?」
「そうだけど?」
さらりと言う言葉にルヴィアーレは顔を引き攣らせた。青筋が見えるようだ。
「牽制もあるけど、代理として領を巡るのは必要なことでしょ」
「それについて文句はない」
「こちらで見定めるものがあると伝えただけよ。日程もこちらで決める。やましい心がある者たちは戦々恐々ね」
「言わば抜き打ちの査察だ。それをあそこまでの悪役面で良く言えたものだな」
「脅すのは専売特許よ」
フィルリーネは愛らしく笑顔を讃える。整った顔を持つフィルリーネが微笑めば性格を知らない者の殆どが見惚れてしまう。けれど、言葉を耳にしながらその笑顔を見ても、俺は寒気しかしない。
ルヴィアーレはうんざりとした顔をする。大きなため息まで吐き、ラータニアでは見られないほど脱力感を見せた。
「今頃大慌ててで隠すべきものを隠す指示でもしてるんじゃない?」
「今更隠されても、君には問題ないのだろう?」
「そんなことないわよ。私が知らないところまで、楽しく動いてほしいわね」
「良く言うな」
「今後おかしな真似をしないために、目を光らせていることを分からせる必要もあったわね」
「気の弱そうな領主たちにはいっそ哀れだな」
「くだらない蝿虫が、能力もないくせに飛び回るからよ。当然の報いを受けるがいいわ」
口端を上げて笑んだ表情に背筋が凍りそうになった。
フィルリーネは笑顔なくせに時々迫力を感じる。馬鹿を言っているくせに圧力をかけたように見えるのは、悪どいこと考えているからに違いない。
「コニアサスの治世のためにも、全て潰しておくのは姉である私の役目よ」
「そのために犠牲を厭わぬのはどうにかした方が良いと思うがな」
それはつまり、また戦いでもする気なのだろうか。
今回ラータニアではそれほど被害は多くなかったと聞いているが、それでも被害はあった。ラータニアの人々が再び犠牲になるのであれば、今度こそラータニア王は黙っていない。
今回はグングナルド王を陥れるために仕方なくフィルリーネを使ったにすぎない。ルヴィアーレ様もそれが分かっているから、仕方なくこの国に滞在することを選ばれた。
本心は帰りたがっているに違いないのだ。
何せ、ルヴィアーレ様には、ユーリファラ様がいらっしゃる。
ラータニアの城でもルヴィアーレ様のお相手はユーリファラ様しかいないと噂されてきた。まだ幼く婚姻できる年ではないから婚約の話は出なかったが、それでもルヴィアーレ様が婚約者もつくらないため、お相手は間違いないとされてきたのに。
グングナルドのせいで、ルヴィアーレ様の人生がめちゃくちゃになってしまった。
「まあまあ、お二人とも。まずはお座りになってお茶でもいかがですか。お話も長かったでしょう。甘いものもございますから、お座りになりませ」
二人の会話に口を挟んだのは、フィルリーネの新しい側使えのヨナクートだ。
ふっくらした体型と人の良さそうな顔をしている女性で、ゆったりとした雰囲気で二人をソファーへ促す。
今までフィルリーネの周囲にいた側使いや警備は、皆入れ替えたらしい。あの我が儘に付き合って身の回りの世話をしていた者たちも、やっと役目を解放されて喜んでいるだろう。
王女と言う肩書きだけで主人として仕えるに値しない女だ。
しかし、代わりに入ったヨナクートや側使えたちが可哀想でならない。しかも警備は王騎士団から引き抜き、アシュタルを筆頭に警備が任されている。
王の代理と言いながら王騎士団を我が物のように扱っているのだから、本当に王になる気はないのかと疑いたくなる。
「ラータニア王からは、君が馬鹿な真似をしないように監視するよう命令されている」
ルヴィアーレの突然の発言にフィルリーネが声を上げた。王女らしからぬ、「はあ?」に自分の声が混ざっていたように聞こえたが、レブロンより肘打ちが飛んできたので、同じ言葉を口にしたみたいだ。
「君は一人で事を成しすぎるから、目を付けておけと言われた。魔獣退治は楽しかったようだな」
ルヴィアーレは不敵に微笑む。
それよりも何故隣に座ったのだろうか。同じソファーに並んで座るものだから、フィルリーネとルヴィアーレ様の距離が近すぎる。
対面でお座りください、ルヴィアーレ様!
魔獣退治などできるのか首を傾げたくなったが、二人には分かる話らしい。フィルリーネが笑顔を引き攣らせつつも咳払いをして、息を整えた。
「そっちの王様に言われたくないのよ。うろちょろしすぎでしょう」
「君も同じだろう。今まではエレディナと移動していたようだが、これからは勝手に行動するな」
「何でよ!」
「君はこの国の王と同じ立場だ。無闇危険に飛び込むことは許さない」
眉を逆立ててはっきりと言うルヴィアーレにフィルリーネが楯突く。しかし有無を言わせない言葉にフィルリーネも眉を上げた。
ラータニア王から命令されてフィルリーネを守れと言われているなんて、王の言葉であってもがっかりする。グングナルド王がその地位を下され、実権はフィルリーネが持っていると理解していても、守れと言われてルヴィアーレ様が守らなければならないことに、怒りすら覚えた。
「そんなこと言われても、やる時はやるし!」
「するなと言っている!」
ルヴィアーレは手を伸ばすとフィルリーネの頬に触れた。
そんな女に触れるなんて!
そう言いそうになったが、ルヴィアーレはそのまま捻るようにつねると、頬袋を引くように両頬を伸ばしたのだ。
「ひょっと、やめれよ! のびう!」
「ニーガラッツも、君が気にしていた警備騎士や魔導士も、まだ行方が分からないのだろう?」
「ひょれはひょれれしょ!」
フィルリーネは馬鹿丸出しの言葉を発していたが、ルヴィアーレ様は冷えた目線をフィルリーネに送っている。
ルヴィアーレ様の周りは冷えた空気を感じさせるほどなのに、フィルリーネだけが間抜けで、指差して笑いたくなるような図だった。