動く2
フィルリーネは指に魔導を溜めながら扉を開いた。
廊下にはフィルリーネの警備騎士が四名いた。いきなり部屋から出てきたフィルリーネの格好にふと不思議そうな顔をしたが、それを理解する前にフィルリーネが魔法陣を描いた。
四人が一斉に廊下に倒れ込む。エレディナが間も置かず彼らを後方にある荷物室に転移させた。
航空艇の中は静まりかえっている。ルヴィアーレの周囲しか注視していないのだ。フィルリーネの警備はたった四人だけで、物音が少しくらいしても誰も気付かない。
「航空艇だからって、王女の警備が薄すぎなんじゃないの?」
「それが助かるわ」
ルヴィアーレの部屋は入り口から一番遠い部屋で、ほとんど倉庫に近い場所に位置している。その間の部屋や廊下に警備騎士や魔導士が配置されていた。
窓の外は護衛と称した小型艇が航空艇の四方を囲っている。小型艇に乗る者たちに中の争いを知られるわけにはいかない。
フィルリーネは走り出すと、その後ろをエレディナが追った。背後を確認するのはエレディナだ。最初の警備たちが目に見えて、フィルリーネは走りながら魔法陣を描く。
「フィルリーネ様!?」
一人が声を上げた瞬間、フィルリーネの眠りの魔法陣が起動する。人数は多い。そこにいる全ての者たちに魔法陣が作動するわけではない。六人ほど倒れたところで、エレディナがすかさず騎士を凍らせる。
できるだけ物音は立てず、しかも航空艇を壊さないように迅速に眠らせなければならない。ルヴィアーレの部屋の付近になれば魔導士たちがいる。
「フィルリーネ様? 何が!?」
「一体、何を!?」
「うわっ」
男たちが剣を手にする前に、フィルリーネは先へと進んだ。ルヴィアーレの部屋前の廊下に差し掛かった時、異変に気付いた魔導士は魔法陣を描いていた。
「遅いわよ!」
魔導士が魔法陣に魔導を流す前、エレディナが魔法陣を氷漬けにする。腕を巻き込まれた魔導士が雄叫びを上げると、騎士たちがエレディナに向かった。
「人型の、精霊!?」
「フィルリーネ様、一体!?」
騎士たちが剣を手にした。廊下は狭く剣を交えるには二人がぎりぎりだ。一人がフィルリーネの魔導攻撃で後方に弾け飛ぶ。巻き込まれた魔導士が一緒に後ろに転がった。
フィルリーネが剣を片手に振り抜くと、騎士がそれを軽々と受けた。しかし、フィルリーネの左手には魔法陣が起動している。
ドン、と衝撃に飛ばされたのは騎士の方だ。エレディナがすかさず氷漬けにして転移させる。後方の荷物室には騎士たちが転がっていることだろう。
途端、ルヴィアーレの部屋の扉が開いた。咄嗟に構えると、そこにいたのはメロニオルである。剣を片手にしていたがメロニオルの腕がないことは知っていた。物音がしたためメロニオルが先に確認したのだろう。彼はルヴィアーレの手下ではない。騎士から攻撃は受けない。
「ご無事ですか?」
「問題ないわ。そっちは、大丈夫そうね」
ルヴィアーレの部屋では魔導士たちと騎士たちが転がっている。イアーナがそれらの腕に紐をかけているところだった。
「そいつらは荷物室に転移させるわ。そのまま部屋を封じる」
エレディナがさっさと転移させると、イアーナだけがびくりと身体を震わせた。人型の精霊を見るのは初めてのようだ。それは放っておいて部屋を見回す。大きな怪我をした者はいない。
ルヴィアーレは剣も手にしていなかったが、部屋を見る限り魔導を使わず倒したようだ。残った魔導の波動は感じない。さすがに連れてきたのは強力な臣下だったわけだ。イアーナ含め。
「メロニオル、城へ戻ったらミュライレン様とコニアサスをお願いね。部屋から出ずに、騎士たちと共に閉じ籠もること。この手紙を渡して説明して。イムレス様とガルネーゼの手も入っているから、さすがに信じていただけると思うわ」
封のしてある手紙をメロニオルに手渡すと、メロニオルは頷いた。
「承知しました。必ずお二方の安全を第一にお守り致します」
「よろしくね。城はもう始まっているわ。行く時はあなたも気を付けて」
フィルリーネの言葉にメロニオルは膝を付いて畏まった。その姿を目にしているイアーナが口を開けてポカンとしている。イアーナへの説明は婚姻式を逃げ出すくらいの一部だけだったのではないだろうか。
「ほらほら、さっさと移動するわよ。植物園ね」
「そうよ。植物園に移動。手を出して」
フィルリーネがルヴィアーレと手を繋ぐと、イアーナが目を見開いて噛み付かんとしてきたが、即座にレブロンが肘打ちしてイアーナの手を取る。サラディカやルヴィアーレが円陣を組むように手を触れ合うと、エレディナは転移を行った。
「フィルリーネ様!」
「アシュタル、状況は!?」
「城の西側より王騎士団が戦闘を始め、ベルロッヒが西側にて展開、ガルネーゼ様が対応しております。王騎士団長は砦へと出発。ワックボリヌの姿が見えませんが、イムレス様が魔導院の魔導士たちと共に結界を張り、戦闘の拡大を防ぐ処置を行っております」
フィルリーネの棟の植物園に待機していたアシュタルが現状を報告する。そこには仲間の魔導士や騎士たちが集まっていた。フィルリーネの棟は彼らが掌握したのだろう。ここは安全地帯である。
「みんな、ご苦労様。一人でも犠牲を少なくするために、命を投げ出すことはせず、自分の命や仲間の命を一番に考えて行動して。これからの未来はあなた方の働きに掛かっているわ。我が国のためではなく、自分たちが平和に暮らしていける未来を作るために、各々ができることをやってちょうだい」
無駄な犠牲は伴いたくない。耐え忍んできた長き時間に多くを犠牲にしてきた。これ以上の犠牲は出したくない。この場所には怪我人や非戦闘員を集める予定だ。そのための医師や警備たちを待機させている。
フィルリーネの言葉に皆が呼応して声を上げた。
「フィルリーネ様、どうぞご無事で!」
「必ずお戻りください!」
「フィルリーネ様!」
皆の言葉に頷いて、フィルリーネは一番この場にいてほしいルヴィアーレに向き直した。
「ルヴィアーレたちは私の部屋で待機をお願い。隙を見てラータニアへ戻れるよう誘導するわ。メロニオル、もう行きなさい。アシュタル、私たちも行くわよ」
メロニオルを走らせて、フィルリーネはマントを払うとエレディナに手を伸ばした。逆側をアシュタルに伸ばし転移する瞬間、ルヴィアーレの渋面が見えた。
あの顔はどう考えても不満顔だが、そこにいろったらいてほしい。
辿り着いた場所、城の西側付近に位置する広場では、仲間の警備騎士たちが騎士団と剣を交えていた。埃に混じる血の匂い。金属が鈍く擦れる音がいくつも聞こえる。人数が少ないか警備騎士たちが押されていた。
その中にナッスハルトが見えた。
「ナッスハルト、皆、伏せなさい!」
フィルリーネの声が広場に響いた。ナッスハルトが伏せるよう叫びながら地面に這いつくばると、警備騎士たちがそれに倣う。空に描かれた魔法陣が巨大化すると、そこから氷の塊が降り注いだ。フィルリーネの声に反応できない騎士団は大粒の氷を身体に受けた。
「フィルリーネ姫!」
「フィルリーネ様だ!」
「怪我をした者たちはすぐに引け! 一人にならず数人で行動しなさい! この戦いは皆を守るためにある。無駄に命を落とす真似をするな!」
エレディナがその声に賛同するように魔導を放つ。吹雪となった力は騎士団を飛ばすように吹き付けた。
フィルリーネは魔法陣を広げると、炎の塊を落下させた。騎士団が悲鳴を上げると、警備騎士たちが立ち上がる。
「フィルリーネ姫が道を開いてくださる! 倒すべき王の手下たちを逃すな!」
ナッスハルトが言いながら騎士団へ剣を振るった。他の警備騎士たちもそれに続き、騎士団の勢いを削いでいく。
「なぜ、フィルリーネ様が城にいるのだ!?」
「マリオンネに行かれたのではないのか!?」
「あの力は何だ!?」
王派たちから戸惑いの声が耳に届く。戦いながらも困惑が見えて、フィルリーネは再び魔法陣を描き王派たちに攻撃を加える。エレディナがそれに続き、王派たちを追撃した。
「フィルリーネ姫、無茶なさらないでください!」
「お前たちに当てたりしないわよ。ナッスハルト、怪我人を見捨てず手当てをお願い。そこの、無理をしないで下がりなさい!」
フィルリーネの怒鳴り声に、騎士の一人が肩を庇いながら何度も頷く。手当てができる騎士が走り寄り、彼を下げさせた。
「フィルリーネ姫の言う通り、無茶をするな! 攻撃は数人で行え! 魔導を持つ者は後方へ、戦いの補助を行え!」
ナッスハルトの掛け声に、騎士たちが数人で敵へと向かう。初めから決めていたことだが、戦いに生じて陣営が崩れてきていた。それを直し、向かってくる敵へと対峙する。
「エレディナ、敵の動きを封じて!」
「分かってるって!」
エレディナが腕を振るうと、氷の粒が飛び出した。礫のように飛ばされた氷が敵に当たり、気を参じた隙に剣を振り下ろす。
ここで必要なのは、精霊がフィルリーネに味方しているのだと見せることだった。フィルリーネの存在だけでは、事情を知らない者たちに納得させるには時間が掛かる。エレディナを連れて、多くの者たちにその姿を晒さなければならない。
戦闘の中心である西側へ進みながら、王派たちの攻撃を退け、フィルリーネはナッスハルトにその場を任せ、別の場所へ移動する。
王派たちはガルネーゼとイムレス殺害を一番に狙っている。その二人は別々に行動し、王派を分かれさせる作戦だ。王派は今回の襲撃を予測されているとは気付いていなかった。
婚姻式中の城での留守番で皆が祝福に包まれている間、多くの隙ができると考えていただろう。婚姻式が終わるまで、マリオンネまでの行き来を入れれば半日は掛かる。待ち時間には軽食が出される広間が用意されていた。
そこに参加するのもしないのも自由だが、何も知らない者たちはそこに集まる。王派はそこを制圧し、反王派を抑えるつもりだった。
そこで粛清に気付いても警備たちが王派であれば何もできない。多くの要人が集まるその場で反王派が王派を抑えるのは難しい。
しかし、想定された広間に反王派は誰も参加せず、別の場所へ集まった。王派は反王派の集いがあると情報を得てそちらに移動したはずだ。襲撃に備えられている場所だと知らず、王派たちはそちらへと襲撃先を変更する。それが罠だとは知らずに。
その罠は上手くいったのだろう。中立の者たちを巻き込むことなく、襲撃を誘導できたのだから。
けれど、それは始まりに過ぎない。