ラータニア6
ユーリファラが王の血を継いでいたらどれだけ良かっただろう。自分は王の跡を継ぐ予定ではなく、ユーリファラがいればその話もないままラータニアの次の女王にしたはずだ。
しかし現実は全く所縁のない者だった。良く母親を第二夫人にしユーリファラを引き取ったと、今でも王の決断に感心する。その時も多くの反対があったが、王はそれを押し切った。
王は柔らかい笑顔が印象的だが、言い出したら梃子でも動かない。遊び好きの子供のような行動をする人だが、それでいて考えのある人だった。王を良く思わない者たちはその表面しか見ていない盆暗どもだ。
第二夫人と婚姻しユーリファラを王族としたのは英断だった。そうせざるを得なかったが、第二夫人として母親を娶ることも義理の子として受け入れることも、誰もが想定しないことだった。
「お兄様?」
「精霊の声を聞くのはいいが、それを他の者たちに話すのではない。誰もが同じ情報を共有しているのではないのだから」
「申し訳ありません…」
精霊が誰に話すわけでもないが、ユーリファラは別だ。多くの精霊に好かれている彼女は、何でも耳にするだろう。しかしそれは一般的な話題でないことが多い。深い問題である場合もあるので、話すとしても人は選ばなければならない。王か自分か。もしくは他の者が会話に出してからだ。
ユーリファラは肩を下ろした。小さな身体が更に小さくなる。まだ十二になったばかりだが同じ年頃の者たちに比べて身長が低い。宥めるように頭を撫でると、頭の上に集まっている精霊たちがこちらを睨みつけた。怒るなと言うのだろうが、お前たちも余計な話をユーリファラに告げないでもらいたい。
「グングナルドの王女はとても聡明で美しい方と聞いております。国の諍いなどなければとても良いお話なのでしょうね」
そう言えば王女との婚姻話に王女の話題が全く出ていなかった。王女のなりや性格は耳にしていない。聞いたのは年齢だけだ。グングナルド王の打診でそれによって引き起こされる事態にばかり目が向いていたため、王女と言う存在を気にもしていなかった。
ラータニア王もその話は口にしていないので、彼も知らないのではないだろうか。
「どこでその話を聞いたのだ?」
「精霊が話しておりました。精霊に愛された美しく聡明で優秀な方。芸術にも秀でており、明朗闊達で王女ゆえの気質を持たれた方なのだと」
随分と褒めた話だ。精霊がムスタファ・ブレインにでも聞いたのだろうか。
「聞き違いでしょうか?」
「王女の話は耳にしていない。国同士の婚姻ゆえ、相手の素性は関わりがないからな」
「そんな、婚姻される方の素性が分からなぬなど、それではお兄様は何も知らずに承諾されたのですか?」
子供には難しい話か。王族であればそんなのはざらだ。貴族の中でも相手の性格など知らぬまま婚姻になることは多い。それを言うとユーリファラは悲嘆に暮れるように目を見開いて口元を押さえた。
「わたくしは、お相手の方を良く知った上でなければ考えられません。お慕いする方以外の殿方には、嫁ぐことなどできません」
ユーリファラは目を逸らして瞳に涙を溜めた。幼い子供として相手をしてきたが、女性の考え方は男のそれよりずっと大人だ。しかし矜持を傷付けるつもりはないが、王族である以上それは我が儘に過ぎない。
その我が儘を貫いたのはこの国の王だが。
「残念だが、私には選ぶ権利はない。グングナルドの話はここだけにしなさい」
「…分かりました」
涙を拭ってやると、ユーリファラは更に泣き出してしまった。精霊たちが頭の上で怒り始める。泣かせるなと言われても、こればかりはどうにもならないのだ。
ユーリファラは涙を溜めながら侍女に連れられた。ユーリファラの後ろで精霊たちが舌を出してくる。精霊たちの機嫌を損ねたか。
あんなこと言うから。言うからー。
こちらにいる精霊が耳元でため息混じりに呟いた。こちらの精霊たちもユーリファラに同情気味だ。恋愛ごとになると肩身が狭い。
「今のはあなたが悪くてよ、ルヴィアーレ」
「ジルミーユ様」
廊下を曲がってきた王の第一夫人が呆れたような声を出して近付いてきた。焦茶色の髪を纏めた理知的な顔をした方だ。柔らかな雰囲気を持つ王に比べてはっきりとした方で淡白な印象がある。王に嫁ぐ前は騎士団で剣士をしていた。子供の頃の自分の剣の師匠でもあり、王が第二夫人を娶る時、一番に賛成した懐の深い女性だ。
そのジルミーユがちろりとこちらを見上げる。身長が高めなので上目遣いなどではなく、咎めるような目線だった。
「女心の分からぬ者は、馬に蹴られても文句は言えなくてよ。ユーリファラは子供でも女であることを心に留めておくことね」
頷きたいところだが、ならばどう返事をすれば良かったのか。どちらにしてもユーリファラを娶る事はない。それをはっきり言えば良かったのかと頭の隅によぎったが、ジルミーユが目を眇めて睨んできた。頭の中に浮かぶ言葉が見えるらしい。
「グングナルド王女がどのような方なのか、王は詳細をご存知ないようね」
「婿の打診だけで、特に気になさらなかったのでしょう」
自分が聞いても気付かなかっただろう。王からその話を聞いても全く気にならなかったのだから。
「全く、兄弟だこと。興味のないことには頭が回らないのだから」
ため息混じりの言葉に嫌味はない。軽く笑いながら歩く方向を示した。それに促されて同じ方向へ歩んでいく。話がしたいのだろう。ジルミーユは側仕えたちを離れさせて会話を始めた。
「王は憂いていらっしゃるわ。一人しかいない弟ですもの。あなたを大切に育ててきたことは分かっているでしょう?」
「勿論です。王を補佐する者は自分であれと常に思っておりました」
しかし、国を守るため、王を守るためであれば国を出ることも厭わない。
「あなたたちは頑固だわ。いつも勝手に一人で決めてしまう。周囲の言葉も聞かず、聞いているようで聞く耳を持っていないのだから」
それは耳に痛い。王と自分が似ていると思った事はないが、周囲からはそう見えるらしい。軽く咳払いで誤魔化すと、ジルミーユは優しげに微笑んだ。
「グングナルドの王女がどのような立場なのかは、あなたが見定められるのね。父王が暴君だからと言って、娘がそうとは限らないでしょう。グングナルドには第二夫人の子供もいると聞いています。男の子とのことですから、そちらも注視しなければならないわ」
家族構成は聞いている。第二夫人との子が次の王だと言われていたが、婿をとることにしたのだ。第二夫人の周囲は穏やかではないだろう。王になるはずの子供の未来が変わるのだから。
しかし、グングナルド王はそんなこともどうでもいいらしい。婿をとることで娘を女王にする気もあるのかどうか。
自分を王女の婿にあてがうのはいくつかある計画のおまけみたいなものだ。運悪く子供ができれば自分は殺されることになる。そんな妄想を、王女が知らない可能性は高かった。
「そうですね。王女はお会いしてから対処を考えます」
そう口にすると、ジルミーユは大きな息を吐いた。呆れのため息だ。
「そう言うところよ、ルヴィアーレ。あなたは女性には冷たいのだから、もう少し親身になることを覚えるのね」
「…親身、ですか」
言われたことのないことを言われ、言葉を復唱すると、ジルミーユはふっと笑った。
「あなたは器用に見えてとても不器用なのだから、側にいる女性には優しくするだけでは済まないのだと、覚えておくといいわ。王女と深くお話しする立場になれば、王女もあなたの不器用さに気付くでしょう。それもないようであれば、あなたにはとてもつらい相手になるでしょうね」
とんちを言われているようで、首を傾げそうになった。所詮戦略上の婚姻だ。深く話す立場にはない。良い情報源になれば話が楽になるだろう。そう思う程度だ。しかしこれを言えばユーリファラと同じく怒られる気がする。勿論言う前に睨まれたが。
「あなたが少しでも幸せであればと思うわ。今まで我慢をし過ぎなのに、他国へ婿に行くことになったのだから。お相手の王女が良い方であることを祈りましょう」
ジルミーユは悲しげにして、祈りの言葉を口にした。