祝い3
「タウリュネ綺麗だったねえ。レビンのロブレフィートもお上手。邪魔も入らず問題もなく終わって安心だったわー」
邪魔も問題もロデリアナから発せられるものだが、ワックボリヌが手綱を緩めることなく締めていてくれたおかげで、こちらに何ら影響はなかった。それはもうひどい顔でこちらを睨みつけていたが、それはそれ、これはこれである。
「君がいて不安だったのは相手も同じだろう」
後ろからルヴィアーレがさらりと言ってくるが、突っかかってくる者がいなければ、大人しくすることは可能なのだ。
「式が終わるなりさっさと席を立った者の感想とは思えないな」
「私がいた方が面倒でしょうよ。女性陣の視線は痛いし、ルヴィアーレはいて良かったのよ?」
「君が席を立って私が席を立たぬ道理を教えてくれ」
呆れるように言いながら、ルヴィアーレはフードを深く被った。街行く者たちの中に兵士が見えて、フィルリーネはルヴィアーレを促し兵に背を向ける。
「別についてこなくてもいいのに。ゆっくりしていれば。女性陣が近寄りすぎて目的とは違う者が釣れるでしょうけれど」
「面倒なことを」
ルヴィアーレは想像したのかうんざりした声を出した。女性陣に囲まれるのが嫌とは、贅沢な男である。しかし自分もそれをされたら恨み節になるだろうと思い直し、その会話を手のひらで振って終わらせた。見慣れた道を歩み、いつも通りと果物を購入する。
その姿を少し離れたところで見ながら、ルヴィアーレはついてきていた。ダリュンベリの街並みを歩んでみるのはこれが初めてで、周囲を注意深く見回している。
「人が多いな」
「もう夕刻過ぎているし、皆帰りの時間だからね」
旧市街に向かう道も混み合っていて、帰りの買い物を済まそうと店に寄る者たちの姿が多い。ルヴィアーレは物珍しげにその様を見つつ、フィルリーネの後を追ってくる。
「もう子供たちも家帰っちゃったかしら。いつもよりずっと遅い時間だし」
タウリュネの婚姻式の後、フィルリーネは早めに部屋に戻ったわけだが、ルヴィアーレがその後の時間に空きがあると言って、耳打ちしてきた。そんなこと知ったことではないのだが、にっこり笑顔が不気味である。
自分は予定があるんだよねー。と笑顔だけで返したら、無言で笑み返してきた。何も言わずにその顔をするのは、こっそり会いたいと言う顔である。面倒この上ない。この後何をしようと私の自由だ。
だがしかし、陥落したエレディナが伝言係を受け持ったため、ルヴィアーレを外に出すことになってしまった。式の後体調を崩し早めに寝所へ入ると言う真似をして、人の憩いの場所についてこようと言うのだから、呆れるのはこちらである。
「マットルー」
「フィリィ姉ちゃん! 久しぶり!」
心の憩い、マットルが飛びついてきた。ぐりぐりと頭を押し付けてきて喜びを表してくる。旧市街に来るのはとても久しぶりで、マットルは珍しい時間に訪れたフィリィに喜びの声を上げた。
最近ずっと会えなかったと愚痴られもしたが、口を尖らせて言うところが愛らしい。少し背も伸びたか、顔立ちも丸みの帯びた顔から少し細めになっていた。働き始めて日も経っているので、大人びてきているのだろう。
「遅く来すぎちゃったから、みんないないわね。これ、他の子を見たら分けてくれる? あと新しい玩具なんだけれど、マットルが持ってくれていると嬉しいわ」
「うん! 絵の描いた木札? 単語帳?」
「そう。文字の幅を増やした方がいいでしょう。もうマットルが知っている言葉も多いと思うけれど、数は多いから確認用にも使って。これはお金の玩具」
「ありがとう!」
前に擬似的なお店ごっこを女の子たちがしていたので、絵札の商品とお金を作ったのだ。商品の後ろには文字も記し綴りが覚えられるようにしている。店で働く子供も増える中、偽物でもお金の扱い方を自分たちで覚えた方がいいだろう。
マットルは久しぶりの玩具に瞳を輝かせた。しかし、フィリィの後ろにいる無表情の男を目にとって、一瞬動きを止める。
「だ、だれ? フィリィ姉ちゃんの友だち?」
いつもならば睨みつける勢いのあるマットルがおののいた。無表情の迫力美人に尻込みしたらしい。珍しいなと思いつつ、ルヴィアーレをしっしと払う。
「ただのその辺の他人さんよ。じゃあ、これ渡しておくわね。他に変なおじさん見なかった?」
「さっきあっちに寝転んでるおじさんいたよ。前も来てた人」
マットルは人のお腹にしがみつきながらルヴィアーレを警戒しつつ、水路の方向を指差す。水浴びをする子供たちももう家に戻り、用水路は静まりかえっていることだろう。
天井を支える円柱の影に警備騎士団の深い暗めの緑のマントが見えて、フィリィはマットルの頭をゆるりと撫でた。
「マットルももう帰りなさい。遅くなっちゃうからね」
「う、うん。またね」
マットルはちらりとルヴィアーレに視線を泳がせて、遠慮げに走り一度こちらに振り向いた。手を振ってやると、もう一度ルヴィアーレを横目で見て、逃げるように帰っていった。余程衝撃的な顔だったらしい。
「子供を怯えさせないでよ」
「全く何もしていないんだが?」
存在だけでマットルが怯えてしまったではないか。なまじ顔が整い過ぎていて、子供からしたら大きな人形が立ち尽くしているように見えたかもしれない。夜見たら叫ぶやつだね。
「よお、姫さん。仲悪いんじゃなかったのか?」
「いいように見えるの?」
円柱の影に隠れて用水路のへりに寝転んでいたニュアオーマが、相変わらずだらしなく頭を掻きながら起き上がった。
ルヴィアーレの顔を見上げて顔を確認した割に、立ち上がろうという気はないらしい。しだれた枝のように手足を伸ばす。湿度のある場所で寝転んでいるものだから、警備騎士のマントが湿っているように見えた。
その姿は見慣れていたが、いつもよりも顔色が悪いように思える。
「私たちがいない間に、色々あったようね」
「そうさな。まあ、予想通りだよ。王はしつこく反王派を潰したいらしい」
「女王の崩御が近いのよ。本腰を入れて当然だわ」
「カサダリアも楽しかったみたいだな?」
「それなりにね」
カサダリアの航空艇の話は耳にしたのだろう。ニュアオーマは鼻で笑いながら胸元から小さく折り畳んだ地図を取り出した。街や城、道が描かれた旅人が持っているただの地図だ。フィルリーネが近付くと、そこに落ちていた石を乗せる。
場所はラグアルガの谷、ラータニアとの国境近く。石は数個バラバラに置かれた。それが何を示すのか問うこともない。
「随分と、配備される数が多いんじゃない?」
「思ったよりは多いな。獣を放つだけでなく、斥候として小型艇も出すわけだ。いい囮になる」
「最近やたら谷に集まっている話は聞いているわ。よく調べたわね。それで、被害があったの?」
その問いに、ニュアオーマは肩を竦めた。カサダリアへと城を離れている間、王はラータニア襲撃を本格的に進めていた。その調査していた者たちの中、王から目をつけられていた者が襲撃されたとイムレスから耳にしている。ラグアルガの谷を調べていたそうだが、その調べを知られたかは分からない。
ニュアオーマは大きく息を吐くと、胡座をかくようにして足を折り、顔を上げた。無精髭が口周りに残って彼を老けて見せていたが、四十三歳の彼の闇のような瞳は、ぎらぎらとした光が灯っていた。