精霊の書
「どう思う?」
「どう思うって言われてもね」
フィルリーネは女王より賜った雫型のペンダントを眺めた。水色なのだがよく見ると中に水泡のような銀色の輝きがいくつも見える。中に何かが入っているかのようだ。魔鉱石に何かを入れたような、不思議なものだった。
「女王が何かを下賜するのは余程のことよ。あんたがすることに、賛同してるってことになるわね」
自分が何を行うか。それに対してルヴィアーレと共にとなると、グングナルド王を引きずり落とすことを女王が容認することになる。いや、そうとも限らないだろうか。だが、ルヴィアーレと協力しろと言うのは間違いない。
「ルヴィアーレ、女王から何言われたのかな」
時間としては自分よりかなり短かった。言葉をいただいてもほんの一言二言だっただろう。しかし鉄面皮ルヴィアーレ、顔に全く出ないので何を言われたかなど想像もつかなかった。
「聞いてみればいいじゃない」
エレディナは簡単に言ってくれるが、本当のことなど言わない気がする。私は絶対言わない。言わないよ。共に精霊を導けって言われたなんて。ルヴィアーレだって女王からのお言葉だからって頷けないでしょうよ。
「まあねえ」
エレディナはふわりと浮かんで部屋の中をゆっくりと回る。何かを考えるように膝を立てて寝転びながら天井を仰いだ。
「…それよりも、王が警戒してるわよ。そっち気にした方がいいんじゃない?」
王はマリオンネから戻ってすぐにフィルリーネを呼んだ。マリオンネで何があったのか事細かに聞くためだ。無論気にしているのは自分のことではない、ルヴィアーレのことである。
問われても一人一人の面会だったため、女王から何を言われたかは分からない。
いつも通り部屋には宰相ワックボリヌが同席していた。マリオンネはどうだったのか問われて、事細かに情景を説明してやった。ワックボリヌは忍耐力があるのでフィルリーネの言葉を遮らないが、王は短気なため情景はどうでもいいと一喝である。
しかし女王の面会はほんの少し。言葉をいただいたとしても長かったわけではない。ルヴィアーレの面会は自分よりもとても短く、軽く謝られただけだろうと伝えると、王はそれについて考えを巡らした。
ワックボリヌはフィルリーネの言葉に、フィルリーネは将来グングナルドの女王になるためお言葉が長かったのだろうともてはやしたが、女王よりルヴィアーレが何を言われたのか、王がかなり気になっているのが分かる。
「ルヴィアーレが王の資格を得たってのと関係あるかなあ」
「それ言ったらあんたも同じでしょ。でもまあ、あの男はあんたの魔導の強さに気付いてないから、気になってるのはそこかもしれないわね」
冬の館で選定されたルヴィアーレの魔導。精霊の書では王となる資質を持つ者とされる。そのルヴィアーレがマリオンネの女王と接触した。それは王にとって都合の悪いことなのかもしれない。
「マリオンネの血を継いでるって女王が知ったら、王に不都合なことってあると思う?」
「マリオンネの血を継いだって、女王には関係ないわよ。マリオンネの人間が一人増えようと何も変わらないもの。マリオンネの女王だけが特別で、それ以外は地上の人間とそう変わんないわ。魔導が少し強いくらいじゃない?」
マリオンネで生まれたからマリオンネで暮らしているだけ。特別な力があるわけではない。それでも魔導が強いのは、近くに精霊がいる状況が長く影響を受けやすいからだと言う。
「古代精霊と交わった種族って言うけど、そこはやっぱり人間なんだから、そう特別な者じゃないのよ。地上に暮らす者たちから見たら、神聖視したくなるんでしょうけど」
精霊の中でも特別な力を持つ人型のエレディナから見れば、マリオンネの者たちも格別な魔導を持っているわけではないのだろう。それでも地上の人間からすればマリオンネの者たちの方が魔導を持っている。地上では魔導を持っていない方が普通だ。
女王はまた話が違う。女王は精霊より力を得ているので、女王になれば特別な力が得られるのだ。それは王族の力と同じで、元の力ではなく得られる力である。とは言え、女王はその地位が王族とは違い全てを統べる者であるため、マリオンネの中でも高い魔導を持った一族だった。
そこでなぜ女王なのかと言うと、なぜか女王の一族は男が生まれない。理由は分からないが、生まれる者が皆女性なので、女王として君臨しているだけだ。男子が生まれれば魔導の強さによっては王になるのだろう。しかし前例はない。
「ルヴィアーレが女王に会って、王が気にする要素はないのか」
「ないわね。あるとしたら、あんたにハルディオラの名を出したことじゃない?」
「女王が、叔父様のことを、信頼していたとか、か」
「だとしたら、女王がルヴィアーレに何か助言したんじゃないかとか、気にかけてもおかしくないわよ。気の小さい男だもの、謂れもなく無駄に気を揉んでるんじゃないの?」
辛辣な言葉だがそれはあり得る。王は不要な芽さえあれば摘み取る男だ。何かしら心配があれば端から叩き潰す。もし女王が何らかの協力をすれば、王からしたら看過できないことだろう。
実際、女王はフィルリーネに対して、助言をしている。
「ルヴィアーレと共に精霊を導く。協力して現状を打破しろと言うのなら、王にとって女王が後ろ盾になるのは避けたいでしょうね」
「一言二言で助言は難しそうだから、あの男の取り越し苦労ってとこでしょうけど」
王の資質を持っているルヴィアーレ。もし王がそれについて心配しているならば、あの冬の館の選定場所は詳しく調べたいところだ。
「ヘライーヌ、調べてるのよね、冬の館」
「あいつうるさいのよ。一回集中したら人の声聞かないし、話しまくって声大き過ぎて兵士に気付かれそうになるし」
エレディナに頼んでヘライーヌを冬の館に転移させているが、少々面倒らしい。エレディナが鬼の形相で戻ってきたことを思い出す。ぶりぶり怒ってたね。爆弾娘が言うこと聞かないって。
精霊の儀式を行う場所は昔に魔導院が調べているが、魔鉱石があるだけで何かが分かったわけではない。精霊の書の解読が終わり選定に使われるとされているが、正確なことは分からないのだ。
ヘライーヌの興味を持たせるためにあの場所に連れたが、何か新しいことが分かればと言う打算があった。ヘライーヌの視点は普通とは違うので、ある意味天才肌の彼女であれば何かに気付くかもしれない。
「天井の魔鉱石削って持ち帰ってたし、聞きたいなら爆弾娘のところ行ったら? あの棒の分析もできたんじゃないの?」
砦から持って帰ってきた棒の分析も知りたい。フィルリーネはエレディナの言葉に頷いた。
ヘライーヌは冬の館でエレディナを使って天井も相当調べたそうだ。調べるにしても深く掘るわけにはいかないので、大きな調査は行えない。しかしヘライーヌは攻撃して天井を破壊しようとまでしたらしい。
「だって姫さん、中掘らなきゃ分からないよ」
「中掘ったらあの魔導の球体はできないと思うわよ」
「そうだけどさー」
「あんたたち、神聖な祭壇ぶっ壊す算段すんのがそもそも間違ってるって気付きなさいよ」
エレディナの言葉にフィルリーネとヘライーヌは他所を向いた。
中にある魔鉱石がどれだけの量か調べる必要はあると思うの。壊したら祭壇としての役目が行えなくなりそうだからやらせないけどね。
「精霊の書の原文も見たよ。イムレス様に貸してもらったけど」
イムレスは魔導が少ない者にも分かる解釈で訳したものとは別に、原文をしっかり複製している。さすが抜け目ない。精霊の書は結構な量だったらしく、冬の館で渡された本に比べてかなり分厚かった。
「精霊文字より古い文字。読むの大変だよ」
「古代精霊文字の中でも特別難しかったみたいだからね」
「私だって読めないわよ、そんな古い文字。何となく分かるくらい?」
「精霊ですら読めないって、ないよねー」
「うるさいわね」
ヘライーヌはふひひとふざけて笑う。人型の知能の高い精霊でも、古代精霊文字は難解なのだ。エレディナが鼻筋を寄せてお尻を上げた。ヘライーヌを睨み付けて睨めっこをする。随分仲良くなったね。
魔導院総力を挙げて精霊の書を発掘し翻訳を試みた。ニーガラッツやイムレスなどの知識人だけでなく、マリオンネの協力者もいたと言う話を叔父から聞いたことがある。
「マリオンネも気になる話なの?」
「マリオンネは地上に関わらず、関わるのは女王のみ。だからか、地上に古代精霊を祀る遺跡があることを詳しく知らないらしいのよね。当時は詳細を問う者が派遣されて来たみたい」
フィルリーネは椅子にもたれかかって天井を見上げた。マリオンネは本来地上に関わらないのだ。だから人も下りてこない。関われるのは王族だけ。それも女王を中心としたマリオンネの者たち相手だ。彼らが地上に下りることはない。
叔父の周囲にいたマリオンネは特別だ。それがどうして集まったのかは知らないが、異例だと思う。
「姫さん精霊の書読んだの?」
「全部はまだ読めてないわ。これを訳すのは難しいもの。イムレス様のところで訳しながらゆっくり読んでいる程度よ」
さすがに精霊の書を複製して部屋に置いておくわけにはいかない。結界を破られた時のために見られていい物しか置けないからだ。精霊の書の原文が置いてあっては王に不審に思われる。部屋に入ってくる想定は一応しておかなければならない。
「じゃあさあ、ここ読んだ?」
ヘライーヌは言いながら青白く細い指でページをめくった。折り目が付いているページがあって、人の本を勝手に折るなと言いたい。きっと気にせず折り目を付けているに違いない。
「ここ、ここ」
指差された文字はまだフィルリーネが読んでいないページのものだった。古代精霊文字の他に図が記されており、方向が示された簡単な地図に見える。
「冬の館で芽吹きの儀式を行う場所かしら」
「そうなんだけどー。これよく見ると変」
「変?」