街並み
「ひどい、荒れようだな…」
ルヴィアーレの呟きにフィルリーネは目を眇めた。これでもかなり良くなった方だと言えば、ルヴィアーレは今以上驚愕するだろう。
ワルタニア地方、イニテュレの町の近く。カサダリアからは遠く離れた精霊が消えた場所に、フィルリーネはルヴィアーレを連れた。ルヴィアーレを外に連れた夜、ガルネーゼと話す時間が長すぎてルヴィアーレを呼べる時間ではなくなっていたのだ。
それをエレディナに伝言してもらったのだが、ご本人おかんむりである。翌日になって朝のお祈りに、空いている時は書庫でゆっくりするつもりです。ときらっきらして言ってきた。笑顔だったのに脅されている気がしたのはなぜだろうか。
書庫での引き籠もりにイアーナはぶいぶい文句を言わないのか。むしろ言ってほしい。自分があそこで引き籠もれば、側使えや警備たちから、どうせずっと居眠りしてるんだろうと思われる気がするのに。
サラディカやレブロン、メロニオルが入り口を塞いでいるので、書庫で引き籠もる技は使えそうだ。まったく厄介な提案したね。
建国記念日まで貴族たちとの謁見が何度か入り、再び外に出る機会を失っていたのだが、その隙間をねってルヴィアーレを外に出すことを決めた。夜ガルネーゼと共に話す時間を得るには、今回気付いた件が大事すぎた。ガルネーゼは王派の動きを調べ直すため昼夜問わず動いている。ルヴィアーレに説明する暇はフィルリーネほどにない。
現状を説明するためにルヴィアーレを外に出したついでに連れたが、ルヴィアーレは精霊がいなくなればどのような状況になるのか、その目で見て驚きを隠せなかった。
「川の水は戻ってるけど、水量少ないわねえー」
エレディナがふよふよと川へと飛んで戻ってきた。前回川は腐ったような匂いを発しており、その後水の汚れは減ったと聞いていたが、まだ水量が少ないようだ。
地面はかろうじて草が生えている。作物ではなく雑草だが成長はしている。前回土は石や砂に変化していたが、今は砂がなくなっていた。少しだけ湿り気を感じる土に戻ってきてはいるようだ。それでも、元に戻るまでは時間が掛かる。
「女王が死去すればまた砂地になってしまいそうね」
「でも前来た時より随分ましじゃない? 川に精霊はいたわよ。水の精霊は上流の川からこっちに来るみたいね。土や草の精霊は極端に少ないけど、近くには来てるみたいだわ」
エレディナが川方面に振り向いた。その方向に精霊は見える。一匹だったが一度瞬いて見せて山へと飛んでいった。
「けれど、こちらに住むつもりはないみたいね」
「さすがにまだ怖いみたい。時折こっちに来てはいるけれど、住処にはしたくないって」
それもそうだろう。あの羽根のない円盤を背負ったような精霊が再び現れるのではないかと、精霊たちは恐れているのだ。精霊のようで魔獣のような不気味な存在。それがいつ現れるかと思えば怯えてこちらに住みたいと思わないのだろう。
「ここだけ精霊を追い出したのか?」
ルヴィアーレは飛んでいった精霊が見えなくなると、こちらに向いた。明らかにこの周辺だけ土地が悪くなっているので、精霊がいなくなったことは容易に想像がつく。フィルリーネは頷いて、足元の草を踏まないように大地を歩んだ。
「ラグアルガの谷に保管されている精霊が、この地から精霊を誘導した可能性があるの」
「前に言っていた、混ぜられた精霊か?」
「恐らくね。たまたま私たちがここに訪れて精霊に話を聞けて、精霊を誘導したまでは分かったんだけれど、それがどんな精霊だか分からなかった。けれど、ラグアルガの谷であの精霊を見つけて、精霊を誘導したのはあの精霊だろうと」
そしてその精霊たちは捕らえられて研究に使われたのだろう。そう言うとルヴィアーレはひどく険しい顔をした。
「想像し難い話だな」
「この場所を見つけられたのは偶然だった。イカラジャたちが反乱を目論む真似をしなければ、私は気付かなかったわね」
「イカラジャ? …君が罷免した中央政務官か」
よく覚えているものだ。会ったこともない政務官の名前を記憶している。イカラジャはフィルリーネに罷免され地方に飛ばされた。ここからは少し離れているが、小さな町で警備を行う任についていた。
しかし、王に狙われる可能性があったので、その後身を隠している。
「町の警備にあたり、途中で事故死している。ことになっているわ。今はガルネーゼが匿っているけれど」
隠れた屋敷を提供していると聞いている。他の仲間たちもだが、そこから秘密裏に動いているようだ。
「罷免した者たちは、皆逃がされた、か」
逃したと言っても自分が行ったわけではない。匿っているのは反王派の者たちで、彼らが仲間を助けているだけだ。自分は城から追い出しただけである。
「そう言うわけで、今日はこれを持ってきました」
フィルリーネはマントの下からフリューノートを出す。得意顔で出したらルヴィアーレがなぜか眇めた目を向けてきた。なぜだ。
「ここで演奏をして精霊を呼ぶ気か? これだけの広さでほとんど精霊など見られぬのに、そう簡単に呼べまい?」
「この間、精霊に祈り上げたら体調悪くしちゃったので、今日は演奏だけにしておこうと思って」
「また寝込んだら困るものねえ」
「そうなのよ。またやったらガルネーゼに怒られる」
「寝込んだ?」
前回精霊を呼ぶために魔導を使い過ぎて目を覚さなかったことを思い出す。疲れ切って眠ったら起き上がれなくなっちゃったんだよね。びっくりだよね。
それを言うとルヴィアーレは呆れ顔を見せてきた。
「精霊を呼び込む儀式をここで行ったのか? あれは精霊に力を借り、招くためのものだ。精霊のいない場所で行っても意味はない。知らないのか?」
ガルネーゼと同じことを言われ、フィルリーネはおどけるように肩を竦めた。
「一応、応えてくれたわよ。お陰で疲れ切ったけれど」
「…呼び込めたのか? 何もない場所で、精霊を?」
「エレディナにもお願いしたしね」
フィルリーネは言いながらフリューノートを構えた。ルヴィアーレが隣で納得のいかなそうな顔をしていたが、少しでも応えてくれたのでこの大地が砂ではないのだ。あのままにしておいたら、この場所は既に何もない砂の大地になっていただろう。ラザデナの町のような黄色の砂ではなく、鮮やかな色のない、燃えたかすのような濃い灰色の砂に。
ルヴィアーレがしたようにフリューノートに魔導を乗せて演奏を始める。透き通るような音が風に流れていく。遠い場所にいる精霊たちに届くよう、深い音色を奏でるのだ。
自分の指や身体から、暖かい空気が溢れる気がする。魔導は身体を纏うように溢れ、そのままフリューノートに流れて空へと広がっていく。
精霊に届けばこちらに興味を持つだろう。精霊たちが荒れた大地を潤してくれればいい。
呼び込むことが安易でなくとも、自分の魔導に興味を持つ精霊はいる。近くまでは来てくれるはずだ。
「そろそろ、やめておけ」
いくつかの曲を演奏した後、ルヴィアーレが曲の途中で止めた。肩に手を置かれてそちらに振り向くと、ふらりと傾ぐ。
「おっと」
「魔導を使い過ぎだ…」
ルヴィアーレが眉間に皺を寄せたまま、不機嫌に言った。
そう言えば少し疲れた気がする。しかしそのお陰で精霊たちが空で瞬いていた。地上には降りてこないので恐れたままのようだが、思った以上に集まってきている。やはり近くには来ているのだろう。
「また来れればいいんだけどなあ」
「時間があればって感じよね」
だがこれで少しはまたマシになるだろう。よしよしと自分に納得して頷いていると、ルヴィアーレが不機嫌なまま眉を顰めている。何か悪いことしましたかね?
「いつもこのようなことをしているのか?」
「あんまりしないけど? 今日は時間掛けてやろうと思ってたから」
「体調は?」
「悪くないけど? 前回は祈りを行ったから体調悪くなっただけよ?」
今日は魔導を乗せてフリューノートを吹いただけだ。ふよふよ飛んでいる精霊たちに手を振って、この土地に再び来てくれることをお願いする。
「魔導を放出しすぎると、身体に重度の負荷が掛かる。精霊を呼ぶためならば尚更だ。あれだけ演奏し続けて、何ともないのか?」
「そんなに流してないわよ。前は本当に、長い時間掛けてやったから、まあ大変だったわけだけれど」
ふらふらし過ぎて、部屋に戻り着替えて寝所で寝ようとしたら、すっ転んでしまったわけである。そしてそのまま倒れて眠ってしまった。眠ってしまったと言うか、もう起き上がる気力がなく、目を瞑りたくなったので瞑ったら意識を失ったらしい。
そして、気付けばガルネーゼが目の前にいたのだ。目覚めには毒な顔がいたので、頭痛がしたね。