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DECEMBER  作者: 竜月
一日目 はじまりの日
7/63

一日目 (6) 団欒



 全ての授業を終えて、そして放課後。

 僕は大通りを一人歩いていた。

 奈月は弓道部の部長なので部活、悠はバンドの練習があるからと早々に帰宅したので、帰り道は一人だった。小夜と待ち合わせようかとも思ったが、どうせすぐ後で会うことだし、それに少し寄りたいところもあったので先に帰ることにした。

 校門を出たところで、足を止める。

 この三葉高校は高台の上にある。

 だから、僕の住む街、挟神市を一望することが出来た。


 この学校があるのが東の端、そこから少し西に進むと商店街があって、更に進んで街の中心には、駅やビル群などのそれなりに発達した社会がある。北にはオフィス街、南には住宅街が広がっている。中心と西の間には上から下へ市を両断するように石楠花川と言う川が流れていて、その向こうは西の端まで古い民家と工場群、それに深い山になっていた。東京タワーや通天閣とは程遠い、鉄塔剥き出しの背の低い電波塔が南下した野原に突き立っている。

 それほど大きくもない、それほど都会でもない、挟神の街だ。

 坂を下って、商店街へ。

 草臥れた顔で俯き歩くサラリーマン、買い物籠を片手に店を見て回る主婦、携帯片手に器用に自転車に乗る学生、それなりに多くの人間が行き交っていた。その間を縫うように進む。

 商店街の北の端、人通りも徐々に少なくなってきた頃に、その店は見つかった。

『グルメ上等! 満点宮』

 と、どえらい挑発的なコピーの看板を掲げた、首里城みたいに鮮烈な朱色の店。看板の上部には二匹の龍が向かい合ってのたうち、窓は全て円形の格子窓になっていた。ただ全体的に薄汚れて古びた印象があって、お世辞にも栄えていそうとは言い難い店構えだ。

 『営業中』の札の掛かったドアを押し開ける。りりん、とベルが鳴った。

 店内は薄暗かった。もう夕方なのに一切照明が点いていないからだ。小さな格子窓が幾つかしかないので、採光が十分ではないことも理由の一つに上がる。

 お客さんの姿はなかった。

 キムさんは奥だろうか?


「お疲れさまで――」


 そう言いかけたところで、どたどたどたと大きな足音が。次いでホールとキッチンの間にある観音開きの扉を開け放って、猛烈な勢いでコック姿の男――キムさんが現れた。いや、飛んできた。


「いいいいいいらっしゃいませー! ようこそいらっしゃったアルね。さぁさ、ナニをタべるアルか? チャーハン、ギョーザはモチのロン、おキャクサマがごキボウならパスタやヤキザカナもダすアルよ!」


 真ん丸ででっぷりとした体型に紐のような細目、まるで日向ぼっこをしている猫が擬人化したかのような愛嬌たっぷりのその人は、その顔いっぱいに満開の笑顔を浮かべてやってきた。とんでもないチャイナチックな口調だけれど、彼は「自分は純日本人だ」と言っていた。何に影響を受けたやら。

 僕は多少申し訳ない気持ちで、話しかける。


「キムさん。僕です、忍です」


 その言葉に、右目がほんの少しピクッと開く。

 ……今まで見えてなかったのだろうか。

 キムさんはしばらくまじまじと見つめて、やがて脱力して大きな溜め息を吐いた。


「……はあ、ナンだシノブさんアルか。てっきりおキャクさんかとオモったアル。マッタく、いつもイってるでしょ、マギらわしいからちゃんとハイるトキには『おツカれさまです。ボクですシノブです』ってイってね、って」

「いや、言おうとしたんですけどね」


 言い終わるよりも早く出てくるから。


 僕は時任家を出て一人暮らしを始めた時から、一年以上この店でアルバイトをしていた。自立する為には、どうしてもお金が必要だった。勿論、学生のバイト代で全てを賄える程稼げる筈がないので今だに時任家から多大な援助を貰っているが、いずれは恩も含めて全てを返したい。その為の一歩だ。


「それはそうと、その……手の物を置いてくれませんかね」

「ムン?」


 キムさんは両手を掲げて見やる。その手にはお玉と中華包丁。

 ……そんな物持って接客に出てくるのはちょっと。


「おお、すまないアルね。イマチョウドチョウリのマっサイチュウで」


 キムさんは器用に両手でくるくるとそれら回しながらキッチンに戻って行く。

 僕も続いて中に入った。

 小さい店の癖に随分と広く作られた調理場は、食欲をそそる美味しそうな匂いで満ちていた。ステンレスの銀色がきらきら光る。キムさんはコンロの火を付けて、フライパンを振るい始めた。


「それで、よっ、キョウは、はっ、ナンのヨウジアルか? シゴトはハイっていなかったはずだけれど」

「仕事はありませんよ。今日家に友達が来るので、何か食べ物を頂けないかなあと思いまして」

「いいアルよ。ほら、そこにあるのはゼンブモってイってカマわないアルね。シサクヒンだから。そのカわりそのおトモダチにカンソウはキいてくるアルよ」


 キムさんの後ろの台には、ラッピングされた皿が幾つも並んでいた。どれにも美味しそうな料理がのっている。

 キムさんは趣味は料理、仕事も料理、生き甲斐も料理だと公言して憚らない、そんな人間だ。なので普段お客さんが入っていない時でも大量の料理を試作品として作っては、全部を自分で食べて、また料理を作って……そんな生き方をしている。だからバイトの後、或いはこうして学校帰りに店を訪ねれば、その料理を頂くことが出来るのだ。試作品とは言っているが、キムさんの作る料理はどれもこれも一級品の味だ。不味かった覚えはない。……なのに、この店が栄えないのは矢張り店構えの問題か。

 中身が違うらしい様々な色の違う餃子や、天ぷら粉で上げた鳥の唐揚げなど。並んでいる料理の中から、小夜の好きそうなあっさりとしたものを選ぶ。きっと薫さんも来るので、酒の肴になるものも持って帰ることにした。持参したビニール袋に傾かないように重ねて、水平を何度か確かめる。


「それじゃあ頂いて行きます。お皿は次のシフトの時に返しますね。……次のシフトっていつでしたっけ?」

「んー、ワからないアルね。いいよキのムいたトキにキてくれれば」


 いいのかそれで?

 ともかくキムさんにお礼を言って、店を出た。

 空は夕焼け。赤色模様。

 街はほんのりと燃えていた。

 夕焼け小焼けじゃないけれど、急いで家に帰ろうか。




「美味い。実に美味い。ルナティック美味い。私は心から宣言しよう。人間とは酒を飲む一瞬の為だけに日々無為にCО2を吐き出して生きていると」


 我が家のリビングで。

 小空間を熱心に暖め続ける炬燵に潜り込んで、冷えたグラスに冷えたビールをなみなみと注いで、それを一息に飲み干して――薫さんが発した一言がそれだった。


「絶対違うから。それと無為とか言わない」


 僕は今更指摘しても無駄だと思いながらも、自分は常識人だと見知らぬ誰かに言い訳するかのように小声で文句を挟んだ。

 小夜はもう慣れたもので、そんなやり取りを笑顔で見ながら料理を口に運んでいる。

 テーブルにはキムさんの料理プラス、小夜が我が家で腕を振るったものが並んでいた。飲み物は薫さんは前述の通りビール、小夜は桃のジュース、僕はただの水だ。三人の配置はまず壁際に薫さん、向って右に僕で左が小夜だった。


「何を馬鹿な! 忍はこの酒の一杯よりもXだのYだの縄文時代だのたけし君の気持ちだのを考えている方が楽しいと言うのか! ……ははぁん、解かった。忍はまだ酒の快楽と堕落の心地よさを知らないな? 飲め。さあ飲め。溺れるまで飲め。アル中なんて迷信だぞ?」

「ちょっとお姉ちゃん」


 並々とビールを注いだグラスを俺の頬に押し付ける薫さんを、逆側から小夜が窘める。


「お兄ちゃんはまだ未成年なんだから。お酒なんてダメだよ」

「む、何を言う妹よ。私が酒を飲んだのは二歳の時に源三にオレンジジュースだと騙されたのが最初だぞ。その時は盛大に吐いたそうだが、それを考えれば軽い軽い。そうだ、小夜も飲むか?」

「きゃっ! や、やめてお姉ちゃん!」


 ほれほれとグラスを小夜に近付ける薫さんと、いやいやと懸命に顔を遠ざける小夜。

 僕は笑いながらそれを眺めて、程よき所で薫さんを止めに入る。

 時任家にいる頃はいつも、こんな風にふざけあいながら楽しく食事をしていた。今でもこうして時々やってきては、一人で暮らす僕を気遣ってくれる。


 ――本当に、彼女たちと時任のお爺さんお婆さんには感謝してもしきれない。


 ……僕にも、薫さんや小夜と同じように両親がいなかった。

 彼女たちの両親が亡くなった事故。実はそこには知り合いだった僕の両親もいて、一緒に亡くなったんだそうだ。

 ……ここら辺の表現が曖昧なのは少し事情があるが、それはまた後ほど語ろう。

 そうして身寄りのなくなった僕を、時任家の人たちが預かってくれた。自分たちもとても大変な時なのに。

 だからこの恩は絶対に返さなくちゃならない。

 信条とはまた違う、約束のような想いだった。


「ちゃんと聞いてますか、お兄ちゃん」


 その声ではっとする。

 机の向かいから小夜が涙目で見つめていた。どうやら話を全然聞いていなかったみたいだ。


「ごめんごめん。もう一度言って?」

「ぷう」


 普段大人しい性格なのに、身内――そこに僕が入っていることはすごく嬉しい――だけには心を許して子どもっぽく膨れる小夜が可愛くて、思わず笑いそうになった。……と言うか、笑ってしまっていたらしい。


「ああ! お兄ちゃん笑った! 私のこと笑いました!」

「わ、笑ってないってば!」

「嘘です! 私見ました。ニヤってしたもん、ニヤって」

「少なくともそんな笑い方はしてない!」


 むくれる小夜と、慌てる僕。


「ああ、今日も酒が美味い」


 薫さんはそんな僕たちを見ながら、しみじみ呟いた





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